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奇才ソフィ・カルはなぜ、ピカソ美術館で「ピカソ不在」の個展を開催したのか

フランスのコンセプチュアルアーティスト、ソフィ・カルが、パリのピカソ美術館で個展を開催中だ。しかし、その会場からはピカソの作品のほとんどが撤去されている。ピカソとカル──ふたりのアーティストが見えないかたちで響き合う個展が伝えることとは。

パリ国立ピカソ美術館での「Sophie Calle: A toi de faire, ma mignonne」(2023年)の展示風景。Photo:Vinciane Lebrun/Voyez-Vous; Art: ©2023 Sophie Calle/Adagp, Paris

フランスで最も有名な現代アーティストのひとりであるソフィ・カル。コンセプチュアルな作品で知られる彼女の代表作といえば、友達や見知らぬ人を追って写真を撮り、その体験を詳細に記したテキストと共に展示するプロジェクトだろう。

そんなカルとピカソ美術館のコラボレーションは2018年、ル・マレに拠点を置く同館がカルに話を持ちかけたことから始まった。だが2018年当時、カルはピカソ美術館とのコラボレーションに明確なイメージを抱けずにいたという。

「わたしはピカソの専門家ではありません。わたしから新たなアイデアを提示することはできないと思ったのです」

カルがUS版ARTnewsにそう語ったのは、個展の準備が最終段階に差し掛かった夏のことだった。しかしパンデミックの最中、カルはピカソ美術館から再び招待を受けた。「自宅から出られる機会を簡単に逃すわけにはいきませんでした」とカルは回想する。

「ピカソ美術館を訪れると、茶色い紙に覆われたピカソの絵画を目の当たりにしました。そこで閃いたのです。『ピカソの不在』をテーマにすればよいのではないかと。ピカソの影響やアイデアをあえて回避することこそ、ピカソとの間に距離を保つための最善な手法だったのです」

美術館に“憑依”したカルと、他者の目を通して見るピカソ

本展が開催される数週間前の2023年9月、カルにインタビューするためピカソ美術館を訪れると、作業員たちがたくさんの木箱を運び込んでいた。そこにはすでにカルの存在が感じられた、いや、もはやはじめから、ここはカルの美術館であったのではないか──そう錯覚してしまうほど、カルの影響は美術館の隅々におよび、彼女の声がギャラリー中に響き渡っていた。

Sophie Calle, drawing on paper, n.d. Photo: ©2023 Sophie Calle/Adagp, Paris; Collection of The Artist

「À toi de faire, ma mignonne(あなた次第さ、わが恋人よ)」と題された今回の個展は、ピカソ美術館の建物であるオテル・サレの1階から4階までの全館にわたって展開されている。

美術館に入るとまず目に留まるのは、カルが人生ではじめて描いたインク画だ。父親が額に入れ、母親が誇らしげに「我が家にピカソがいる」と褒めたというエピソードを持つこの作品には、確かにピカソとカルのつながりが認められる。

その反対側には、1928年のピカソ作品《頭》をカルが再構築した作品が掲げられている。1994年にシカゴのリチャード・グレイ ギャラリーから盗まれた《頭》は当時、50万ドル(約7,500万円)の価値があると言われていた。カルは、盗まれてしまう前に鑑賞した人の記憶をもとに、この作品を再構築したのだ。

次の部屋では、茶色い紙に包まれたピカソ作品を撮影した写真が展示されている。美術館から搬出されるのを待っていた20ほどの名作をカルが写真に収めたもので、そのなかには、1937年の絵画《マリー・テレーズの肖像》や、1950年の彫刻《山羊》などがある。しかし、作品そのものの存在は写っていても、どんな作品なのかはタイトルからしか窺い知ることはできない)。どのようにして被写体となる作品を選定したのか尋ねると、カルは、「その場にあったものを撮っただけ」と答えた。

パリ国立ピカソ美術館での「Sophie Calle: A toi de faire, ma mignonne」(2023年)の展示風景。 Photo: Vinciane Lebrun/Voyez-Vous; Art: ©2023 Sophie Calle/Adagp, Paris

この個展のなかで、少しも手を加えられずに展示されているピカソ作品は、3つの自画像のみだ。これら3つの中心には、個展の題名のもとになった、イギリスの著作家ピーター・チェイニー作のスリラー小説のフランス語版が設置されている。

「いままでこの本を読んだことはありませんでしたが、このタイトルを見たとき、ピカソがわたしに語り掛けているような気がしたんです。個展の仕事を引き受けてもいいよ、と」

次の部屋にも5つのピカソ作品が「存在」してはいるが、それら(《カサヘマスの死》、《大浴場の読書》、《絵を描くパウロ》、《パイプをくわえた男》、《泳ぐ人》)は全て、白い布のベールに包まれている。各作品の横には、美術館の警備員が書いた作品の説明文が掲示されている。絵画は確かにそこにあるのに、他者の言葉を通してしかそれを見ることはできないという、非常に奇妙な状況だ。

カル版の《ゲルニカ》

同じく1階にある別のギャラリーでは、2010年にパリ市立近代美術館からピカソの名作5つを盗んだ犯人とカルの往復書簡が展示されていた。手紙のなかで犯人は、自分がピカソのファンではないことを認めている。

