没後初の坂本龍一展はどう実現したのか。中国・M WOODSの創設者らに思いを聞く【前編】

中国・成都市で2023年8月18日から2024年1月5日まで開催された坂本龍一「一音一時 SOUND AND TIME」展は、坂本の没後初の大規模な個展となった。本展を企画したM WOODSの共同創設者、雷宛萤(レイ・ワンイン)とM WOODS成都の副館長、鄧盈盈(デン・インイン)に、坂本との思い出や展覧会実現までの道のりを聞いた。

Ryuichi Sakamoto + Shiro Takatani《LIFE – fluid, invisible, inaudible...》(2007/2023)“Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME,” M WOODS (People’s park), Chengdu, 2023 Photo: Courtesy M WOODS

中国の私設美術館、M WOODS(木木美術館)が四川省成都市に新設したM WOODS成都(人民公園館)で、過去最大級の坂本龍一展「一音一時 SOUND AND TIME」が開催された。中国における坂本龍一展としては、2度目の開催。最初の展覧会は「観音聴時 SEEING SOUND HEARING TIME」と題され、北京M WOODS HUTONG(木木美術館 隆福寺館)2021315日~88日に行われた。今回の展覧会は、坂本自身が生前に手がけた最後の大規模展である。

本展の総責任者を務める雷宛萤(レイ・ワンイン)──晩晩(ワンワン)の通称で知られる──は、M WOODSの共同創設者でもある。2014年、彼女は夫の林瀚(リン・ハン)とともに、北京の798芸術区内に最初のM WOODSを開設した。2019年には北京の隆福寺街にM WOODS Art Community(木木芸術社区)を設立、そして、最初の坂本展が開催されたM WOODS HUTONGは、このアート地区内に開かれた第二の美術館である。夫妻は現代アートの新しい波をリードする存在として、国際的にも注目を浴びている。

独自のビジネス哲学と芸術的信念を堅持するM WOODSは、単に音楽家であるにとどまらないアーティストとしての坂本龍一を中国の観客に紹介することを企てた。坂本自身は、自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(新潮社、2023年)のなかで開催に至る経緯を書いている。彼らの打診を受けた坂本は、最初は若干の戸惑いを抱えていたが、創設者の若い夫婦と北京で実際に交流したことで、人生最後の重要な仕事を中国で行うことを決めたのだという。

M WOODS成都でのインスタレーションは、2021年に北京で開催された「観音聴時」展と異なる内容も多い。この展示について、M WOODS共同創設者の雷宛萤と、M WOODS成都の副館長で今回の「一音一時」展のディレクターを務めた鄧盈盈(デン・インイン)に話を聞いた。

Ryuichi Sakamoto + Daito Manabe《Sensing Streams 2023 – invisible, inaudible》(2023)“Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME,” M WOODS (People’s park), Chengdu, 2023 Photo: Courtesy M WOODS

アーティストとしての坂本龍一を中国の若者に届けたい

──雷宛萤さんは北京のM WOODS美術館で2021年に開催された坂本龍一展の提言者です。坂本は自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』のなかで、この展覧会の開催を決断させたのはオーナー夫妻のなかでも特に晩晩(ワンワン=雷宛萤の通称)さんだと書いています。どのように信頼関係を築いたのでしょうか。

雷宛萤:坂本龍一さんと初めて会ったのは2018年です。共通の友人の張有待(ジャン・ヨウダイ、中国の著名な音楽業界人で、「観音聴時」のキュレーターの一人)さんを通じて知り合いました。「張さんと一緒に、中国で坂本龍一展をやろう」と思いついた時は大興奮しました。坂本龍一の音楽が好きな人はたくさんいますが、彼のアーティストとしての作品を知らない人は多いでしょうし、そもそも中国にいてはなかなか触れる機会もありません。私自身もそうでした。

韓国・ソウルのアートスペース、piknicで開催される坂本龍一展を見に行く際に、本人にお会いできないかと打診したところ、彼はすぐに快諾してくれました。それが初めての彼のインスタレーション作品に触れる機会でしたが、非常に強い没入感で、想像以上に特別な体験でした。それで私は、彼とはまだ何も話していませんでしたが、このプロジェクトをぜひとも中国で開催したいと考えたのです。

ちょうどその頃、M WOODSは北京で2番目のギャラリー(M WOODS HUTONG)をオープンするところでした。30歳ぐらいの時で、坂本さんから見れば若造でしたが、彼はとても誠実でフランク、率直な態度で、私たちと接してくれました。「なぜ中国で美術館をやろうと思ったのか?」と問われた私たちは、最高の芸術をできるだけ多くの人、特に若い観客に届けたいという思いを伝えました。この美術館を作った当初の意図は、中国の若者たちに一種の窓を提供すること、文化の多様性を見つめ、考えるための場所、彼らの人生にインスピレーションを与えるようなものを提供することでした。これは坂本さんも重視する点だったと思います。

中国での坂本龍一展の実現には非常に強い情熱を持っていましたが、ただ情熱を持っているだけでは、彼のような巨匠と一緒にプロジェクトを実現することはできないでしょう。なので、まず私たちの実績を見てもらおうと、M WOODSがこれまでに手がけた展覧会を彼に紹介しました。アンディ・ウォーホル、デイヴィッド・ホックニー、ジョルジョ・モランディの展示や、キジル石窟の壁画展などです。若手だからといって嫌がらずに、私たちを信頼してくれた坂本さんにはとても感謝しています。その後は彼を北京に招待し、建設中の会場を見学してもらいました。そして彼の帰国後、展覧会開催の連絡が正式に届いたのです。

