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  • 2024.09.10

訃報:「変身の芸術家」レベッカ・ホルンが80歳で死去。身体拡張をテーマに多様な作品を制作

彫刻や映像、絵画、詩などさまざまな表現で人々を魅了してきたドイツの現代美術家、レベッカ・ホルンが9月6日に死去したと発表された。80歳だった。

レベッカ・ホルン。2005年に撮影。Photo: Michael Latz/AFP via Getty Images

身体を異次元への入り口と解釈し、大胆な作風で知られるドイツの現代美術家、レベッカ・ホルンが9月6日に80歳で亡くなった。彼女が所属するニューヨークのギャラリーのオーナー、ショーン・ケリーは彼女の死を発表したが、死因は公表していない。

不思議と人の心を魅了する神秘的なホルンの作品は、自身の活動拠点であったドイツでは欠かせないものとされている。ドイツ・カッセルで5年に一度開催されるドクメンタで彼女は20代から作品を発表してきたが、ヴェネチア・ビエンナーレグッゲンハイム美術館など国際的な展覧会でも精力的に作品を発表している。彼女に影響を受けたアーティストは数多く、儀式的な映像作品を手がけるマシュー・バーニーや、フェミニズムをテーマとした映像を発表しているピピロッティ・リストがその好例だ。

自己の存在を超え、意識をより高い次元へ

女性の身体の新たな可能性を模索していたホルンは、パフォーマンスを主体とした作品を1960年代に発表し、作品を観に訪れた人々を動物のように見立てるために小道具を身に着けさせていた。また、キャリア後半から制作し始めた彫刻作品には、金属や液体、鏡などを用いて有機的とも無機質とも言い難い作品を手がけており、こうした彫刻作品を発表することで、ホルンがテーマとして添えていた「身体拡張」の解釈を広げていったのだ。

かくして唯一無二のアーティストとなったホルンは、作品のテーマを直接的に表現することはなく、理解よりもむしろ、感じることしかできない言語で語られていたと言えるだろう。不安をかきたてて不快な心理状態を利用し、ときには鑑賞者に力を与える道筋を示すことさえあった。

彼女の作品はしばしば儀式的な性質があると評されることもあり、自身もそれを受け入れていたようだ。ホルンはかつてイギリスのビジュアルアート誌『Frieze』にこう語っている。

「錬金術は物事を視覚化するプロセスですが、最終的には意識をより高い次元へと導くのです」

1968〜72年にかけて行われたパフォーマンスアート《Personal Art》は、ホルンの初期を語る上で欠かせない作品のひとつだ。これらのパフォーマンスにおいてホルンは、パフォーマーに奇妙な着用物(彼女が言うところの「身体を拡張させるもの」)を装着させるシナリオを構築し、角や長い爪、羽、そして一目見ただけでは言い表せない物体を装着させている。これによって彼女は、すべての人間が自らを超越し、人とは異なる存在へと姿を変える方法を模索したのだ。

1972年にビデオで記録されたパフォーマンス《Pencil Mask》においてホルンは、鉛筆が並んだ布製の装置を作りそれを顔に装着した。本パフォーマンスにおいて彼女は壁の周りを繰り返し動き回り、壁に筆跡を残した。身体の一部を拡張させた装置にはSMプレイを想起させるようなニュアンスが含まれていたことから、ホルンの作品に多く見られる官能的な要素を象徴していると捉えられる。本作品はまた、筆跡とともに人が空間内に存在したことを示したと同時に、ホルン特有の悪意を注ぎ込んでいるのだ。

レベッカ・ホルン《Die sanfte Gefangene》(1978)Photo: Jean-Christophe Verhaegen/AFP via Getty Images

彼女はその後、パフォーマンスアートの名の下に花を食べたり、鍵盤を吐き出すピアノを彫刻したりするなど、戦後のドイツに潜んでいた気味悪さを物語るインスタレーションを制作し続けた。とはいえ、彼女の作品を一度で理解することは非常に難しく、キュレーターのジェルマノ・チェラントは『Artforum』誌に次のように語っている。

「ホルンの作品は自己を精巧に表現したものであり、それらは自己と外界の間に生じる揺らぎや快楽の意味を教えてくれる手紙として捉えられる。作品を通して彼女は自身を映し出しているのだ」

