2022年ホイットニー・ビエンナーレの注目作品12点──激動の2年への考察際立
ニューヨークで行われるホイットニー・ビエンナーレは、米国で最も賛否が分かれる美術展として知られている。中でも1993年開催は特に意見が分かれる内容だった。
1993年は、同展に批判的な立場を取る人たちから、多文化主義やアイデンティティー・ポリティクスというレッテルが貼られた。人種、ジェンダー、セクシュアリティーなどがタブー視されていた時代に、正面からこうした問題に向き合った作品が並んだからだ。今思えば、芸術表現を通して米国における有色人種の生きた経験を浮き彫りにした点で、先駆的な展覧会だったと多くの人が認めるだろう。
2022年のホイットニー・ビエンナーレは、3月29日にプレスプレビューが行われ、4月6日に一般公開が始まった。今回は1993年のビエンナーレと特別なつながりがある。たとえば、作品を展示するアーティストのうち、5人が93年にも作品を出展している。これは、現代アートの新しい潮流を紹介する展覧会としては異例の多さだ。だが、93年のように多数の批判者が出てくる事態にはならないだろう。今回のビエンナーレは非常にすばらしい内容になっているからだ。
ホイットニー美術館(ニューヨーク)のキュレーター、デビッド・ブレスリンとエイドリアン・エドワーズが企画した今回のビエンナーレには、63人のアーティスト(うち5人は故人)の新作や代表作が集められた。作品のほとんどは、美術館の5階と6階に展示されている。展覧会終了と同時に忘れ去られてしまうような作品もいくつかあるが、多くはいつまでも色あせることはないだろう。元気づけられるものやタイムリーなもの、政治的なものや詩的なもの、胸が痛むようなものや感動的なものなど、多岐にわたる作品を見ることができる。
ブレスリンとエドワーズは展覧会を構成するにあたり、それぞれ印象の異なる2つの空間を作った。壁も床も黒で統一された6階のスペースは、全体的に照明が暗く、過去2年間の激動の時代を覆った不穏なムードを反映した空間だ。これとは逆に、5階は開放的で、間仕切りは一切なく、代わりに自立式足場のような仕掛けを使って作品を展示している。
会場の入り口に掲げられた2人のキュレーターによる序文には、この展覧会の企画が2019年の終わり頃に始まったこと、そしてコロナ禍の発生からジョージ・フロイド殺人事件をきっかけに全米に広がった人種差別に対する歴史的な抗議運動まで、2020年に起きた数々の出来事と並行して具体化していったことが述べられている。「根底にある問題は昔から続いているものだが、様々な出来事が重なったことで、激しい議論の高まりが社会の隅々に広がった。そして生まれたのが、過去、現在、未来が重なり合う新たな文脈だ。我われは、不安定で行き当たりばったりな時代を反映するようなビエンナーレを目指した」
またブレスリンとエドワーズは、この展覧会は、包括的なテーマはなく、「いくつかの直感」に従って企画したという。たとえば、抽象画が持つ、意味を生み出す力と隠す力、そして今日「アメリカ人であるとはどういうことか」を問うアートの役割などだ。これは、ホイットニー美術館が現在の場所に移転して初めて開いた企画展、「America Is Hard to See(アメリカは見えづらい)」以来、同美術館がずっと追求してきたテーマでもある。全体を通して見ていくと、この展覧会が何に焦点を当てているかが分かる。それは、いかに過去が現在と未来に影響を与えているかということだ。
以下、ニューヨークのホイットニー美術館で9月5日まで開催されている「2022ホイットニー・ビエンナーレ」から、いくつかの特筆すべき作品を紹介する。
デニース・トマソス
