アメリカ美術館の労働環境を数字で検証。74%が低賃金に悩み、60%が離職を検討? 【WORLD ART REPORTS #3】

世界のアートレポートを読み解く連載「WORLD ART REPORTS」第3回は、アメリカの美術館で働く人々に迫る。アートのエコシステムを考えるうえで美術館は必要不可欠な存在だが、働く人々は自身の仕事に誇りをもつ一方で、低賃金や低待遇、差別などさまざまな問題にさらされているようだ。こうした状況に、日本は何を学ぶべきか。

Illustration: MACCIU

2023年10月にアメリカの団体「MUSEUMS MOVING FORWARD」(以下、MMF)が発表したレポート「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」は、アメリカの美術館で働く人々がどんな状況に置かれているか明らかにしている。

MMFは美術館で働く人々によって設立された団体であり、労働環境を改善したり公平なものにすることを目標に掲げている。2022年に収集されたデータに基づくこのレポートは、アメリカの50以上の美術館と1,900人以上のスタッフを調査対象に、「職場文化」「キャリア」「報酬と昇進」「差別とハラスメント」という4つの視点から、いま美術館が抱えている課題を客観的に可視化している。果たしてアメリカの美術館で働く人々は、自らの労働環境をどのように捉えているのだろうか。

40%の職員は職場が健康に悪影響を及ぼすと考える

職場文化については、美術館で働く人々のうち、82%もの人々は自分が意義のある仕事に就いていると考えている一方で、40%は職場の文化が健康に悪影響を及ぼしていると考えているという。これは職場の文化や制度が多くの課題を抱えていることの表れと言える。

出典:MUSEUMS MOVING FORWARD 「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」

たとえば、ほとんどの職員は博物館の理事会が組織の意思決定を動かしており、美術館の使命やスタッフの意見が反映されていないと考えているようだ。あるいは働き方の観点においても、コロナ禍を経て多くの業界でリモート化が進んだ一方で、フルリモート化した美術館職員はわずか1%しかおらず、大半の従業員は、引き続き現場勤務を求められている。

完全な対面業務に従事している人の割合を見てみると、障がいのない労働者は35%であるのに対し、障がいのある労働者の場合は45%と10%多いことがわかる。また、パートタイムとフルタイムの比較では、前者の方がより対面勤務を求められている(67%対32%)ことがわかる。障がいの有無や雇用形態によって、状況も大きく異なるようだ。

他方で、多様性については、意外にも好意的に受け止められるケースが多い。アート業界では歴史的に白人男性が優位であり、それを是正しようという動きが各所で起きている。美術館でも白人労働者が多いのはこれまでと変わらないが、現在新人クラスの職員のうち有色人種が28%を占めている。また、新人クラスに次いでエグゼクティブレベルの多様性が豊かなことは注目に値するだろう。美術館の経営層は多様性の測定についても高い意識をもっており、職員や理事会の多様性はもちろんのこと、63%の美術館は所蔵アーティストの多様性についても継続的な調査を行っているという。

※ひとりの回答者が複数の人種を選択するケースもあるため、パーセンテージの総和は100%を超える。出典:MUSEUMS MOVING FORWARD 「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」

60%が転職を、68%が離職を検討

キャリア形成においては、多くの人々が不満を抱えているようだ。現在の給与水準に満足しているのはわずか29%(アメリカの労働者全体では54%)、昇進の機会に満足しているのは28%(アメリカの労働者全体では48%)と、その他の業界より大きく満足度が下回っていることがわかる。

結果として、離職リスクの高さも大きな問題となっている。実に60%の人々がほかの美術館への転職を考えたことがあり、68%が美術館の仕事そのものを辞めようと考えたことがある。なかでもミレニアル世代は76%もの人々が離職を検討した過去があるという。離職を検討する理由としては、低賃金や燃え尽き症候群、成長機会の欠如などが挙げられた。とくに高い割合を示しているのが低賃金であり、実際の離職状況を見てみても、離職者の69%は年収5万ドル以下の職員だ。給与の低い職員ほど離職している割合が高いことがわかるだろう。

出典:MUSEUMS MOVING FORWARD 「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」
出典:MUSEUMS MOVING FORWARD 「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」

十分に生活費を賄えているのはたった26%

美術館職員の低賃金は深刻だ。2023年5月の時点で、美術館職員の収入はアメリカの労働者全体よりも20%下回っている。驚くべきは、美術館で働く74%もの人々が、それから得る収入は家賃や光熱費、食費など基本的な生活費を賄うのに十分ではないと考えていることだ。バイトや新人クラスだけでなく、エグゼクティブレベルの職に就いている人々の29%が美術館の給与だけでは生活費を賄えないと回答している。

出典:MUSEUMS MOVING FORWARD 「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」
出典:MUSEUMS MOVING FORWARD 「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」

給与の低さは、昇進機会の少なさともつながっている。平均在職期間が7年以上であるのに対し、これまで役職のランクアップと給与の増加を経験した職員は全体の31%に過ぎない。美術館で昇進するには、平均12年という驚くべき年月がかかることが明らかになっている。