幼少期から幻想文学に没頭

ドイツのミヒェルシュタットで1944年に生まれたホルンは、錬金術に関する著作を残しているドイツの神学者ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエや、20世紀のフランスの詩人レーモン・ルーセルに幼い頃から憧れを抱いていたという。彼らを通して幻想的なものに対する愛を知り、情熱を燃やし続けたホルンは、シュルレアリスムの芸術家メレト・オッペンハイムの目に留まった。のちにホルンの友人となるオッペンハイムは、彼女の映画制作を早くから支援することになる。

1964年から1970年にかけて、ハンブルク造形芸術大学に在籍したホルンだが、彫刻制作のために使用していたグラスファイバーが原因で肺の病気を1968年に患ってしまう。学業をを中断せざるを得なくなった彼女は、療養所で過ごしていた際にデッサンと裁縫を始めることになる。

退院後に彼女は自身の代表作の一つとなる《Unicorn》(1970年)を制作。女性に巨大な角のようなものを頭に装着させ、野原を歩かせるという作品だ。さらに1973年に制作された『Performances 2』では、巨大な角を装着した女性が裸の胸をさらけ出し、背筋を伸ばして歩く姿を映像に収めており、一目見ただけでは、女性を人と認識することはできない。「囚われの身になることで、彼女は内なる自分を解放したのです」とホルンは回想している。

ホルンは鑑賞者をも作品内に閉じ込めることもあった。箱の形をした《Die Chinesische Verlobte》(1976年)では鑑賞者が作品の中に閉じ込められてしまう。作品の内部では2人の中国人の少女が会話する音声が再生されており、ホルンいわく、作品に囲まれているような感覚を鑑賞者たちに味わってほしかったという。

レベッカ・ホルン《Die Chinesische Verlobte》(1976)Photo: Jean-Christophe Verhaegen/AFP via Getty Images

1980年代に入るとホルンは大規模な作品を手がけるようになり、インスタレーションを発表することが多くなっていく。1987年に開催された「ミュンスター彫刻プロジェクト」では、《The Concert in Reverse》と題された作品を、第二次世界大戦中にゲシュタポが囚人を虐殺した場所で発表。地下牢と化した作品の中を進んでいくと、じょうごから水滴がしたたり落ちる音や金槌の音、そしてホルンが 「別世界から聞こえてくる合図」と呼ぶ音が鳴り響く。それ以外にも、2匹のヘビが作品内に放たれており、餌としてネズミが1匹与えられていた。

1990年には、チャーリー・チャップリンの娘であるジェラルディン・チャップリンやドナルド・サザーランドが出演した映画『バスターの寝室』を制作。サイレント映画を彩ったもう一人のスター、バスター・キートンに焦点を当てた本作は、カンヌ国際映画祭で上映されたのちにロサンゼルス現代美術館でも上映されている。

アメリカでの成功

この頃からホルンはアメリカでも注目を集めるように。グッゲンハイム美術館のロタンダで大規模な展覧会を開催した彼女は、二つの乳房のようなオブジェをガラス張りの天井に吊るし、定期的に下に白い液体が滴り落ちる《Paradiso》(1993年)を発表した。ニューヨーク・タイムズはこの展示を次のように評している。

「ホルンは鋭い勘をもったショーマンであり、喜劇俳優のようなユーモアのセンスと絶妙な間合いを兼ね備えている」

レベッカ・ホルン《Concert for Buchenwald》(1999)Photo: Michael Reichel/DPA/Picture Alliance via Getty Images

彼女の評価は他の芸術祭や展覧会でも高く、ドクメンタやカーネギー・インターナショナルで最優秀賞を獲得したほか、1500万円の賞金が授与される高松宮殿下記念世界文化賞も受賞している。ヴェネチア・ビエンナーレには2022年を含めて3度参加し、今年初めにはハウス・デア・クンストで回顧展が開催された。

ホルンは今まで生み出してきた様々な作品を通して、鑑賞者を不安かつ奇妙な気分にさせることに成功している。「私は混乱が好きなんです」(翻訳:高田真莉絵)

from ARTnews

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