ARTnewsJAPAN

鬼才マッド・ドッグ・ジョーンズが初のアートブックを刊行! エディション50の特装版は、人間らしさへの「道標」

〈?(シンボル)〉という謎めいた名を冠した新ブックレーベルから、カナダ出身の多元的アーティスト、Mad Dog Jonesの自身初となるアートブック『TIME MAY BECOME SLIPPERY...』が刊行される。通常版に先行して11月16日から予約が開始される特装版は、それ自体がアート作品(エディション50)。アーティスト本人に、本に対する想いや制作プロセスについて、そしてアート業界との付き合い方について話を訊いた。

Mad Dog Jones『TIME MAY BECOME SLIPPERY...』の特装版。

東京を拠点に、新たなブックレーベル〈?(シンボル)〉が立ち上がった。シンボルは、美術館やギャラリーでの作品鑑賞とは全く異なる、あるいはそうした空間での展示を記録する「図録」とも違う、本というメディアムを通じた新しいアートの「体験」であり、「アートってなんだ?」という根源的な問いに再び向き合い、「アートと交歓する」機会を与えてくれるプロジェクト。毎回一人のアーティストにフィーチャーし、作品の変遷やアーティストの思考を辿る通常版とそれ自体がアート作品と言える限定の特装版をリリースしていくという。ゆえにタッグを組むアーティストも、既存の枠組みには収まり切らない越境的な創作活動を展開している面々だ。アーティストを選定するアドバイザーには南條史生も名を連ねている。

人類の歴史とともに始まったアートのコンテクストを引き受け、来るべきアートのコンテクスト生成に参画すべき──そんなミッションを掲げるシンボルの記念すべき第一弾のコラボレーターに選ばれたのは、トロントを拠点とする音楽コレクティブ〈SIDEWAYS〉の共同設立からキャリアをスタートし、サイバーパンクやSF映画、日本のアニメに影響を受けたデジタルアート作品で、インスタグラムを中心としたソーシャルメディアコミュニティのあいだで絶大な人気と信頼を誇るMad Dog Jones(マッド・ドッグ・ジョーンズ)。近年は、アートバーゼルでのインスタレーションや、中国・ユーレンス現代芸術センター初の大規模NFTアート展でのヘッドラインなど、アート業界の主流においても評価を確たるものにしている。2021年には、自動生成型作品《レプリケーター》が世界三大オークションハウスのひとつであるフィリップスで同社史上初のNFTアートとして販売され、410万ドル(現在の為替で約6億2000万円)で落札されたことも記憶に新しい。

今回、Mad Dog Jonesが自身初となるアーティストブックに与えたタイトルは、『TIME MAY BECOME SLIPPERY...』(直訳すると、時間はするりと抜け落ち得る、の意)。エディション50の限定特装版は、ジョーンズ本人が1点ずつパイロンに加工を施したアート作品に収められている。

大量生産品であるパイロンを用いた奇妙なオブジェクトブックはどのようにして生まれたのか。これまでデジタル空間を主戦場にしてきたアーティストが、なぜ本という従来型のメディアが基盤のプロジェクトに参加したのか。そしてお気に入りの靴は……? アートフェア「ART021」のため上海に滞在中の彼に、オンラインで話をきいた。

「人生の水たまりに気をつけろ!」

──特装版はもはやそれ自体がアート作品であるとはいえ、今回のプロジェクトはアートブックという枠組みです。インスタグラムやNFTなど、デジタルテクノロジーの拡張性を味方につけながら活動の幅を広げてきたあなたが今あえて本という旧来型メディアの存在価値を定義するとしたら、どのようなことが言えますか?

僕はテクノロジーをやみくもに受け入れたいとは思ってないんだ。インスタグラムのリールを作ることに時間を費やすような人間にはなりたくないからね。ソーシャルメディアが普及し、スクリーンを見る時間が増えるにつれ、本のような物理的なモノや体験の必要性が増していると感じる。読書をすれば幸せな気持ちになれるけれど、大量のコンテンツが垂れ流しになっている携帯でハッピーになるのは難しい。だからこそ、どんなメディウムを介して鑑賞者に自分の作品を見せるのかを考えることが重要なんだ。それはアーティストの義務でもあると思う。

その意味で、というメディウムはある種、究極の形態だと思う。どんな本にも、タイトルを含め、必ず言葉が介在する。友人とも、詩や作品タイトルについてなど、言葉の力についてよく話すんだ。インスタグラムは文字が小さいからタイトルの力をそれほど感じないかもしれないけれど、本であれば片面に作品を、もう片面に大きな言葉を載せてプレゼンテーションできる。俳句であろうと、言葉の引用であろうと、見開きの表現は本当にパワフルだと感じる。フリックしてスクロールするようなスライドとは違う。自分のやっていることをより深く理解させてくれるのが、本というフォーマットだと思うんだ。

