美術史に残るアメリカのフェミニスト・アート30選。19世紀から現代に至る女性アーティストたちの歩み

金沢21世紀美術館の「フェミニズムズ / FEMINISMS」展(2021年秋〜22年春)や、東京国立近代美術館が2024年秋と2025年春に実施した「フェミニズムと映像表現」展など、近年、日本でもフェミニズムをテーマに掲げた展覧会を目にすることが増えている。これらは1960年代以降のフェミニスト・アートが中心だが、フェミニズム運動に関連したアート作品の誕生は19世紀後半にまで遡る。ここでは、アメリカにおける30の代表作を紹介する。

Photocollage by Daniela Hritcu.

昨年3月にUS版ARTnewsは、参政権など女性の法的権利獲得を目指した19世紀の第一波フェミニズムから、複合的な差別・抑圧に目を向けるインターセクショナリティを踏まえた今日の運動に至るまで、さまざまな時代の象徴的なフェミニスト・アート作品を15点紹介した。しかし、それだけではこの分野の明確な論点を伝え切れたとは言えない。そこで、フェミニズムを力強く後押しする作品をさらに15点加え、合わせて30選として紹介する。

1. エドモニア・ルイス《The Death of Cleopatra(クレオパトラの死)》(1876)

エドモニア・ルイス《The Death of Cleopatra》(1876) Photo: Smithsonian American Art Museum

アメリカ先住民の血を引くアフリカ系アメリカ人の彫刻家、エドモニア・ルイスは、新古典主義のスタイルが流行し、古典や聖書、文学に関連する主題が好まれていた時代に活躍した作家だ。紀元前51年から紀元前30年にエジプトを治めた伝説的な女王クレオパトラを主題とする美術作品の多くは、彼女が自殺について考えている場面を取り上げたものだ。しかしルイスが手がけたこの大理石の彫刻は、クレオパトラが蛇に噛まれて息を引き取った瞬間を捉えている。女王らしく正装し、堂々と正面を向いて玉座に身を預けたクレオパトラは、肘掛けの外に左手を垂らし、頭を横に傾けている。そして右手にはまだ、彼女が自殺に使ったコブラが握られている。

3トン近い重さのこの彫刻は、ルイスが手がけた作品の中でも非常に意欲的なもので、クレオパトラを自らの運命の決定者として描いている。それはまさに、ルイス自身が理想とした生き方だった。彼女は生涯を通じ、自らの生い立ちについて多くを語りたがらず、理想的な人生の物語を慎重に作り上げた。だが彼女の作品は、それ自体が有無を言わせぬ力を持っている。19世紀末、アメリカ美術の主流派に迎え入れられたルイスは、そこで認められた唯一の黒人女性となった。

ルイスの作風は、見るからにフェミニスト的ではないかもしれない。だが、彼女が同時代の女性たちと同様、1840年代に起こった第一波フェミニズムの恩恵を受け、女性の権利の信奉者だったことは確かだ。この頃アメリカでは、ヴァッサー大学などの女子大が設立されたほか、ルイスが通ったミシガン大学やオーバリン大学のように共学化する大学もあり、女性が高等教育を受けられるようになったという時代背景がある。

2. メアリー・カサット《The Reader(本を読む人)》(1877)

メアリー・カサット《The Reader》(1877) Photo: Crystal Bridges Museum of American Art, Bentonville, Arkansas

画家・版画家として活躍したメアリー・カサットは、19世紀のフェミニズム運動で「新しい女性」と呼ばれた女性たちを女性の視点から描いている。都市や自然の風景を描くことが多かった他の印象派の画家たちとは異なり、カサットの主なテーマは社交の場や私的な空間にいる女性像で、特に母親と子どもの絆に重点が置かれていた。

《The Reader(本を読む人)》では、白い肘掛け椅子に座った女性が大きな本を読んでいる。この絵が描かれる数十年前までは、女性が読書をして余暇を過ごすことはなかっただろう。19世紀以前には、教育を受けることができた女性はごく一部で、それも学ぶ場所は家庭や女性が運営するデイム・スクール(私塾)だった。公立学校が女子生徒に門戸を開放したのは20世紀になってからで、女子が小中学校や高校に通えるようになったものの、制限付きの場合も少なくなかったという。高度な訓練を受けて芸術家として成功を収め、一度も結婚しなかったカサット自身もまた、「新しい女性」を体現する存在だった。熱心に男女平等を訴えた彼女は、1860年代に女子学生も留学奨学金を受給できるよう友人たちと声を上げ、1910年代には女性参政権運動に参加している。

3. アリス・パイク・バーニー《Medusa(メドゥーサ)》(1892)、《Lucifer(ルシファー)》(1902)

アリス・パイク・バーニー《Medusa》(1892) Photo: Collection of the Smithsonian American Art Museum
アリス・パイク・バーニー《Medusa》(1892) Photo: Collection of the Smithsonian American Art Museum

芸術家を支援する裕福な家庭に生まれたアリス・パイク・バーニー(1857-1931)は、1882年に姉やオスカー・ワイルドとともにニューヨークのビーチで1日を過ごした。運命的とも言えるこの日にワイルドと交わした会話によって、彼女は芸術への向き合い方を変え、コレクターからアーティストに転身する。その5年後、彼女は夫の反対を押し切ってパリへ渡り、画家のカロリュス=デュランに師事した。19世紀後半、それまでより広く門戸が開かれつつあった女性の教育機会が、彼女にも恩恵を与えたのだ。

当時は依然として女性の作品は男性に劣ると見なされていたが、バーニーは挫けることなく、19世紀のフェミニズム運動における「新しい女性」を体現するかのように作品を作り続けた。彼女が頻繁に手がけたのが2人の娘の迫力ある肖像画で、そのうち《メデューサ(ローラ・ドレフュス・バーニー)》と《ルシファー(ナタリー・クリフォード・バーニー)》は、2人をそれぞれ作品名通りの人物として描いている。当時一般的だった柔らかく穏やかな女性像とは対照的に、絵の中の女性はいかにも強そうで、復讐心をむき出しにした怪物的な特徴が強調されている。これらの作品は、何世紀にもわたって女性に押し付けられてきたジェンダー規範を拒絶し、女性の感情の幅広さと真の能力を生き生きと表現することに重きを置いている。

4. メタ・ヴォー・ウォリック・フラー《In Memory of Mary Turner as a Silent Protest Against Mob Violence(暴徒に対する沈黙の抗議:メアリー・ターナーを偲んで)》(1919)

メタ・ヴォー・ウォリック・フラー《In Memory of Mary Turner as a Silent Protest Against Mob Violence》(1919) Photo: Collection of the Museum of African American History, Boston and Nantucket
メタ・ヴォー・ウォリック・フラー《In Memory of Mary Turner as a Silent Protest Against Mob Violence》(1919) Photo: Collection of the Museum of African American History, Boston and Nantucket

ハーレム・ルネサンス(*1)の重要人物であるメタ・ヴォー・ウォリック・フラー(1877-1968)は、アフリカ系アメリカ人の体験を表現したことで知られ、中でも女性に焦点を当てた作品が多かった。《In Memory of Mary Turner as a Silent Protest Against Mob Violence(暴徒に対する沈黙の抗議:メアリー・ターナーを偲んで)》という彫刻は、当時のアメリカにおいて黒人、とりわけ黒人女性に対する残虐な暴力行為がめずらしくなかったことを今に伝えている。

*1 1920年代から30年代半ばにかけてマンハッタンのハーレムで興隆したアフリカ系アメリカ人の文化運動。文学や演劇、音楽、視覚芸術など、多くの分野で人種的な誇りを掲げた作品が生まれた。

