ピカソやフリーダ・カーロと「ミューズ」の関係 #MeToo時代のミューズ考
「ミューズ」とは、ギリシャ神話で学芸や音楽などを司る女神、Muse(ムーサ)の英語名だが、今ではもっと広い意味で使われるようになっている。たとえば、ファッション業界でミューズと言えば、一般的に「デザイナーにインスピレーションを与える存在」を指す。では、美術史ではどう捉えられてきたのだろうか。美術評論家による刺激的な新著から、ミューズの過去と現在について考えてみよう。
20世紀初頭、ミラノの資産家令嬢マルケーザ・ルイーザ・カザーティは、髪を派手な赤に染め、瞳を大きく見せようとベラドンナの目薬を垂らし、奔放な魅力で近づいてくる男を次々と虜にした。彼女に夢中になった芸術家の中には、マン・レイ、ジャコモ・バッラ、キース・ヴァン・ドンゲンといった有名どころもいた。だが、カザーティの最も挑発的な肖像画を描いた画家は、女性であるロメイン・ブルックスだった。
ブルックスの《Portrait of Luisa Casati(ルイーザ・カザーティの肖像)》(1920)には、しなやかな体に黒い薄布だけをまとい、裸体をほとんど隠さず岩の上に立つカザーティが描かれている。片方の腕を水平に伸ばし、黒い布が垂れ下がった様子はまるでコウモリのようだ。そして彼女は、鑑賞者の心を見透かすように強烈な視線を投げ返してくる。長年連れ添ったパートナーを裏切ってカザーティと性的関係を持ったブルックス自身も、そんな目で見つめられていたのだろう。
ただ、美術史におけるミューズについて語る場合に思い起こされるのは、肖像画家たちに一定の影響力を及ぼしたカザーティのような女性ではなく、自分の姿を描く男性画家に虐げられた女性だ。男たちは優位であることを見せつけるように、荒々しい調子でカンバスに筆を振るった。ミューズになり得るのは、ほとんどの場合、白人、ヨーロッパ人、健常者、異性愛者、シスジェンダー(*1)という属性のいくつかを併せ持つ者とされる。そして、彼女たちは自らの肖像が創造されるプロセス(または、世間が解釈するその人物像の形成)に何の役割も果たしていないと見なされ、その受動性がゆえに犠牲者だとされてきた。
美術評論家のルース・ミリントンの新著『Muse: Uncovering the Hidden Figures Behind Art History’s Masterpieces(ミューズ:名画の陰に隠された人々を見いだす)』(Vintage Digital)は、この問題を考える上で刺激的な本だ。冒頭でミリントンは、ミューズに対する伝統的な見方は「単純化されすぎている」と指摘し、こう述べている。「ステレオタイプにはめ込むのはやめて、ミューズの本当の姿について再考すべきだ。美術史の中でどう作品制作に関与してきたのかを知り、その多様な役割に光を当てる時期に来ているのではないか」
#MeToo運動が始まってからというもの、「アーティストとミューズ」という関係性を終わらせるべきだという記事が山のように発表されている。ミリントンの本は、こうした議論に応えるものだ。序文には、ガーディアン紙に美術評論を執筆しているジョナサン・ジョーンズの文章が引用されている。「そろそろ、このバカげた言葉を屋根裏部屋にしまい込む時が来た」。とはいえ、ジョーンズ自身はその後も批評記事でミューズという言葉を使い続けているのだが。
ジョーンズの見方は極端かもしれない。それでも、アーティスト同士で言えば、セリア・ポールやフランソワーズ・ジローはそれぞれ、ルシアン・フロイトやパブロ・ピカソに操られていたと力説しているし、画家のチャック・クロースや写真家のテリー・リチャードソンはモデルになった女性たちからセクハラで告発された(両者ともその事実はないと否定している)。
ミューズに関する議論は、ここ数年でこれまでにない盛り上がりを見せている。そのため、アーティストとミューズの間には、たいてい非対称な力関係が存在することが以前よりも意識されるようになった。しかしミリントンは、この議論から私たちは十分に学んでいないと主張する。
ピカソの恋人で、《泣く女》(1937)のモデルとして知られるドラ・マールの例を見てみよう。ピカソは「女性は苦しむ機械だ」と言ったことがあるが、ミリントンは彼がマールを虐待していたと書いている。2人が関係を持っていた時も妻と別れなかったし、少なくとも一度はマールを殴った証拠もあるという。だが、《泣く女》でミリントンが特に着目しているのは「瞳孔の代わりに軍用機のシルエットが見える」という点で、これはマールの左翼的、反戦的な思想を表しているのではないかと解釈している。ピカソは、彼女の政治思想に影響されたのかもしれない。
