アート界の新ビジネス「アーティストエージェンシー」の台頭をどう見るか。キーパーソンに聞く

世界で9兆円を超える市場規模にまで成長したアート界に、アーティストエージェンシーという新しいビジネスモデルが登場した。その背景やアート界におけるエージェントの役割、彼らが何を目指しているかを関係者に取材した。

カリフォルニア州センチュリーシティにあるクリエイティブ・アーティスツ・エージェンシーのオフィス(2020年8月12日撮影)。Photo: AaronP/Bauer-Griffin/GC Images

アート界に新ビジネス「アーティストエージェンシー」が登場

今年6月、長年ニューヨーク・タイムズ紙の美術評論の顔として人気を博してきたロベルタ・スミスが、インディペンデント・アートフェアのポッドキャストに出演し、1970年代に仕事を始めた頃の思い出を披露した。スミスによると、その頃のアート界は今では想像もつかないほど小さな世界だったという。

「当時は、1日もあれば見たいものを全て見ることができました」

この言葉通り、アートの世界はここ数十年で飛躍的に拡大した。たとえば、複数の都市のギャラリー案内が見られるアプリ「See Saw(シーソー)」によると、ニューヨークでは現在362の展覧会がリストアップされている。また、グローバル企業へと成長したメガギャラリーが、ロンドンから東京に至る世界各地でビジネスを展開。2023年の世界のアート取引高は650億ドル(直近の為替レートで約9兆5000億円)にのぼる。かつては、個人経営のアートディーラーが一握りの個性的なアーティストを発掘し、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に作品が所蔵されて美術史に残るようなスターへと押し上げていたが、そんな時代は完全に過去のものになっている。

こうして一大産業に成長したアート界では、専門のPR会社やコンサルタント、アドバイザーがビジネスの一端を担うようになった。そこに最近加わったのがアーティストエージェンシーだ。特に注目されているのが、3年ほど前にガゴシアンに勤めていたマックス・タイシャーが設立した291エージェンシーだが、タイシャーによると、エージェンシーが台頭してきた背景には、アート市場の急速な拡大があるという。

US版ARTnewsは、この新しいビジネスについてタイシャーを取材。ニューヨークのトライベッカ地区にある291エージェンシー近くのコーヒーショップで話を聞いた。

「291のビジネスモデルが成立するのは、ギャラリーが本来の役割を果たしていないからではないかとよく聞かれますが、答えはノーです。そもそも私の役割はアートディーラーとは違いますし、ギャラリーはむしろ有能すぎるほどです。ギャラリストやキュレーター、ライター、アートハンドラーなどが、きちんと仕事をしてきたからこそ、アート界は現代のカルチャートレンドにおいて非常に大きな位置を占めるまでに成長しました。その結果として、エージェントが求められるようになったのです。つまり、私たちのビジネスは、アート界の成功の副産物と言えます」

タイシャーとともに291エージェンシーを運営するのは、ガゴシアンで経験を積んだアンドレア・クレーンやヴァレンティーナ・カステラーニ(2人ともオークションハウス勤務経験者)、リシア・マーフィー、ジェシー・アリソンのほか、コンサルタント、プロジェクトマネージャー、元ギャラリーディレクター、コンテンツプロデューサーで構成されるチームだ。エージェンシーの名称は、20世紀初頭に写真家アルフレッド・スティーグリッツが運営していた有名なギャラリー「291」に由来する。

エージェンシーの役割はアーティスト育成

291エージェンシーの目標は、スタジオモデルの延長線上でアーティストの活動を支え、その影響力を高める組織として機能することだという。影響力と一口に言っても、世間一般の認知度から評論家や美術館の評価、コレクター間の評判までさまざまな側面があるが、タイシャーはどんな方針で臨んでいるのだろうか。

「アーティストの希望を聞くだけでは不十分です。私たちが重視しているのは、『どんなアーティストになりたいか』を聞き出し、その目標に到達するプランを立てること。短期的な成長と、長期的な成長の双方を視野に入れたプランです」

