トランスジェンダーの人々に安全な居場所を。社会変革を導くインド発のアートコレクティブ
社会の多様性や包摂性を向上するために、アートは何ができるだろう。トランスジェンダーへの偏見や差別の撤廃を目指し、変革のための活動を続けるインドのアートコレクティブの取り組みを取材した。
「第3の性」が認められたインド社会の現実
今から10年前の2014年4月、インドの最高裁判所はトランスジェンダーを法的に第3の性として認めた。これだけを見ればインドは進んだ社会のようだが、実情は大きく異なる。インド社会におけるトランスジェンダーへの偏見は根強く、日常的に嘲笑や軽蔑の的にされるばかりか、自分の家族からも理解されずに路上へ追いやられることもある。街路や公園、交通機関の中など公共の場で、トランスジェンダーや性別異和・性別不合の人々が絶えず差別や排除にさらされる状況は残っている。
こうした状況に立ち向かい、偏見と差別の長い歴史を変えようと活動しているのが、ベンガルールを拠点とするアートコレクティブ、アラバニ・アート・プロジェクト(Aravani Art Project)だ。彼らは、トランスジェンダーの人々がアートを通じて自己表現することを支援し、人々の意識を変えることを目指している。アラバニというのは、南部のタミル・ナードゥ州でトランスジェンダーのコミュニティを指す呼称だという。
プロジェクトが始動したのは2014年。トランスジェンダーのコミュニティに関するドキュメンタリーを制作していたある映画監督が、のちにプロジェクト創設者となるプルニマ・スクマールに声をかけたことがきっかけだった。
スクマールは当時のことをこう振り返る。
「私が携わったドキュメンタリーの完成までに2年ほどかかりましたが、最後には、社会がトランスジェンダーのコミュニティを見て見ぬふりをすることに嫌気がさしてしまいました。大勢のすばらしい人たちがいるのに、世の中から無視されているのです」
それからさらに2年後、スクマールはトランスジェンダーのコミュニティに目を向けてもらおうと、アラバニ・アート・プロジェクトを立ち上げた。以来8年間、同プロジェクトは人目を引くパブリックアートのインスタレーション、グラフィックノベルやコミック、絵画、デジタルプロジェクトなどを幅広く展開。さらには、コミュニティの人々の生活や課題を紹介するワークショップなどのイベントを実施してきた。
プロジェクトの目的をスクマールはこう説明する。
「トランスジェンダーの人々は、社会生活の中で頻繁に詮索されたり恐ろしい思いをしたりしています。私たちのアートプロジェクトは、コミュニティとの対話を反映した壁画を描くことで、トランスジェンダーにとって安全な居場所を作り出すことを目指しています」
スクマールによれば、いまだにいわれのない差別や偏見に悩まされてはいるものの、協力し合って公共の空間に絵を描くことで、参加者たちは「恐れを感じなくなり、仲間との一体感を分かち合える」ようになった。それと同時に、周囲の人々もアーティストたちが作品で伝えようとしていることにオープンに耳を傾け、学び、観察するようになり、全てのジェンダーを受容し、包摂する姿勢が生まれつつあるという。
公共の場でのアート制作がもたらす変化
アラバニ・アート・プロジェクトは、ムンバイ、デリー、コルカタ、ベンガルール、プネー、さらにはアメリカ・カリフォルニア州のメンローパークにあるフェイスブック本社でも、生きる喜びとダイナミズムに満ちた壁画を制作してきた。こうした委託制作を通じて、数多くの参加者がプロのアーティストとして生計を立てられるようになり、これまで断たれてきた就労への道が開かれるようにもなった。
プロジェクトの主要アーティストの1人に、シャンティ・ムニスワミーがいる。2016年にプロジェクトに参加する前は、コミュニティが運営する小さなラジオ局でディスクジョッキーとして働いていたムニスワミーは、US版ARTnewsの取材にこう語った。
「アーティストとして何の訓練も受けていなかったので、筆を持つのも、絵の具を塗るのも、全てが一からの勉強でした」
ムニスワミーはまた、この体験のおかげでセラピーとしてのアートの効果に気付くと同時に、「1人ずつ」地道に世間の考え方を変えていくことを学んだという。
トランスジェンダーや社会から疎外された人々の多くは、これまで公共の場所で差別や暴力に遭ってきた。しかし、このプロジェクトではそこでアートを制作する。それによって「主流派」の人々が少数派のコミュニティと出会う機会を創出し、そこから会話と理解が生まれることも少なくない。その効果をムニスワミーはこう評価する。
「壁画を制作していると、多くの人が興味を持って話しかけてきます。アートが架け橋となって、『我われ』と『彼ら』の間の境界線が薄まり、自然と交流が行われるようになるのです」
2016年初めに完成したアラバニ初のプロジェクトは、にぎやかなベンガルールの市場に壁画を設置するというもので、制作に使われた壁は「一方的な見方をする社会」を象徴していた。しかしここに描かれた作品は、トランスジェンダーのコミュニティを周囲に溶け込ませ、彼らを包摂する意識の高まりを促している。
