Pace CEO、マーク・グリムシャーが語るアートへの想いと東京進出を決めた理由

世界に6拠点を展開するギャラリー、Paceが9月のグランドオープンに先駆け、7月6日からプレビューを開催する。CEOのマーク・グリムシャーに、メガギャラリーとして初めて日本進出を決めた理由や日本の可能性、創業者の父について、そしてサイエンスとアートへの想いを聞いた。

Pace CEOのマーク・グリムシャー。麻布台ヒルズギャラリーと同ギャラリーが共催する、アレクサンダー・カルダーの個展「カルダー:そよぐ、感じる、日本」(9月6日まで)の会場にて。

──Paceの東京進出は誰もが待ち望んでいたことだと思います。何が東京進出の決め手となったのでしょうか。

私たちも待ち望んでいましたし、夢がようやく叶いました。東京には、人々を惹きつける素晴らしい文化遺産があり、エネルギーが備わっている。それを実感したのが東京進出の大きな理由です。世界の人々がこの国を訪れていますし、政治的・経済的な不安によって社会情勢が変化したとしても、アジア中のエネルギーを集める求心力と牽引力を日本は備えています。そして、韓国のアートやエンターテインメントシーンと同じように、日本の社会や文化の根っこには、まだ大衆の目に触れていないエネルギーが眠っていると感じます。それを呼び起こすことができれば、日本のアートシーンは飛躍的な成長を遂げる可能性があると思います。

──2017年に進出した韓国・ソウルは2番目に大きな市場だそうですね。

他の欧米ギャラリーに先駆けて韓国市場に進出したのは、ペロタンでした。我々はその翌年にソウルに拠点を構えました。当時、ソウルはこれまで我々が開拓してきた他の市場に比べて非常に閉鎖的な場所で、様々な参入ハードルがありました。しかし今では、たくさんのグローバルギャラリーがソウルに拠点を持っています。同じことが、日本にも起きると期待していますし、そのときに我々はここにいて、シーンを目撃したいのです。

──ペロタンが2017年に東京進出を果たすより前に、ブラム(旧ブラム&ポー)は2014年にいち早く東京に拠点を作っています。

ティム・ブラムは日本市場においてまさに先駆者です。そしてエマニュエル・ペロタンも。日本を現代アートを世界に、世界の現代アートを日本に紹介し、市場の素地を作ってきたのは間違いなく彼らの功績です。

しかし我々を含め、それぞれのギャラリーには異なるヴィジョンがあります。今、アート業界はある意味過剰とも言える競争主義に陥っています。ラリー・ガゴシアンは、信じられないほどのハイスピード、ハイエネルギーのビジネスモデルを発明したという点において、心から敬意を表します。天才です。でも、アート作品の取引がどんどん加速し、業界が活性化したのは良いことですが、次の時代は、もっとコラボレーションが求められていくと思います。孤高の殺し屋のような考え方は、これからの10年は通用しないでしょう。アート業界が今後もサステナブルに発展していくためには、互助が必要なのです。

──10年というのは、ものごとがどう発展していくのかを見極める時間として十分ですね。

何事も10年単位だと思います。特にアートにおいて、10年はゼロ年代半ばに始まると信じています。60年代、70年代、80年代というように、アートは10年単位で進化してきました。2020年代の今、まさにそれが起きていると感じています。

──先ほど、日本にはエネルギーが眠っているとおっしゃいました。それを呼び覚ますためには何が必要だとお考えですか。

土台はすでに整っているので、日本で制作されている素晴らしい作品を世に広めるために目利きのコレクターたちがこの国に集結すれば、相乗効果的にエネルギーが呼び覚まされるのではないでしょうか。近年アートフェアに行っている人であれば、アメリカやヨーロッパ、中国のコレクターたちがすでに東京を目指していることがわかるはずです。日本の美術館には素晴らしいキュレーターもそろっていますし、斬新なアーティストも存在しています。

──その意味では、円安も、懸念であると同時に追い風になるかもしれませんね。

円安により、日本で制作された作品が国外に流出してしまう可能性はあるかもしれませんが、そういった状況がいつまでも続くとは思いません。一方で、日本の作品が海外に出ていくことで日本のアートシーンへの注目がさらに高まるはずですし、それにより国内のシーンが活気づくと、今度は日本に海外の優れた作品が多数入ってくる可能性もあります。

──Paceの東京拠点をオープンするにあたり、服部今日子さんを副社長に抜擢しました。服部さんにどんなことを期待していますか?

次世代のPaceを作り上げるのに必要な人材を探しに来日した際に、彼女に声をかけたのがはじまりです。彼女は現在の日本のアートシーンを築いた立役者の一人であり、業界内に新しいエネルギーを流し込むために必要な豊かなつながりを持っています。世界規模でギャラリーを運営している私たちにとって、こうした繋がりは不可欠ですし、私たちには、彼女のコネクションを最大限に生かすためのリソースが揃っています。

──各国のディレクター陣を見ると、女性が多いですね。

アート業界において、いまの時代はまさに女性の時代です。アーティストだけでなくキュレーターやディレクターなど、様々な場所で女性が活躍しています。こうした動きは実は1950年代にもあり、Paceでは、ギャラリーの創設者である私の父の時代から、3人の素晴らしい女性たちが活躍していました。

──そうした女性たちは、あなたのロールモデルだったのですか?

