美術史に残るアメリカのフェミニスト・アート15選。19世紀から現代に至る女性アーティストたちの歩み

金沢21世紀美術館の「フェミニズムズ / FEMINISMS」展(2021年秋〜22年春)や、東京国立近代美術館が2024年秋に実施した「フェミニズムと映像表現」展(好評につき今年2月から展示継続中)など、近年、日本でもフェミニズムをテーマに掲げた展覧会を目にすることが増えている。これらは1960年代以降のフェミニスト・アートが中心だが、フェミニズム運動に関連したアート作品の誕生は19世紀後半にまで遡る。ここでは、アメリカにおける15の代表作を紹介する。

Photocollage by Daniela Hritcu.

1840年代からの第一波フェミニズムに始まり、1960年代と70年代の第二波フェミニズムやフェミニストアート運動、そしてインターセクショナリティ(*1)に目配りをした今日に至るまで、フェミニズム運動は連綿と続いてきた。そして、それと並行するように、アメリカの女性アーティストたちは後々まで影響を及ぼす印象深い作品を生み出している。以下、美術史に残る15点の作品を見ていこう。

*1 インターセクショナリティ(交差性)とは、差別の問題を理解する際に、性別だけでなく、性的指向、人種、国籍、世代、障害の有無、社会的地位など、複数の属性を考慮すること。

1. エドモニア・ルイス《The Death of Cleopatra(クレオパトラの死)》(1876年)

エドモニア・ルイス《The Death of Cleopatra》(1876) Photo: Smithsonian American Art Museum

アメリカ先住民の血を引くアフリカ系アメリカ人の彫刻家、エドモニア・ルイスは、新古典主義のスタイルが流行し、古典や聖書、文学に関連する主題が好まれていた時代に活躍した作家だ。紀元前51年から紀元前30年にエジプトを治めた伝説的な女王クレオパトラを主題とする美術作品の多くは、彼女が自殺について考えている場面を取り上げたものだ。しかしルイスが手がけたこの大理石の彫刻は、クレオパトラが蛇に噛まれて息を引き取った瞬間を捉えている。女王らしく正装し、堂々と正面を向いて玉座に身を預けたクレオパトラは、肘掛けの外に左手を垂らし、頭を横に傾けている。そして右手にはまだ、彼女が自殺に使ったコブラが握られている。

3トン近い重さのこの彫刻は、ルイスが手がけた作品の中でも非常に意欲的なもので、クレオパトラを自らの運命の決定者として描いている。それはまさに、ルイス自身が理想とした生き方だった。彼女は生涯を通じ、自らの生い立ちについて多くを語りたがらず、理想的な人生の物語を慎重に作り上げた。だが彼女の作品は、それ自体が有無を言わせぬ力を持っている。19世紀末、アメリカ美術の主流派に迎え入れられたルイスは、そこで認められた唯一の黒人女性となった。

ルイスの作風は、見るからにフェミニスト的ではないかもしれない。だが、彼女が同時代の女性たちと同様、1840年代に起こった第一波フェミニズムの恩恵を受け、女性の権利の信奉者だったことは確かだ。この頃アメリカでは、ヴァッサー大学などの女子大が設立されたほか、ルイスが通ったミシガン大学やオーバリン大学のように共学化する大学もあり、女性が高等教育を受けられるようになったという時代背景がある。

2. メアリー・カサット《The Reader(本を読む人)》(1877年)

メアリー・カサット《The Reader》(1877) Photo: Crystal Bridges Museum of American Art, Bentonville, Arkansas

画家・版画家として活躍したメアリー・カサットは、19世紀のフェミニズム運動で「新しい女性」と呼ばれた女性たちを女性の視点から描いている。都市や自然の風景を描くことが多かった他の印象派の画家たちとは異なり、カサットの主なテーマは社交の場や私的な空間にいる女性像で、特に母親と子どもの絆に重点が置かれていた。

