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アフガニスタンの大地震で歴史的建造物に壊滅的被害。アレクサンドロス大王時代の城塞の一部は崩壊

アフガニスタン西部のヘラート州で、10月7日から15日にかけてマグニチュード6.3の大地震が4回発生。さらに数十回の余震に見舞われた同地域では、数多くの歴史的建造物が深刻な被害を受けている。

2005年に撮影されたアフガニスタン・ヘラートの金曜モスク(Masjid-i Jami)。Photo: Courtesy Wikimedia Commons

震源地付近で特に大きな被害を受けたヘラート州ジンダヤン地区の村々では、10月7日に起きた2度の地震により日干しレンガなどで作られた家屋が倒壊。国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、少なくとも1500人が死亡、数千人が負傷した。近隣では、合わせて11の村が壊滅し、11万4000人が人道支援を必要としているという。

被害の大きかったジンダヤン地区とインジル地区の多くの村落には、16世紀から18世紀前半のサファヴィー朝時代に建てられた歴史的建造物などの遺跡が多く、中にはイル=ハン国(13世紀〜14世紀)にまで遡る特徴的な要素を持つものも残っていた。

「この地域には、非常に珍しい600年ほど前の縦型風車もありました」と、アガ・カーン文化基金のアフガニスタン地区プロジェクトマネージャー、アーラシュ・ブースタニはアートニュースペーパー紙に語っている。

また、2004年からユネスコ世界遺産暫定リストに登録されているヘラート市内でも、主要な建築物が地震で大きな被害を受けた。その1つがイフチャルディンの城塞で、塔に亀裂が入り、修復が終わっていた階段の吹き抜けが崩壊した。この城塞は、アレクサンドロス大王がガウガメラの戦いでアケメネス朝ペルシャを破り、ヘラートを占領した紀元前330年頃に建設されたと考えられている。

13世紀にチンギス=ハンの西方遠征によって打撃を受けたヘラートは、その約20年後に土着のクルト朝によって復興された。14世紀にはティムールによって破壊されたのち、その息子でティムール朝第3代君主のシャー=ルフが再建。その後、2011年に城塞の修復が完了するまで、近現代においてもヘラートは数々の紛争を経てきている。

大地震の被害は13世紀初めに建てられた金曜モスク(Masjid-i Jami)にも及び、多くの亀裂が入ったほか、青いタイル張りのミナレット(尖塔)には完全に崩壊したものもある。また、15世紀初頭にシャー=ルフの妃ガウハル=シャードが手がけた、この地域最大の建造物群が現存するムサラも被災。タイルやレンガの被害が目立つほか、半壊したミナレットもある。(翻訳:石井佳子)

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