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「村上隆 もののけ 京都」が投げかけるラディカルな問い。型破りな展覧会はいかにして実現したのか

村上隆の国内の美術館では約8年ぶりとなる大規模な個展、京都市美術館開館90周年記念展「村上隆 もののけ 京都」が、京都市京セラ美術館で開催中だ(9月1日まで)。今後日本で展覧会を開くことはないかもしれないと発言する村上は、本展の開催にあたって何を思い、どのような作品を並べたのか。US版ARTnewsのライター、HARRY C. H. CHOIが見た。

京都市京セラ美術館で開催中の「村上隆 もののけ 京都」展(2024年2月3日〜9月1日)の展示風景。Photo: Kozo Takayama/©2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co. All Rights Reserved.

「スーパーフラット」で時代の寵児となった村上隆の大規模個展

この20年、ありとあらゆるところで目にするようになったのが村上隆の作品だ。ルイ・ヴィトンとの2003年の初コラボ以降、日本アート界の異端児である村上の存在は、カニエ・ウェストの2007年のアルバム『Graduation』の有名なジャケットデザインからVANSの定番スリッポンのリメイクまで、カルチャーシーンの隅々に浸透している。

とはいえ、これまでたびたびメディアを賑わせたセンセーショナルで表面的な話題以上に、村上のことを知る人は少ないかもしれない。彼の初期作品で、大量の精液をロープのように射精するアニメ風のフィギュア《マイ・ロンサム・カウボーイ》(1998)が、2008年にサザビーズで1510万ドル(当時の為替レートで約16億円)という驚愕の高値で落札されたのが良い例だろう。

しかし、人々の度肝を抜くような派手さだけで村上の仕事を語ることはできない。彼は、ハイカルチャーとローカルチャー、東洋と西洋などさまざまな区分を二次元的に「フラット化」したことに戦後の日本文化の特徴があるとした「スーパーフラット」理論を提唱。2000年 に出版された『スーパーフラット』(2000年に東京で開かれた後、翌年にアメリカ各地を巡回したスーパーフラット展の図録)に見られるこの概念は、日本の文化的状況を理解するための基礎的なツールとして有効性を発揮した。

また、会社名カイカイキキの名前にも縁のある狩野派のような、かつての日本の絵画工房を思わせる村上の会社「カイカイキキ」は、作品制作やアーティストマネジメントからコミッションワーク、展覧会、新人アーティスト発掘コンペなどのイベント企画・運営などまで幅広く事業を展開している。

村上の芸術的ヴィジョンは、いろいろな意味でアート界の慣習をあっさり覆す型破りな制作モデルを切り拓いてきた。現在、京都市京セラ美術館で開催されている大規模個展「村上隆 もののけ 京都」(9月1日まで)でも、そうした方法論が存分に発揮されている。同展は、村上の仕事の多面性を示すとともに、彼の実践を形作った日本の芸術的基盤の歴史的、政治的、社会的状況を浮き彫りにしてみせる注目すべき試みだと言える。

京都市京セラ美術館で開催中の「村上隆 もののけ 京都」展(2024)の展示風景。Photo: Kozo Takayama/©2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

圧巻の大作やスペクタクル性のある新作に見る村上の真骨頂

村上の方法論は、この展覧会の構成に顕著に表れている。最初の展示室にある《洛中洛外図 岩佐又兵衛 rip》(2023-24)は、江戸時代の絵師、岩佐又兵衛が京都の街を描いた屏風絵で、現在は国宝に指定されている《洛中洛外図屏風(舟木本)》を再構築した全長約13メートルの大作。村上が手がけた現代版の洛中洛外図には、ドクロ(背景の大部分を占める金箔に凸凹に浮き上がって見える)や擬人化された「お花」(この絵に登場する小さな人物たちより一回り背が高く、手を振っている)など、村上作品でお馴染みのモチーフが散りばめられている。

小さいながらも負けず劣らず刺激的なのが、《「村上隆 もののけ 京都」展をみるにあたっての注意書きです。》(2023-24)だ。没入感のある大作と同じ最初の展示室に展示されているこの作品は、アニメ風の村上の姿が木製パネルに描かれ、そこから2つの吹き出しが出ているというもの。吹き出しのセリフで村上は、今回の展覧会では「輸送費」と「保険料」を削減するため、美術館からほぼ全ての展示作品を新たに制作するよう求められたと明かし、展示作品の中には未完のものがいくつかあり、完成次第順次入れ替えていく予定だと述べている。

京都市京セラ美術館で開催中の「村上隆 もののけ 京都」展(2024)の展示風景。Photo Kozo Takayama/©2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co. All Rights Reserved.

