なぜ「学校外のアート教育」が重要なのか。韓国の気鋭コレクター、イ・ソヨンの絶え間なき実践
韓国アートシーンのなかで近年注目されるコレクターのひとり、イ・ソヨン。世界的な超有名アーティストから韓国の気鋭の若手アーティストまで幅広く作品を蒐集する彼女は、「アートメッセンジャー」なる肩書のもとで多くのアート教育事業を展開し、YouTubeをはじめSNSでも積極的に発信を行っている。彼女は現在の韓国アートシーンをどう見ているのか。

アート市場の成長に伴ってコレクターが増えている韓国で、いま注目を集めているのがイ・ソヨンだ。大学在学中にダミアン・ハーストの作品を購入して以来、国内外から幅広く320点以上の作品を蒐集している。一方では、その審美眼と知識を活かした教育者としても活躍する。運営している教育機関は数多く、子ども向けのプログラムを開設する「子ども現代美術教育研究所 ビッグフィッシュアート」、美術館を学びの場とする「ジョイミュージアム」、コレクター向けの講座「Re:Art」、企業・公共機関向けの美術リテラシー教育機構「SOTONG ART」などターゲットもさまざまだ。
韓国では昨今、歴史的な女性アーティストの“再発見“が進んでいる。アーティスト、マーケット、そして多様なオーディエンスと触れ合う彼女はこの状況をどう見ているのか。

女性アーティストの作品は「同時代性と共感」で買う
──まずはコレクターとしての活動についてお聞きしたいです。26歳の時に初めてダミアン・ハーストの作品を購入されたそうですね。
はい、初期に購入した作品は、ダミアン・ハーストやトレイシー・エミンなどのYBAs(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト/Young British Artists)、日本の作家だと奈良美智や草間彌生などです。今は、およそ320点の作品を所蔵しています。最近、「アート・ジャカルタ」に行ったんですが、インドネシアを代表する現代アートギャラリー「ROH」で、2001年生まれの韓国人アーティスト、イ・スビンのペインティングを購入しました。フェアでインドネシアのギャラリーが韓国の作家を紹介している点も良かったです。
──作品を購入するときの決め手はなんでしょうか?
アーティストそれぞれに異なる魅力があるため、ひとことでまとめるのは難しいですね。ただ私の場合、まず直感的に惹かれる何かがあり、そこから背景を詳しく聞いたり、自分で調べたりするなかで、だんだん作品への理解と愛着が深まっていくことが多いです。たとえば、グランマ・モーゼス*も、そうした存在のひとり。彼女が70代半ばになってから、孫の画材を使って初めて絵を描きはじめたというエピソードを知り、強く共感しました。その背景を知るうちに関心が深まり、彼女についての本『모지스 할머니, 평범한 삶의 행복을 그리다(グランマ・モーゼス、平凡な人生の幸せを描く)』(未邦訳)の執筆にもつながりました。
また、エテル・アドナンの作品を購入したこともあります。中東系レバノン出身という抽象画家としては比較的珍しいバックグラウンドをもち、絵画にとどまらず、多くの著作を残した作家・詩人でもある。テキストとペインティングを横断しながら制作を行ってきた点に惹かれましたね。
* アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(通称グランマ・モーゼス)/アメリカの画家。高齢で本格的な絵画制作を始め、成功した人物として知られる。
──国外アーティストのほか、韓国の女性アーティストによる作品もよく購入されていますね。
そうですね。私と近い1980年代生まれの女性アーティストの作品が多いです。私たちが生きるこの時代をよく捉えていると納得することが多くて。実際に会ってみるとやはり同年代なので話も合うんですよ。一般的にも、コレクターが自分の年齢と近い同時代のアーティストの作品を購入するのは、やはり社会的な背景や文化的な感覚を分かち合えることがすごく大きいと思います。いまはさらに1990年代、2000年代生まれのアーティストにも注目しています。
──過去にはパク・ミンハさん、イ・ウンセさん、べ・ヘユムさんの作品も所有していると語っていました。最近購入したなか、あるいは韓国の女性アーティストの作品で印象深いものはありますか?