291エージェンシーは、ハリウッドの大手エージェンシーであるクリエイティブ・アーティスツ・エージェンシー(CAA)や、タレントや作家が所属するインターナショナル・クリエイティブ・マネジメント・パートナーズ(ICMパートナーズ)のモデルを参考にしている。CAAは、ウィリアム・モリス・エージェンシー出身の有力エージェント5人によって設立されたが、その中にはUS版ARTnewsが選ぶトップ200コレクターズの1人、マイケル・オーヴィッツも含まれている。

「アートの世界はつい最近まで、100年前のハリウッドのスタジオシステムや、作家が出版社に所属していた時代の出版業界のようでしたから」

そう語るタイシャーは、291エージェンシーを派手に宣伝することはしない。公式ウェブサイトはモノクロのシックなデザインで、(CAAとは異なり)クライアントリストも料金表も掲載されていない。そうした情報を開示してもらえないかと言うと、タイチャーはこう言ってやんわりと断った。

「私たちはあくまで裏方に徹するべき存在です。アーティストと一緒に取り組んでいる特定のプロジェクトについて話さないのは、何らかのプロジェクトや状況が私たちエージェントのおかげで実現したかのように見せるつもりがないからです。それに、特定のアーティストのプロジェクトを宣伝して、わが社と仕事をするよう別のアーティストに勧めるつもりもありません。アーティストたちをそんなふうに扱うのは不適切ですから」

291エージェンシーの業務に詳しいアート界の専門家3人が、匿名を条件にUS版ARTnewsに語ったところによると、同社はローリー・シモンズ、ハンク・ウィリス・トーマス、エディ・マルティネスら約15人のアーティストと契約を結んでおり、アーティストが得る全収入(大学での講演から美術館による作品所蔵まで)から10%の手数料を得ているという。

また、291エージェンシーと仕事をした経験のあるアーティストは、やはり匿名でUS版ARTnewsの取材に応じ、291との関係はプロジェクトベースのものだったと語っている。

「私が所属するメインのギャラリーでの活動を補完することが目的でした。複数の窓口と良好な関係を築くことが、より生産的であり、また、より効果的である場合が多いと思います。自分の可能性が広がりますから。とはいえ、全てが私の活動の中心であるスタジオでの制作を支えるためのものであることが大前提です」

行きすぎた商業化からアーティストを守れ!

アーティストのスタジオでの制作を支援することは、新たに登場したエージェントたちが共通して掲げている目標だ。今年初めにヴァレリア・サボ・ファキンがロンドンで立ち上げたスタジオ・エクスパンデッドもその1つで、同エージェンシーは10月3日からロンドンのグレートレックス・ストリートを会場に、2019年フリーズ・アーティスト・アワードの受賞者、ヒマリ・シン・ソインの展覧会を開いている。ファキンはUS版ARTnewsの取材に対し、アートディーラーと見られても構わないと述べ、タイシャーとは異なる姿勢を示した。

「私は自分のビジネスを従来のエージェントと同じものだとは思っていません。むしろ、レオ・カステリ(1957年にニューヨークでギャラリーを開き、名だたる現代アートの作家たちを育てた)のビジネスモデルにおけるインキュベーター的な立場だと考えています。単なるエージェントやマネージャーではなく、時間をかけてアーティストを理解し、戦略を立て、庇護し、彼らが成功するためのパートナーシップを築くのが私たちの役割です。それによってギャラリーも成功し、コレクターや美術館も満足するようなパートナーシップです」

スタジオ・エクスパンデッドを設立する前、ファキンはニコレッタ・フィオルッチ財団の創設ディレクターを務めていたが、同財団ではアーティストのスタジオから作品を直接購入することもあったという。そうするうちに、アーティストたちから「エージェントを務めてほしい」、「美術館の複雑な構造を理解する手助けをしてほしい」、あるいは「ギャラリーを開いてほしい」と言われるようになった。

