今夏、日本にも巡回! ビートルズという熱狂を捉えた若きポール・マッカートニーの写真展をレビュー

何世代にもわたり、世界中で幅広いファンに愛されているビートルズ。そのメンバーであるポール・マッカートニー自身が60年代に撮影した貴重な写真を集めた展覧会が、7月から日本を巡回する。現在ニューヨークで行われている同展のリポートをお届けしよう。

ポール・マッカートニー《Self-portrait, London》(1963) Photo: ©1963 Paul McCartney under exclusive license to MPL Archive LLP

ビートルズ旋風を自らのカメラで捉えたポール・マッカートニー

世界中の若者が熱狂した「ビートルマニア」全盛の1960年代初頭、ビートルズはアメリカツアーで訪れたニューヨークで大旋風を巻き起こす。彼らが移動するたびに4人を一目見ようとする人々が道路に溢れる一方で、ポール・マッカートニーもファンや報道陣を待ち構えていた。彼はカメラに向かってポーズをとるだけでなく、自らもペンタックスの一眼レフでその状況を写真に収めていたのだ。

それから60年の月日が流れた今年、当時の興奮が「Paul McCartney Photographs 1963-64: Eyes of the Storm(ポール・マッカートニー写真展 1963-64:アイズ・オブ・ザ・ストーム)」としてニューヨークに戻ってきた。この展覧会でマッカートニーは、音楽史に金字塔を打ち立てたバンドのメンバーとして目まぐるしく過ごしていた日々を、内側からの視点で見せてくれる。

同展はロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで大成功を収めたのち、アメリカに巡回。現在、ニューヨークのブルックリン美術館で開催されている。日本にも同名で巡回し、六本木ヒルズ・東京シティビューで2024年7月19日から9月24日まで、グランフロント大阪では10月12日から翌年1月5日まで開催予定だ。

ブルックリン美術館でキュレーションディレクターと装飾美術部門のシニアキュレーターを兼務するキャサリン・ファターによると、この展覧会の企画は2020年にマッカートニーの古いコンタクトシート(*1)が見つかったことから始まったという。彼女はUS版ARTnewsの取材にこう答えている。


*1 撮影した画像を一覧するため、フィルムを印画紙の上に密着させて焼き付けたもの。

「(マッカートニーが)妻で写真家の故リンダ・マッカートニーの写真展に出品されたコレクションについてキュレーターのサラ・ブラウンと話していたとき、彼はふと、ファンの熱狂が急速に盛り上がっていた1963年の終わりから64年にかけて、その様子を写真に撮っていたことを思い出しました。あのときの写真はまだ残っているだろうかと考え込む彼に、サラは『アーカイブにコンタクトシートが保存されていますよ』と教えたのです」

マッカートニーとブラウンは早速コンタクトシートの整理を始め、展覧会に出す写真のセレクションに取りかかった。最終的にマッカートニーは、1963年から64年にビートルズがスーパースターの座へと駆け上がっていく過程を時系列で追うことのできる約280点を選んでいる。

展覧会の冒頭には、ロンドンや出身地リバプールでライブ活動を行っていた初期のビートルズを捉えたモノクロ写真が並ぶ。まだ20代前半の4人はタイトなスーツ姿で、後にメディアで「モップトップ」と呼ばれるようになる特徴的なヘアスタイルをしている。それは額や耳に髪がかかるマッシュルームカットで、当時は子どもじみてだらしないと見なされていた。

ポール・マッカートニー《George Harrison. Miami Beach》(1964年2月) Photo: ©1964 Paul McCartney under exclusive license to MPL Archive LLP

ビートルズのスーパースターへの道のりを追体験できる展示

展示を見ていくうちに、写真の背景はイギリスのコンサートホールからアメリカの人気バラエティ番組「エド・サリバン・ショー」へと変わる。1964年2月9日にこの番組に出演した彼らのライブを生放送で見た視聴者は、約7300万人にものぼったという。ビートルズはもはや単なるミュージシャンを超えたセレブリティとなり、彼ら自身も生活が一変したことを実感するようになっていく。

出展された写真に見られるように、ビートルズは1964年1月にパリのオランピア劇場で18日間の公演を行った。大々的に宣伝され、歓喜するファンの前で行われたこの公演のわずか3年前、ミュージシャン志望の名もない若者だったマッカートニーとジョン・レノンは、ヒッチハイクでパリを訪れていた。まだ誰にも顔を知られていなかった当時、彼らはこの街で「フランスのエルヴィス」と呼ばれたジョニー・アリディのコンサートを見ている。

ブルックリン美術館のファターは、60年代前半に撮影されたマッカートニーの写真についてこう説明する。

「当時起きていた文化の大転換が、それを直接体験した彼の目を通して伝わってきます。つまり、それまで存在しなかった10代の若者文化の台頭を、その渦中にいたポールの視点から確認できるのです。また、ビートルズのメンバーやマネージャー、プロデューサー、彼らのガールフレンドといった親しい人たちといるときの表情も垣間見ることができます」

日増しに高まっていくビートルズの名声や人々の熱狂ぶりを、マッカートニーの写真は巧みに捉えている。アメリカツアーで訪れたニューヨーク、ワシントンD.C.、マイアミでは、どこに行っても何百人ものカメラマンが彼らの一挙手一投足を逃すまいと待ち構えていたが、マッカートニーはカメラを彼らに向けて対抗した。その様子をファターはこう表現する。

「まるでカメラバトルですね。無数のレンズが見つめ合い、互いに観察し合っているのですから。ここに展示された一連の写真を見ていくことで、名声が名声を呼び、若者たちがスーパースターになっていく道のりを追体験することができます」

ポール・マッカートニー《Photographers in Central Park, New York, 1964》(1964) Photo: ©1964 Paul McCartney

プロのカメラマンには撮れない自然な表情の写真はファン垂涎

マッカートニーは写真のキュレーションだけでなく、この魅力的な展覧会の視覚的・聴覚的な構成にも関わっている。音声ガイドでは撮影時の状況を振り返る彼の語りを聞くことができ、セクションごとに変わる展示室の壁の色を選んだのも彼自身だ。たとえば、1963年にイギリスで行われたコンサートに焦点を当てたセクションには、深紅の壁が用いられている。ファターによると、「初期に彼らが演奏していたミュージックホールをイメージした」もので、マイアミ滞在のセクションは、「(マッカートニーが)鮮やかな空色を指定した」という。

こうした写真展制作への関与は、マッカートニーの多才さを物語っているとファターは考える。彼が1964年にマイアミで撮ったレノンのポートレートを指しながら、ファターはこう説明する。

「ポール・マッカートニーを1つのカテゴリーや分野で捉えることはできません。彼は聴覚的才能に秀でた偉大な音楽アーティストだとされていますが、写真を見れば分かるように、視覚的な感性にも優れ、鋭い目を持っています。展示されている写真の多くは単なるスナップではなく、よく練られ、入念に構成された芸術作品でもあるのです」

写真の中のレノンは打ち解けた表情だ。人々の視線から身を守るためにかけていたトレードマークのサングラスを外し、タオル地の服を身につけリラックスした様子でレンズを見つめている。

レノンのポートレートには、ビートルズのメンバー1人ひとりを、スターとしてではなく人間として捉えたこの展覧会の特徴がよく表れている。キャリアの初期にしか表に出さなかったであろう彼らの自信のなさや純朴さが見て取れる作品について、ファターはこう言った。

「あの写真はプロのカメラマンには撮れなかったでしょう。親密な関係にある人だからこそ捉えることができた表情です」(翻訳:野澤朋代)

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