《The Reader(本を読む人)》では、白い肘掛け椅子に座った女性が大きな本を読んでいる。この絵が描かれる数十年前までは、女性が読書をして余暇を過ごすことはなかっただろう。19世紀以前には、教育を受けることができた女性はごく一部で、それも学ぶ場所は家庭や女性が運営するデイム・スクール(私塾)だった。公立学校が女子生徒に門戸を開放したのは20世紀になってからで、女子が小中学校や高校に通えるようになったものの、制限付きの場合も少なくなかったという。高度な訓練を受けて芸術家として成功を収め、一度も結婚しなかったカサット自身もまた、「新しい女性」を体現する存在だった。熱心に男女平等を訴えた彼女は、1860年代に女子学生も留学奨学金を受給できるよう友人たちと声を上げ、1910年代には女性参政権運動に参加している。

3. ジョージア・オキーフ《Jimson Weed(チョウセンアサガオ)》(1936年)

ジョージア・オキーフ《Jimson Weed》(1936) Photo: Collection of the Indianapolis Museum of Art at Newfields. Artwork copyright © 2025 Georgia O'Keeffe Museum/Artists Rights Society (ARS), New York

ジョージア・オキーフがフェミニズムと複雑な関係にあったことはよく知られている。彼女の絵は女性器を仄めかしていると一般に解釈され、同時代の人々からその表現を賞賛されていたが、オキーフ本人はこうした解釈に異議を唱えていた。彼女はまた、同時代のフェミニスト・アート運動や「女性だけ」のプロジェクトへの参加も拒否していた。一方で彼女が当時の女性アーティストを熱心に擁護していたことも事実で、1960年代から70年代にかけてのフェミニスト・アート運動への道を開いたのは彼女だったとの指摘も多い。

リネン地を支持体としたこの油彩画には、有毒植物のチョウセンアサガオ(悪魔のラッパとも言われる)が描かれている。風ぐるまの形をした4輪の花と、それらを囲む緑の葉の間には、うねるような青色の抽象的な背景がある。化粧品会社の経営者、エリザベス・アーデンの依頼で制作されたこの作品は、オキーフが手がけた花の絵の中で最大のものだ。これに先立って、同じモチーフを描いた《Jimson Weed/White Flower No.1(チョウセンアサガオ/白い花 No.1)》(1932)という作品もある。アメリカで初めて1人の女性アーティストに特化した美術館として開館したジョージア・オキーフ美術館が、2014年にその作品をオークションに出品したときの落札額は4440万5千ドル(当時のレートで約52億2000万円)にのぼり、それまでの女性アーティスト作品の最高額の3倍以上で記録を更新した。

4. オノ・ヨーコ《カット・ピース》(1965年)

《カット・ピース》を上演中のオノ・ヨーコ。ニューヨークのカーネギー・リサイタル・ホールで1965年3月21日に開かれた「New Works of Yoko Ono」より。Photo: Film by David and Albert Maysles. Artwork copyright © Yoko Ono

参加型パフォーマンス《カット・ピース》は、フェミニスト・アート運動の最初期に作られた作品の1つ。1960年代の前衛芸術集団フルクサスにも参加していたアーティストのオノ・ヨーコが、1964年にこの作品を初演したのは京都の山一ホールだった。オノは自身が書いた指示書(彼女はそれを作品の「イベントスコア」と呼んでいる)に従ってステージ上に座り、目の前にハサミを置いて、観客に1人ずつ壇上に上がり、服の一部を切り取って持ち帰るよう呼びかけた。

このパフォーマンスは幅広い解釈が可能で、物質主義やジェンダー、階級や記憶から文化的アイデンティティに至るまで、多岐にわたるテーマを扱っていると理解されてきた。オノ自身は《カット・ピース》の着想源として、釈迦の前生譚である「ジャータカ」の物語の1つを挙げている。それは釈迦の前世である王子が、飢えた虎とその7匹の子のために自分の身を捧げるというものだ。この物語についてオノは、究極の施しであり、自己犠牲だとしている。

また、《カット・ピース》の観客を「加害者男性」に、オノを「被害者女性」に見立て、このパフォーマンスは身体が潜在的に暴力の場となり得ることを表しているのだと捉える人も多い。この解釈によるとオノの身体は、詮索的で暴力的な男性のまなざしにさらされる全ての女性の身体を象徴していると考えられる。《カット・ピース》は現在、フェミニスト・アートの先駆けとなる象徴的な作品として広く認められている。しかしオノ自身は、こうした解釈についてどう思うかと尋ねられたとき、作品を構想した時点では「フェミニズム的な考えは一切なかった」と答えている。

