キャリア1年目の作家も完売!? 27歳の気鋭ギャラリストに聞く、競争激しいNYで成功を収める秘訣
無数のアーティストやギャラリストがしのぎを削るニューヨークで、新しい才能を発掘し、次々と完売作家を生み出している気鋭のギャラリーがある。「テディベア」と呼ばれる親しみやすさの奥に、アーティストを支える熱い情熱を秘めた若きギャラリーオーナーに取材した。
キャリア1年目で瞬く間に完売
「みんなが私にお金をくれたがるんです。だから『オーケー!』と答えます」
今年5月、ニューヨークでグラタン・ギャラリーを立ち上げたタラル・アビラマを取材したとき、彼は北京ダックとセサミヌードルを食べながらそう笑った。最初はなんだかユルすぎるように感じたが、話をするうちだんだんと、コレクターやアーティストを惹きつけるのはこうした気軽なノリなのだと分かってきた。
グラタン・ギャラリー設立からわずか2年で名の知れたギャラリストになったアビラマは、現在27歳。つい最近、注目アーティストを扱うことで有名な47キャナルがソーホーへ移転した後のスペース(チャイナタウンのグランド・ストリート)を引き継いだ。無名だが才能ある作家を次々ブレイクさせると評判のアビラマのもとには、彼と組みたい若いアーティストたちが集まってくる。新進アーティストにとってグラタンは、おとぎ話で主人公の窮地を救う妖精のような存在と言えそうだ。
アビラマに話を聞いたのは、5月にエリーゼ・グエン・クオックの個展が始まった数日後だった。フランス生まれのグエン・クオックは、この展覧会でグレーを基調とした絵画9点を発表したが、当初グラタンが自分の作品に合うかどうか、確信が持てなかったという。
「グラタンの計画を見たとき、最高とまではいかないけれど及第点と思いました」
グエン・クオックがこう言うと、アビラマは苦笑したが、彼女は構わずこう続けた。
「でも、驚いたことに作品は完売しました。フランスではこんなことはありえません。せいぜい、オープニングの後に数点売れるかどうか。しかも、グラタンにはキャンセル待ちのウェイティングリストまでできて、信じられないくらいの長さになっています」
個展開催時のグエン・クオックは、2023年にパリ国立高等美術学校で修士課程を終えてからまだ1年も経っていなかった。これほど短期間で彼女を完売作家の仲間入りさせたのは素晴らしい手腕だが、アビラマにとってはさほど珍しいことではない。
アビラマの自己分析によれば、彼はコレクターたちから「感じがよくて親しみやすい」と思われていて(親しい顧客は彼のことを「テディベア」と呼ぶ)、アートについての優れた鑑識眼と、才能を見抜く直感力が高く評価されているという。アラビマにかかると、まるでそれがとても簡単なことであるかのように聞こえるから不思議だ。
家業を継がず、アートディーラーの道へ
レバノンの首都ベイルートで生まれ育ったアビラマには、長年コレクションを続けている家族がいるが、この点について彼はごく控えめな物言いをする。
「家族はとても保守的で、ウォーホルやバスキアといった大物アーティストが好きなんです。イタリアのアーティストも何人か収集していました」
しかし、これは謙遜しすぎだ。実際、アビラマの家族はリチャード・セラ、ルイーズ・ブルジョワ、ジョン・バルデッサリ、草間彌生など、世界有数のコレクションを所有している。彼は家族がどのように財産を築いたのかについても多くを語らず、こう言葉を濁す。
「父はアフリカや中東で事業をしています。日本にも会社があります」
アビラマの父親とその兄弟が経営するアル・アミール・ホールディングスは、創業100年近い老舗企業だ。レバノンで車体製造会社を創業したのが始まりで、現在は不動産業、建築業、製造業をグローバルに展開している。
美術品に囲まれて育ったアビラマに特に大きな影響を与えたのは、彼を美術館へとたびたび連れ出した祖父だった。そんな彼とて、最初はビジネスマンへの道を歩むべく18歳でベイルートを離れ、ロンドンで短期間過ごした後、ボストンのノースイースタン大学に進学。家族は一族の事業経営に加わることを期待して、彼に大学でビジネスを学ばせた。ところがアビラマは、ほぼ毎週末ニューヨークを訪れて展覧会を鑑賞し、アートディーラーやコレクター、アーティストとの交友を深めていく。
