ロンドンの「肖像画だけの美術館」がリニューアルオープン! 大規模改修後のエンタメ性あふれる見どころをリポート
ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーが、大幅な改装を経て、6月下旬にリニューアルオープンした。75億円をかけた改修・展示替えの特徴や意義をリポートする。
改修で加わった新たなコレクションや委託作品は?
リニューアルオープン後のナショナル・ポートレート・ギャラリー(以下、NPG)は、かつて行き慣れていた人ほど戸惑うかもしれない。新しくエントランスになったのは、ヴィクトリア朝時代の舞台俳優ヘンリー・アーヴィングの堂々たる像が目印のロス・プレイスで、かつて入口だったセント・マーティンズ・プレイスが出口になっているからだ。新しいエントランスには、3つのガラス戸に代わって3枚のドアが設けられている。ドアの制作は、イギリスを代表する現代アーティストの1人、トレイシー・エミンに委託され、「すべての時代のすべての女性」の肖像を描いた45のブロンズレリーフが並んでいる。
イギリスでグレード1の歴史建造物に指定されているNPGが全面改修されるのは、1896年に現在の場所に移転して以来初めてのこと。イギリス国内外でアートスペースの設計・改築に実績のあるジェイミー・フォバート・アーキテクツとパーセル・アーキテクツの共同プロジェクトとして行われた今回の改修には、3年の歳月と4130万ポンド(約75億円)の費用がかけられた。東棟1階のテラゾー(*1)の床など、以前は公開されていなかった部分を中心に修復が行われたほか、多数の窓を新設して自然光を採り入れ、今の時代のロンドンにふさわしい美術館に生まれ変わっている。新しい屋上レストランも加わり、今回の改築で館内の一般公開されているスペースは約20%拡大した。
*1 大理石や花崗岩などの砕石をセメントや樹脂に混ぜて固め、なめらかに磨いて大理石のような模様に仕上げた人造石。
建物の改修に伴い、大規模な展示替えも行われた。これまでにも美術館などの展示デザインを手掛けているニッセン・リチャーズ・スタジオが、世界最大の肖像画コレクションを誇るNPGのキュレーター・チームと協力して展示スペースの設計を一新。展示作品は30%ほど増えているが、従来通り年代順の展示が軸になっており、最上階の4階から順に下へ降りていく形になる。ちなみに、NPGは中世から現代に至るまで、1100点あまりの作品を所蔵している。
このように一応順路は設定されてはいるが、もちろん展示室を思いのままに見て回るのもいい。館内をぶらぶらと歩くだけでも、有名な肖像画が目に入るはずだ。たとえば、ジョン・テイラー作とされる有名なウィリアム・シェイクスピアの肖像画(1600-1610年頃)は、1856年にNPGが初めて購入したもの。部屋の真ん中に飾られているわけでも、ほかの絵とは違う色の壁に飾られているわけでもないので簡単に見逃してしまいそうになるが、制作から400年以上経った今でも不思議な磁力がある。
チケット売り場のすぐ先、以前は非公開だったヴィクトリア朝のテラゾーのある部屋を使った展示室では、「History Makers Now(今の歴史の作り手たち)」というタイトルの下、NPGのコレクションに新たに加わった作品を集めている。
ここにあるマイケル・アーミテージのタペストリーは、「コロナ危機で活躍した影のヒーローであるエッセンシャルワーカーたち」を称える「Everyday Heroes(エブリデイヒーローズ)」プロジェクトの一環として、総合文化施設サウスバンク・センター(ロンドン)の委託で制作された作品だ。
また、ジャン・ハワースとリバティ・ブレイクの共同制作で、影響力のあるイギリス人女性を描いた大型の群像画もある。作家のヴァージニア・ウルフ、コメディアンで俳優のドーン・フレンチ、モデルのケイト・モス、アカデミー賞受賞俳優のオリビア・コールマン、チェロ奏者のジャクリーヌ・デュ・プレらを描いたこの作品は、NPGの理事会による委託制作で、シャネル・カルチャー・ファンドが後援している。