5. エリザベス・キャトレット《Political Prisoner(政治犯)》(1971年)

エリザベス・キャトレット《Political Prisoner》(1971) Photo: New York Public Library. Artwork copyright © 2025 Mora-Catlett Family/Licensed by VAGA at Artists Rights Society (ARS), New York

人権活動家アンジェラ・デイヴィスの不当逮捕とその後の無罪判決に触発され、エリザベス・キャトレットが杉の木で制作した《Political Prisoner(政治犯)》は、180センチほどもある背の高い女性の彫刻だ。背中の後ろで両手に手錠をかけられ(片手を開き、もう片方は拳を握っている)、空を見つめている女性像の胴体は、汎アフリカ主義と黒人解放運動の旗を表す赤、黒、緑の3色の塗料で彩られている。

黒人女性として初めてアイオワ大学で美術の修士号を得たキャトレットは、アフリカ系アメリカ人女性である自身の人生に焦点を当てた作品で知られる。《Political Prisoner》は特定の事件から着想しているものの、世界中の全ての政治犯を象徴していると彼女は強調していた。キャトレットによると、制作の一番の目的は純粋な美学の表現ではなく、社会的なメッセージの伝達だという。《Political Prisoner》はまさに、この言葉を体現した作品だと言える。

6. メアリー・ベス・エデルソン《Some Living American Women Artists/Last Supper(存命のアメリカ人女性アーティストたち/最後の晩餐)》(1972年)

メアリー・ベス・エデルソン《Some Living American Women Artists/Last Supper》(1972) Photo: Digital image copyright © The Museum of Modern Art/Licensed by Scala/Art Resource New York. Artwork copyright © the Estate of Mary Beth Edelson, courtesy of the Estate of Mary Beth Edelson and Accola Griefen Fine Art

レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を引用したこのコラージュで、メアリー・ベス・エデルソンは、イエスとその弟子たちの顔の上に、ジョージア・オキーフ、リンダ・ベングリス、オノ・ヨーコ、エレイン・デ・クーニングなど、同時代の女性アーティストの顔を貼り付けている。それを囲むようにして、フェイス・リンゴールド、アグネス・マーティン、草間彌生、アリス・ニールなど、さらに多くの女性アーティストの顔が並ぶ。エデルソンはアーティストステートメントの中で、この顔写真の「額縁」について次のように書いている。「見つけられる限りの女性アーティストの写真を使いました。82枚ある写真のほとんどは本人からもらったものです」

エデルソンによると、コラージュの意図は「当時ほとんど注目されていなかった女性アーティストの1人1人に光を当てて称えること、そして、権力や権威ある地位から女性を排除する家父長制を茶化しつつ、女性たちを壮大な主題として提示する」ことだった。イエスの位置にオキーフが描かれているほかは、全員がランダムに配置されている。また、女性同士の連帯を示すため、裏切り者のユダ役はいない。

このコラージュはポスターとして複製され、写真が使われたアーティスト全員に贈られている。また、女性センターやカンファレンスなどでも配布され、フェミニスト・アート運動初期の地下出版物にも掲載された。オキーフは、ニューメキシコのスタジオを訪れた人々にこのポスターを贈るのが好きだったそうだ。「彼女は作品を面白がり、喜んでくれました」とエデルソンは書いている。

7. ジュディ・シカゴ他《Womanhouse(ウーマンハウス)》(1972年)

Photo: Wikimedia Commons.

インスタレーションとパフォーマンスを合わせた画期的なアートプロジェクト、《Womanhouse(ウーマンハウス)》がロサンゼルスで行われたのは1972年。これは、ジュディ・シカゴがカリフォルニア州立大学フレズノ校で開設し、その後ミリアム・シャピロと共同でカリフォルニア芸術大学にも開設した初のフェミニスト・アート・プログラムの一部として企画されたものだ。当初フェミニスト・アート・プログラムはフレズノ校の新校舎に入る予定だったが、1971年の新学期が始まってもまだ建物が完成していなかった。スタジオスペースがない中、シカゴとシャピロ、そして学生たちは、「女性と家」というイデオロギー的かつ象徴的な組み合わせについて考察するため、ハリウッドで取り壊しが予定されていたビクトリア朝様式の邸宅の改修に乗り出した。

