ARTnewsJAPAN

市役所の石碑が歴史的発見の手がかりに! 古代ローマ時代の異教寺院の遺跡が見つかる

イタリア中部の町スペッロで、古代ローマ時代の異教寺院の遺跡が見つかった。ローマ帝国下における、異教の神々への崇拝からキリスト教への移行の歴史に新たな光を当てる発見となる。ニューズウィーク誌が報じた。

イタリア・スペッロで発見された330年頃の神殿跡。Photo: Courtesy Douglas Boin

この発見は、2023年に行われた発掘調査によるもので、セントルイス大学の研究者ダグラス・ボインがアメリカ考古学協会の年次総会で発表した。

考古学者チームは、現在スペッロ市役所に展示されている、キリスト教に改宗した最初のローマ皇帝、コンスタンティヌス1世(在位306-337)がつくった碑文に基づき、スペッロの発掘を決めた。この碑文は1700年代初頭に発見されたもので、紀元前1世紀にローマ帝国の植民地となったこの地域の住民は、コンスタンティヌスの命で、それまで遠方で行っていた宗教的な祭りを地元で催せるよう、大規模な神殿建設プロジェクトを進めていたという。

しかし、この神殿を建てるためには、神殿に皇帝の家名であるフラウィウス家を祀り、崇拝する必要があった。ローマ帝国はカルト的思想の一環として、皇帝やその名家が神として崇拝されており、このような要望は珍しいことでなかった。

2023年夏、チームは宗教的な聖域の近くにあったこの遺跡で、幅約1メートル21センチの土台を持つ巨大な構造物の一部である3つの壁を発見した。これらの礎石は、コンスタンティヌスの治世、330年代の神殿の様式を示していた。

調査の結果、研究チームは、この神殿はスペッロの異教徒によって使用され、フラウィウス家を祀っていたと考えた。ボインは「キリスト教が異教を非合法化するまで、少なくともその後2世代は礼拝と宗教活動の場として使われ続けたのではないか」と推測しつつ、次のように続ける。

「ローマ帝国の社会には宗教と国家の分離はなく、ローマ人の誇り高き愛国心は、礼拝を含む全ての公的活動に反映されていました。人々が複数の言語を話し、3つの大陸にまたがって生活し、それぞれの地域の伝統に固執していたローマ帝国において、皇帝崇拝という共通の理想を掲げることでひとつにまとめたのです」

今回の発見で最も重要なのは、70年を超える長い時間をかけて異教からキリスト教へと移行したこと、そして、キリスト教がカルト的な皇帝崇拝に支持を示していたことだ。これについてボインは、こう語る。

「物事は一朝一夕には変わりません。この建物は、キリスト教が台頭する何世紀も前から異教が信仰されており、その持続的な力を私たちに示す非常に急進的な存在であると言えます。これまでも人々は、歴史の中で文化的変化がなぜ起きたのかを考えてきました。われわれは、そうした人々の整然とした考え方を覆すような目に見える証拠を提供しようとしています。この神殿は、コンスタンティヌスが皇帝崇拝の慣習を引き継いでいたことも鮮明に示しています。これは驚くべき歴史的発見です」(翻訳:編集部)

from ARTnews

あわせて読みたい