アート業界人たちの定宿、香港の文化芸術シーンを牽引する「ローズウッド香港」滞在記
香港のヴィクトリア湾を真下に望み、香港の文化芸術の新拠点として開発目覚ましい西九龍文化地区の中心に位置するローズウッド香港。コレクターはじめ多くのアート業界人たちが「定宿」に指名するこのウルトララグジュアリーなホテルの魅力をレポートする。
アートバーゼル香港が開催された3月、ローズウッド香港に滞在させていただく機会を得た。
ローズウッド ホテル & リゾーツは1979年、石油王H.L.ハントの娘であるキャロライン・ローズ・ハント(Caroline Rose Hunt)がアメリカ・テキサス州ダラスにある歴史的邸宅を改築してオープンさせたホテルブランドだ。90年代からは、カリブ海の英領バージン諸島ヴァージン・ゴルダ島のリトル・ディックス湾に開業した新拠点を皮切りに、メキシコ・ロスカボス、カナダ・バンクーバー、中国・北京、フランス・パリ、イギリス・ロンドンほか海外進出を加速させ、現在は世界19カ国に44の拠点を構える巨大グループへと発展した。
現在、同グループの陣頭指揮を執るのは、香港有数のコングロマリット「ニューワールド デベロップメント」を率いる一族の3代目であり、2008年にグループCEOに就任したソニア・チェン。香港で生まれ育った彼女は、ハーバード大学を卒業した才媛であり、2015年にはフォーブス誌が選ぶ「アジアのパワーウーマン50人」にも選出されている。チェンは、女性が創業者であるローズウッドホテルグループの歴史と自身の理念に誠実に、自社における女性の雇用促進や就労環境改善はもちろんのこと、同グループが事業を展開する地元の女性たちを支援する取り組みなども積極的に行ってきた。その精神は、2019年に同グループのポートフォリオに加わったローズウッド香港の素晴らしいウェルネス施設、アサヤに飾られた地元の女性たちが作ったアートをはじめ、ホテルの随所に感じ取ることができる。
さて、ローズウッド香港があるのは、国際金融センターとしての輝かしい香港に対してかつて人々が皮肉をこめて「ダークサイド」と呼んだヴィクトリア湾の北側、九龍だ。ホテルの大半の部屋からはフェリーが行き交うヴィクトリア湾を見下ろすことができ、その向こうには香港島のスカイスクレイパーを望むことができる。
ローズウッドホテル香港はまた、香港の文化芸術の新拠点として開発目覚ましい西九龍文化地区の中心に位置しており、近くには、2021年にオープンしたアート、建築、デザイン、ビデオ作品など、20世紀から21世紀の視覚文化に焦点を当てたヘルツォーク&ド・ムーロン設計の巨大アートセンター、M+や、2022年に開業した北京・故宮博物院が所蔵する中国の歴史的な文化芸術を紹介する香港故宮文化博物館、京劇を上演する劇場やレストランなどを擁する戯曲センターなどが集結し、金融だけではない文化芸術の都市、香港の象徴としての役割をになっている。周辺には緑も多く、穏やかで自由な空気の中、ただ散策を楽しむのにもぴったりなエリアだ。
言わずもがな、香港はアートマーケットの視点から見ても世界トップクラスの市場規模を誇る場所だ。アートバーゼルとUBSによる最新の「グローバル・アートマーケット・レポート」によれば、中国本土と香港を含む中国は2023年についにイギリスを抜き、世界第2位のアートマーケットとなった。金額ベースで世界売上高の19%(122億ドル)を占める中国のパワフルなコレクター層が、香港のアートマーケットを支えているのだ。
一方で、香港に逆風がないわけでは決してない。本土の不動産危機とともに、今年3月に半ば強制的にスピード可決された国家安全法(第23条)が香港での表現活動やクリエイティブコミュニティに及ぼす影響への懸念は強まっている。その一方で、サウス・チャイナ・モーニング・ポストのアート担当であるエニッド・ツィがアート・ニュースペーパー誌に語ったように、そうした逆風に対して「ここ数年、香港を拠点とするアーティストたちはより真剣に制作に集中するようになっている。そして、彼らを支援する素晴らしい組織もある。これが新しい香港であり、香港はまだ終わっていない」という前向きな見方もある。
