アートとは、生命のすべてを包括するもの──ティム・ブラムが語る「よいアート」と「成功」の条件
2024年に開廊30周年を迎えたギャラリー、BLUM(旧BLUM & POE)の共同創設者ティム・ブラムに、80年代の東京で受けた衝撃、奈良美智や村上隆との出会い、そして若いアーティストへのアドバイスまで、話を聞いた。
今年、東京・麻布台ヒルズに新拠点を構え、日本進出を果たしたPaceのマーク・グリムシャーも、「ティム・ブラムのような先駆者が道を開いてくれた」と語っているように、ティム・ブラムを、ほぼ無名だった奈良美智や村上隆をアメリカに紹介し(2人をアメリカで引き合わせたのもブラムだった)、日本の現代美術シーンを世界に接続させた立役者と呼ぶことに異議を唱える人はいないだろう。そんな彼が日本を初めて訪れたのは、まだUCLAの学生だった1984年。そこで、これまで見たことのない東京のアンダーグラウンドなカルチャーシーンに衝撃を受けた彼は、再び東京に戻りギャラリーで働いたのち、1994年にサンタモニカにギャラリー、BLUM & POE(現BLUM)をジェフ・ポーと共同設立する。その10年後には、70年代から日本のサブカルチャーの聖地として様々なムーブメントを生み出した原宿に東京支店をオープンすることになる。
ブラムは初来日した80年代初頭を振り返り、「建築、デザイン、ファッション、音楽に至るあらゆるカルチャーシーンにおいて伝統への執着を振り払った当時の東京には、とても現代的な、あるいは未来的なものを感じた。そして、僕はアートに夢中になったんだ」と語る。
確かに当時の日本、とくに東京では、若者たちの伝統的な規範に対する創造的な反抗心が爆発していた。音楽シーンではポスト・パンクやニューウェーブが開花し、坂本龍一と細野晴臣、高橋幸宏によるYMOや、忌野清志郎率いるRCサクセションが商業的にも大成功を収めた一方、メインストリームでは松田聖子がアイドル界の頂点に君臨した。舞台芸術出身の飴屋法水がアングラ演劇の始祖と崇められる唐十郎の「状況劇場(紅テント)」から独立して「東京グランギニョル」を旗揚げし、ファッション界ではDCブランドブームが勃興、川久保玲と山本耀司がパリコレクションに初参加して「黒の衝撃」と呼ばれた。浅田彰や中沢新一らのニューアカデミズムが脚光を浴び、上野千鶴子が『セクシィ・ギャルの大研究』で作家デビューし、マガジンハウスから『Olive』が正式に創刊したのもこの頃で、アートシーンでは、池内務によるレントゲン藝術研究所が大田区大森に、批評家、藤井雅実が東京・神田に「画廊パレルゴン」をオープンし、村上隆、太郎千恵蔵、中村政人、ヤノベケンジ、会田誠といった若いアーティストたちが実験的な試みを行なっていた。
BLUM & POEは開廊25周年の節目となる2019年に、「『もの派』と村上隆や奈良美智ら『ネオ・ポップ』の間に横たわる日本美術における重要な数十年間について掘り下げていく試み」として、「パレルゴン」の名を冠した展覧会をロサンゼルスで開催している。さらに2024年1月から3月にかけては、ブラム自身と戦後日本美術史家・吉竹美香の共同キュレーションにより開廊30周年を祝う展覧会「Thirty Years: Written with a Splash of Blood」をロサンゼルス、東京で開催した。本展は来春、ニューヨーク・トライベッカの新スペースでも「Written with a Splash of Blood」として開催予定だ。
そんな記念碑的な展覧会が終了し、第2回Tokyo Gendaiの開催を目前に控えた真夏のある日、原宿BLUMでティム・ブラムに会った。
──80年代の東京で受けた刺激があなたをアート業界に向かわせたそうですね。
初めて東京に来た当時、私はまだ大学生で、アートを学んでいたわけでもなく、正直いってアートに関しては何も知りませんでした。ただ、私は当時から独立心が強く、自分のキャリアに明確なビジョンがあったわけではないけれども、自分でなにかを作り上げたいという想いは抱いていました。そんな時に初めて来日し、当時の日本、特に東京のカルチャーに大きな衝撃を受けました。音楽も建築もファッションも全てが独創的で、アートも然りでした。その後、次第にアートへの関心が高まっていきましたが、アカデミックな世界や美術館で働くことには興味がありませんでした。ただ一つクリアだったのは、どうすれば日本と西洋をつなぐことができるだろう、ということ。そこで、自分なりのマニフェストを書いたり、そのために必要なことを学び続けるうちに自然と道が開けていって、最終的にはギャラリー開設に至ったんです。振り返ると、あくまで直感的かつ有機的なプロセスだったと思います。
──94年にジェフ・ポーとギャラリーを共同設立した翌年、奈良美智を初めてアメリカで紹介しています。
奈良美智に出会ったのは、確か92年ごろの渋谷だったと記憶しています。あるアートライターから紹介されて会ったんですが、ポール・マッカーシーやチャールズ・レイといった西海岸のアーティストを彼に紹介したりして、色々と情報交換をしました。彼はその当時から真剣で野心のある若いアーティストでしたが、作品をちゃんと見たことはありませんでした。当時の西海岸には今のような現代アートの市場などありませんでしたし、それは東京も同じでした。私自身、それがどう発展し得るかなど想像していませんでしたし、自分に先見の明があるとも思っていもいませんでした。でも、その2年後に改めて彼の作品を見て、直感的に「これを紹介しなければ」と感じたんです。当時、日本のアートシーンですら彼の作品に注目する人は非常に少なかったと記憶しています。村上隆に初めて会ったのも、同じ頃だったと思います。
そうして95年に奈良美智の展示をBLUM & POEで開催し、その後、村上隆の作品も紹介しました。当時は私もギャラリーの家賃を払うのが精一杯でしたが、彼らの作品は実際に売れたんです。それから少しずつ、経験と実績を積み上げていきました。私を介してポール・マッカーシーに会った2人は、その後ポールに誘われてともにUCLAで教えたりもしていました。当時から私は、ギャラリーというプラットフォームで人と人とを引き合わせるのが好きでしたし、それがある種の夢でありゴールでした。
──先ほど、ご自身に「先見の明があるとは思ってもいなかった」とおっしゃっていましたが、奈良美智や村上隆といった日本の現代アーティストたちが世界のアートシーンにおいてこれほどの評価を獲得することになるとは想像していなかったのでしょうか?