廃墟のようだった邸宅は清掃され、床はやすりで磨かれ、ペンキが塗られ、窓ガラスが取り換えられ、17室あった全ての部屋に照明が取り付られた。アーティストたちはこの家を、社会が女性に割り当ててきた役割を示し、誇張し、覆すための創造的な空間に生まれ変わらせた。シカゴの《Menstruation Bathroom(月経バスルーム)》は、バスルームを真っ白に塗り、棚をガーゼで覆い、ゴミ箱に血のついたナプキンやタンポンを溢れるまで詰め込んだインスタレーションで、サンドラ・オーゲルは1枚のシーツに繰り返しアイロンをかける《Ironing(アイロンがけ)》を制作。カレン・ルコックとナンシー・ユーデルマンは、《Lea's Room(リーの部屋)》というパフォーマンスを演じている。リーという名の女性がピンクのベッドルームに座り、化粧をしては落とす行為を延々と繰り返すこのパフォーマンスは、老いの苦しみと、美しさを取り戻そうとする絶望的なプロセスを表現していた。

《Womanhouse》のオープン初日は女性だけが入場を許されたが、1カ月の会期中に1万人以上もの来場者がこの家を訪れている。図録に掲載されたシカゴとシャピロのエッセイには、次のように書かれていた。「古くから女性の役割とされてきた家事という営みは、ここでファンタジーの域にまで誇張された。《Womanhouse》は、女性たちが命が尽きるまで洗濯をし、パンやお菓子を焼き、食事を作り、縫いものをし、掃除し、アイロンがけをしながら見る白昼夢の貯蔵庫だ」

《Womanhouse》参加のアーティスト:ベス・バチェンハイマー、シェリー・ブロディ、ジュディ・シカゴ、スーザン・フレイザー、カミーユ・グレイ、ポーラ・ハーパー、ヴィッキー・ホジェッツ、キャシー・ヒューバーランド、ジュディ・ハドルストン、ジャニス・ジョンソン、カレン・ルコック、ジャニス・レスター、ポーラ・ロンゲンダイク、アン・ミルズ、キャロル・エディソン・ミッチェル、 ロビン・ミッチェル、サンドラ・オーゲル、ジャン・オクセンバーグ、クリスティン(クリス)・ラッシュ、マーシャ・ソールズベリー、ミリアム・シャピロ、ロビン・シフ、ミラ・ショール、ロビン・ウェルシュ、ワンダ・ウェストコースト、フェイス・ワイルディング、ショーニー・ウォーレンマン、ナンシー・ユーデルマン

8. ジュディ・シカゴ《The Dinner Party(ディナー・パーティー)》(1974-79年)

ジュディ・シカゴ《The Dinner Party》(1974-79)の展示風景。3角形に組まれたテーブルの1辺に並ぶ「ユディト」と「サッフォー」の席。Photo: Collection of the Brooklyn Museum, Gift of the Elizabeth A. Sackler Foundation, 2002.10. Artwork copyright © 2025 Judy Chicago/Artists Rights Society (ARS), New York. Photo copyright © Donald Woodman/ARS, New York.

フェミニスト・アートで最もよく知られている作品は、おそらくジュディ・シカゴの《The Dinner Party(ディナー・パーティー)》だろう。このインスタレーションでは、大きな三角形に組まれたディナーテーブルに、39人分の席が設けられている。39人の招待客は、先史時代、古代ギリシャ古代ローマ、初期キリスト教、アメリカ独立戦争、女性参政権運動など、神話や歴史上の有名な女性たち。美しくテーブルセッティングされた席には、招待客の名前が刺繍されたテーブルクロスの上に金の聖杯とカトラリーが並び、外陰部や蝶のモチーフをあしらった磁器の絵皿が置いてある。絵皿の図柄やレリーフはそれぞれの女性の功績を反映したデザインで、テーブルの下の白いタイルの床にはさらに999人の重要な女性の名前が金色で記されている。