「そこで気づいたのは、美術館に認められるようになったアーティストたちが、アート界における市場の支配力に懸念を示していることでした。彼らが特に不安に思っているのは、商業的になりすぎること、制作する作品数の過剰あるいは不足、そして美術史的な価値を重視するキュレーターやコレクターの支持を失うことです」

アート市場の巨大化とギャラリーの課題

ファキンは、アーティストとリテイナー契約を結んだうえで、特定のプロジェクトについては報酬を上乗せしている。ただし、アーティストがキャリアのどの段階にあるかによって、細かな取り決めは変更されうるという合意に基づいているという。彼女はまた、エージェントとして果たしている役割を、1970年代のアートディーラーに近いものだと考えている。当時のギャラリーは小規模だったことから、個々のアーティストをより手厚く育成することが可能だったとファキンは振り返り、こう語った。

「現在は市場が巨大化し、競争が激化しているので、アーティストの長期的なキャリア形成にあまり時間を割けない状況に置かれているギャラリーが多いと思います」

どのアートディーラーに尋ねても、この分析に異を唱える人はいないはずだ。最近のギャラリーは、家賃が高騰し、セカンダリー市場が不安定な状況にある中で、年間10回ほどの展覧会を開き、一年中どこかで開かれているアートフェアに参加するという過酷なスケジュールをこなさなければならない。スタッフは、インセンティブも大きければプレッシャーも大きいという現実に向かい合わねばならず、営業と短期的ノルマという大きな負担を背負わされている。

インディペンデント・アートフェアの創設者であり、元アートディーラーのエリザベス・ディーはこう語る。

「今のギャラリーには、やりたくでもできなくなってしまった仕事がいくつかあります。悲しいことに、美術館に働きかけて展覧会開催や所蔵を実現するのもその1つ。そうしたプロジェクトはリードタイムが長く、膨大な時間と労力、リサーチを必要とするものです。しかし、ギャラリーの数が大幅に増加し、マーケットの規模が大きくなった現在の構造を考えると、そうした活動にはかなりの困難が伴います」

アート界の現状や将来に疑問を持つ関係者もいる。ニューヨークの大手ギャラリーで働くシニアセールスディレクターは、自分や同僚がこの業界に入ったのはコレクターのプライベートジェットで飛び回るためではなく、アーティストと密接に仕事をするためだと語った。

「私がこの新しいビジネスモデルに不信感を抱くのは、ギャラリーがアーティストと深い関わりを持ちたがらないという前提に立っているからです。ギャラリーがアーティストと直接やりとりするのではなく、むしろ仲介者を通しての取引を望むなんて本当にばかげています。アーティストとの関わりが、この仕事の醍醐味なのですから。アーティストと現場で一緒に働き、意思決定を助け、ともにキャリアを築いていくことこそが私を高揚させてくれるのです。エージェントが必要だとアーティストが考えているとしたら、本当に必要なのは何か分かりますか? 新しいギャラリーに移ることです」

ハリウッドの大手エージェンシー、CAAの設立に協力した著名コレクターのオーヴィッツも慎重な見方をしている。

「この新しいビジネスモデルが機能する可能性もありますが、個人的にはギャラリースペースがなければアーティストを扱うことはできないと考えています」

オーヴィッツによると、グラッドストーン・ギャラリー創業者で今年6月に亡くなったバーバラ・グラッドストーンや、ペースギャラリーを創設したアーネ・グリムシャーのような一流のディーラーは、「アートビジネスを食べ、生き、呼吸しているようだった」という。そうした先達を見てきた彼からすると、アーティストのキャリア形成を徹底的に支援するには、ロサンゼルスのエージェントはアート界の動きや美術館との距離がありすぎるようだ。

「これまでのシステムを変えられるとしたら、可能性があるのはニューヨークを拠点とする新しいエージェントの誰かだと思います」(翻訳:清水玲奈)

US版ARTnews編集部注:本記事の内容は、最新のアート市場動向やその周辺情報をお届けするUS版ARTnewsのニュースレター、「On Balance」(毎週水曜配信)から転載したもの。登録はこちらから。

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