Ryuichi Sakamoto + Shiro Takatani《IS YOUR TIME》(2017/2023)“Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME,” M WOODS (People’s park), Chengdu, 2023 Photo: Courtesy M WOODS

ローカル性を取り入れた2つの展覧会

──2021年に北京のM WOODS HUTONGで開催された展覧会のタイトルは「観音聴時」でした。このタイトルの名称は、坂本龍一が80年代初めに行った日本の哲学者・大森荘蔵との対談(大森荘蔵+坂本龍一『音を視る、時を聴く』ちくま文庫、2007年)に由来していますね。

鄧盈盈:坂本さんはこの対談を行った80年代初めに、すでに音楽の境界線を越えてアートや哲学の探究をはじめていたと思います。80年代の彼はニューヨークで、当時ニューメディアの父と呼ばれたナム・ジュン・パイクのプロジェクトに参加しています。つまり、80年代の坂本さんは、すでに音楽にとどまらずアートにも積極的に関わっていたのです。

「観音聴時」というコンセプトには、音楽の時間性と空間性を強調するような意味があります。彼は人生のある段階で、音楽の境界をいかに広げられるかを考えたわけですが、それ以降、彼の音楽は時間に対する思考を非常に強く表現するようになりました。「観音聴時」は、そのことを体現しているのだと思います。今回の成都展のインスタレーションも、音楽の空間性と時間性を提示したものばかりで、彼の思想と完全に一致しています。

また、坂本さんは1999年に大規模なオペラ《LIFE》を上演しました。この時すでに、彼は先進的な音楽と映像とテクノロジーの前衛的な探究に足を踏み入れていました。今回の展覧会の中心的な作品、《LIFE – fluid, invisible, inaudible...》(高谷史郎との共作、2007/2023)の水槽が映し出す映像と音の大部分は、《LIFE》からの引用です。「観音聴時」は芸術的な命題であると同時に、彼が80年代以来考え続けていたことへのある種の解答かもしれません。

Ryuichi Sakamoto + Shiro Takatani《TIME-déluge》(2023)“Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME,” M WOODS (People’s park), Chengdu, 2023 Photo: Courtesy M WOODS

雷宛萤:「一音一時」は、「観音聴時」と同じ意味合いのタイトルです。しかし同時に、成都展は北京展とは別物であり、前回の展示の複製でも再現でもありません。坂本さんは毎回ローカルな要素を作品のなかに取り入れています。例えば、成都展の《TIME-déluge》(高谷史郎との共作、2023)という作品は、成都の町の風景を作品のフレームとして、半露天の屋外に展示されました。この作品は坂本さんと高谷史郎さんによるもので、今回の展覧会では最後に完成した作品です。

また、東日本大震災の津波で被災したピアノを設置した作品《IS YOUR TIME》(2017/2023)にもアレンジが加えられました。北京展の時はただ床平面に置かれていたピアノが、今回は水の上に浮かせるように設置されたんです。さらにピアノの天井には大きなスクリーンを追加し、いくつかの映像を投影しました。そのうちの一つは、雪の映像でした。高谷さんが坂本さんの訃報を受けた日に京都の家を出て空を見上げると、ちょうど雪が降っていたそうです。雪の映像は、坂本さんの逝去によって追加されたのです。

そして、《water state 1》(高谷史郎との共作、2013)という作品に使われる石ですが、北京展の時は高谷さんが北京の郊外にある山で坂本さんとオンラインでやり取りしながら選びました。成都展の石は、高谷さんが成都の近くにある雅安の山で選んだものです。

Ryuichi Sakamoto + Shiro Takatani《water state 1》(2013)“Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME,” M WOODS (People’s park), Chengdu, 2023 Photo: Courtesy M WOODS

鄧盈盈:もう少し補足すると、この展覧会の最初の作品、《センシング・ストリームズ2023―不可視、不可聴》(真鍋大度との共作、2023)は、M WOODS成都周辺の携帯電話、ラジオ、インターネットなどの電磁波を収集し、リアルタイムで映像や音声に変換したもので、まさに現在の成都を表現しています。そして最後の作品《IS YOUR TIME》は、成都が地震を経験したことを知っていた坂本さんの配慮によって、この位置に置かれることになりました。彼はこの作品を通して成都の観客が心を癒やし、新しい生命の昇華を体験してくれたらと願ったのです。

坂本龍一はM WOODSの芸術理念を体現している

──坂本龍一展に対する観客の反響は、満足できるものでしたか? 準備段階ではパンデミックのなか、立ち向かわなければならない困難が多かったと聞きました。

雷宛萤:反響はもちろん大満足です。坂本龍一展は困難以上の大きな価値をもたらしてくれました。パンデミックのなかで中国に入国するため、最長1カ月近くの検疫と隔離期間を受け入れる必要が生じるなど、様々な困難がありました。でも、「どんな困難があっても、必ずこの展覧会を成功させる」という信念がずっと心のなかにありました。坂本さんも私たちの粘り強さを見抜いてくれたからこそ、仕事のパートナーに選んでくれたのではないでしょうか。

鄧盈盈:われわれM WOODSの芸術理念は「F.A.T」です。これはFree(自由)、Alchemical(錬金術的)、Timeless(時を超越する)という3つを意味します。これを体現できるアーティストを考えた時に、みんなの頭のなかで自然と坂本龍一さんのことが思い浮かびました。彼は東洋と西洋の文化を融合させた世界的なアーティストであり音楽家であって、東洋美学のセンスとニューヨーク生活を通して体得した西洋文化の理解を兼ね備えています。彼の作品はどれも壮大で、特定の国家へのナショナリズムに縛られることなく、普遍的な「いま」を表現してくれるものです。

Text: Liu Zheng Edit: Sogo Hiraiwa

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