無邪気で性欲旺盛なティーンたちの国境を超えた連帯──メトロポリタン美術館の屋上アートが示す願い

38歳の非凡なアーティスト、ペトリット・ハリライの最新インスタレーションが、ニューヨークメトロポリタン美術館の屋上庭園で公開されている。コソボ出身のハリライが、子どもの落書きを引用して制作した作品に込めたメッセージとは。US版ARTnewsのシニアエディターによるレビューをお届けする。

ペトリット・ハリライ《Abetare》(2024) Photo: Courtesy the artist; ChertLüdde, Berlin; kurimanzutto, Mexico City and New York; Mennour, Paris/Photo Hyla Skopitz

バルカン半島の紛争や自らの少年時代の経験と深く結びついたハリライ作品

メトロポリタン美術館(以下、MET)の屋上に、いたずらっぽく笑う巨大なクモが現れた。それだけでは不気味にも思えるが、ほっとするのは、かわいい仲間がいることだ。それはクモの脚にとまった一羽の小鳥で、飛び立とうとするかのように翼を広げている。

なんとも微笑ましいコンビだが、見る場所によってその姿は背景の摩天楼に溶け込み、ニューヨークの広大な生態系を形成する奇妙な一要素として気配を消してしまう。大雨が降れば、ニヤリと笑みを浮かべるクモはまったく見えなくなるかもしれない。

METは毎年異なるアーティストを招いて、夏期に屋上庭園での展示を行っているが、このクモと鳥は、今年のコミッションワークを手がけたペトリット・ハリライの作品だ。既に10回を超えるこの企画は、これまで大規模かつぜいたくな作りの派手な展示が多かったが、今回のハリライの作品はそれとは対照的だ。あくまでシンプルかつミニマル。そして、これまでで最も優れた作品だと感じる。

ハリライ自身、大がかりな立体作品と無縁なアーティストではない。2010年のベルリン・ビエンナーレでは、コソボ共和国の首都プリシュティナにあった実家の枠組みを原寸大で再現し、注目を浴びた。今回のMETの屋上庭園でも、クモと小鳥以外に家のような構造物を作り、棒人間と金色の星を配している。来場者はこの構造物の下を歩きながら、頭上にあるピカソ風の目を見上げることができる。

《Abetare(アベタレ)》(2024)と題されたこのインスタレーションで、インスタ映えしそうなのはそのくらいだろう。家とクモを除けば、鉄でできたこの作品の大部分は飾り気がなく、控えめな大きさで半ば抽象的だ。

鉄を溶接して作ったという作品のそこかしこには、ハリライの胸の内を思わせる言葉が散りばめられており、その中には彼が過ごしてきた日々に関係するものもある。たとえば、ある彫刻には故郷の町ルニクの名前が、別の作品ではコソボ軍の略称であるKFORの文字が登場する。《Abetare》という作品タイトルは、コソボの子どもたちがアルファベットを習うための教本にちなんだものだが、彫刻に組み込まれた言葉から、この作品が1990年代のユーゴスラビア紛争で生活が一変したハリライ自身の経験に基づいていることが分かる。

ペトリット・ハリライ《Abetare》(2024) Photo: Courtesy the artist; ChertLüdde, Berlin; kurimanzutto, Mexico City and New York; Mennour, Paris/Photo Hyla Skopitz

名もなき子どもたちの落書きを取り入れる意味

ハリライは10代の頃にコソボでの戦争を逃れ、アルバニアの難民キャンプに身を寄せた。そこでイタリア人の心理学者から絵を描くよう勧められ、以来、ハリライにとってアートは創造性を発揮する方法であると同時に、自分を守る手段となった。山々の風景や銃を構えた兵士たちの絵を描くことで、彼は混沌とした状況をなんとか消化していったのだ。

大人になってからも、ハリライは折に触れて当時のスケッチを見返し、時にはそれを拡大して新たな作品を制作している。しかし、ハリライの魅力的な彫刻に引用されているのは、彼自身のドローイングだけではない。最近はコソボの学校で見つけた落書きを作品に取り入れることが増えており、今回はバルカン半島のほかの国々にも視野を広げて素材を集めたのだという。

クモの彫刻は、北マケドニア共和国の首都スコピエの教室にあったボロボロの机に描かれていた落書きをもとに作られた。その中には、クモの絵の横にポケモンが描かれたものもあり、また別の落書きには、ハートマークの横に男根とおっぱいという言葉が書かれていた。彼はあちこちで採集したこうしたイメージを単に取り入れるのではなく、リミックスしながら無邪気で性欲が旺盛な10代の若者同士の国境を超えた連帯感を暗示したのだ。

子どもの落書きを作品に用いることで、ハリライはそれらがアートとしても見るべき価値があることを、愛情をこめて示唆している。だが、その「新進アーティスト」たちが誰なのかは分からず、私たちに彼らの名前を知る術はない。永遠に続くものなど何もないという思いが込められているのか、鋼鉄製の《Abetare》はどこか儚げだ。

しかし見た目とは裏腹に、彫刻はかなり頑丈に作られている。ハリライは、ハリケーンに耐えられる強度をMETから要求されたと語っているが、彼はそうした契約上の義務を超えて、名もなき子どもたちの絵を記念碑的なものに変え、時の試練(そして気候変動にも)に耐え得る強さを与えている。

ペトリット・ハリライ《Abetare》(2024) Photo: Courtesy the artist; ChertLüdde, Berlin; kurimanzutto, Mexico City and New York; Mennour, Paris/Photo Hyla Skopitz

《Abetare》は、国家の歴史の不安定さという重いテーマを扱っているが、ハリライが賢明なのは、そこに軽やかな演出を施しているところだ。たとえば、出入り口付近にある花に覆われたパーゴラ(つる性の植物をからませる棚)には、猫人間がぶら下がっている。また、つい見過ごしてしまいそうになるが、ベンチのそばには歯を剥き出した子猫がいる。

低い塀に組み込まれた目隠しフェンスの近くでも足を止めてみてほしい。ハリライがそこに配置した「HERE(ここ)」という言葉は、見る者のイマジネーションを刺激する。「ここ」とはこの都市(ニューヨーク)を指しているのかもしれないし、この美術館(MET)、あるいは建物のこの部分(換気装置)を指しているのかもしれない。厳密に言えば、この「HERE」は別の場所(バルカン半島)から来たものだが、このファンキーな新天地も居心地が良さそうに見える。(翻訳:野澤朋代)

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