実のところ、私が興味を持っているのは、今この瞬間にしか存在しないものや体験できないもの。そうした経験は、普遍的なものと同じくらい重要だと思っています。アート業界の残念な点の一つは、あまりに多くの人が過剰に意味付けをしようとすることです。彼らは市場に過剰な信頼を置き、まるで市場こそが真実であるかのように語りますが、実際はそうではありません。市場は単なる市場に過ぎず、アートの世界を注意深く細分化して見てみると、実に多様な要素で構成されていることが分かります。私は、BLUMの固着的ではない幅広いプログラムがそうした多様性を包括していると自負していますし、だからこそ、ほかでは展示されないような作品を紹介するリスクを負うこともできます。その結果、ギャラリーとしてより健全な状態を維持し、成長することができるのです。
ただ、今のアート業界は、流行も消費スピードもこれまで以上に速くなっていると感じます。まるでファストファッションのようであり、詰め込まれ過ぎている。でも、本当に良い作品というのは、そうした状況には絶対に飲み込まれない。私は今でもそう信じています。
──あなたは過去に、「優れたアートは、そうたくさんあるわけではない」という主旨の発言をされていますが、では、あなたにとって「良いアート」とはなんでしょうか?
「良いアート」は何かということを完全に理解するには、多くの知識と時間、経験が必要であり、何よりできる限りたくさんのアート作品を見ることが重要です。例えば、あなたが大きなアートフェアに行って250もの出展ギャラリーを見て回るとします。そこで、これまで全く見たことのなかったもの、あるいは少しは知っていても十分な知識を持っていなかったものの中から自分の心に響く作品に出会えたとしたら、それが「良いアート」です。それを見つけられたということは、十分な数の作品を見てきた証だと思います。私は必ずしも、イヴ・クラインやルーチョ・フォンタナのように、美術史の中ですでに評価が確定している偉大な作品を多数見よ、といっているわけではありません。それよりも、まだ知られていないものを発見してほしい。それは実のところ、容易ではありません。だって、どこかで見たことがあるような作品が市場には多数存在しているのですから。これまでも、アート市場では膨大な数の質の悪いアートがもてはやされ、取引されては消えていきました。でもこの状況は、最近になって変わってきたと感じています。あまりにも簡単にアート作品が売れる時期を経て、人々は価値に対して慎重になっていますし、その傾向がある種の浄化作用になっていると思います。
──そもそもあなたはなぜアートが好きなのですか?
おそらく、アートが「不可欠なもの」だからです。アートは私にとって、薬と同じくらい重要です。生命のすべてを包括するものであり、人生の反映です。良いアートに出会うというのは、まるで自分が作品の一部になれるような、作品と一体となれるような感覚を得られる経験なのです。素晴らしい芸術というのは、それが1万年前のものであろうと50年前のものであろうと、ある意味、時空を超越するものです。一方で、その時代、その日、その週、ある特定の期間に起こったことの反映としての芸術が重要ではないと言っているのではありません。真に素晴らしいアートには、そういったものを全て超越するような力がある。そして最高の絵画とは、必ずしも上手く描かれたものではありません。完璧に描かれた目よりも、その目の奥に何が映っているのか、それが重要です。
──そうした作品と出会いたいという欲求が、今もあなたの原動力なのでしょうか?
その通りです。素晴らしいアートは多くはないとはいえ、まだたくさんあるはずです。ただ、簡単に見つけられるわけではない。本当に探さなければ、見つけられないんです。
──では、あなたにとって「成功」とは?
素晴らしいアーティストたちに恵まれ、彼らと苦楽をともにし、常にベストな方法で彼らをサポートできることでしょうか。彼らに真実を伝え、真実に基づく最善のアドバイスができること。アドバイスというのは、彼らが「聞きたいこと」ではなく「聞く必要のあること」を伝えるということです。どんなアーティストだって、できる限り長くキャリアを築きたいと思っている。世の中にはたくさんの誘惑がありますが、大局を見据え、細かいことにとらわれず、着実に進むことが重要です。我々のギャラリーに所属するアーティストの大半は、もう何十年も一緒に仕事をしている人たちであり、離れたアーティストは本当に少ない。それは、この業界では珍しいことであり、とても誇りに思っています。
──最後に、若いアーティストたちにアドバイスをお願いします。
自分にとっての「真実」とは何か、実践を通じて探求してほしいと思います。自分自身に正直に、キャリアに関する偽りの物語に惑わされることなく、近視眼的な視点ではなく大局的に考えてほしい。必ずしも市場で大きな存在になる必要はないし、それが目的になった途端、終わってしまいます。大きな市場を手にしたからといって偉大なアーティストになれることなど、絶対にないんです。アーティストの中には、そうして自分の創作を見失い、ただこれまでの作風を維持しているだけの人もいます。それはとても残念なこと。ときには、誰にも耳を傾けずに静観するだけのエネルギーが必要なのです。