もちろんです。ご存じない人がほとんどかと思いますが、祖母のエヴァ・グリムシャーは1965年から1982年の間、オハイオ州コロンバスでPaceコロンバスというギャラリーを運営していました。彼女はウォーホルミロをはじめ、大勢のアーティストから尊敬されていましたし、彼女のギャラリーで展覧会を開くことを目標にしていたアーティストも少なくありませんでした。

もう一人は、祖母の親友でアーティストのルイーズ・ネヴェルソンです。キーウで生まれた二人は近所に住んでいたらしく、ほぼ同時期にアメリカに移住したと聞いています。ルイーズはメイン州に、祖母はミネソタ州ダルースに家族と移り住み、二人は大人になってから出会います。その後は、お互いに不可欠な存在になっていきました。

3人目は画家のアグネス・マーティンで、私は彼女に育ててもらったと言っても過言ではありません。私の子どもも、アグネスに可愛がってもらいました。

私は、こうした女性のアーティストたちから計り知れない影響を受けました。父はいつも、私たち家族を支えてくれるアーティストたちがどれだけ大切な存在であるかを話していました。私の母も含め、現在までPaceが続いてこられたのは、間違いなく彼女たちのおかげです。

──先代のアーネ・グリムシャーはPaceを創業する前にアーティストとして活動し、お母様は美術史家です。芸術に携わる一家ではどんな会話が交わされていたのでしょう?

家には作家が頻繁に出入りしていたので、両親とアーティストに育ててもらったと言えます。父はPace創業前は画家を志していたのですが、祖父が急死した際に、「金もないのに画家なんてやっている場合じゃない。どうにかして仕事を探せ」と私の叔父に言われたそうです。それでもアーティストやアートとともに暮らしたかった父は、母と祖母の力を借りながらボストンにPaceを開きました。父はよく、過去を振り返って「自分がピカソにはなれないことに気づいた。だから画家になるのはやめた」と言っていましたが、このギャラリーこそ、父の最高傑作だと私は思っています。

父はアーティストたちと芸術について語り合う類い希な才能をもっていて、それを余すことなく兄と私に伝授してくれました。週末になるとメトロポリタン美術館(MET)やニューヨーク近代美術館(MoMA)に必ず私たち兄弟を連れて行って、一つのペインティングについて事細かに説明してくれるんです。父の説明が終わると今度は、作品が制作された当時の情勢や背景を母が紐解いてくれました。アーティストが作品のなかに込めた意図を読み解き、他の人とは異なる角度で作品を見る方法と、歴史という文脈から作品を分析し、鑑賞する方法の二つを両親から教わりました。

──なるほど。そういったなか大学では生物学を学んでいますよね。

科学者や医者が親戚に多かったことや、父が多くの科学者たちと交流をもっていたことが影響していると思います。父が食事に招いたロバート・アーウィンやジェームズ・タレルといったアーティストたちは科学に興味をもっていて、同席していた科学者たちと議論を交わしていました。彼らの会話に衝撃を受けて科学に興味をもった私は、ハーバード大学で自然人類学を学んだのちに、ジョンズ・ホプキンス大学で生物科学と免疫学の博士号を取ることにしたのです。

ジョンズ・ホプキンス大学に通っていた頃は、一つの謎を解明することよりも未知の世界を発見することに興味がありました。そういった意味では、科学者よりもアーティストに近い考え方をもっていたのかもしれません。アーティストは未知なる世界を紡ぎ出して、人々の心を動かすことに長けている人たちですから。

博士課程の3年間では常に新しい何かに触れる機会を求めていましたし、アートコミュニティに戻りたいとも思っていました。1991年に博士課程を修了したのち、ニューメキシコ州の小学校で理科の先生をやったり、当時の妻の医療プロジェクトのため、エイズ危機の真っ只中にあった東アフリカのマラウイ共和国で、二人の子どもも一緒に暮らしたことも。その後、2000年にニューヨークに戻り、Paceに再び入ってからは、ずっとアート業界に身を置いています。

──科学への関心は、いまもありますか?

今でも意識的に、最先端の科学に触れるよう努めています。宇宙理論や素粒子物理学など、新しい理論が常に構築されている分野にはとくに目を配っています。アートの世界にいる多くの人たちは、量子力学がどういった状況にあるのかを理解していませんし、遺伝理論の研究がどれほど進んでいるか知りません。でも、それはもったいないことだと思います。科学によって何が解明されているかを知ることは、我々の生きる世界への理解を深めることだからです。一人の人間が一生のうちにできることは限られていますが、だからこそ、多種多様な知識を身につけたいんです。私はどちらかというと、スペシャリストというよりジェネラリストなので、最先端の情報を吸収して、時代に取り残されないよう、常に知識をアップデートしたいと思っています。

──アートはテクノロジーや科学の発展と比べ、スピードが穏やかではないですか?

どうでしょう。私は科学と比べてアートの発展が遅いと思ったことはありません。世界各国で作品が作られるようになったことで語り口は多様化していますし、過去とは比べものにならないほどの速度で表現方法や文脈は進化しています。例えば、ベネチア・ビエンナーレに行けば、国によって文化的背景や社会情勢は異なるものの、世界の最先端の表現を見ることができる。ロバート・アーウィンやジェームズ・タレルから始まったサイトスペシフィックなインスタレーション作品の歴史も、今はチームラボやレオ・ビラリールといったアーティストが手がけるイマーシブなものへと進化しています。絵画も古い作品を解釈する方法が変化しています。

実はアート界は今、目まぐるしい速度で急速に拡張しているのです。それら全てをリアルタイムで追い続けるにはもちろん限界がありますが、私自身、なるべく最先端の表現を知り、理解を深めるために、調べたり様々な人々と議論を交わしたりしながら、見聞を広める努力を常にしていたいと思っています。

Photos: Tohru Yuasa

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