また、原初の女神、イシュタル(古代メソポタミアの女神)、聖ブリギット(アイルランドの聖女)、トロトゥーラ(11世紀の南イタリアの医師)、サカガウィア(19世紀初頭のアメリカで通訳として活躍した先住民女性)、ソジャーナ・トゥルース(奴隷解放活動家)、エミリー・ディキンソン(詩人)、ジョージア・オキーフなど、1038人の女性の物語を綴ったバナーやパネル展示もある。女性たちの功績を称える記念碑とも言えるこの常設作品は、ブルックリン美術館のエリザベス・A・サックラー・フェミニスト・アート・センターの核となるものだ。「今までに、おそらく250万人から300万人がこの作品を見ています」と、シカゴは2019年に語っている。「世界中の人々がこの作品から学び、私もこの作品から芸術の力を教えられました」

9. リンダ・ベングリス《Artforum Advertisement(アートフォーラムの広告)》(1974年)

アートフォーラム誌の1974年11月号の4ページと5ページに見開きで掲載された挑発的な広告に、当時の読者は大きな衝撃を受けた。左側のページは黒一色で、そこに小さな白抜き文字でアーティスト名、ギャラリー名、著作権情報だけが記されている。黒い面は右側のページの途中まで続き、その横には裸の女性のセンセーショナルな写真がある。髪を短く刈り、白いフレームのサングラスをかけた女性が脚の間に挟んでいるのは、巨大なゴム製のペニスだ。2人のスタッフが同誌を辞職するほどの騒ぎとなった見開き広告は、リンダ・ベングリスの《Artforum Advertisement(アートフォーラムの広告)》として知られている(2019年にこれが作品の正式名称となった)。

「当時私はジェンダーをめぐる固定観念について考えていて、単一の何かに還元できないイメージを作りたいと思っていました。1つのジェンダー、1つのセクシュアリティや欲望の形には収まらないイメージを提示したかったのです」。ベングリスは2022年にこの作品を振り返ってそう語っている。そのベングリスは、フェミニズムの概念の多くに賛同しつつも、フェミニストを自認したことはなく、自分はヒューマニストだと言っていた。この広告で彼女は、アート雑誌の体裁に対する読者の思い込みに揺さぶりをかけ──おそらくそれよりも重要なことだが──ジェンダーや権力、自己表象に関する既成概念を問い直したのだ。

10. アナ・メンディエタ《Body Tracks(身体の軌跡)》(1974年)

アナ・メンディエタ《Body Tracks》(1974)の一場面。Photo: Artwork copyright © The Estate of Ana Mendieta Collection, LLC. Licensed by Artists Rights Society (ARS), New York. Courtesy of Galerie Lelong & Co., New York

キューバ生まれのアメリカ人アーティスト、アナ・メンディエタは、亡命、自らの原点、風景への回帰といったテーマを探求する作品を残した。1972年から75年にかけては、血やそれを想起させる赤い顔料を用いたパフォーマンスや映像作品を手がけている。彼女は赤い素材に、カトリック信仰を含む重層的な意味を見出していた。

《Body Tracks(身体の軌跡)》と題された映像作品の中で、メンディエタは白い壁に向かって立ち、V字形に伸ばした両手を壁につける。そして血で濡れた両手と袖を壁に擦り付けながらゆっくりと内側に向かって下ろしていき、赤い線で子宮か木のような形を描いた後、地面の近くで壁から手を離す。そして彼女は立ち上がり、画面の外へと歩いていく。彼女の身体が画面から消えても、その行為は目に見える形で残る。壁に擦り付けられた血によって呼び起こされるのは、存在と不在の両方の概念なのだ。

11. マーサ・ロスラー《Semiotics of the Kitchen(キッチンの記号学)》(1975年)

マーサ・ロスラー《Semiotics of the Kitchen》(1975)の一場面。Photo: Artwork copyright © Martha Rosler. Digital image courtesy of the artist and Galerie Lelong & Co., New York

コンセプチュアル・アーティストのマーサ・ロスラーが1975年に制作したこのビデオ作品は、60年代に人気を博した料理番組をパロディ化し、主婦が抱えるフラストレーションを表現したものだ。ロスラーはキッチンカウンター越しにカメラに向かい、家庭にあるさまざまな道具にAからTまでのアルファベットを割り当てていく。それぞれのアルファベットで始まる道具を持ち上げた彼女がする動作は、時に無意味で、時に攻撃的なものになる。