アートの取引を始めたのは19歳になった頃で、最初に売ったのはスターリング・ルビーの作品、値段は30万ドル(現在の為替レートで約4500万円)だったいう。その売上でまた作品を購入し、やがて毎週新しい作品を買うのが習慣化していった。さらに、ニューヨークとスイスのサンモリッツに拠点を置くギャラリー、ヴィト・シュナーベルで働き、作品を販売し、新しい才能を発掘するようになるまで、さほど時間はかからなかった。ちなみに、アビラマ家はヴィト・シュナーベルの入っているビルを所有している。
急速に評価を確立してきたグラタン・ギャラリーだが、これまでに少なくとも一度、アビラマのやり方に否定的な目が向けられたことがある。それは2022年、アートネット・ニュースが、アビラマが作品代金を期日までに支払わなかったと報じた一件だ。記事では、すでに廃業したニューヨークのマザー・ギャラリーの元ディーラーが、アビラマの取引破棄についてSNSに投稿したところ、彼が「脅すような態度」を取ったとしている。アビラマはアートネット・ニュースに対し、ディーラーを見下すような発言をした事実はないと否定。同ギャラリーのディーラーが支払いについて強引だったため、売買をキャンセルしたと説明している。なお、この記事についてのコメントは断られた。
「自分は特別な存在だと感じてもらいたい」
アビラマが自分のギャラリーを立ち上げ、ニューヨークで各国の若手アーティストを紹介する独自のプログラムを実行するべき時が来たと決断したのは、コロナ禍の時期だった。彼は、デロイトで企業の下っ端社員として安月給で働いていた幼なじみのタレック・ハラウイに声をかけ、共同でギャラリーを設立。ギャラリーの初期スタッフには、アビラマの右腕となったハラウイのほか、ニューヨークの著名ディーラー、メアリー・ブーンとマイケル・ウェルナーの息子、マックス・ウェルナーもいた。マックスは後にグラタン・ギャラリーを離れたが、アビラマとは今でも良好な関係を保っている。
現在、ギャラリーには7カ国出身の7人のアーティストが所属しており、そのうち6人は画家だ。残りの1人は写真家のジアド・アンターだが、アンターは2014年にニューミュージアムで開催されたアラブ美術の展覧会に参加して以来、ニューヨークでの展示はほとんどない。アビラマは、どのアーティストを迎え入れるかを決める際、何よりも重要な基準は、長期的に良好な関係を築けるかどうかだと話す。
「売れ行きが良くても悪くても、同じアーティストと今後40年間一緒に仕事をしていきたいのです」
ギャラリーがアーティストとともに成長していくとすれば、アーティストの数を絞ることが必要だ。アビラマは、アーティストのマネジメントに対する自身の姿勢についてこう説明する。
「アーティストに自分が特別な存在だと感じてもらいたいのです。特別だと感じてもらうことで、その作家から最高のものを引き出せます。それに、家賃や光熱費のことなど考えずに、作品のことだけを考えてもらいたい。私はアーティストの立場になって、彼らが何を望んでいるかを考え、彼らのために働きます。ヨーロッパで展示がしたい? なら手配しましょう。もっと大きな作品を展示できる場所が欲しい? 新しいギャラリーは以前の3倍の広さがありますよ、といった具合です」
こうしたアビラマの意欲は、その財産と人脈に支えられている部分があるにせよ、アート界の有力者たちから高く評価されている。その1人、クリスティーズの元現代美術部門責任者で、現在はオークション・プラットフォームのフェア・ウォーニングを運営するロイック・ガウザーはこう言った。
「彼の原動力はお金ではなく、自らの情熱です。だからこそ、彼は大成功を収めるでしょう」
お金のことを気にしないでいるには、お金持ちである必要があるのでは? そう聞くと、ガウザーはいら立ちを隠しきれない様子でこう返した。
「資金力があるのに何もしない人もいます。そんなことは要因になりません。何かを実現する人と、そうでない人がいるだけです」
