坂本龍一は菩薩のような存在──中国・M WOODSの創設者らが語る、没後初の大規模展の舞台裏【後編】

北京坂本龍一の大規模展覧会を開催したM WOODS(木木美術館)共同創設者の雷宛萤(レイ・ワンイン)と、M WOODS成都の副館長・鄧盈盈(デン・インイン)。二人に展覧会の舞台裏を聞く企画の後編は、坂本と交わしたメッセージと絵文字、坂本作品を貫く思想と美学について。

M WOODS成都の外観。Photo: Courtesy M WOODS

最後に届いた長文のメッセージと絵文字

──多くの来場者が、会場に置かれたノートに坂本龍一さんへのメッセージや絵を書き残しています。坂本龍一さんは中国の観客にとって、どんな存在なのでしょうか。

鄧盈盈:中国の観客の反響は期待に適うものでした。会場には十数冊のノートが溜まりましたし、インターネットでの反響はとてもよく、多くのネットユーザーが長文のコメントを書き込んでくれました。M WOODSの客層は現代アート愛好者が中心で、20代から50代の女性が多いのですが、この坂本龍一展には、男性やほかの年齢層の人も多く来場してくれました。

場内には、従来の展覧会のような長文の作品解説はありません。坂本さんが言葉を求めなかったからです。また彼は、インスタレーション作品を背後で支える強力なテクロノジーを観客に見せることも、求めませんでした。文字やテクノロジーが隠されてしまうなら、本当に人を感動させ、納得させることができるのは、最終的な作品の状態だけになります。これは坂本さんのアート作品の顕著な特徴だと思います。

坂本さんほど、自ら展覧会に関与する作家は多くないと思います。彼は自分の仕事に細心の注意を払い、積極的に関与し、熱心に取り組む人でした。

雷宛萤:坂本龍一さんは、この世界に対する悲憫、大きな慈悲心を持っている人間だと思います。地蔵菩薩のような、と言えるかもしれません。つまり日本という国の枠を越えた大いなる愛の持ち主ということです。わたしはもちろん中国のすべての観客を代弁できませんが、彼の発するこの大きな愛は、多くの若者にとって精神的な支えになると思います。自分は愛されているのだ、と感じさせることができるからです。中国のネットで流行っている言葉(「个世界破破烂烂,但有人修修补补」=「この世界は壊れているが、必ず誰かがそれを直す」)を借用して、「この世界は壊れているが、坂本龍一がそれを直す」(个世界破破烂烂,但坂本一修修补补)とも言えるかもしれない。そう思えるほどに、彼の作品には、多くの若者に愛と世界の多様性を感じさせ、人生の逆境を乗り越える勇気をもたらす力があります。私たちもまた、彼のおかげであらゆる困難を乗り越えてこの展覧会を実現させることができました。

ファンが描いたイラスト。北京の展覧会「観音聴時」の会場に置かれたノートより。Photo: Courtesy M WOODS

──展示を準備するなかで、坂本さんに支えられていると感じたのはどのようなときでしょうか?

雷宛:忘れられないエピソードがあります。坂本さんは以前、「人間は地球の癌だ」と言ったことがあります。ところが、奇しくも彼自身が癌を患ってしまった。2023年の3月、坂本さんはひどく体調を崩されました。坂本龍一展の作業用チャットグループがあるのですが、彼は、亡くなる前週には話す力さえ失い、文字を打つこともまったくできない状態でした。それでも、チャットグループで意見交換する時には、賛成を表すために彼はいつも赤いハートの絵文字を押してくれました。ある時、夫と私は彼にメッセージを送りました。「何があっても我々はベストを尽くすので、心配しないでください」と。いつものように赤いハートの絵文字でリアクションしてくれると思っていたのですが、なんと、彼は何行もの長文で返事をくれたのです。北京が恋しいなどのメッセージが漢字で書かれていて、長文の最後には、赤いハートの絵文字と木の絵文字が何個も添えられていました。

Ryuichi Sakamoto + Shiro Takatani《async - drowning》(2017)“Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME,” M WOODS (People’s park), Chengdu, 2023 Photo: Courtesy M WOODS

坂本作品に宿る“東洋的な美学”

──音楽家にとどまらないアーティストとしての坂本龍一とは、どのような存在でしょうか。彼が最も表現したいと試みたのは、何だったと思いますか?