彩色した石膏による彫刻の女性は両腕に抱いた乳児を見下ろし、足元は炎に包まれている。この作品は、メアリー・ターナーという女性と胎内の赤ん坊が犠牲になった、極めて残忍なリンチ事件を受けて制作されたものだ。1918年5月18日に夫をリンチで殺害されたターナーは、それについて公然と抗議したため暴徒に捕らえられた。暴徒たちは彼女の足を縛って木から吊るし、ガソリンをかけて火を放っている。夫を殺した犯人に立ち向かったターナーの勇気を称えるフラーの彫刻は、アフリカ系アメリカ人作家がリンチの残虐性を表現した初期の作品の1つとなった。

5. ジョージア・オキーフ《Jimson Weed(チョウセンアサガオ)》(1936)

ジョージア・オキーフ《Jimson Weed》(1936) Photo: Collection of the Indianapolis Museum of Art at Newfields. Artwork copyright © 2025 Georgia O'Keeffe Museum/Artists Rights Society (ARS), New York

ジョージア・オキーフがフェミニズムと複雑な関係にあったことはよく知られている。彼女の絵は女性器を仄めかしていると一般に解釈され、同時代の人々からその表現を賞賛されていたが、オキーフ本人はこうした解釈に異議を唱えていた。彼女はまた、同時代のフェミニスト・アート運動や「女性だけ」のプロジェクトへの参加も拒否していた。一方で彼女が当時の女性アーティストを熱心に擁護していたことも事実で、1960年代から70年代にかけてのフェミニスト・アート運動への道を開いたのは彼女だったとの指摘も多い。

リネン地を支持体としたこの油彩画には、有毒植物のチョウセンアサガオ(悪魔のラッパとも言われる)が描かれている。風ぐるまの形をした4輪の花と、それらを囲む緑の葉の間には、うねるような青色の抽象的な背景がある。化粧品会社の経営者、エリザベス・アーデンの依頼で制作されたこの作品は、オキーフが手がけた花の絵の中で最大のものだ。これに先立って、同じモチーフを描いた《Jimson Weed/White Flower No.1(チョウセンアサガオ/白い花 No.1)》(1932)という作品もある。アメリカで初めて1人の女性アーティストに特化した美術館として開館したジョージア・オキーフ美術館が、2014年にその作品をオークションに出品したときの落札額は4440万5千ドル(当時のレートで約52億2000万円)にのぼり、それまでの女性アーティスト作品の最高額の3倍以上で記録を更新した。

6. ロイス・メイロウ・ジョーンズ《自画像》(1940)

ロイス・メイロウ・ジョーンズ《自画像》(1940) Photo: Collection of the Smithsonian American Art Museum
ロイス・メイロウ・ジョーンズ《自画像》(1940) Photo: Collection of the Smithsonian American Art Museum

ヨーロッパやアフリカ、カリブ海の各地を旅したロイス・メイロウ・ジョーンズ(1905-1998)は、多種多様な作風で数多くの作品を生み出したが、それら全ての根幹には彼女自身のルーツがあるアフリカと、アメリカの先祖たちの存在があった。カゼイン絵の具で板材に描かれた《自画像》(1940)には、旅先の各地でジョーンズの人生に影響を与えた事象がモチーフとして取り入れられている。そして、それらと深く絡み合うかのように、彼女が自分をどう認識していたのか、さらには他者からどう見られたいと思っていたかが反映されている。

絵の中にはカンバスに向かって座り、鑑賞者をまっすぐ見つめるタフそうな女性がいる。彼女は青いブレザーの下に赤いシャツを着て、髪は短く刈られている。後方に描かれた2体のアフリカ彫刻は、祖先が住んでいた大陸と彼女自身のアイデンティティを結びつけるものだ。また、背後にリンゴが入ったボウルのようなものが見えるが、これをポール・セザンヌの《Les pommes vertes(青リンゴ)》(1872-73)の引用だと解釈し、ジョーンズが駆け出しの画家だった1937年にフランスに滞在していたことへの言及ではないか指摘する向きもある。ハーレム・ルネサンスと結びつけられることが多いジョーンズだが、この自画像ではごくシンプルに、その時代に独自の立場を確立した芸術家として自分自身を描いている。

7. オノ・ヨーコ《カット・ピース》(1965)

《カット・ピース》を上演中のオノ・ヨーコ。ニューヨークのカーネギー・リサイタル・ホールで1965年3月21日に開かれた「New Works of Yoko Ono」より。Photo: Film by David and Albert Maysles. Artwork copyright © Yoko Ono

参加型パフォーマンス《カット・ピース》は、フェミニスト・アート運動の最初期に作られた作品の1つ。1960年代の前衛芸術集団フルクサスにも参加していたアーティストのオノ・ヨーコが、1964年にこの作品を初演したのは京都の山一ホールだった。オノは自身が書いた指示書(彼女はそれを作品の「イベントスコア」と呼んでいる)に従ってステージ上に座り、目の前にハサミを置いて、観客に1人ずつ壇上に上がり、服の一部を切り取って持ち帰るよう呼びかけた。

このパフォーマンスは幅広い解釈が可能で、物質主義やジェンダー、階級や記憶から文化的アイデンティティに至るまで、多岐にわたるテーマを扱っていると理解されてきた。オノ自身は《カット・ピース》の着想源として、釈迦の前生譚である「ジャータカ」の物語の1つを挙げている。それは釈迦の前世である王子が、飢えた虎とその7匹の子のために自分の身を捧げるというものだ。この物語についてオノは、究極の施しであり、自己犠牲だとしている。

また、《カット・ピース》の観客を「加害者男性」に、オノを「被害者女性」に見立て、このパフォーマンスは身体が潜在的に暴力の場となり得ることを表しているのだと捉える人も多い。この解釈によるとオノの身体は、詮索的で暴力的な男性のまなざしにさらされる全ての女性の身体を象徴していると考えられる。《カット・ピース》は現在、フェミニスト・アートの先駆けとなる象徴的な作品として広く認められている。しかしオノ自身は、こうした解釈についてどう思うかと尋ねられたとき、作品を構想した時点では「フェミニズム的な考えは一切なかった」と答えている。

8. エリザベス・キャトレット《Political Prisoner(政治犯)》(1971)

エリザベス・キャトレット《Political Prisoner》(1971) Photo: New York Public Library. Artwork copyright © 2025 Mora-Catlett Family/Licensed by VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York

人権活動家アンジェラ・デイヴィスの不当逮捕とその後の無罪判決に触発され、エリザベス・キャトレットが杉の木で制作した《Political Prisoner(政治犯)》は、180センチほどもある背の高い女性の彫刻だ。背中の後ろで両手に手錠をかけられ(片手を開き、もう片方は拳を握っている)、空を見つめている女性像の胴体は、汎アフリカ主義と黒人解放運動の旗を表す赤、黒、緑の3色の塗料で彩られている。

黒人女性として初めてアイオワ大学で美術の修士号を得たキャトレットは、アフリカ系アメリカ人女性である自身の人生に焦点を当てた作品で知られる。《Political Prisoner》は特定の事件から着想しているものの、世界中の全ての政治犯を象徴していると彼女は強調していた。キャトレットによると、制作の一番の目的は純粋な美学の表現ではなく、社会的なメッセージの伝達だという。《Political Prisoner》はまさに、この言葉を体現した作品だと言える。

9. フェイス・リンゴールド《For the Women's House(ウィメンズ・ハウスのために)》(1971)

フェイス・リンゴールド《For the Women's House》(1971) Photo: Collection of the NYC Department of Correction, on loan to the Brooklyn Museum. Artwork copyright © 2026 Anyone Can Fly Foundation/Artists Rights Society (ARS), New York. Photo: Courtesy of the Brooklyn Museum
フェイス・リンゴールド《For the Women's House》(1971) Photo: Collection of the NYC Department of Correction, on loan to the Brooklyn Museum. Artwork copyright © 2026 Anyone Can Fly Foundation/Artists Rights Society (ARS), New York. Photo: Courtesy of the Brooklyn Museum