たとえば、Aはエプロン。ロスラーはそれを身につける。Bはボウル。彼女はそれを持ち上げて何かをかき混ぜるふりをする。Cのチョッパー(みじん切り器)を手にした彼女は、金属製のボウルにそれを叩きつけるといった具合だ。ロスラーは、ナイフ、くるみ割り器、麺棒などを手に、切り刻んだり刺したりといった動作を続ける。その無表情と投げやりな身振りは、社会から抑圧的な役割を押し付けられていた当時の女性たちの怒りを表しているように見える。

アルファベットの最後、自分の身体を使ってUからZの文字を表現したロスラーは、この作品について、「女性が食事作りの記号体系の一部に組み込まれるよう、主体性を抑え込み、自分自身を記号化していくさまを表現したいと思っていました」と語っている。

12. キャロリー・シュニーマン《Interior Scroll(体内の巻物)》(1975年)

キャロリー・シュニーマン《Interior Scroll》(1975) Photo: Artwork copyright © 2025 Carolee Schneemann Foundation/Artists Rights Society (ARS), New York. Digital image courtesy Lisson Gallery and P•P•O•W, New York. Photo: Anthony McCall

1975年8月、キャロリー・シュニーマンはイースト・ハンプトンで開催されていた展覧会の会場に、泥を入れたバケツを持って入っていった。服を脱ぎ、シーツにくるまって著書『Cézanne, She Was a Great Painter(セザンヌ:彼女は偉大な画家だった)』を朗読した後、彼女はおもむろにシーツを下ろし、儀式のように泥を体に塗り、ゆっくりと膣から小さな巻物を取り出した。巻物に書かれていたのは、シュニーマンの短編映画『Kitch’s Last Meal(キッチの最後の食事)』(1973-77)のセリフの抜粋だ。彼女がこの映画を制作したのは、ある男性作家から「まとまりのない、女の作品」を作っていると批判されたからだった。

《Interior Scroll(体内の巻物)》と題されたこのパフォーマンスはその後、フェミニスト・アート運動を象徴する作品と見なされるようになった。巻物(スクロール)を自分の体の中から引っぱり出すことで、彼女は女性の身体をモノとして捉える家父長制的なまなざしに挑戦し、それを知識と創造性の場として捉え直すことで、女性自身の手の中に取り戻したのだ。巻物に書かれていたテキストの内容も、男性優位の芸術運動や制度、そして女性アーティストに対する黙殺や見下すような態度に異議を唱えるものだった。

13. ゲリラ・ガールズ《The Advantages of Being a Woman Artist(女性アーティストであることの利点)》(1988年)

ゲリラ・ガールズ《The Advantages of Being a Woman Artist》(1988) Photo: Copyright © Guerrilla Girls. Courtesy guerrillagirls.com

ゲリラ・ガールズという名のアートコレクティブが結成されたのは1984年。そのきっかけは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された「International Survey of Painting and Sculpture(世界の絵画と彫刻)」という展覧会だった。そこで紹介された169人のアーティストのうち、女性は10%にも満たなかったのだ。「アート界の良心」というキャッチフレーズを掲げたゲリラ・ガールズの最初の活動の1つは、主流派の展覧会や出版物から女性や非白人アーティストが排除される原因を作っていると彼女たちが考えていたアート界の団体や展示施設、キーパーソンを糾弾するポスターキャンペーンだった。

「Guerrilla Girls Talk Back(反論するゲリラ・ガールズ)」と題された30枚のポスターの中に、《The Advantages of Being a Woman Artist(女性アーティストであることの利点)》という1点がある。タイトル通りの内容のこのポスターに書かれている13の「利点」とは次のようなものだ。「成功のプレッシャーなしに仕事ができる」、「男性と同じ展覧会に出品しなくてもよい」、「キャリアか母親業のどちらか1つを選ぶ機会を得られる」、「80歳を過ぎてようやく芽が出るかもしれないと思える」。最後の2つのフレーズには、今もなお真実味があると言えるだろう。

