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  • 2022.07.15

海外でじわじわ人気の河鍋暁斎、漫画ファンやタトゥーアーティストからも熱い支持

19世紀における日本の版画といえば、歌川広重(1797-1858)や葛飾北斎(1760-1849)が筆頭に挙げられる。しかし、第三の人物として、河鍋暁斎(きょうさい、1831-89)の名が海外でも知られ始めているのをご存知だろうか。その理由には、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(RA)で3月〜6月にかけて開かれた展覧会が関係していると言えるだろう。

ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで展示された河鍋暁斎作品。 ©David Parry/Royal Academy of Arts

暁斎は58年という短い生涯の間に、漫画という芸術の先駆けとなる作品を生み出した浮世絵師だ。多作であることでも知られ、絵画、風刺画、スケッチ、挿絵本、版画など幅広い作品を残した。その多くは、先述のRAでの展覧会を構成した、イスラエル・ゴールドマン(*1)のコレクションで見ることができる。


*1 ロンドンを拠点にするアートディーラー。専門分野は日本の版画。世界屈指の河鍋暁斎のコレクションを有することで有名。

「初めて暁斎の作品を購入したのは、1980年代のことです」と、ゴールドマンは言う。「それが私のコレクションの始まりでした」

同展のキュレーションを手がけたのは、河鍋暁斎の研究者である定村来人、RAのチーフキュレーターのエイドリアン・ロック、そしてゴールドマンの三者。暁斎の作品が英国で展示されるのは、1993年に開かれた大英博物館の展覧会以来のことだった。出品作品の多くは初公開。近代化と西洋化が加速した明治時代と暁斎の関わりを辿るとともに、絵画や版画の制作過程も紹介された。

《名鏡倭魂 新板》(1874) Israel Goldman Collection

なかでも目を奪われたのは、1874年に制作された3枚組の大判錦絵《名鏡倭魂 新板》だ。色彩に溢れるこの版画作品には、中央と右のパネルに西洋の侵略と戦う2人の日本の鏡職人が、左のパネルには悪魔や妖怪とともに退散する西洋人が描かれている。左下には、帽子をかぶり、傘と荷物を携えた七面鳥が必死の形相で逃げているのが見える。

1831年、幕末の下級武士の家に生まれた暁斎は、本名を周三郎という。幼い頃から芸術的な才能を発揮し、不気味なものを好む性質だったらしい。8歳の時には、神田川で切断された首を見つけ、標本にするため持ち帰った。後年には、2番目の妻の死体をスケッチし、それが有名な《幽霊図》(1868-70)のアイデアになった。

1857年に、今日まで知られることになる「きょうさい」を号するようになる。初めは、狂斎。のちに暁斎に改めた。

大の酒好きとして知られた彼だが、書画会(*2)にも積極的に参加した。が、1870年(明治3年)には猥褻物を陳列した罪で御用に。逮捕される原因となった猥褻物については、暁斎は泥酔していたためほとんど覚えていないというが、高官を侮辱する内容だったと考えられている。とにかく、投獄された暁斎は、50回のむち打ちの刑を受けた。


*2 幕末から明治の前半期にかけて、日本各地で盛んに開かれた書や絵画の展覧会。会場には料亭が使われることが多かった。

獄中で体調を崩したものの、決意を新たにした暁斎。数年後、暁斎は仮名垣魯文(*3)とともに、日本初の漫画雑誌「絵新聞日本地」を創刊する。雑誌は短命に終わったが、絶好の時機だった。


*3 かながき・ろぶん。1829-94。江戸末期から明治初頭にかけて活躍した戯作者。『西洋道中膝栗毛』(1870)や『安愚楽鍋』(1871)など多くのヒット作を手掛けた。新聞記者としても活動。

一般的に漫画史家は、近代漫画には2つの異なる時代があるとする。一つは明治維新以前と明治以前の文化に焦点を当てたもの。もう1つは古い日本と新しい日本の重なる時期、つまり、連合国軍占領下の日本を扱ったものである。暁斎のキャリアの頂点は、明治以前の日本への敬愛を表現する一方で、明治の権力者と西洋文化の受容を皮肉るところにある。異なるマンガの時代をつなぐ、ちょうど中間に位置するといえるだろう。

イスラエル・ゴールドマンは次のように話す。「当時、暁斎は過小評価されていた。しかし一方で、多作であり、有名な画家でもあったことは確かです。そのため、贋作も多いのです。私はハーバード大学で美術史を専攻しましたが、そこで得た目利きの技術で本物を発掘することができ、また、作品を購入する余裕もあったのは幸運ですね」

《不可和合戦之図》(1877)では、暁斎は、蛙たちが蓮の茎で戦う様子を描き、旧士族と明治政府の闘争を表した。中央上部には、文字が書かれた蓮の葉が掲げられ、旗振り通信のように戦況を伝えている。

また、《三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪》(1871-78)では、三味線の演奏を披露するシルクハットに背広姿の骸骨と、小さな妖怪が楽しげに踊る場面が描かれている。ここでは、西洋近代化による侵食が示唆され、西洋にのっとった経済的繁栄や物質至上主義によって死が免れるわけではないことが知らされるのだ。

《三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪》(1871-78) Israel Goldman Collection, London Photo: Art Research Center, Ritsumeikan University.

近年では、暁斎は、美術愛好家やタトゥーアーティスト、漫画ファンらの間で新たな人気を得ている。ゴールドマンが指摘するように、暁斎の作品は現代のタトゥーアーティストにとって参考書のような役割を果たしているのだ。実際に、暁斎に焦点を当てた“入れ墨”の参考書は、何冊も出版されている(暁斎が描いた「鬼」のみを扱った本もある)。ちょっとしたこの皮肉。きっと、暁斎も大いに気に入るところではないか。(翻訳:編集部)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年7月13日に掲載されました。元記事はこちら

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