6階のセクションの冒頭を飾るのは、2012年に47歳で亡くなったアーティスト、デニース・トマソスの大規模な抽象作品2点だ(トマソスの初期の作品は、現在開催中のトロント・ビエンナーレ・オブ・アートでも展示されている)。その印象的な作品は、大西洋を渡る奴隷船に閉じ込められた人々や、刑務所の受刑者が感じる閉所への恐怖感を表現している。解説文によると、彼女は「閉じ込められた感覚を捉える」ことで、船や刑務所といった構造がいかに「黒人の精神に破滅的な影響を残したか」を探ろうとしたという。
レイブン・チャコン
ディネと呼ばれる先住民のレイブン・チャコンは、身近にいる女性たちや先祖など、先住民の女性を称える作品を出展。米国の桂冠詩人ジョイ・ハルジョやアーティストのアンジュ・ロフト、キュレーターのキャンディス・ホプキンス(チャコンの妻でもある)に捧げる詩に挿絵をつけたリトグラフのシリーズには、3チャンネルの映像が組み合わされている。心を揺さぶるこの映像作品の中では、3人の先住民女性、セージ・ボンド(ディネ)、ジェニーン・ワシントン(ユチ族)、メアリー・アン・エマースル(セミノール族)が、現在住んでいる土地と祖先が追われた土地について、それぞれの母語で歌っている。
米国には、ナバホ族やチェロキー族など先住民の強制移住の歴史がある。女性の1人は「私たちを助けてください、見守ってください」と歌い、また別の女性は「忍耐強く耐えている」と歌っている。このビデオ作品についてチャコンは「音による証言、共に生き延びたことを確かめ合い、母語で癒しを与える抵抗の歌」だと説明している。
アルフレッド・ジャー
アルフレッド・ジャーの作品は少々強引なところがあるが、インパクトのあるインスタレーションだ。ジョージ・フロイド殺害事件をきっかけに広がった、2020年6月のブラック・ライブズ・マターの抗議活動記録を使った映像作品を見るのに途中入場はできない。外で待たされていた観客が展示室に入ると部屋は封鎖される。粒子の粗い緊迫した映像の中では、防具を付けた警官隊がデモを解散させようと、丸腰の参加者たちに向けて閃光弾や催涙ガスを発射し、事態は一気に混沌としていく。上空をヘリコプターが飛び回り、下にいる人々に危険なほど接近する。観客の頭上に設置された扇風機が映像に合わせて空気を噴出させ、その時の現場の感覚を再現している。他のいくつかの作品と同様、この作品は今という時代の暴力性をまざまざと見せつけるものだ。
アダム・ペンドルトン
今回のホイットニー・ビエンナーレには多くの映像作品が出展されている。その1つがアダム・ペンドルトンによるもので、この他にも6階の別のスペースで2点の大きな絵画が展示されている。ペンドルトンの1時間の作品、「ビデオ・ポートレイト」は、1965年にアラバマ州で人種差別主義者に撃たれそうになった公民権活動家、ルビー・ネル・セールスに焦点を当てている。彼女をかばった白人の神学生ジョナサン・ダニエルズは、銃弾を受けて死亡した。
作品の中でセールスは、今日のアクティビズムについて、特に黒人を助けようとする米国の白人について語っている。一部の白人活動家の「私に何ができる?」という考え方は、白人による権力維持につながるものだと彼女は言う。そしてこう続ける。「世界を修正しながら、私たちは自分自身をも修正しなければならない。なぜなら私たち自身が世界であり、世界に存在する混乱でもあるから。私たちが作り出した混乱の後始末をするのは、私たち自身だ」
ココ・フスコ
ココ・フスコが出展した新作ビデオでは、新型コロナによる死亡者数が題材にされている。作品には、ブロンクスの近くにあるハート島付近でボートに乗っている彼女の姿が写し出される。この島には古くから、引き取り手のない遺体を埋葬するニューヨークの無縁墓地がある。1980年代から90年代にかけてのエイズ流行時には、家族に絶縁された多くの人々の遺体がここに送られた。そしてこの2年間、ハート島に埋葬される人の数は再び急増している。死、喪失、悲しみを扱う胸を打つビデオ作品のナレーターとして、フスコは詩人で作家のパメラ・スニードを起用した。彼女はエイズ活動家としても知られ、2020年にエイズが流行した頃の回想録『Funeral Diva(葬礼のディーバ)』を出版している。