アーティスト、教育者、作家、そしてアクティビストとして幅広く活躍したフェイス・リングゴールド(1930-2024)は、1971年にクリエイティブ・アーティスト・パブリック・サービス・プログラムで得た助成金を、社会変革を推進するために活用したいと考えた。彼女が構想したのは、マンハッタンにある女性刑務所「ウィメンズ・ハウス・オブ・ディテンション」のための壁画制作だった。ここは劣悪な環境で悪名高いだけでなく、人の目につきやすい施設でもあった。受刑者が鉄格子の入った窓越しに外の人たちに話しかける様子が頻繁に見られ、女性の収監を象徴する光景となっていたからだ。

この壁画を制作するにあたり、リンゴールドは受刑者の女性たちに取材し、釈放後にどのような生活を夢見ているのか尋ねている。だが、ほどなくこの施設の閉鎖が決まり、壁画はライカーズ島の女性矯正施設に描かれることになった。そして1972年1月、閉鎖された刑務所へのオマージュとしてその名を作品タイトルとした壁画の除幕式がライカーズ島で行われ、困難に屈しない女性たちの未来を象徴する記念碑となった。

8つに区分けされた壁画の各部分に描かれているのは、当時女性には就職が難しかった分野で活躍するさまざまな年齢の女性たちだ。そこには医師や人気プロバスケットボールチーム「ニューヨーク・ニックス」の選手、黒人女性のアメリカ大統領、白人女性のバス運転手などの姿がある。ある受刑者は出所までの時間を「長い道のり」だと表現したが、リンゴールドがこの壁画で描きたかったのは、そうした収監生活の終わりにあるものだけではなかった。アーティスト・ステートメントの中で彼女は、この作品の目的は「これまで女性が排除されてきた分野で働く女性たちを描くことで、女性の自己認識を広げること……そして女性の普遍性を示すこと」にあると述べている。

10. メアリー・ベス・エデルソン《Some Living American Women Artists/Last Supper(存命のアメリカ人女性アーティストたち/最後の晩餐)》(1972)

メアリー・ベス・エデルソン《Some Living American Women Artists/Last Supper》(1972) Photo: Digital image copyright © The Museum of Modern Art/Licensed by Scala/Art Resource New York. Artwork copyright © the Estate of Mary Beth Edelson, courtesy of the Estate of Mary Beth Edelson and Accola Griefen Fine Art

レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を引用したこのコラージュで、メアリー・ベス・エデルソンは、イエスとその弟子たちの顔の上に、ジョージア・オキーフ、リンダ・ベングリス、オノ・ヨーコ、エレイン・デ・クーニングなど、同時代の女性アーティストの顔を貼り付けている。それを囲むようにして、フェイス・リンゴールド、アグネス・マーティン、草間彌生、アリス・ニールなど、さらに多くの女性アーティストの顔が並ぶ。エデルソンはアーティストステートメントの中で、この顔写真の「額縁」について次のように書いている。「見つけられる限りの女性アーティストの写真を使いました。82枚ある写真のほとんどは本人からもらったものです」

エデルソンによると、コラージュの意図は「当時ほとんど注目されていなかった女性アーティストの1人1人に光を当てて称えること、そして、権力や権威ある地位から女性を排除する家父長制を茶化しつつ、女性たちを壮大な主題として提示する」ことだった。イエスの位置にオキーフが描かれているほかは、全員がランダムに配置されている。また、女性同士の連帯を示すため、裏切り者のユダ役はいない。

このコラージュはポスターとして複製され、写真が使われたアーティスト全員に贈られている。また、女性センターやカンファレンスなどでも配布され、フェミニスト・アート運動初期の地下出版物にも掲載された。オキーフは、ニューメキシコのスタジオを訪れた人々にこのポスターを贈るのが好きだったそうだ。「彼女は作品を面白がり、喜んでくれました」とエデルソンは書いている。

11. ベティ・サール《The Liberation of Aunt Jemima(ジェマイマおばさんの解放)》(1972)

ベティ・サール《The Liberation of Aunt Jemima》(1972) Photo: Collection of the Berkeley Art Museum and Pacific Film Archive (BAMPFA). Artwork copyright © Betye Saar, courtesy of the artist and Roberts Projects, Los Angeles. Photo: Benjamin. Blackwell
ベティ・サール《The Liberation of Aunt Jemima》(1972) Photo: Collection of the Berkeley Art Museum and Pacific Film Archive (BAMPFA). Artwork copyright © Betye Saar, courtesy of the artist and Roberts Projects, Los Angeles. Photo: Benjamin. Blackwell

ベティ・サール(1926- )が手がけたアッサンブラージュ作品《The Liberation of Aunt Jemima(ジェマイマおばさんの解放)》では、ガラス扉付きのケースに「ジェマイマおばさん」に似た人形が収められている。ジェマイマおばさんとは、2021年まで同じ名前のパンケーキミックスとシロップのパッケージを飾っていた差別的なイメージキャラクターで、黒人奴隷の女性をステレオタイプ化した「マミー」(*2)の典型とも言えるものだ。サールのジェマイマおばさんは、片手にほうきを、そしてもう片方の手にライフルを持っている。また、背景には彼女のポートレートがウォーホル風のポスターのように並び、手前には白人の子どもの面倒を見るマミーの絵葉書が描かれている。これについてサールは「奴隷制の下、黒人女性に対して行われたもう1つの搾取の形」だと書いている。

*2 マミーとは、アメリカ南部が舞台の物語などに出てくるステレオタイプ化された黒人女性で、白人家庭で働く大柄で優しい召使いとして描かれる。

1968年に牧師のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺されて以降、サールは明確な政治的メッセージを込めた作品を数多く制作したが、これはその初期のものだ。「黒人女性のエンパワーメントのために私は敢えてこの差別的な女性像を使い、彼女を革命家として描きました。奴隷として搾取されていた過去に抗っている姿を表現したのです」とサールは記している。この作品のジェマイマおばさんの描写は、アメリカで連綿と続いてきた人種差別からくる不適切なステレオタイプを糾弾するだけでなく、仲間たちに蜂起を呼びかけるメッセージにもなった。活動家で学者のアンジェラ・デイヴィスは、2007年の講演の中で、《The Liberation of Aunt Jemima》を黒人女性運動の端緒となった作品だと評している。

12. ジュディ・シカゴ他《Womanhouse(ウーマンハウス)》(1972)

Photo: Wikimedia Commons.

インスタレーションとパフォーマンスを合わせた画期的なアートプロジェクト、《Womanhouse(ウーマンハウス)》がロサンゼルスで行われたのは1972年。これは、ジュディ・シカゴがカリフォルニア州立大学フレズノ校で開設し、その後ミリアム・シャピロと共同でカリフォルニア芸術大学にも開設した初のフェミニスト・アート・プログラムの一部として企画されたものだ。当初フェミニスト・アート・プログラムはフレズノ校の新校舎に入る予定だったが、1971年の新学期が始まってもまだ建物が完成していなかった。スタジオスペースがない中、シカゴとシャピロ、そして学生たちは、「女性と家」というイデオロギー的かつ象徴的な組み合わせについて考察するため、ハリウッドで取り壊しが予定されていたビクトリア朝様式の邸宅の改修に乗り出した。