「アートはムーブメントを起こし、緩やかな変化をもたらす強力なツールです。私たちは、社会への参加機会を手に入れることで、アートの世界や社会全体に開かれた場所を作り出しているのです」
スクマールはこう語り、「ジェンダーにかかわらず、まず自分が愛する活動の方が大切」だという姿勢が、アーティストとしてアイデンティティを主張することと同じくらい重要だと付け加えた。
アバラニの作品にはトランスジェンダーを地域文化に根ざしたモチーフとともに描いているものも少なくない。プネーで制作した作品には、豊かな色彩、花や鳥を連想させる模様、金や銀の刺繍のある縁取りが特徴のパイタニと呼ばれるシルクのサリーが描かれている。一方、チェンナイの壁画では、ジャスミンの花が主役となっている。この街では女性たちがジャスミンの香りを楽しみ、髪に飾る習慣があるからだ。
このように、プロジェクトが生み出す作品は、トランスジェンダーの生活や物語に焦点を当てるだけでなく、一般の人々の暮らしの中で見られる愛情や優しさ、笑い、喜び、神秘的な出来事などの特別な瞬間をも捉えている。
アラバニ・アート・プロジェクトの主要アーティストの中で、唯一ジャイプールを拠点とするカルニカ・バイは、2017年からこのグループに参加している。きっかけはアラバニのメンバーが新しい地下鉄駅の壁画に取り組んでいるのを見たことだった。バイは当時をこう語る。
「それまで、学歴があっても仕事に就けませんでした。セックスワーカーとして働いていましたが、なぜトランスであるというだけで仕事がないのか、自分の境遇に怒りを感じていました」
アラバニ・アート・プロジェクトが「人生を好転させてくれた」と言うバイは、そこでスキルと評判を得られたおかげで、独立したアーティストとして制作を受託するようになった。たとえば、「スワッチ・バーラト(クリーン・インディア)」(*1)のような、非営利団体や公共の啓発キャンペーン向けの作品だ。
*1 インドの全地域から野外排泄をなくそうという取り組み。
アートの力で少しずつ社会の認識を変えていく
スクマールによれば、インド全土でトランスジェンダーが直面する問題は減少しているものの、日常生活における深刻な困難はまだ存在する。
2018年の国家人権委員会の調査によると、インドのトランスジェンダー人口の半数は学校に通ったことがなく、92%が経済活動に参加する権利を奪われ、資格があっても就職できないケースが多い。さらに、社会から排斥されたことのある人は99%に上る。しかし、スクマールは変化を諦めない。
「公共交通機関、職場、社交の場などで、屈辱的な状況に置かれることもあります。でも、アラバニ・アート・プロジェクトの活動が報道され、そこに参加していることを認知されたメンバーは、公共の場で発言しやすくなりました」
アラバニは長年にわたり、ウーバーや菓子メーカーのウォーカー社、食品メーカーのウィングリーンズ・ワールドなどの企業とコラボレーションを続けている。最近の事例には、レジリエンス(困難を乗り越える力)とエンパワーメント(自律性の促進)がいかに集団の進歩につながるかというテーマに焦点を当てたウォーカー社とのコラボがある。
「プロジェクトとして初めて、巨大な布のコラージュに取り組みました。コミュニティ、インターセクショナリティ(*2)、自然との一体感、連帯の大切さを、さまざまな色、花、鳥とともに描き、これらのテーマを融合させて1つの大きなアート作品に仕上げています」
*2 人種、階級、ジェンダー、性的指向、国籍、年齢、障害など、さまざまな属性が交差したときに起きる差別や不利益などを捉える概念。
スクマールはこう説明しつつ、最大の課題はプロジェクトに参加しているアーティスト集団を維持するだけの仕事を見つけることだと話す。現在アラバニには、ベンガルール、チェンナイ、ムンバイ、デリーに、30人のトランスジェンダーのメンバーと、10人ほどのシスジェンダー(*3)のメンバーがいる。
*3 性自認と生まれ持った性別が一致している人。
ムニスワミーはバイと同様、プロジェクトとは別に独立したプロのアーティストとしても活動し、インドのスポーツ文化の再活性化を目指す「ケロ・インディア」プログラムに参加。チェンナイのジャワハルラール・ネルー・スタジアムの改装に携わった。
こうした経済的自立が重要であるのは間違いないが、プロジェクトがもたらした最も大きな成果は社会における認識の変化だろう。ムニスワミーは自らの経験をこう語る。
「21年前、私は家を追い出されました。でも、今では家族も友人も後押しをしてくれています。去年のディーワーリーの祭りのときには、母がインドの女性が着る伝統的な衣服であるクルティを私にくれました。それは、私が完全に受け入れられた証拠だと受け止めています」(翻訳:清水玲奈)
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