12分の映像作品の中でスニードは、島に埋葬されている遺体の数は100万体に上る可能性があるものの、正確な数は誰も知らないと語る。新型コロナによる驚くほどの累計死者数は、感覚を麻痺させる。遺体はただの数字となり、亡くなった人それぞれの物語を忘れさせてしまうと彼女は言う。スニードはギリシャ劇の合唱のように繰り返す。「『死がやってきて、お前の目を奪うだろう』と彼は言う」
ジェームズ・リトル
今回のビエンナーレには抽象画も多い。ニューヨークを拠点に活動しているジェームズ・リトルは、ジャック・ウィッテンやスタンリー・ホイットニーなどと共に、抽象画を専門とする黒人アーティストとして知られている。展示会場にはリトルが描いた黒とグレーの見事な抽象画3点が壁一面に飾られており、鑑賞者が立つ位置によって、絵の中の図形が背景に溶け込んだり、浮かび上がってきたりする。リトルは抽象画に専念している理由ついて、解説文の中で次のように述べている。「抽象画に取り組むようになって、私は初めて自己決定の感覚と自由意志を得た。その開放感と自由は他の様式では得られないものだ。人々は経験する前から答えを欲しがるが、抽象画はそれを与えてくれない」
グアダルーペ・ロサレス
6階の展示では、銀色のフレームに入った4点の写真が目に飛び込んでくる。ロサンゼルスのイーストサイドの夜景を撮影したこの作品は、人気インスタグラムアカウント@veteranas_and_rucas(https://www.instagram.com/veteranas_and_rucas/)で広く注目されているアーティスト、グアダルーペ・ロサレスによるもの。ラテン系住民が多いこの街の、神秘的な「夢と逃避と旅に満ちた夜の抽象性」を表現している。ロサレスの写真は、自身も含めこの地域に住む人々が日々経験する、美と苦痛の間を揺れ動くような心の機微を捉えている。解説文の中で、彼女はこう説明している。「夜というのは、自由でありながら追われているような複雑な感覚になる場所だ。イースト・ロサンゼルスの夜には独自の現実があり、超現実がある。まるで白昼夢のような。この作品は、死者と生者を称えるものでもある」
レイヤン・タベット
レイヤン・タベットの作品は、ホイットニー美術館のあちこちに点在している。ビエンナーレの会場として使われている各フロアをつなぐ階段やファサード、さらに3階のスタッフ用会議室のガラスの壁にも貼られている。短いテキストで構成されるこの作品は、見る人に簡潔な質問を投げかける。「奴隷解放宣言によって何が起きたか?」「独立記念日はいつか?」「今の大統領の所属政党は?」。問いはシンプルだが、それに対する答えは複雑なニュアンスを帯びてくる。
米国の市民権を得るための帰化試験から引用された質問で構成されるタベットの作品《100 Civic Questions(帰化するための100問)》は、「Becoming America(アメリカになる)」シリーズのうちの一部。5階には同じシリーズのビデオ・インスタレーションが展示されており、これらの質問の一部が4つの旧式のテレビモニターにランダムに表示され、具体詩のような効果を生み出している。自身も現在米国の市民権を申請中のタベットは、本来の文脈から切り離されたテキストを使いながら、アメリカ人になるとはどういうことかをより開かれた形で語ろうとしている。
ディアニ・ホワイト・ホーク
ディアニ・ホワイト・ホーク(シチャング・ラコタ族)は1点しか作品を出展していないが、その作品は壮大なものだ。この抽象的な作品は遠目では絵画のように見えるが、解説文によると、「薄いガラスラッパビーズを織り込んだ帯をアルミニウムパネルに貼り付けた」ものだという。ホワイト・ホークによれば、彼女の作品は、バーネット・ニューマンやジャクソン・ポロックといった戦後の抽象表現主義者たちのほか、何世紀にもわたってラコタ族に伝わるビーズワークから影響を受けているという。
