ヴェネチア・ビエンナーレ日誌<アルセナーレ編>会場はハイブリッドな作品がいっぱい、ウクライナ館で思いを馳せる
Art in Americaのシニア・エディター、レイチェル・ウェツラーがヴェネチア・ビエンナーレ会場をリポートする2回目。今回はメイン会場のひとつ、アルセナーレ(旧国立造船所跡)を巡ります。
第59回ヴェネチア・ビエンナーレのメイン展示「The Milk of Dreams」の説明板を読む。そこには芸術監督を務めるチェチリア・アレマーニが展覧会で提示する重要な質問が書かれていた。「人間」の定義はどのように変化しているのか? 何が生命を構成し、どうやって動物と植物、人間と非人間とを区別するのか? ──。少なくとも、アルセナーレ会場の半分以上の作品は、この問いがほぼ言葉どおり受け止められており、人型ロボットやハイブリッドな形状のものであふれている。最初の展示室を飾るのは、シモーヌ・リーの巨大なブロンズ彫刻のシリーズ「Brick House」(2019)。黒人女性の体と土地固有のさまざまな建築の形を融合させた作品の一つだ。同シリーズには、カメルーンのマスガム族のドーム型の土小屋や、ボリュームたっぷりのスカートを履いたステレオタイプな黒人女性のお手伝いさんがトレーを差し出す姿をしたミシシッピ州のナチェズのレストラン「マミーズ・カップボード」に着想を得たものもある(リーの彫刻は、アレマーニが2011年からチーフキュレーターを務めるニューヨークのハイ・ライン公園で展示されており、ニューヨーカーにとってはなじみがあるものだろう)。「Brick House」に共鳴するように次の部屋に展示されているのが、アルゼンチン人アーティスト、ガブリエル・チャイレの作品だ。日干しレンガ用の土でできた、ほぼ同じように巨大な5つの彫刻からなる本作は、先住民の土窯をもとに擬人化した器の彫刻で、それぞれ彼の家族を表現したという。
他にも動植物と人間を融合させたような作品が数多く並んでいる。サンパウロを拠点に活動するロサンナ・パウリーノが手がけた一連の絵画作品は、根を張る裸婦像をテーマに数々のバリエーションが描かれており、そのいくつかは脚の代わりに木のような幹が描かれている。かたや、フェリペ・ベイズによる新作絵画には人間の胴体を持ち、手足につるや刺々しい茎が絡んだ姿形のものが登場。そして、エグレ・ブドビテのビデオ《Songs from the Compost: mutating bodies, imploding stars》(2020年)では、風景と交わり、体から菌類が生えてやがて完全に風景と融合していく人々をとらえている。なかでも異彩を放っていたのが、マリアンナ・シムネットによる奇妙でとても面白いビデオインスタレーション《The Severed Tail 》(2022年)だ。上映会場入り口にかけられた赤いカーテンの隙間から長くフワフワのしっぽをのぞかせて来場者に存在を知らせている。作品自体は子犬プレイのような「動物フェチ」を用いて種の境界を探ろうとしていた。最も劇的だったのは、プレシャス・オコヨモンが制作した大規模なインスタレーション《To See the Earth Before the End of the World 》(2022年)に最後の展示室が割り当てられたことだ。オコヨモンは、クズやサトウキビなどの生きた植物を、羊毛や糸、泥でできた人型の彫刻と共に点在させ、大地から芽吹いているかのような風景を作り出した。
会場には、人間と機械のハイブリッドも多種多様(シュルレアリスム的な身体を用いた表現にサイボーグ的な反復表現を加えたティシャン・スーやジェス・ファンの作品は言うまでもない)。その1つ、ジョン・グムヒョンの《Toy Prototype》(2021年)は、韓国の国立現代美術館の依頼で制作したインスタレーションの拡大版で、作家が自作した不格好なロボットが卓上に並ぶ。さらに、リン・ハーシュマン・リーソンによるデータマイニングと人工生命をテーマにした作品群も展示されている。その中には、「Missing Person」シリーズのためにコンピューターで作った画像の販売サイトで作家が購入した2021人のポートレートを用いた作品は、画像が鏡に印刷されたり、壁紙に格子状に印刷されたりしている。
また、アルセナーレ会場ではタペストリーなどの繊維を用いた作品も多く、それぞれの作家の背景にある文化や工芸の伝統が色濃く反映されている。例えば、サーミ人のブリッタ・マラカット=ラバによる刺繍の風景画や、スパンコールやビーズを繊細に施したミルランデ・コンスタントのブードゥー教の旗三部作、アメリカ先住民の技やモチーフに着想を得てチリの近代史の一場面を描いたビオレータ・パラの1960年代の麻の刺繍作品などだ。イグシャーン・アダムスの壁一面に広がるタペストリー《Bonteheuwel/Epping》(2021年)は一見すると抽象的だが、木やビーズ、貝殻、骨、ワイヤーなどさまざまな素材でできており、アパルトヘイト下の南アフリカに横たわる「希望路線」の一つ、人種ごとに隔離されたコミュニティ間をつなぐ道を暗示している。
アルセナーレ会場の各国パビリオンの中では、連帯としての意味もあるが、ウクライナ館が必見だ。ハルキウを拠点とするアーティスト、パブロ・マコフの抑制をきかせた《Fountain of Exhaustion. Aqua Alta》(2022年)がメインで展示されている。複数の漏斗がピラミッド形になるよう壁面に掛けられており、水が次第にゆっくりと滴るようになっている。元々は1995年にソビエト連邦崩壊後の倦怠感を反映して制作された作品だが、今はどうしても戦況を連想させる作品として受け止めてしまう。傍に置かれるガラスケースの数々はインスタレーションに関連するアーカイブ資料を展示するためのものだったが、プラカードに示されているとおり、用意が開幕に間に合わなかったという。作家と彼の家族が3カ月もの間、故郷の地下シェルターで暮らしていたことを考えると(想像するに、同じことがキュレーターチームの多くのメンバーにもあっただろう)、作品をいの一番にヴェネチアに届くよう尽力した物流の並外れた功績を思わずにはいられない。そして、偶然とはいえ、マコフの物悲しげなインスタレーションと並ぶのが、ド派手なコソボ館のヤクプ・フェリの作品なのである。展示室の壁と床が絵画と柄物のラグで覆い尽くされ、Day-Glo(蛍光インキの商品名)的な空間が広がっていた。
色々見てきたが、この日の私のお気に入りはラトビア館だ。2人組アーティストのスクーヤ・ブラデンによる数百もの磁器のオブジェがシュールな配置で並べられたインスタレーションは滑稽で面白い。例えば、化粧台には磁器でできた短剣や頭蓋骨、絵が描かれた奉納品が並び、その華美な椅子の足元は目玉で覆われている。
プレスリリースでは、この騒々しい作品の光景を説明するためにあらゆる流行語(禅宗、ポスト社会主義、新自由主義など)を駆使しているが、生憎それらはほとんど必要ない。なぜなら、珍しいことに本作は作品たちが自身を物語るということに成功しているからだ。(翻訳:岩本恵美)
※本記事は、Art in Americaに2022年4月20日に掲載されました。元記事はこちら。