さらに、ここでもジェンダーや人種によるギャップが指摘されている。女性(昇進に要した時間の平均:11年)は男性(14年)よりも昇進が早いが、ノンバイナリーやその他の性別の労働者は19年かかると報じられている。また、人種別に見ると、昇進したことがある人の割合は、白人(35%)が最も高く、多民族(22%)、アジア系(21%)、ラテン系(20%)、黒人(19%)、ネイティブアメリカンまたはアラスカ先住民(17%)はかなり低い。

これまでの労働環境を考えると白人の方が勤続年数が長い傾向にあるため、その分昇進の機会も多かったと言えるが、黒人の方がアジア系やラテン系よりも平均勤続年数は長いことから、単に勤続年数の問題だけではないことがわかるだろう。

もっとも、多くの人々の待遇がまったく変わっていないわけではない。たとえば役職の変化はないが昇給したことのある職員は31%おり、在職期間が長いほどこの種の待遇を受けたことがあることが明らかになっている。

美術館の予算の58%は人件費

一方で、給与は変わらないが役職がランクアップするケースもあるようだ。これは労働者からすれば、あまり好ましくないものでもあるだろう。

全体として職員の12%がこの種の昇進を経験したことがあり、男性(9%)に比べて女性(13%)の方がわずかに割合が高いことが報告されている。また、職場で差別やハラスメントを受けたことのある労働者は、この種の昇進を経験した人が多く(19%対9%)、美術館が労働者をなだめるために役職だけ変更している可能性も指摘されている。

こうした状況を踏まえ、給与や昇進のあり方を見直す圧力は近年高まっているようだ。平均すると、美術館は年間予算の58%を職員の給与と福利厚生に充てており、福利厚生についてはその他の業界よりも水準が高いことが明らかになっている。とくにパートタイムの労働者については、有給や健康・生命保健、職員のサポートなど、多くの点において他業界で働く全国の労働者よりも高い割合の人々が福利厚生を享受している。

差別に悩む人の半数は声を上げられない状況

労働環境を改善していくうえで、差別やハラスメントの存在を無視することはできない。実に美術館で働く人々の4分の1以上が差別を受けた経験があると報告しており、ジェンダーや人種、障がいの有無によって、その経験の多寡も大きく異なっているという。

たとえば障がいのある美術館職員はその他の職員と比べ2倍の人々が差別を経験しており(42%対21%)、LGBTQの人々も、シスジェンダーの異性愛者の労働者より差別を経験する人が多かったことが明らかになっている(32%対22%)。人種・民族については、白人労働者(24%)よりもネイティブ・アメリカンまたはアラスカ先住民労働者(39%)や多民族労働者(33%)が多くの差別を経験している。

しかもこうした差別は一度限りのものではない。年に数回受けると回答した人(48%)が最も多いものの、5%はほぼ毎日、17%は数週間おきに差別を経験していると回答しており、日常的に美術館のなかで差別が発生していることが明らかになった。とくに新人クラスの職員はさまざまな人と接する機会が多いこともあってか、館長(12%)や幹部(14%)よりも高い34%という数値を示している。

さらなる問題は、差別を経験した職員のほぼ半数(47%)が、なんのアクションもとれずにいたことだ。多くの職員は差別に対して行動をしたところで何もしてもらえないだろうという諦念を抱いているという。

本レポートは「美術館は多様な人材を見つけるのに苦労しているのではなく、多様な人材を維持するのに苦労しているのだ」と述べている。多くの美術館にとって、職員の多様性の向上と同時に、従業員の待遇面や就労環境の整備といったケアはこれまで以上に重要になっていると言える。

出典:MUSEUMS MOVING FORWARD 「Workplace Equity and Organizational Culture in US Art Museums」

美術館を改善する5つの方法

本レポートは、単に現在の労働環境を調査するだけではなく、こうした環境の改善に寄与する5つの方法を提案している。

まずは「心理的安全性」。この言葉はいまや多くの業界で聞かれるようになったが、美術館においても必要不可欠なものになっているという。次は「エモーショナルインテリジェント・リーダー」。エモーショナル・インテリジェンスという概念も近年耳にする機会が増えているが、多くの職員が燃え尽き症候群によって離職してしまう状況にあっては、自分自身と他者の心の動きに気づきチームをマネジメントできるリーダーの存在が重要になるのだろう。

さらには「成長の機会」や「多様性の保持」、「給与の公平性と透明性」が挙げられている。これらの要素もまた、美術館に限らず現代の多くの企業に共通して求められる要素だろう。

ただし、レポートのなかで見られたように、給与の公平性と透明性においては明らかにサステナビリティを欠いていることも事実であり、現状を打破するための重要なステップだと本レポートは報じている。

「アートと経済」や「アートとお金」といったテーマが論じられるとき、しばしば多くの人々はオークションマーケットや富裕層の動向、作品の価格に注目するものだ。しかしアートのエコシステムを考えていくうえでは、美術館のような場所で働く人々の存在は無視できない。本レポートはアメリカの美術館のみを対象としたものではあるが、日本はもちろんその他の地域に対しても、果たして美術館は「人」「働く」という観点でいかに持続性を高めることが可能なのか、問いを投げかけていると言える。

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