その意味で、ローズウッド香港は、紛れもなく「アーティストたちを支援する素晴らしい組織」の一つと言えるだろう。事実、ローズウッド香港は自らを「あらゆる形態の現代アートとデザインのアドボケート(提唱者)」と呼んでいるのだ。
その姿勢は、正面玄関前のコートヤードに鎮座するイギリス人アーティスト、トーマス・ハウセゴによるダイナミックなブロンズ作品《Sleeping Lady》にすでに明らかだ。さらにロビーには、同じくイギリス人アーティストの故・リン・チャドウィックの男女の像《Pair of Walking Figures – Jubilee》が軽快な足取りで宿泊客たちを出迎える。チェックインを済ませ、客室に向かうエレベーターホールには、ニューヨーク・タイムズを引退したばかりの美術批評家、ロバータ・スミスが「具象と抽象の間で優雅にバランスをとっている」と評したアメリカ人アーティスト、ジョー・ブラッドリーによる巨大ペインティング《Da Free John and Tomten》、そして、長期滞在者用のレジデンスに向かうエレベーターホール(ホテル滞在客やレストランのゲストたちのプライバシーを確保するため、ローズウッド香港にはなんと60機以上のエレベーターがあるとか)には、フランス人アーティスト、ベルナール・ピファレッティによる抽象画が掲げられている。
ロビーと同じフロアに位置する美しくマチュアなカフェ、ホルツ・カフェには、コロンビア人アーティスト、クラリタ・ブリンカーホフの無数のクリスタルを纏ったクジャクの彫刻や、香港を拠点に活動するナンシー・リーによる地元のタクシーの写真をコラージュした作品が客たちの目を楽しませ、同じ階に位置するアフタヌーンティーが大人気のティーラウンジ、バタフライ・ルームには、青い蝶が中央に配されたダミアン・ハーストによる《Zodiac》が。
また、今年ミシュラン1つ星を獲得した洗練された広東料理が楽しめるザ・レガシー・ハウスには、中国人アーティスト、ウー・ジャーフェイによるユーモアあふれる彫刻作品《Uptown Girl - The Red Lantern》をはじめ、CEOソニア・チェンの祖父でニューワールド デベロップメントの創業者、チェン・ユートンへのオマージュと家族の絆、ルーツを物語る要素が随所に散りばめられている。
全413室ある客室には、ニューヨークを拠点に活動する中国人アーティスト、ウィリアム・ローによるエネルギッシュな香港の風景を描いた作品や、同じくニューヨークを拠点とする台湾人アーティスト、トニー・チーによるウィットにあふれる版画作品などが配されているが、サイズや作品の雰囲気を含め、どれも過剰で非日常的すぎる主張がなく、控えめな存在感と香港にリンクした物語があって本当にセンスがいい。居心地の良さよりもアート作品の主張が気になって、楽しいけれど寛ぎにくい、という多くのいわゆる「アートホテル」とは違い、(こんなゴージャスな空間ではないにせよ)自分の自宅でくつろいでいるような気分にさせてくれるのだ。そこには、ソニアの家族のヘリテージに対する尊敬、そしてそれを自分とともに支えるスタッフへの家族愛が表れているのだと感じる。
ちなみに私が滞在したときは、アートバーゼル香港の期間であるだけでなくローズウッド香港の5周年を祝うカルチャープログラム「フロントロウ」が展開されていた時期でもあり、その一環で、オランダ人アーティストのフレデリック・モーレンショットが3601号室で滞在制作を行なっていた。彼の彫刻作品はバタフライ・ルームの手前にあるスペースで展示されていたのだが、それ以上に、彼が自分が滞在している部屋をローズウッド香港のスタッフのポラロイド写真や自身のペインティング作品とともに模様替えして「作品化」していたのが印象的だった。それはまさに、ローズウッドのアーティストを愛する精神と自由な創造性を歓迎する気風を象徴しているようで、アートバーゼル香港の喧騒に圧倒され興奮した心と体がほぐされた瞬間だった。
世界には、著名アーティストによる作品が一堂に会するラグジュアリーなホテルがいくつもある。しかし、ローズウッド香港に「帰りたい」と思うのは、アート・シャワーを浴びたいという欲望よりも、アートが自然と生活の中に存在している美しく温もりある時間を過ごしたいと感じるからかもしれない。そしてそれこそが、このホテルの魅力なのだ。
Photos: Courtesy of Rosewood Hong Kong