廃墟のようだった邸宅は清掃され、床はやすりで磨かれ、ペンキが塗られ、窓ガラスが取り換えられ、17室あった全ての部屋に照明が取り付られた。アーティストたちはこの家を、社会が女性に割り当ててきた役割を示し、誇張し、覆すための創造的な空間に生まれ変わらせた。シカゴの《Menstruation Bathroom(月経バスルーム)》は、バスルームを真っ白に塗り、棚をガーゼで覆い、ゴミ箱に血のついたナプキンやタンポンを溢れるまで詰め込んだインスタレーションで、サンドラ・オーゲルは1枚のシーツに繰り返しアイロンをかける《Ironing(アイロンがけ)》を制作。カレン・ルコックとナンシー・ユーデルマンは、《Lea's Room(リーの部屋)》というパフォーマンスを演じている。リーという名の女性がピンクのベッドルームに座り、化粧をしては落とす行為を延々と繰り返すこのパフォーマンスは、老いの苦しみと、美しさを取り戻そうとする絶望的なプロセスを表現していた。

《Womanhouse》のオープン初日は女性だけが入場を許されたが、1カ月の会期中に1万人以上もの来場者がこの家を訪れている。図録に掲載されたシカゴとシャピロのエッセイには、次のように書かれていた。「古くから女性の役割とされてきた家事という営みは、ここでファンタジーの域にまで誇張された。《Womanhouse》は、女性たちが命が尽きるまで洗濯をし、パンやお菓子を焼き、食事を作り、縫いものをし、掃除し、アイロンがけをしながら見る白昼夢の貯蔵庫だ」

《Womanhouse》参加のアーティスト:ベス・バチェンハイマー、シェリー・ブロディ、ジュディ・シカゴ、スーザン・フレイザー、カミーユ・グレイ、ポーラ・ハーパー、ヴィッキー・ホジェッツ、キャシー・ヒューバーランド、ジュディ・ハドルストン、ジャニス・ジョンソン、カレン・ルコック、ジャニス・レスター、ポーラ・ロンゲンダイク、アン・ミルズ、キャロル・エディソン・ミッチェル、 ロビン・ミッチェル、サンドラ・オーゲル、ジャン・オクセンバーグ、クリスティン(クリス)・ラッシュ、マーシャ・ソールズベリー、ミリアム・シャピロ、ロビン・シフ、ミラ・ショール、ロビン・ウェルシュ、ワンダ・ウェストコースト、フェイス・ワイルディング、ショーニー・ウォーレンマン、ナンシー・ユーデルマン

13. ミリアム・シャピロ《Explode(爆発)》(1972)

ミリアム・シャピロ《Explode》(1972) Photo: Collection of the Everson Museum of Art, Syracuse, New York. Artwork copyright © 2026 Estate of Miriam Schapiro/Artists Rights Society (ARS), New York. Photo: Everson Museum of Art
ミリアム・シャピロ《Explode》(1972) Photo: Collection of the Everson Museum of Art, Syracuse, New York. Artwork copyright © 2026 Estate of Miriam Schapiro/Artists Rights Society (ARS), New York. Photo: Everson Museum of Art

ミリアム・シャピロ(1923-2015)は、フェミニスト・アートやパターン&デコレーション運動(*3)の先駆者だった。彼女の最もよく知られた作品群の1つに、さまざまな形や模様、テクスチャーを組み合わせたダイナミックで精巧なコラージュがあるが、彼女はそれを「フェマージュ(femmage)」と呼んでいた。この言葉についてシャピロは次のように述べている。「縫い物やパッチワーク、編み物、裁断、アップリケ、料理など、女性が作品を作るために伝統的に用いてきた技法を総称するために考案した言葉です。こうした技法は男性も使いますが、歴史を通して女性のものとされてきました」

*3  1970年代半ばから80年代初頭にアメリカで起きた芸術運動。手工芸的な技法や素材を用いて装飾性を強調するなど、男性主導のミニマル・アートへの反動としての意味合いもあった。

フェマージュ作品《Explode(爆発)》では、白と黄色の中心を明るい赤で囲んだ背景の上に、鮮やかな色彩と模様の布地やレースの切れ端、刺繍が、まるで爆発したように配置されている。キルトや裁縫など、古くから女性の領分とされてきた手仕事を想起させるシャピロの作品は、こうした創造行為をファインアートの領域へ位置付け直そうとする潮流のきっかけを作った。シャピロは1977年にこう記している。「伝統的に女性が取り組んできた仕事に敬意を表し、歴史の陰でキルト作りなど目に見えない『女の仕事』を担ってきた、名もなき女性アーティストたちと自分自身を結びつけたいと思いました。彼女たちの存在に光を当て、その功績を称えたかったのです」

14. ハンナ・ウィルケ《S.O.S. Starification Object Series (Curlers)(S.O.S. スター化オブジェ・シリーズ [カーラー] )》(1974)

同世代のフェミニスト・アーティストの中で最も先鋭的な作家の1人だったハンナ・ウィルケ(1940-1993)の《S.O.S. Starification Object Series (Curlers)(S.O.S. スター化オブジェ・シリーズ [カーラー] )》は、時代を先取りした画期的な作品だ。ウィルケが1974年に構想したインスタレーション《S.O.S. Starification Object Series, An Adult Game of Mastication(S.O.S. スター化オブジェ・シリーズ、大人向けの咀嚼ゲーム)》は、1975年の1月1日からロウアーマンハッタンにあるクロックタワー・ギャラリー(後にMoMAと合併したPS1の前身団体IAURが運営)で開催された展覧会、「Artists Make Toys(アーティストが手がけた玩具)」で初公開されている。

さらに同年、この作品はパリのジェラール・ピルツァー・ギャラリーでパフォーマンスとして初披露された。ウィルケは来場者にチューインガムを配り、それを噛んでから彼女に返すよう求めた。そして唾液で濡れたガムで女性器の形を作り、裸になった自身の上半身に貼り付けた。

その場限りで消えてしまうこのパフォーマンスを永続的な作品にできないかと考えたウィルケは、写真家のレス・ウォラムの協力を得てモノクロ写真のシリーズを制作。撮影のために彼女は、女性器の形をしたガムを自身の身体に貼り付け、妖艶なピンナップガール風のポーズを取った。当時、ほかのフェミニスト・アーティストや批評家から「露出狂的」だと批判されたこの作品は、女性アーティストが自らの身体の見られ方や描かれ方をコントロールすることで、「男性のまなざし」に挑む手法の先陣を切るものだった。

ウィルケが体に貼り付けた女性器の形をしたガムは、性的フェティシズムを表すとともに、女性性が持つ力と、女性性に押された烙印の痛々しい傷跡を表すものだと今日の美術史家たちは解釈している。一方、ウィルケ自身は、女性の二級市民としての地位と使い捨てにされる運命を象徴すると語っていた。「ガムを選んだのは、それがアメリカの女性の完璧なメタファーだと思ったからです。心ゆくまで噛み、味わい尽くしたらさっさと捨てて、新しいものを口に放り込むところが」。

15. アナ・メンディエタ《Body Tracks(身体の軌跡)》(1974)

アナ・メンディエタ《Body Tracks》(1974)の一場面。Photo: Artwork copyright © The Estate of Ana Mendieta Collection, LLC. Licensed by Artists Rights Society (ARS), New York. Courtesy of Galerie Lelong & Co., New York

キューバ生まれのアメリカ人アーティスト、アナ・メンディエタは、亡命、自らの原点、風景への回帰といったテーマを探求する作品を残した。1972年から75年にかけては、血やそれを想起させる赤い顔料を用いたパフォーマンスや映像作品を手がけている。彼女は赤い素材に、カトリック信仰を含む重層的な意味を見出していた。

《Body Tracks(身体の軌跡)》と題された映像作品の中で、メンディエタは白い壁に向かって立ち、V字形に伸ばした両手を壁につける。そして血で濡れた両手と袖を壁に擦り付けながらゆっくりと内側に向かって下ろしていき、赤い線で子宮か木のような形を描いた後、地面の近くで壁から手を離す。そして彼女は立ち上がり、画面の外へと歩いていく。彼女の身体が画面から消えても、その行為は目に見える形で残る。壁に擦り付けられた血によって呼び起こされるのは、存在と不在の両方の概念なのだ。

