最もクレイジーで挑発的──クリストフ・ビュッヘルがヴェネチアで問う、搾取の構造

ヴェネチア・ビエンナーレに合わせて市内の各所で多様な展覧会が行われているが、中でも話題になっているのがプラダ財団によるクリストフ・ビュッヘルの個展だ(11月24日まで)。挑発的でスキャンダラスな展示をリポートする。

プラダ財団がヴェネチアで開催しているクリストフ・ビュッヘルの個展「Monte di Pietà(質屋)」に展示された「ハッカーの隠れ家」。Photo: Alex Greenberger/ARTnews

ヴェネチアとビュッヘルの歴史

スイス生まれのコンセプチュアル・アーティスト、クリストフ・ビュッヘルは、ヴェネチア・ビエンナーレの観客を挑発するやり方をよく知っている。

ビュッヘルは、2015年ヴェネチア・ビエンナーレのアイスランド館代表作家として、イスラム教徒が実際に祈りの場として使えるモスクを出現させた。「ヴェネチア初のモスク」と謳われたこの作品は批判的な報道にさらされ、セキュリティ上の懸念から2週間後に閉鎖されたが、閉鎖決定後には作品を擁護する声も聞かれた。

2019年のヴェネチア・ビエンナーレでメイン展示に出品された《Barca Nostra(私たちの船)》は、途中で撤去されることはなかったが、開幕直後から人の死を利用しているとの批判が巻き起こった。この作品は、1000人近い移民を乗せてリビアを出航し、地中海に沈んだ船を引き揚げたものだったからだ。結局、論争を呼んだ船の展示はビエンナーレの会期が終わるまで続き、その後も新たな騒動を巻き起こした。

常に賛否両論を呼ぶビュッヘルの作品を、今ヴェネチアで見ておきたい展覧会の候補に挙げるのは意外に思われるかもしれない。しかし、彼の個展にビエンナーレの展示を超えるほどの規模と密度があるのは確かだ。

作品の評価は今回もかなり分かれるだろう。しかし、どれだけ大きなスキャンダルになるかは、どれだけ多くの人がそれを見たかによる。実は、この個展のプレビューは直前に何の説明もなく2日延期された。そのため、ビエンナーレのためにヴェネチアを訪れていた多くのアート関係者はビュッヘルを見ずに帰ってしまったか、各国のパビリオンを回り疲れてこの会場までたどり着かなかったのではないだろうか。そうだとしたら、惜しいことをしたと言わざるを得ない。この個展は、良くも悪くも現在ヴェネチアで開催されている中で、最もクレイジーな展覧会なのだから。

「奪う者」と「奪われる者」

個展のタイトル「モンテ・ディ・ピエタ(Monte di Pietà)」は、貧しい人々が高利貸しに依存しなくてもすむよう、ルネサンス期に設立された公営の質屋に由来する。プラダ財団の展示スペースがあるカ・コルネール・デッラ・レジーナ(Ca’ Corner della Regina)でも、かつてこうした融資が行われていたとされる。ビュッヘルはインスタレーションを通してその活動の再現を意図しているようだが、建物全体を使った展示からは、貸し金の場所というよりも金融腐敗の歴史をめぐる黙示録的ツアーという印象を受けた。

たとえば、薄暗く粗末な教会の内部を模した空間では、イタリアのカトリック教会の貪欲さが暗示されている。観客は信徒席に座り、祭壇とその前に置かれたロウソクを眺めることもできるし、天井に取り付けられたいくつもの車椅子を見上げることもできる。部屋の古めかしさとは対照的な車椅子は、教会が今日に至るまでずっと貧しい人々を無力化してきたことを仄めかしている。

ビュッヘルはまた、この地らしさを随所に取り入れている。たとえばある部屋では、街の見どころを発信している年配の女性TikTokerの「ヴェネチアのレジーナ」の動画を流し、別の展示室では毛布の周りにたくさんのハンドバッグを並べ、観光客向けに街頭で売られているお粗末な土産物に言及するといった具合だ。

さらには、プラダ財団の建物外観にも手が加えられている。そこが美術館であることを示す看板やサインは全て覆い隠され、ダイヤモンド取引所の偽看板に差し替えられている。ビュッヘルは、搾取するのは誰で、誰が詐取されるのかを問いながら、そうした行為を可能にするシステムが存在することの奇妙さを浮き彫りにしようとしているように思える。

ガザやウクライナについての言及

展示作品は、ビュッヘルが以前から用いてきたお馴染みの手法で制作されている。彼はこれまでずっと、大衆が権力者に搾取されている事実を示す物的証拠を作品に取り入れてきた。しかし今回驚いたのは、ビュッヘルがこれまでになく視野を広げ、ヨーロッパ以外の地域の出来事を取り上げて自らの主張を証明しようとしていることだ。

今回のヴェネチア・ビエンナーレでは、イスラエル・ガザ戦争へのあからさまな言及は概ね避けられている一方、よりによってビュッヘルがこの難しい問題を取り上げている。ある展示室では、エルサレム、ガザ、イスラエルとレバノンの国境沿いに設置されたライブカメラの映像が映し出され、また別の展示室では、キエフやドニプロなど、ウクライナの都市にある監視カメラが撮影した映像が映し出されている。

ガザでの戦争の様子を伝えるライブ映像。Photo: Alex Greenberger/ARTnews

ビュッヘルは、こうした紛争に対する立場を明確にしていない。そのため、映像が何を意味しているのかは曖昧で、観客は落ち着かない気分にさせられる。ただ、戦争によって立場の弱い人々の権利がますます奪われていると彼が考えているのは明らかで、この展覧会が面白くないと単純に非難することができないのも確かだ。

予想通りと言うべきか、今回の個展でもビュッヘルの際どい表現が目についた。NFTブームとその崩壊を取り上げるのはともかく、ストリップダンサーが使うポールやコンドームの箱を並べたセックスワークに関する展示はいただけない。また、モンテ・ディ・ピエタのアーカイブ資料の展示は重要な制度批評と見ることができる。しかし、ヴェネチア・ビエンナーレ廃止を求めるポスターは、イスラエル館の排除を呼びかける抗議運動をパロディ化したものと思われるが、それが何かを批評しているようには思えない。

いつものことながら、ビュッヘルに関して問題だと思うのは、彼の政治的なスタンスが測り難いことだ。作品がこれほど壮大かつ劇的で、風変りなものでなければ簡単に無視してしまえるが、そうさせないのは大したものだ。だから、この展覧会を実際に見て、それについて議論してほしい。完全に無視することはできないのだから。(翻訳:野澤朋代)

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