米国では、純粋抽象画はニューマンやポロックなどの功績とされることがいまだに多い。だが、私たちがいるのは盗まれた土地だという認識がアート界で共有されるようになった現在、この様式の真の先駆者は誰なのかを考えてほしいとホワイト・ホークは願っている。彼女は次のように語っている。「これは、土地と生命のつながりを語る芸術の系譜に連なる、ラコタならではの作品だ。タイトルの《Wopila|Lineage(ウォピラ|系統)》には、この作品の制作を可能にしてくれた、先祖たちと生者たちが共に織りなす共同体への深い感謝の念が込められている。私は、美には治癒力があると信じている。この作品は美の供物、私が受け取った贈り物に対する返礼なのだ」
リサ・アルバラード
シカゴを拠点に活動するリサ・アルバラードは、メキシコ系アメリカ人のアートとアクティビズムにまつわるテーマを探求している。所狭しと作品が並ぶ5階に展示されている彼女の作品は、やや控えめにも感じる。だが、異なる高さに吊り下げられた3つの抽象的な作品は、幾重にもレイヤーを重ねた壮麗なもので、パターンや色彩が溶け合って融合し、まるで宇宙のようだ。
作品はすべて《Vibratory Cartography: Nepantla(振動する地図作成:ネパントラ)》と名付けられている。ネパントラとはナワトル語で「間、真ん中」を意味し、国境、特にアメリカとメキシコの国境沿いに住む人々が生涯を通じて感じ続ける心の状態を表現するために、著名な学者・理論家の故グロリア・E・アンサルドゥアが使用していた言葉だ。アンサルドゥアによれば、それは「ここ」でも「あそこ」でもない、中間のどこかに属している状態を指す。解説文の中で、アルバラードは制作の動機についてこう説明している。「世界と世界の間で共振する周波数の中に存在するこの絵画は、再生に至る小道や橋が織り成す地勢図を思い描いたものだ」
セーブル・エリス・スミス
5階の展示会場の奥にあるのは、黒く塗られたテーブルが観覧車のように回転する、セーブル・エリス・スミスの堂々とした立体作品だ。テーブルは刑務所の面会室で使用されていたもので、受刑者が大切な人と過ごす短い面会時間の間にも、看守が監視しやすい造りになっている。「暴力と娯楽が絡み合ってインフラのようになっている我われの文化への物理的なモニュメント」だと解説文の中でスミスが説明するこの作品は、一見無害な様子で、ゆっくりと回転している。しかし、これは刑務所における利権追求のために存在し続ける産獄複合体の陰湿な体質を表現しているという。全米のどの地域においても、その中で苦しんでいるのは、圧倒的に黒人やラテン系が多い。
カサンドラ・プレス
3階の廊下にあるコンパクトなスペースには、アーティストのカンディス・ウィリアムズが設立した出版社、カサンドラ・プレスの閲覧コーナーが設けられている。現在カサンドラ・プレス関連の展示は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)とMoMA PS1でも見ることができる。特注の棚には、テーマ別にさまざまなテキストを編集した31冊の選集が並んでおり、来場者はそれを手にとって読むことができる。
展覧会のキュレーターによれば、これらは「黒人に関する研究と先鋭思想の普及を軸にした、批評のための装置」なのだという。あるセクションは、ミソジノワールという用語に焦点を当てている。ミソジニー(女性嫌悪)とノワール(フランス語で黒)という2つの言葉を組み合わせたこの表現は、アフリカ系アメリカ人でフェミニストの学者、モヤ・ベイリーが「多層的で複雑なトラウマや戯画化などが混じり合う、黒人女性に特有の差別を表すため」に作られた造語だ。(翻訳:野澤朋代)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月29日に掲載されました。元記事はこちら。