──本という物質を通じて創作物を体験する行為は、より身体的で人間味があると感じます。

そうだね。話が少しそれるけど、僕はひどい建築を見ると本当に腹が立つんだ。だって地域の住民は、毎日その醜い建築を見ることを強要されるわけだから。その状況がすごく暴力的だと思う。アートについても似たようなことを考える。つまり、もし誰かをスマートフォンに強制的に押し込めるとしたら、それはあらゆる意味で牢獄に近い。鑑賞者を苦行に追いやるようなものだ。もちろんデジタル上のアートに利点がないとは言わないし、全く使わないわけでもない。特に若いアーティストにとっては、自身のスタイルを見つけるためのすばらしい入り口になる。でも、人々をデジタル牢獄に閉じ込めることには加担したくない。むしろ、どうしたらそこから人々を救い出せるかを考える方が、僕は楽しいと感じるね。

特装版の制作風景。Mad Dog Jonesのカナダにあるスタジオにて。

──特装版はなぜパイロン(カラーコーン)なのでしょう?

パイロンみたいに建築現場にあるようなモノの、ブルーカラー的な要素が好きなんだ。それにパイロンには「水たまりがあるから気をつけろ」というような、注意を促す機能もある。人生には気をつけるべき類の様々な水たまりがあるからね。たとえば、このデジタル時代においては、携帯でTikTokやインスタグラムのスクロールに夢中になっているとあっという間に時間が過ぎてしまう。だから、タイトルの『TIME MAY BECOME SLIPPERY...』(時間はするりと抜け落ち得る)は「外に出て、意味のある交流をしよう」という婉曲的な呼びかけでもあるんだ。本(通常版)の表紙に建物や駅で水漏れがあると置かれる「転倒注意」の看板をデザインしたのも同じ理由からだよ。

──私もパイロンにはたくさんの思い出があります。特に酔っ払ったときの(笑)。

とても共感するよ(笑)。僕も道端に置いてあるパイロンをこっそり持ち帰ったり友達の頭に被せたりした記憶がある。一方で、パイロンにはある種の神聖さを感じるんだ。パイロンはシンボルであり、ノスタルジーであり、またある種の権威や遊び心でもある。今回の特装版は、そんなパイロンを家に置く言い訳みたいなものだね。

パイロンはまた、僕の作品のなかで重要な機能的役割を担っている。絵に余白があったり色彩のバランスが悪かったりすると、パイロンを描き込むんだ。黄色のパイロンを置いたり、青色と白色のパイロンを重ねてみたり。絵を構成する際のチートコード(裏技)と言ってもいい。だから、パイロンには親近感があるんだ。 

美術史に残るより自分が「クール」だと思えることを

──特装版の制作プロセスについて教えてください。制作を進めるなかで大変だったことはありましたか?

苦労というよりも、遊びみたいな感じだった。日本からカナダまでパイロンを送ってもらって、家で様々なアイデアを試したんだ。デザイン段階でいちばん悩んだのは、手の込んだアートピースにするのか、それともよりシンプルで生々しいものにするのかの判断だった。実際に工事現場にありそうな雰囲気にしたくて、最終的には後者を選んだ。傷だらけで何マイルも移動した中古感というのかな。パイロンの力はそのシンプルさにこそ宿っていると思うんだ。

──あなたの創作活動において音楽は今も重要なメディアの一つだと思うのですが、今回、制作時にはどんな音楽を聴いていましたか? 

デザインプロセスと関係があるかはわからないけれど、いろんな音楽を聴いたよ。例えば70〜80年代のパンク。デッド・ケネディーズとかね。それから、新しいハウス・ダンス・ミュージック。あと最近ハマってよく観ているアニメ『ワンピース』のテーマソング。頭から離れないんだ。

──パイロンとパイレーツ(海賊)、良い組み合わせですね。

海賊やパンク・ミュージックが好きなんだ。その反骨精神がね。だから、伝統的なアート界や豪華なディナーは馴染まない。僕は自分が称賛されることより、自分の作品に興味をもってくれる人が好きなんだ。

50エディションの特装版は、台座の部分に通常版のアートブック(写真はサンプル)が収められる仕様。

──あなたのありようはアート業界の保守的な型からは外れているように思いますが、それは戦略的なものでしょうか。それとも、気質でしょうか?