村上は、この戦略をストリートウェアブランドがマーケティングに用いる「ドロップ」カルチャー(新しい限定商品を迅速にリリースすること)になぞらえてみせた。吹き出しの中で彼はこのような美術館側の要求を「情けない」と嘆き、それでも展覧会を引き受けたのは、今回の企画を担当した高橋信也との30年来の付き合いに基づく信頼関係があったからだと説明している。そんな彼は自分のことを「偏屈(な年寄り)」と言うが、少なくともこの展覧会を見る限り、そうは思えない。

運営上の課題を乗り越えるためとはいえ、こうした型破りなフォーマットの展覧会をどうやって具現化したのだろうと思いながら展示を見ていった。第2室では、東西南北それぞれの方角を守る四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)を描いた4点の絵画が、京都の有名な六角堂を題材にした新作彫刻《六角螺旋堂》を取り囲んでいる。ほの暗い空間でドラマチックな照明に浮かび上がるこの展示は、東京藝術大学で日本画の博士号を取得した村上のルーツを示唆しつつ、彼の作品には珍しい威厳を湛えたスペクタクル性がある。

同じ理由で、赤い龍を描いた巨大な雲竜赤変図も圧巻だ。《雲竜赤変図(辻惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン)》(2010)というパンチの効いたタイトルがついたこの絵は、伝統的な日本画に対する一種のおどけた畏敬の念が込められているという点で、村上の真骨頂と言える。

京都市京セラ美術館で開催中の「村上隆 もののけ 京都」展(2024)の展示風景。向かって左が、雲竜赤変図《辻惟雄先生に「あなた、たまには自分で描いたらどうなの?」と嫌味を言われて腹が立って自分で描いたバージョン》(2010)。Photo: Kozo Takayama/©2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co. All Rights Reserved.

展覧会のオープニングでは日本の美術行政への苦言も

それに続く展示室は、村上が過去20年間に取り組んできたさまざまなコンセプトの作品を振り返る構成で、最近カイカイキキが発行したNFTの関連作品《Murakami. Flowers Collectible Trading Card 2023》やDOB、《ぶりっこゆめらいおん》、《パンダの親子》など、彼の作品でお馴染みのキャラクターたちをアレンジした彫刻が並んでいる。しかし、前半の展示を見た後では、こちらの作品はどうしても霞んで見えてしまう。形式的にさほど刺激的でないポップカルチャーの引用に頼らずとも、彼がどれほどすごい作品を作れるのかを見せつけられたからだ。

村上の実践を美術史の伝統的な語彙や分析方法によって批評しようとすること自体、時代錯誤とまでは言わないまでも、古臭いアプローチなのかもしれない。彼は、日本画の伝統と、自身のユニークな視点を特徴づけるストリートカルチャー的な要素の間をシームレスに行き来できる作家なのだから。そしてそのユニークな視点は、彼の生きる姿勢にまで及んでいる点も強調すべきだろう。

京都市京セラ美術館で開催中の「村上隆 もののけ 京都」展(2024)の展示風景。Photo: Kozo Takayama/©2024 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co. All Rights Reserved.

この展覧会のオープニングセレモニー で村上は虹色のお花の帽子をかぶって壇上に現れた。まるで自身の作品に登場するアニメ風キャラクターのような出で立ちで、彼は展覧会の予算を痛烈に批判し、文化事業の資金調達にも応用できる特別税制(ふるさと納税)の可能性について語っている。そして今回の展覧会も含め、日本の公立美術館で展覧会を開くことは行政上の諸課題によって信じ難いほど困難なので、今後日本で展覧会を開催することはないかもしれないとも発言した。

一見滑稽な被り物を着けてのスピーチは、広報戦略として上手くいったようだ。ド派手な格好をした彼を捉えようと、カメラマンたちはひっきりなしにシャッターを切っていた。こうした反応は、特に村上隆に関して言えば、何が大衆に受けるのかを証明するものなのだ。(翻訳:野澤朋代)

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