16. リンダ・ベングリス《Artforum Advertisement(アートフォーラムの広告)》(1974)

アートフォーラム誌の1974年11月号の4ページと5ページに見開きで掲載された挑発的な広告に、当時の読者は大きな衝撃を受けた。左側のページは黒一色で、そこに小さな白抜き文字でアーティスト名、ギャラリー名、著作権情報だけが記されている。黒い面は右側のページの途中まで続き、その横には裸の女性のセンセーショナルな写真がある。髪を短く刈り、白いフレームのサングラスをかけた女性が脚の間に挟んでいるのは、巨大なゴム製のペニスだ。2人のスタッフが同誌を辞職するほどの騒ぎとなった見開き広告は、リンダ・ベングリスの《Artforum Advertisement(アートフォーラムの広告)》として知られている(2019年にこれが作品の正式名称となった)。

「当時私はジェンダーをめぐる固定観念について考えていて、単一の何かに還元できないイメージを作りたいと思っていました。1つのジェンダー、1つのセクシュアリティや欲望の形には収まらないイメージを提示したかったのです」。ベングリスは2022年にこの作品を振り返ってそう語っている。そのベングリスは、フェミニズムの概念の多くに賛同しつつも、フェミニストを自認したことはなく、自分はヒューマニストだと言っていた。この広告で彼女は、アート雑誌の体裁に対する読者の思い込みに揺さぶりをかけ──おそらくそれよりも重要なことだが──ジェンダーや権力、自己表象に関する既成概念を問い直したのだ。

17. ジュディ・シカゴ《The Dinner Party(ディナー・パーティー)》(1974-79)

ジュディ・シカゴ《The Dinner Party》(1974-79)の展示風景。3角形に組まれたテーブルの1辺に並ぶ「ユディト」と「サッフォー」の席。Photo: Collection of the Brooklyn Museum, Gift of the Elizabeth A. Sackler Foundation, 2002.10. Artwork copyright © 2025 Judy Chicago/Artists Rights Society (ARS), New York. Photo copyright © Donald Woodman/ARS, New York.

フェミニスト・アートで最もよく知られている作品は、おそらくジュディ・シカゴの《The Dinner Party(ディナー・パーティー)》だろう。このインスタレーションでは、大きな三角形に組まれたディナーテーブルに、39人分の席が設けられている。39人の招待客は、先史時代、古代ギリシャ古代ローマ、初期キリスト教、アメリカ独立戦争、女性参政権運動など、神話や歴史上の有名な女性たち。美しくテーブルセッティングされた席には、招待客の名前が刺繍されたテーブルクロスの上に金の聖杯とカトラリーが並び、外陰部や蝶のモチーフをあしらった磁器の絵皿が置いてある。絵皿の図柄やレリーフはそれぞれの女性の功績を反映したデザインで、テーブルの下の白いタイルの床にはさらに999人の重要な女性の名前が金色で記されている。

また、原初の女神、イシュタル(古代メソポタミアの女神)、聖ブリギット(アイルランドの聖女)、トロトゥーラ(11世紀の南イタリアの医師)、サカガウィア(19世紀初頭のアメリカで通訳として活躍した先住民女性)、ソジャーナ・トゥルース(奴隷解放活動家)、エミリー・ディキンソン(詩人)、ジョージア・オキーフなど、1038人の女性の物語を綴ったバナーやパネル展示もある。女性たちの功績を称える記念碑とも言えるこの常設作品は、ブルックリン美術館のエリザベス・A・サックラー・フェミニスト・アート・センターの核となるものだ。「今までに、おそらく250万人から300万人がこの作品を見ています」と、シカゴは2019年に語っている。「世界中の人々がこの作品から学び、私もこの作品から芸術の力を教えられました」

18. マーサ・ロスラー《Semiotics of the Kitchen(キッチンの記号学)》(1975)

マーサ・ロスラー《Semiotics of the Kitchen》(1975)の一場面。Photo: Artwork copyright © Martha Rosler. Digital image courtesy of the artist and Galerie Lelong & Co., New York

コンセプチュアル・アーティストのマーサ・ロスラーが1975年に制作したこのビデオ作品は、60年代に人気を博した料理番組をパロディ化し、主婦が抱えるフラストレーションを表現したものだ。ロスラーはキッチンカウンター越しにカメラに向かい、家庭にあるさまざまな道具にAからTまでのアルファベットを割り当てていく。それぞれのアルファベットで始まる道具を持ち上げた彼女がする動作は、時に無意味で、時に攻撃的なものになる。

たとえば、Aはエプロン。ロスラーはそれを身につける。Bはボウル。彼女はそれを持ち上げて何かをかき混ぜるふりをする。Cのチョッパー(みじん切り器)を手にした彼女は、金属製のボウルにそれを叩きつけるといった具合だ。ロスラーは、ナイフ、くるみ割り器、麺棒などを手に、切り刻んだり刺したりといった動作を続ける。その無表情と投げやりな身振りは、社会から抑圧的な役割を押し付けられていた当時の女性たちの怒りを表しているように見える。

アルファベットの最後、自分の身体を使ってUからZの文字を表現したロスラーは、この作品について、「女性が食事作りの記号体系の一部に組み込まれるよう、主体性を抑え込み、自分自身を記号化していくさまを表現したいと思っていました」と語っている。

19. キャロリー・シュニーマン《Interior Scroll(体内の巻物)》(1975)

キャロリー・シュニーマン《Interior Scroll》(1975) Photo: Artwork copyright © 2025 Carolee Schneemann Foundation/Artists Rights Society (ARS), New York. Digital image courtesy Lisson Gallery and P•P•O•W, New York. Photo: Anthony McCall

1975年8月、キャロリー・シュニーマンはイースト・ハンプトンで開催されていた展覧会の会場に、泥を入れたバケツを持って入っていった。服を脱ぎ、シーツにくるまって著書『Cézanne, She Was a Great Painter(セザンヌ:彼女は偉大な画家だった)』を朗読した後、彼女はおもむろにシーツを下ろし、儀式のように泥を体に塗り、ゆっくりと膣から小さな巻物を取り出した。巻物に書かれていたのは、シュニーマンの短編映画『Kitch’s Last Meal(キッチの最後の食事)』(1973-77)のセリフの抜粋だ。彼女がこの映画を制作したのは、ある男性作家から「まとまりのない、女の作品」を作っていると批判されたからだった。

《Interior Scroll(体内の巻物)》と題されたこのパフォーマンスはその後、フェミニスト・アート運動を象徴する作品と見なされるようになった。巻物(スクロール)を自分の体の中から引っぱり出すことで、彼女は女性の身体をモノとして捉える家父長制的なまなざしに挑戦し、それを知識と創造性の場として捉え直すことで、女性自身の手の中に取り戻したのだ。巻物に書かれていたテキストの内容も、男性優位の芸術運動や制度、そして女性アーティストに対する黙殺や見下すような態度に異議を唱えるものだった。

20. ダラ・バーンバウム《Technology/Transformation: Wonder Woman(テクノロジー/トランスフォーメーション:ワンダーウーマン)》(1978-79)

ダラ・バーンバウム《Technology/Transformation: Wonder Woman》(1978–79)のスチル写真。Photo: Digital image courtesy of the Estate of Dara Birnbaum, Robert Birnbaum, Administrator; Electronic Arts Intermix (EAI), New York; and Marian Goodman Gallery. Artwork copyright © the Estate of Dara Birnbaum, Robert Birnbaum, Administrator
ダラ・バーンバウム《Technology/Transformation: Wonder Woman》(1978–79)のスチル写真。Photo: Digital image courtesy of the Estate of Dara Birnbaum, Robert Birnbaum, Administrator; Electronic Arts Intermix (EAI), New York; and Marian Goodman Gallery. Artwork copyright © the Estate of Dara Birnbaum, Robert Birnbaum, Administrator