このほかにも、コリン・デイヴィッドソンによるミュージシャンのエド・シーランの内省的な肖像画、ジェイミー・コレスによる新皇太子夫妻の公式肖像画など、この展示室には来館者にもなじみのある今の時代を象徴する面々の絵が多い。こうした新しい作品は、NPGのコレクション全体への関心を呼び起こす重要な役割を負っている。
多様性や包摂など現在の社会環境を反映
館内のそこかしこで、リニューアルによるさりげない変化を感じさせる展示に出合えるのもうれしい。ロビーには、ネルソン・マンデラ、詩人のフェリシア・ドロテア・ヘマンズらの胸像や習作に加えて、トーマス・J・プライスによるブロンズ彫刻《Reaching Out》(2021)が置かれている。スマートフォンの画面をスクロールしながら見ているこの黒人女性の彫像は、プライスを扱うギャラリー、ハウザー&ワースが貸し出したものだ。
これは、NPGの常設コレクションに欠けている要素を埋める努力の一環で、館内にはほかにも貸し出しを受けた作品が多数展示されている。たとえば、チューダー朝の作品展示の冒頭を飾るのは、15世紀後半にマーガレット・ボーフォート伯爵夫人を描いた中で唯一の全身像で、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジから貸し出されている。また、マーガレット・サラ・カーペンターによるエイダ・ラブレス(*2)の肖像(1836)は、イギリス政府所蔵のアートコレクションから貸し出されたものだ。
*2 世界初のプログラマーとして知られる19世紀イギリスの貴族・数学者。
NPG自体も、社会の変化を反映するための努力を行っている。今回の展示替えでは、20世紀と21世紀の展示室にある肖像画の約48%が女性アーティストによるもので、リニューアル前の35%から比率が上がっている。また、2020年以降の新規取得作品には、黒人女性画家として初めて所蔵されるエヴリン・ニコデマスの1982年制作の自画像がある。さらに、手足がない状態で生まれ、独学で裁縫や筆記をこなし、口を使って絵を描いた画家、サラ・ビフィンによる1820年頃の細密画の自画像が加わったことも、作品の多様性を広げる努力の一環だ。
17世紀美術担当のキュレーター、キャサリン・マクラウドは、「これまでとは違う光を所蔵作品に当て、よりインクルーシブな展示を実現することで、来館者の層を広げたい」と期待を寄せる。
18世紀と現代の作品を並べて展示するなど、時代を超えた関連付けもあちこちで見られる。写真の台頭以前に、安価に自分の肖像を制作する方法として人気があったシルエットを集めた展示室もその1つだ。1770年から今日に至るまで、絶え間なく発展してきたシルエットをたどるセクションには、さまざまな時代の銅版画、絵画、切り絵、写真が展示されているほか、ティム・ノーブルとスー・ウェブスターによる動物のはく製を組み合わせたアッサンブラージュ(*3)が置かれている。このアッサンブラージュに照明を当てると、『VOGUE』などで活躍した伝説のファッションスタイリスト、イザベラ・ブロウの影が壁に映し出されるという仕組みで、華やかな効果を生んでいる。
*3 さまざまな物体(日用品、工業製品、廃品など)を寄せ集めて作られた芸術作品やその手法。
もう1つの大きな変化が、以前は通常展示されていなかった紙の作品が常設展示に含まれるようになったことだ。これは、所蔵作品の全体像を提示するうえで重要な進歩だと言える。さらに、展示作品の説明テキストを刷新したほか、新しい視聴覚コンテンツも追加された。たとえば、チューダー朝の小さなパネル絵画を制作するための手間のかかるプロセスを説明するビデオや、ジョージ・ヘイター卿による《The House of Commons》(1833)に描かれた議事堂内の全人物(前景に描かれている画家自身を含む)を特定できるタッチスクリーンなどだ。
新しいNPGは、広々として明るい展示室をうまく使い、年代別とテーマ別の作品分類をバランスよく織り交ぜながら全体をまとめている。2023年にふさわしく生まれ変わった展示を見て回るのは、とても楽しい体験になるだろう。(翻訳:清水玲奈)
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