14. シリン・ネシャット「Women of Allah(アラーの女たち)」シリーズ(1993-97年)

シリン・ネシャット「Women of Allah」シリーズの《Rebellious Silence》(1994)。Photo: Artwork copyright © Shirin Neshat. Digital image courtesy of the artist and Gladstone. Photo: David N Regen

1957年生まれのシリン・ネシャットは、女性の権利が拡大していた時代にイランで育った。カトリックの学校で西洋とイランの歴史を学んだ彼女は、1974年にカリフォルニア大学バークレー校に入学するため渡米。ところが、在学中に母国は激変してしまう。1979年のイラン革命によって王政が廃止され、ホメイニ師を最高指導者とする保守的な政権が誕生すると、女性の権利が制限されるようになり、公共の場でヒジャブを着けなければならないなど、自由を奪うさまざまな規則が法制化された。

1990年、17年ぶりにイランに戻ったネシャットは、自分が育った頃とは別世界となってしまった社会を目の当たりにする。その時の引き裂かれるような思いをネシャットは視覚化し、「Women of Allah(アラーの女たち)」という画期的なモノクロ写真のシリーズを制作した。それぞれの写真には、ヒジャブを被り武器を持ったイラン人女性が写っている。「これらの写真は、武装した敬虔なイスラム教徒の女性を表す象徴的なポートレートです。どの写真の女性も従順なまなざしをしているのは、表面的なメッセージの背後に複雑で逆説的な現実があることを示唆しています」。ネシャットはこのシリーズについてのアーティストステートメントにそう書いている。

革命後、イランの女性たちは相反する2つの役割を期待されている。ヒジャブ着用の義務など多くの制約を受ける一方で、国のために戦うことも期待されているのだ。この写真シリーズでは、女性の肌が露出した部分にペルシア語の装飾的なテキストが書かれている。それは、親密さやフェミニズム、セクシュアリティなどをテーマにした詩や女性作家の文章から抜粋されたものだ。

15. シャジア・シカンダー《Witness(目撃者)》(2023年)

ニューヨークのマディソン・スクエア・パークに展示されたシャジア・シカンダーの《Witness》(2023)。Photo: Artwork copyright © Shahzia Sikander. Digital image courtesy of the artist and Sean Kelly New York/Los Angeles. Photo: Lynda Churilla

シャジア・シカンダーが手がけた高さ約5.5メートルの立体作品《Witness(目撃者)》は、ねじれた根のような手脚を持ち、雄羊の角の形に髪を編み込んだ女性の像だ。首元のレースの襟は、連邦最高裁判事だった故ルース・ベイダー・ギンズバーグが好んで着用していたものに似ている。細いウエストと丸みを帯びたバスト、そして古代の豊穣の女神を思わせる豊満なヒップの周りを囲むようにして、フープスカートの形をした金属製のフレームがある。それは彼女の体を隠すためにあるのではなく、むしろ彼女が取り仕切る住居を示唆している。そしてフレームを装飾するように、ウルドゥー語で「空気」や「大気」、アラビア語やヘブライ語で「イヴ」を意味する「havah」という言葉がカラフルなモザイクタイルで綴られている。

高密度の発泡スチロールで作られ、金色に塗装されたこの力強い彫刻は、2023年にニューヨークのマディソン・スクエア・パークで初めて展示され、高く評価された。しかしその後、ヒューストン大学の敷地内に展示されるとすぐ、中絶反対団体「Texas Right to Life(テキサス命の権利)」から「悪魔的」だとの批判が巻き起こる。そして2024年7月8日、ハリケーン「ベリル」のためにテキサス各地で停電が起きたとき、何者かによって彫刻の首が切り落とされてしまった。

シカンダーは破壊された彫刻を修復せず、首のないままにすることに決めた。それについて彼女はこう書いている。「この作品を制作したのは、女性性の概念を『天秤を持つ正義の女神』として捉え直すだけでなく、女性を能動的な主体、思想家、参加者として、そして男性が支配してきた芸術と法の歴史の証人として捉え直すことを人々に求めるためだった。そうした当初の意図に加え、今やこの作品は、我われの社会に広まる憎悪と分裂の証人となったのだ」。(翻訳:野澤朋代)

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