このやりとりでカルは行き詰った。なお、展示されている手紙の一部は塗りつぶされており、その理由は来場者に明かされていない(ピカソ美術館によれば、塗りつぶされているのはピカソ以外のことについて話していた箇所だという)。

パリ国立ピカソ美術館での「Sophie Calle: A toi de faire, ma mignonne」(2023年)の展示風景。 Photo: Vinciane Lebrun/Voyez-Vous; Art: ©2023 Sophie Calle/Adagp, Paris

この個展で最も印象的だったのは、カル版の《ゲルニカ》だ。ピカソの原作とほとんど同じ面積(約3.5m x 7.7m)で、カルのプライベートコレクションから選んだ200ほどの芸術作品が並べられている。そのなかには、クリスチャン・ボルタンスキーやタチアナ・トゥルーヴェ、ミケル・バルセロ、ダミアン・ハーストシンディ・シャーマンといったアーティストたちの作品も含まれている。

壁一面に展示されたこのインスタレーションは、アルメニアにルーツを持つ20世紀のアメリカの画家、アーシル・ゴーキーが12人の芸術家に対して、ピカソの名作を再訪するよう説得したという逸話に着想を得たもの。この逸話はマリー・ガブリエルが2017年に発表した書籍『9番外の女たち』のなかで語られた。ゴーキーに招かれた芸術家たちは、一晩ぐっすり眠ったあとで再び集まる予定となっていたが、結局のところ、皆が再集合することはなかった。

このエピソードにインスピレーションを得たとはいえ、カルは自身のアーティスト仲間を実際に呼び出すことまではしていない。「わたしが誘ったところで、誰も応えないでしょうから」と本人は笑うが、仲間たちの存在は、インスタレーションのなかに息づいている。

自らの死と向き合う

奥に進むにつれて、ピカソとのつながりはより薄く、より歪んだものになっていく。これこそがこの個展のよさだ。美術館の2階を埋め尽くすのは、カルが撮影した、生まれながらに盲目な、もしくは後天的に失明した個人の写真たちだ。

カルはピカソ美術館のアーカイブを掘り返していたとき、「Association d’aide aux artistes aveugle(盲目のアーティストを支援する会)」がピカソに宛てた一通の手紙を発見した。会の資金に充てるため、ピカソの絵画をひとつ献品してくれないか、という嘆願書だった。

これを目にしたカルは、アルミネおよびベルナール・ルイス=ピカソ芸術財団の力を借りて、65年越しにこの嘆願に応えることにしたのだ。個展の期間中、ピカソの陶芸作品がオークションに出品され、売却額は「盲目のアーティストを支援する会」に寄付される。

3階では、カルの両親へのトリビュートに心を動かされることになるだろう。カルが自分のアーティストとしてのレガシーを振り返りながら、自身には子どもがいない事実を強調した、非常に痛烈な含みをもった展示だ。

また、自らの死を偽装しようと考えたカルは、オテル・ドゥルオーの競売人に自身の資産を査定させ、選定された500ほどの物品をオークションハウスで競売にかけられているかのように展示した。それら物品は、絵画から写真、衣服までさまざまだ。オテル・ドゥルオーを真似て、ギャラリーの壁を赤いベルベットで覆うほど、この茶番劇は周到だ(ちなみに物品は実際に売りに出されているわけではない)。

「ピカソは常に、絵画の奥にある何かを表現しようとしていました」と、カルは語る。「わたしは私物を通じて、その奥にある物語を表現したかったのです」

パリ国立ピカソ美術館での「Sophie Calle: A toi de faire, ma mignonne」(2023年)の展示風景。 Photo: Vinciane Lebrun/Voyez-Vous; Art: ©2023 Sophie Calle/Adagp, Paris

美術館の最上階では、カルの未完作品がいくつか展示されている。カルが「やり残した」作品たちが、額に入れられ、吊るされ、なぜ完成しなかったのかの理由とともに展示されているのだ。「検閲」、「ありきたり」、「技術的な問題」といった理由をはじめ、なかには長文のキャプションで作品を説明しているものもある。

そして最後の部屋には、付随するイメージがないテクストだけの作品と、反対にイメージだけの作品、ナラティブが語られることを待っている作品が展示されている。

完成とは、すなわち死である

今回のプロジェクトが、このようなかたちで完結を迎えたことに達成感を覚えているか、とカルに尋ねてみた。すると、「質問の意味がわかりません」という回答が返ってきた。

「ここでの仕事は終わりました。ピカソ美術館をもとにイメージしたすべてを出しましたから。しかし、これからまた別の何かを表現していきたいと思っています。明日にでも新しいアイデアを思いついて、創作をはじめるかもしれません。ピカソは、完成することはつまり死ぬことであると考え、遺言や遺書を書くことを拒んだといいます。『それでは死を招くようなものだ』とピカソなら言うでしょう。わたしはもっと遊び心をもっていたいと思いますが、根底にあるのは、ピカソと同じ恐怖心なのかもしれません」

カルはこの個展に合わせて、とあるジャーナリストに追悼記事の執筆を依頼したが、唯一この記事だけは公開されていない。カルはこの記事を非公開のままにしておくことを決め、代わりになぜそのような心変わりが起こったかを説明するテキストを展示している。個展そのものと同様に、存在はあるが裸眼には見えない──本当に大切なこととは、そういうものなのかもしれない。(翻訳:編集部)

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