では、「何かを実現する人」になるには、どんなことが必要なのだろうか? グラタンが抱える唯一のアメリカ出身アーティスト、ロレンツォ・アモスは、アビラマの技量についてこう考えている。
「アビラマは夢想家ではないけれど、ちょっとだけ妄想癖があります。でも、彼は常に夢とのギャップを埋めることに成功しています」
所属作家は大手ギャラリーの勧誘にも興味なし
現在アモスは、イーストビレッジにあるグラタンの元のギャラリースペースを臨時のスタジオとして使い、新ギャラリーで行われる初個展の準備をしている。彼はまだ22歳で、正式な美術教育を受けておらず、子どもの頃から住んでいる賃貸アパートでカーペットに寝ころび、ソファで酒を飲み、筆をぬぐう場所でもある壁にもたれながら友人たちをモデルに絵を描いてきた。アート界ではあまりないケースなのはアモスも分かっているが、アビラマは彼のような実績のないアーティストを快く受け入れている。もしかしたら、アビラマがアーティストたちにもたらす最も大きな恩恵は、経験不足のアーティストを励ますことかもしれない。アモスはアビラマについてこう語った。
「ここだけの話、自分は大げさでわがままな人間です。でも彼はとても辛抱強く、私が特別で、優れていて、すばらしいアーティストだと思わせてくれるんです」
現在グラタンで個展を開催中のクリストフ・マテスも、アビラマからコンタクトがあった当時はアーティストとしてのスタートを切ったばかりだった。美術修士号取得後の数年間は鳴かず飛ばずで、同世代のアーティストたちが個展を開いたりギャラリーと契約したりするのを横目で眺めるだけだったという。パンクバンドにベーシストとして参加しながら作品を作り、信念を貫こうと奮闘していたマテスは、アビラマに出会ったことで光り輝く幸運を手に入れた。その関係についてマテスはこう明かす。
「彼が私のためにどれだけ頑張ってくれているか、よく分かります。だからやる気が湧いてくるのです」
マテスの個展オープニングでのアビラマの仕事ぶりは、多くのことを教えてくれた。アビラマの周りに集まったアートファンたちは若く、国際色豊かで、フランス語とスペイン語が飛び交っていた(ギャラリーの第二公用語はフランス語で、アビラマとディレクターのアンドレア・トリリア・デ・アルトラギーレはどちらもフランス語が堪能)。来場者にテキーラが振る舞われる中、アビラマはいつも通りスーツも高級品も身に着けず、Tシャツ姿で来場者同士を引き合わせるのに忙しくしていた。
しかし、この夜の本当のイベントは、その後アビラマの家で行われたアフターパーティーだった。リビングルームとテラスの間をタバコを吸いながら行き来しているゲストがいたので、私は白いカーペットに灰が落ちやしないか、ついつい心配してしまった。壁にはアリス・ニールの絵が飾られ、ダイニングテーブルのそばにはポール・マッカーシーの巨大なピンクの彫刻が置かれている。テラスのバーテンダーやキッチンのシェフたちが忙しく動き回る中、ハラウイはスマートフォンのSpotifyアプリを使ってDJをし、マテスはガールフレンドのそばから離れない。そうこうするうちに、ウニやパスタ、ステーキのおかわりを求める列ができていた。アビラマが「ニューヨークで最高の料理だ」と言って私にウィンクする。その言葉に間違いはなかった。
個展の作品が完売するのに時間はかからなかった。アビラマによると、「多くの大手ギャラリー」がマテスと契約したいと名乗りを挙げたという。グエン・クオックやアモスも、グラタンで展覧会を開いた後に同じことが起きたが、移籍を選んだアーティストは1人もいない。彼らは他のディーラーからのメッセージをアビラマに転送しただけで、その後もグラタンとの契約を継続している。それはなぜか。アビラマはこう説明する。
「私はいつも、ほかの誰よりもアーティストのことを大切にしていると思っています。私はアーティストたちを失望させるわけにはいかないし、彼らも私を失望させるわけにいかないのです。それに、毎日作家たちと話しをするようにしているので、もしうちのギャラリーを離れるようなことになれば、彼らは『アビラマロス』に陥るでしょう」(翻訳:清水玲奈)
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