フェミニスト・アートを象徴する作品として知られるダラ・バーンバウム(1946-2025)の映像作品《Technology/Transformation: Wonder Woman(テクノロジー/トランスフォーメーション:ワンダーウーマン)》が初披露されたのは、ニューヨークのダウンタウンにあるヘアサロンのショーウィンドウだった。1970年代後半の人気テレビ番組に登場する女性たちがことごとくステレオタイプを押し付けられていることに光を当てたこの作品は、テレビシリーズ『ワンダーウーマン』を題材に、主人公が秘書からスーパーヒロインへと変身するシーンを編集。そこに、番組中のサイレンの効果音と70年代のファンク・ミュージックをミックスしたBGMを組み合わせている。

脇役であれ、ヒロインであれ、マスメディアでは女性が過度に性的に描かれていることをこの映像は浮き彫りにしている。「秘書とワンダーウーマンという両極の間の、どのあたりに私はいるのだろう?」──そう自問していたバーンバウムが出した答えは、「2つの中間にあるものは一切提示されていないけれど、この中間にこそ私たちが生きるべき現実がある」というものだった。激しい爆発の連続にワンダーランド・ディスコ・バンドの「ワンダーウーマン・ディスコ」(1978)の歌詞が重ねられた場面で締めくくられるこの映像作品は、先端技術の助けによってこれまでにないタイプの女性が現れ、社会における自身の位置付けを再編集し、性別に基づく固定観念を再構築したり、反論・根絶したりすることができる可能性を示唆している。

21. ジュディス・F・バカ《Hitting the Wall: Women in the Marathon(壁を打ち破る:女性マラソンランナー)》(1984)

ジュディス・F・バカ《Hitting the Wall: Women in the Marathon》(1984) Photo: Collection of the Los Angeles County Museum of Art. Digital image courtesy of the SPARC & Judy Baca Archive. Artwork copyright © 1984 Judith F. Baca
ジュディス・F・バカ《Hitting the Wall: Women in the Marathon》(1984) Photo: Collection of the Los Angeles County Museum of Art. Digital image courtesy of the SPARC & Judy Baca Archive. Artwork copyright © 1984 Judith F. Baca

ロサンゼルスでは現在、2028年の夏季オリンピックに向けて準備が進められている。そんな中でも、ジュディ・バカ(1946- )が1984年に手がけた巨大な壁画《Hitting the Wall: Women in the Marathon(壁を打ち破る:女性マラソンランナー)》は、制作当時の意義を失っていない。ロサンゼルスのハーバー・フリーウェイ4番街出口の壁に直接描かれ、現在もそこに残るのは、高さ約6メートル、幅約30.5メートルのアクリル画だ。絵の主人公は両腕を広げた筋肉質の女性で、ゴールテープだけでなく、石壁を突き破って走り抜けている。

オリンピック壁画委員会の依頼で制作されたこの作品は、夏季五輪で初めて女子マラソンが正式種目となった1984年のロサンゼルス・オリンピックを記念するものだ。今でも男性のみの競技が一部残る陸上種目に女性が参入することは、スポーツの分野における包摂性を超え、太古から女性を阻んできた無数の象徴的・社会的障壁の打破を意味している。

「私はマラソンを、女性の権利を求める長い闘いの比喩として用いています」。ロサンゼルス・カウンティ美術館が2024年5月にこの壁画と下絵をコレクションに加えた際、バカはそう語っている。「目的はまだ達成されていません。私たちは今も闘い続けていますし、せっかく勝ち取った権利に関しても、何度も後退することがありました」

22. ゲリラ・ガールズ《The Advantages of Being a Woman Artist(女性アーティストであることの利点)》(1988)

ゲリラ・ガールズ《The Advantages of Being a Woman Artist》(1988) Photo: Copyright © Guerrilla Girls. Courtesy guerrillagirls.com

ゲリラ・ガールズという名のアートコレクティブが結成されたのは1984年。そのきっかけは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された「International Survey of Painting and Sculpture(世界の絵画と彫刻)」という展覧会だった。そこで紹介された169人のアーティストのうち、女性は10%にも満たなかったのだ。「アート界の良心」というキャッチフレーズを掲げたゲリラ・ガールズの最初の活動の1つは、主流派の展覧会や出版物から女性や非白人アーティストが排除される原因を作っていると彼女たちが考えていたアート界の団体や展示施設、キーパーソンを糾弾するポスターキャンペーンだった。

「Guerrilla Girls Talk Back(反論するゲリラ・ガールズ)」と題された30枚のポスターの中に、《The Advantages of Being a Woman Artist(女性アーティストであることの利点)》という1点がある。タイトル通りの内容のこのポスターに書かれている13の「利点」とは次のようなものだ。「成功のプレッシャーなしに仕事ができる」、「男性と同じ展覧会に出品しなくてもよい」、「キャリアか母親業のどちらか1つを選ぶ機会を得られる」、「80歳を過ぎてようやく芽が出るかもしれないと思える」。最後の2つのフレーズには、今もなお真実味があると言えるだろう。

23. バーバラ・クルーガー《Untitled (Your Body Is a Battleground)(無題 [あなたの体は戦場だ] )》(1989)

バーバラ・クルーガー《Untitled (Your Body Is a Battleground)》(1989) Photo: Artwork copyright © Barbara Kruger, courtesy of the artist, Sprüth Magers and David Zwirner
バーバラ・クルーガー《Untitled (Your Body Is a Battleground)》(1989) Photo: Artwork copyright © Barbara Kruger, courtesy of the artist, Sprüth Magers and David Zwirner

2022年にロー対ウェイド判決(*4)が覆されて以来、アメリカ各地の州で中絶禁止法が施行されている。こうした中、バーバラ・クルーガー(1945- )が手がけた先駆的で痛烈なシルクスクリーン作品《Untitled (Your Body Is a Battleground)(無題 [あなたの体は戦場だ] )》が発するメッセージは、再び切実な響きを帯びるようになった。クルーガーは、広告の視覚言語を独自の方法で取り入れながら、性差別や女性蔑視、そして女性を性的な目でのみ見たり、獲得・支配すべきモノとして扱ったりする態度に問題を投げかける作品で知られる。ここでは女性の顔をアップで写した白黒写真に鮮やかな赤い帯を重ね、そこに白抜きの文字で「Your body / is a / battleground(あなたの体/は/戦場だ)」と記している。

*4 1973年にアメリカの最高裁判所が出し、全州で中絶が合法化されるきっかけとなった画期的な判決。

特筆すべきなのは、クルーガーがこの作品を、1989年にワシントンD.C.で開催されたウィメンズマーチで配布するチラシとして制作したことだ。この抗議デモは、当時複数の州で反中絶法が施行されるようになり、ロー対ウェイド判決を揺るがし始めていたことに対する危機感から組織された。アート作品であると同時に抗議活動の一部でもあるこの作品のキャッチフレーズは全米で支持されたが、2022年にそれがまた注目を浴びることになった。アメリカの女性たちが再度自らのリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)のために闘う今も、この作品とスローガンは大きな意義を持ち続けている。

24. サラ・ルーカス《Eating a Banana(バナナを食べる)》(1990)

サラ・ルーカス《Eating a Banana》(1990) Photo: Collection of the Neue Nationalgalerie, Berlin. Artwork copyright © Sarah Lucas. Digital image courtesy Sadie Coles HQ, London. Photo: Gary Hume
サラ・ルーカス《Eating a Banana》(1990) Photo: Collection of the Neue Nationalgalerie, Berlin. Artwork copyright © Sarah Lucas. Digital image courtesy Sadie Coles HQ, London. Photo: Gary Hume