写真家として活躍していたマールは、ミリントンが取り上げている中では知名度がある方だが、それ以外のミューズは一般読者にはなじみがないだろう。たとえば、画家マルレーヌ・デュマスの娘エレーヌ・デュマス、パートナーであるフェミニストの画家シルビア・スレイのためにヌードモデルを務め、「男性から女性に注がれる視線」という構図を逆転させた評論家のローレンス・アロウエイ、19世紀英国のラファエル前派の画家たちが描いたエリザベス・シダル、ポーラ・レゴのモデルで、最近テート・ブリテン(ロンドン)で開催されたレゴの回顧展に展示された絵にも登場するリラ・ヌネスなどだ。
意外なことに、ミリントンが取り上げた中には男性も多い。この本で最もゾクゾクするのは、若手の中国人写真家ピクシー・リャオと恋人の日本人男性、モロ(タカヒロ・モロオカ)についての章だ。どう見ても無防備に思えるポーズをとる彼は、ある写真ではテーブルの上に裸で仰向けに横たわり、フルーツで性器を隠している。リャオはその近くに座り、タバコを吸いながらこちらを見つめる。「リャオはモロをミューズとして使いながら、オルタナティブな男女関係のあり方を示し、それを称えている」とミリントンは書いている。
こうした論じ方は紋切り型と言われそうだし、ミリントンが美術史を深く掘り下げることより、話を前に進めることを優先しているのも気になるところだ。彼女は、さまざまな問いを立てながら答えを出さず、そうかと思えばその問題を避けるような後出し発言をして、そもそもの問いを台無しにする癖があるのだ。
別の章では、アンドリュー・ワイエスの有名な絵画《クリスティーナの世界》(1948)に登場する若い女性、アンナ・クリスティーナ・オルソンに焦点が当てられている。シャルコー・マリー・トゥース病(脚が不自由になる神経障害)を患うオルソンは、絵の中で野原に座って近くの家を眺めている。「ワイエスがオルソンを障害者として見せることを意図していないのは明らかだ。だが一方で、彼女の障害を消し去って見えなくしていると言えないだろうか?」とミリントンは書いている。
この問いには一考の価値がある。ワイエスがこの作品を描くときに、障害のない妻ベッツィーをモデルとしたことを考えると、特にそうだ。それなのに、ミリントンはこの章の終わりのほうで、こんな大雑把なまとめ方をしている。「ワイエスは、親しい友人でミューズでもあり、彼がいろいろな意味で尊敬していた人物が日々体験していることに敬意を表したのだ」
これ以外の部分でも、ミリントンにもっと徹底的に論点を掘り下げてほしかったところがいくつかある。たとえば、本の中で何度も言及されているハンガリーとインドにルーツを持つ画家、アムリタ・シェール=ギルについての記述もそうだ。彼女がポール・ゴーギャンのミューズを真似て描いた《Portrait as Tahitian(タヒチ人としての自画像)》(1934)についてミリントンは、シェール=ギルが「自分自身を取り戻した」と書いている。しかし、なぜそれがポリネシア女性のコスプレという方法だったのかについてはいっさい触れていない。
こうした足りない部分が、「ミューズについては、まだまだ語るべきことがたくさんある」というミリントンの主張を際立たせているのは皮肉と言える。一方で、巷にはミューズに関する誤った情報が溢れているという彼女の指摘は的確だ。
そうした誤情報にはフリーダ・カーロに関するガセネタもあった。カーロは、プロトフェミニスト(*2)的な戦略から、自分自身をミューズに作品を制作していたとミリントンは述べている。ある作品では、ハサミを持ったカーロが椅子に座っている。自分で男性のような短髪にしたようで、足下には切られた毛の束が散らばっている。夫のディエゴ・リベラをはじめ、自分の存在を飲み込もうとする周りの男たちから自己のイメージを取り返すために、彼らの一員となる絵を描いたのだ。
2021年、この絵を所有するニューヨーク近代美術館(MoMA)は、その画像をカーロの言葉とされる引用文とともにツイッターに投稿した。だが実は、その文章はカーロのものではなく、彼女の死から54年後の2008年に、10代の若者が「PostSecret」というウェブサイトに投稿したものだった。
世界有数の美術館が、なぜこのような間違いを犯したのだろうか。ミリントンなら、残された歴史資料の量に男女差があることが関係していると言うかもしれない。「ミューズを、描かれた対象としてだけでなく1人の人間として捉え、その生きざまを知ることは有名な芸術作品の理解に真の深みを与える」とミリントンは書いている。これについては、「おっしゃる通り」だ。(翻訳:野澤朋代)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年5月24日に掲載されました。元記事はこちら。
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