雷宛萤:彼は創造のために創造しているのではなく、本当にユニークな表現形式を創造していると思います。彼のアートは視覚とテクノロジーをミックスして、人々に新しい空間体験を与えています。彼の作品の芸術的な完成度の高さは言うまでもありませんが、それ以上に重要なことは、彼がユニークな体験を作り出したということです。彼のインスタレーションには、彼が関心を寄せる多くの事柄が凝縮されています。その多くは環境問題に関連したものです。彼はとても詩的で芸術的な方法を用いて、環境やエコロジーへの関心、生命と時間に関する思考を喚起しているのです。

これらの作品は、高度な技術を要するために多くのスタッフの力が欠かせませんでした。設置するのに2週間もかかった作品もありますし、観覧者からは見えないスペースで作動する多くのコンピューターや機械に支えられている作品もあります。

例えば、成都市内の電磁波を可視化・可聴化する《センシング・ストリームズ2003―不可視、不可聴》(真鍋大度との共作、2023)についてですが、坂本さんは、電磁波そのものに関心があるのではなく、「肉眼では知覚できないけれど、現実に存在しているものがこの世界にはたくさんある」というメッセージを伝えたかったのだと思います。

そんなふうに、彼の作品における視覚的・聴覚的技術の奥には、彼の人生哲学の核心が潜んでいるのです。画家の描く絵はすべて自画像だという人がいますが、同じことが坂本龍一のインスタレーションにも言えると思います。彼は自らの思想や精神を、ユニークな手法でサウンドとビジュアルをミックスし、没入感のある空間を生み出すインスタレーションへと変貌させているのです。

Ryuichi Sakamoto + Shiro Takatani《IS YOUR TIME》(2017/2023)“Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME,” M WOODS (People’s park), Chengdu, 2023 Photo: Courtesy M WOODS

鄧盈盈:優れた芸術家は自分の作品と非常に調和しており、作品は作者自身であるとも言えます。坂本さんのインスタレーションに見られる複雑さやある種の哲学性は、彼自身の思考だと思います。彼の作品の東洋的な美学は、とりわけ、最も単純で根源的な循環の象徴である水を通して表われていると言えるかもしれません。彼の東洋的な美学は決して派手なものではなく、テクノロジーの使用をひけらかすものでもありませんが、その内核は非常に豊かであり、それでいて見た目は非常に簡素に見えるのです。

彼のインスタレーションは、空間性と時間性を重視しています。時間は生命とともにあり、地震といった自然災害もまた、地球の時間、地球のリズムの一部です。少なくとも私はそう理解しています。坂本さんは、そんな地球の時間の一部として、人類という集合体が生きている時間に関心を注いでいました。同時に、彼は決して調和ばかりを求めていたのではなく、非常に反逆的、先進的な精神の持ち主でもあり続けました。ノイズ等も作品のなかに含まれています。

しかしその部分こそ、私たちの思考を刺激してくれる、最も魅力的な部分です。その意味で、坂本さんのインスタレーションは見る者の思考を喚起する、一種の啓蒙的な役割を果たすものだと言えるかもしれません。

雷宛萤:私は、その生涯を修行のプロセスとして見ることができるところこそ、坂本さんの魅力だと感じています。幼い頃から音楽の才能を発揮し、やがて非常に実験的なこと、狂放不羈なこと、先駆的なことを盛んに行うようになり、その後は穏やかに大きな愛について考えるようになり、世界に対してたくさんの慈悲を放出するようになった。彼は常に自分自身を乗り越えていったと思います。総じて言えば、坂本さんは東洋的な叡智を持った人ですし、彼の作品もまた強い東洋性と東洋的な力を持っています。彼のたくさんの作品はみな、「天人合一」、「道法自然」(「道は自然に法る」)の要素があるのです。

Text: Liu Zheng Edit: Sogo Hiraiwa

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