モノクロのセルフポートレート《Eating a Banana(バナナを食べる)》の中で、黒いレザージャケットと白いTシャツにボサボサの短髪という出で立ちのサラ・ルーカス(1962- )は、カメラをまっすぐ見つめながらバナナをかじっている。この写真は、ルーカスの創作活動の大きな転換点となった。ここから彼女は、男性的な自身の外見をマイナスとして捉えるのではなく、作品に活かせる要素として捉え始めたのだ。「突然、男性的な見た目が被写体としての強みとなると気づいたのです。作品に使える要素だと考えるようになって以来、そのことを活用してきました」とルーカスは語っている。

ルーカスは1990年代を通じてセルフポートレートを作り続けたほか、唯一の映像作品である《Sausage Film(ソーセージ・フィルム)》を1990に制作した。どの作品においても彼女は、ジェンダーやセクシュアリティに関するステレオタイプ的な表現に抗っている。たとえば《Sausage Film》では、上半身裸の男性ウェイターが、まずソーセージを、次にバナナを運んでくる。テーブルに皿が運ばれるたび、彼女は笑い声を上げてから男性器を思わせる食べ物を真顔で黙々と食べ、それによって性的な含意を消し去る。《Eating a Banana(バナナを食べる)》でも同様に、この題材が醸し出す恐れがある性的な含みは、彼女の射るようなまなざしで無効化される。抑圧に抗う女性性を表現する類まれな才能を評価されるルーカスだが、その基盤を築いたのがこうした初期の作品だと言えるだろう。

25. シリン・ネシャット「Women of Allah(アラーの女たち)」シリーズ(1993-97)

シリン・ネシャット「Women of Allah」シリーズの《Rebellious Silence》(1994)。Photo: Artwork copyright © Shirin Neshat. Digital image courtesy of the artist and Gladstone. Photo: David N Regen

1957年生まれのシリン・ネシャットは、女性の権利が拡大していた時代にイランで育った。カトリックの学校で西洋とイランの歴史を学んだ彼女は、1974年にカリフォルニア大学バークレー校に入学するため渡米。ところが、在学中に母国は激変してしまう。1979年のイラン革命によって王政が廃止され、ホメイニ師を最高指導者とする保守的な政権が誕生すると、女性の権利が制限されるようになり、公共の場でヒジャブを着けなければならないなど、自由を奪うさまざまな規則が法制化された。

1990年、17年ぶりにイランに戻ったネシャットは、自分が育った頃とは別世界となってしまった社会を目の当たりにする。その時の引き裂かれるような思いをネシャットは視覚化し、「Women of Allah(アラーの女たち)」という画期的なモノクロ写真のシリーズを制作した。それぞれの写真には、ヒジャブを被り武器を持ったイラン人女性が写っている。「これらの写真は、武装した敬虔なイスラム教徒の女性を表す象徴的なポートレートです。どの写真の女性も従順なまなざしをしているのは、表面的なメッセージの背後に複雑で逆説的な現実があることを示唆しています」。ネシャットはこのシリーズについてのアーティストステートメントにそう書いている。

革命後、イランの女性たちは相反する2つの役割を期待されている。ヒジャブ着用の義務など多くの制約を受ける一方で、国のために戦うことも期待されているのだ。この写真シリーズでは、女性の肌が露出した部分にペルシア語の装飾的なテキストが書かれている。それは、親密さやフェミニズム、セクシュアリティなどをテーマにした詩や女性作家の文章から抜粋されたものだ。

26. エミリー・カーメ・ウングワレー《Anwerlarr anganenty(ビッグ・ヤム・ドリーミング)》(1995)

エミリー・カーメ・ウングワレー《Anwerlarr anganenty (Big yam Dreaming)》(1995) Photo: Collection of the National Gallery of Victoria, Australia. Digital image courtesy of the National Gallery of Victoria and Pace Gallery. Artwork copyright © Emily Kam Kngwarray/Copyright Agency. Licensed by Artists Rights Society (ARS), New York, 2026
エミリー・カーメ・ウングワレー《Anwerlarr anganenty (Big yam Dreaming)》(1995) Photo: Collection of the National Gallery of Victoria, Australia. Digital image courtesy of the National Gallery of Victoria and Pace Gallery. Artwork copyright © Emily Kam Kngwarray/Copyright Agency. Licensed by Artists Rights Society (ARS), New York, 2026

オーストラリア先住民のアーティスト、エミリー・カーメ・ウングワレー(1910頃-1996)は、自らと周囲の環境──大地、水、空、植物、動物──との絆、そしてそれにまつわる文化的・精神的遺産をバティックや絵画で表現した。彼女の人生と創作活動の中心にあったのは、「ドリーミング」あるいは「ドリームタイム」という概念、それもヤムイモに関するものだった。ヤム・ドリーミングの物語は、ヤムを探し出して収穫するために霊的な旅に出る先祖の女性たちに焦点を当てている。ヤムはオーストラリア中央部の砂漠に住む人々の貴重な栄養源であるだけでなく、豊穣と繁栄の象徴として崇拝の対象とされる。

女性たちのヤム・ドリーミングの聖地を長老として管理していたウングワレーにとって、ドリーミングは創造の源泉でもあった。高さ約2.7メートル、幅約8メートルもある壮大な絵画《Anwerlarr anganenty(ビッグ・ヤム・ドリーミング)》は、黒地に白い線で描かれた複雑な網目模様が特徴的だ。彼女の出生地であり、ヤム・ドリーミングの重要な聖地であるアルハルカーを描いたこの抽象的な絵は、地下に網の目のように広がる塊茎やヤムが熟した時に地表に現れる亀裂、そしてアンマティエール族やアリヤワル族の女性たちが儀式の時に体に描く「アールケニー」という模様とデザインを表現している。

ウングワレーの作品は、明確にフェミニスト的だとは言えない。しかし、彼女の世界的評価を機に、アボリジニの人々の作品が工芸品や文化遺産ではなく、ファインアートとして認識されるようになった。さらには、それまで見過ごされていた多くの先住民アーティスト、特に女性のアーティストに光が当たり始めている。

※2026年5月にペース・ニューヨークでウングワレーのキャリアを総括する展覧会が開催される。

27. カラ・ウォーカー《A Subtlety(容易には気づかない存在)》(2014)

カラ・ウォーカー《A Subtlety, or the Marvelous Sugar Baby, an Homage to the unpaid and overworked Artisans who have refined our Sweet tastes from the cane fields to the Kitchens of the New World on the Occasion of the demolition of the Domino Sugar Refining Plant》(2014)。ニューヨーク、ブルックリンのドミノ製糖工場での展示風景。Photo: A project of Creative Time, Brooklyn, New York, 2014. Artwork copyright © 2014 Kara Walker, courtesy of Sikkema Malloy Jenkins and Sprüth Magers. Photo: Jason Wyche
カラ・ウォーカー《A Subtlety, or the Marvelous Sugar Baby, an Homage to the unpaid and overworked Artisans who have refined our Sweet tastes from the cane fields to the Kitchens of the New World on the Occasion of the demolition of the Domino Sugar Refining Plant》(2014)。ニューヨーク、ブルックリンのドミノ製糖工場での展示風景。Photo: A project of Creative Time, Brooklyn, New York, 2014. Artwork copyright © 2014 Kara Walker, courtesy of Sikkema Malloy Jenkins and Sprüth Magers. Photo: Jason Wyche