どっちも同じようなものかな。僕は今も、家族や生まれ育ったコミュニティと近い、カナダのサンダーベイという小さな町で暮らし、働いている。キャリアのことを考えれば、自分の馬鹿さを教えてくれる小学校の同級生たちとつるむよりも、ニューヨークやロサンゼルス、あるいは東京のような都市で大勢の偽物に囲まれながら四六時中誉めそやされているほうが効果的なのかもしれない。でも、業界に胡麻をする気はないんだ。外に出てチェンソーで薪を切ったり、父親と屋根を直している時間のほうがずっと幸せだと感じるから。一方で最近は、年に2〜3カ月は仕事で世界に出て、様々な都市と交流するようにしている。今年も香港やソウル、東京や上海に行って、これからマイアミとロンドンにも行く予定。でも、自分の拠点はサンダーベイにあって、地に足がついている。そこは意識的だね。

──美術史に記述されることは望んでいない?

「歴史に残るようなことをした」と言われることもあるけど、僕は美術史の一部になることを目指してやってるわけじゃない。もちろん、そうなれば名誉だけど、それは僕の夢でもなんでもないし、そこを目標にするのは馬鹿げていると思うんだ。アート界での成功に「正解」なんてものはないし、運任せな部分も大いにある。それよりも、友人たちや自分がクールだと思えるものをつくりたい。 

特装版には、アーティストのサインとエディションがラフに記されている。

間違った靴を履きつづけるほど苦痛なことはない

──アーティストとして、テクノロジーからはどのような恩恵を受けていますか?

僕は何年もの間、一般的なタブレットとデジタルペンシルでデジタルアートを制作していたんだけど、ペンシルを強く握りしめては手を痛めていたんだ。手が痛いと気持ちが乗らず、仕事も捗らない。そんなとき、タトゥーアーティストの友人が「Procreate」というiPadのアプリを勧めてくれて、家族から借りたお金でiPadを買ってすぐに試してみたところ、「もっと良い絵が描ける!」と確信したんだ。それが、テクノロジーが僕を新しいステージに押し上げ、創造的な声を与えてくれた瞬間だった。

──毎日iPadで絵を描いていると思いますが、それ以外にルーティンはありますか?

資料写真もたくさん撮っている。写真を撮って、編集やコラージュをしながら新しいアイデアをつくり出すんだ。それから家にある擁壁(retaining wall)には、いつもグラフィティを描いてる。最近は、iPadじゃなくペンと紙で絵も描いているんだ。あとはエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーたちとも一緒に仕事をしてる。そんなふうに複数のメディアを行き来しながら、その時々の自分にとって刺激的なものを探しているという感じかな。一つのメディアで燃え尽きてしまわないように。自分のスタイルや興味に柔軟でいることで、新鮮さを失わないでいられるんだ。

──さきほど世界中を飛び回っているおっしゃっていましたが、旅に欠かせないアイテムは何ですか? 

靴、中でもビルケンシュトックは必携だね。僕は全くスニーカーヘッド(スニーカー狂)ではないけれど、どんな靴を持っていくかによって、街との接し方が変わってくる。ハイキング用のシューズを履いていると妙にアクティブになって変な場所に行きたくなるし、ビルケンを履けばコーヒーショップに立ち寄ってみようか、という気になる。ファンシーな靴だったら素敵なバーに行くかもしれない。フットウェアで自分のスタイルを表現するのが好きだし、良い塩梅の靴を履いていると、地面との接触が心地よくなって1日が様変わりするんだ。間違った靴を朝から晩まで履きつづけるほど苦痛なことはないからね。チャックテイラーも好きで時々履くけど、20キロほど歩く写真撮影の日には向いてない。つま先がパンパンになってしまうんだ。だから、旅に出るときはいつも正しいフットフェアを選ぶように心がけているよ。

──今もビルケンを履いているんですか?

今はホテルの部屋だから裸足だね。ちょっと待って、今回持ってきた僕の靴を見せるよ。これがスエードのビルケンシュトック。それからサロモンのハイキングシューズに、ちょっと派手なナイキのスニーカー。ビルケンはもう1ペア持って来てる。こっちは薄汚れていて、匂いも最高とは言い難いけどね。

Mad Dog Jones『TIME MAY BECOME SLIPPERY...』特装版
予約開始:11月16日(木)
予約サイト:https://symbol.extreme-question.art/
エディション:50
サイズ:H 75.3cm x W 44.3cm x D 44.3cm, 19.4Kg(クレート含む)
本体価格:4000ドル(約60万7000円/税・配送料別)
* 2024年1月18日までに予約した方は、ご自身の名前を特装版に記載
* 特装版の特典として、アーティストブックの証書としてのNFTと通常版のデジタル・ブックを付帯
* 通常版は、2024年2月28日に発売予定

Interview & Edit: Maya Nago Text: Sogo Hiraiwa Photos: Courtesy of Symbol & the Artist

あわせて読みたい