《A Subtlety(容易には気づかない存在)》という大がかりで挑発的なカラ・ウォーカー(1969- )のインスタレーション作品には、長い副題付きの別名がある。それは、《Marvelous Sugar Baby, an Homage to the unpaid and overworked Artisans who have refined our Sweet tastes from the cane fields to the Kitchens of the New World on the Occasion of the demolition of the Domino Sugar Refining Plant(素晴らしいシュガーベイビー:新大陸のサトウキビ畑や台所で報酬も得ずに過酷な労働を強いられ、私たちの舌を肥えさせてくれた職人たちに、ドミノ製糖工場の取り壊しにあたってオマージュを捧げる)》というものだ。

廃墟となったブルックリンのドミノ製糖工場に作られたこの作品では、ステレオタイプな「アフリカ人」の特徴や、黒人の乳母(マミー)を思わせる要素を持つ巨大なスフィンクスがフロアの中央に設置された。ポリスチレンに白砂糖をコーティングした高さ約10.6メートル、長さ約22.8メートルのスフィンクスは、人種差別的なブラッカムーア像(18世紀頃にヨーロッパで人気を博した装飾的な黒人像)を模した15体の従者に囲まれている。

人種差別や女性差別の歴史に直接言及したこのインスタレーションは、奴隷制と砂糖貿易の負の遺産を思い起こさせる。それに加え、副題が示すように、植民地と新世界の経済を支えるために無給で過酷な労働を強いられた人々がいたことを浮き彫りにしている。また、マミー風の特徴は、黒人女性の身体に対する過度に性的なイメージの問題を取り上げ、黒人の女性性が都合の良い道具として利用されたり、性的なまなざしの対象とされたりしてきた歴史についての考察を促している。

28. ウェンディ・レッド・スター「Apsáalooke Feminist(アプサロケ・フェミニスト)」シリーズ(2016)

ウェンディ・レッド・スター「Apsáalooke Feminist」シリーズ(2016) Photo: Artwork copyright © Wendy Red Star, courtesy of the artist and Sargent’s Daughters, New York
ウェンディ・レッド・スター「Apsáalooke Feminist」シリーズ(2016) Photo: Artwork copyright © Wendy Red Star, courtesy of the artist and Sargent’s Daughters, New York

アプサロケ(クロウ)族のウェンディ・レッド・スター(1981- )は、さまざまなメディアを用いた作品で、歴史上および現代のアメリカ先住民の思想や植民地主義的構造をめぐる議論を新たな方向へと導いている。「Apsáalooke Feminist(アプサロケ・フェミニスト)」というシリーズを構成する4枚の写真には、ペンドルトン社のブランケットのデザインをデジタル処理したカラフルな模様を背景に、ソファの上や周囲でポーズを取るレッド・スターとその娘が写っている。母と娘がまとっている伝統的なエルクトゥース(ヘラジカの歯)ドレスは、アプサロケ族の伝統と、この部族の母系文化を反映するものだ。

レッド・スターによれば、ヘラジカの歯を縫い付けたドレスは、女性が「男性家族の狩猟の腕を誇示する」手段なのだという。このシリーズとその中で引用されているシンボルを通じて、レッド・スターは「クロウ族の母系文化を『フェミニスト』という言葉を使って説明することの皮肉を浮き彫りに」している。今日主流となっているフェミニズムの概念に異議を唱える彼女は、それを植民地主義の産物と見なしており、「歴史的にも文化的にもクロウ族の女性に特有の」アプサロケ・フェミニズムを提唱している。

※2026年3月6日から4月18日まで、ニューヨークのサージェント・ドーターズでウェンディ・レッド・スターの展覧会「One Blue Bead」が開催されている。

29. シモーヌ・リー《Brick House(レンガの家)》(2019)

シモーヌ・リー《Brick House》(2019) Photo: Artwork copyright © Simone Leigh, courtesy Matthew Marks Gallery. Photo by Timothy Schenck
シモーヌ・リー《Brick House》(2019) Photo: Artwork copyright © Simone Leigh, courtesy Matthew Marks Gallery. Photo by Timothy Schenck

時代や場所を超えて黒人女性の主観性を探求するシモーヌ・リー(1967- )は、《Brick House(レンガの家)》という巨大な女性の胸像で2022年のヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞を受賞した。ニューヨークの高架線跡を再開発した空中庭園、ハイラインのプリンスエリアを飾るコミッション作品として制作された高さ5メートル弱のこの彫刻は、世界に散らばったアフリカ系移民の建築様式と人体を融合させた「建築の解剖学(Anatomy of Architecture)」シリーズの1つだ。

《Brick House》の女性の胴体は、輪を連ねた骨組みで大きくふくらませたフープスカートを思わせる。この形はまた、ベナンやトーゴのバタマリバ建築、チャドやカメルーンに住むムスグム族の円錐形の住居といった粘土の家、あるいはミシシッピ州ナチェズにあるレストラン「マミーズ・カップボード」の外観を連想させる。像の頭部はアフロヘアで、先端にタカラガイをつけた4本の編み込みが肩まで垂れている。タカラガイのモチーフはアフリカの奴隷貿易でそれが通貨として使用されていたこと、もしくはバタマリバ族の貝占いを暗示しているのかもしれない。顔には唇と鼻があるが、目がないため、誰をモデルにしたかは特定できない。

この彫刻は、時代や地域を問わず黒人女性が持つ強さと忍耐力を称えているが、特筆すべき点はそれだけではない。ハイラインに設置されたこの彫刻は、黒人女性を模った公共モニュメントとしてはニューヨーク市全体で2番目のものだった。また、同じ彫刻の2つ目のエディションを購入したペンシルベニア大学に設置された際には、同大学のキャンパスに飾られた初の黒人女性アーティスト作品となっている。

30. シャジア・シカンダー《Witness(目撃者)》(2023)

ニューヨークのマディソン・スクエア・パークに展示されたシャジア・シカンダーの《Witness》(2023)。Photo: Artwork copyright © Shahzia Sikander. Digital image courtesy of the artist and Sean Kelly New York/Los Angeles. Photo: Lynda Churilla

シャジア・シカンダーが手がけた高さ約5.5メートルの立体作品《Witness(目撃者)》は、ねじれた根のような手脚を持ち、雄羊の角の形に髪を編み込んだ女性の像だ。首元のレースの襟は、連邦最高裁判事だった故ルース・ベイダー・ギンズバーグが好んで着用していたものに似ている。細いウエストと丸みを帯びたバスト、そして古代の豊穣の女神を思わせる豊満なヒップの周りを囲むようにして、フープスカートの形をした金属製のフレームがある。それは彼女の体を隠すためにあるのではなく、むしろ彼女が取り仕切る住居を示唆している。そしてフレームを装飾するように、ウルドゥー語で「空気」や「大気」、アラビア語やヘブライ語で「イヴ」を意味する「havah」という言葉がカラフルなモザイクタイルで綴られている。

高密度の発泡スチロールで作られ、金色に塗装されたこの力強い彫刻は、2023年にニューヨークのマディソン・スクエア・パークで初めて展示され、高く評価された。しかしその後、ヒューストン大学の敷地内に展示されるとすぐ、中絶反対団体「Texas Right to Life(テキサス命の権利)」から「悪魔的」だとの批判が巻き起こる。そして2024年7月8日、ハリケーン「ベリル」のためにテキサス各地で停電が起きたとき、何者かによって彫刻の首が切り落とされてしまった。

シカンダーは破壊された彫刻を修復せず、首のないままにすることに決めた。それについて彼女はこう書いている。「この作品を制作したのは、女性性の概念を『天秤を持つ正義の女神』として捉え直すだけでなく、女性を能動的な主体、思想家、参加者として、そして男性が支配してきた芸術と法の歴史の証人として捉え直すことを人々に求めるためだった。そうした当初の意図に加え、今やこの作品は、我われの社会に広まる憎悪と分裂の証人となったのだ」。(翻訳:野澤朋代)

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