シン・ミンの「労働」をテーマにした彫刻です。出会ってすぐにひとめ惚れして(笑)、2点所蔵しています。一見かわいらしく見えますが、実は素材が、マクドナルドのフライドポテトの袋なんです。フランチャイズの飲食店でアルバイトをしている人々がモチーフなのですが、大企業のなかで速やかに消耗され消費される“人材”として扱われること、そして、常に親切さを求められる「感情労働」の側面など、サービス業に従事する人々が、どのような悲哀を抱いているのか。どのような仕事の悲しみと苦しみがあるのか。そんな問いかけをユーモラスに、率直に表現しているのがとても魅力的でした。労働者のための守護天使を描いたドローイングのシリーズもあって、それもとてもいいんです。
女性コレクターと女性アーティストが切り拓く未来
──韓国のコレクターにはどのような特徴がありますか?
アジア諸国のなかでも、中産層の美術コレクターが多いですね。また、韓国には、サムスン文化財団のリウム美術館、アモーレパシフィックのアモーレミュージアムなど企業が運営する美術館が他の国に比べて多く、政府がギャラリーやアーティストを支援するシステムが意外とよく整っています。だからこそ、よりアートが大衆的な関心を集めやすいですし、さらに市場が大きくなると期待しています。
また、アートを購入する女性も増えていて、実際に私が運営しているアートサロン「Re:Art」の会員の80%は女性コレクター。毎週集まって私の講演を聞いたり、アート関連の本をテーマにトークをしたり、ギャラリーのプログラムについてセミナーをするなど、とても精力的に活動しています。コレクター同士の交流も活発で、オンラインカフェのほかにコレクター同士でギャラリーの展示情報や作品情報をシェアしあうカカオトークのグループチャットもあるんです。住んでいる場所にかかわらず、メッセージを頻繁にやりとりしながら密にコミュニケーションをとっています。
────世界的に女性アーティストを再評価する流れが進んでおり、国際的なアートフェアで韓国の女性アーティストが紹介される機会も増えていますね。
どちらのシーンにおいても、近年、ようやく女性アーティストが注目されるようになったと思います。西洋のアートシーンにおいて、女性が「対等な同業者」として見なされるようになったのは、1970年代のフェミニスト・アート運動の以降の動きだと考えるべきでしょう。そもそも制度圏の教育、アカデミー、公募展に本格的に参入したのも19世紀末から20世紀以降のこと。女性が優れたアーティストとして活動するためには、多くの社会的、政治的な障壁がありました。
韓国でも、ナ・ヘソク[編注:羅蕙錫・1896年生まれの朝鮮初の女性西洋画家であり啓蒙運動家]のような先駆的な例をのぞけば、本格的に女性の美術大学生や、専業としての女性アーティストが登場するのは、およそ1960〜70年代以降。さらに、制度や市場、批評の中心に女性が存在感を示しはじめたのは1990年代以降であり、ここ近年の動きだといえます。
──そしていまだに平等な評価を得られているわけではない状況もありますね。
そうですね。実際にジャクソン・ポロックやマーク・ロスコ、ピカソやモネのような列強国出身の白人男性アーティストによる作品のオークション最高価格に比べて、草間彌生、ジョージア・オキーフなど女性アーティストの作品の価格が低いのは確かです。韓国にももちろん、時代ごとに素晴らしい女性アーティストがいます。先ほど触れたナ・ヘソク、ユン・ソクナム、チェ・ウッキョン、パク・レヒョン、キム・ユンシン……でもやはり、パク・ソボ、李禹煥、キム・ファンギなどの男性アーティストに比べると知名度が劣ります。多くの展覧会で積極的に紹介されることを願っていますし、そうあるべきでしょう。世界的に過小評価されてきた女性アーティストに光を当てるような流れは、これからも続きそうです。
──そのような状況を踏まえて、フェミニスト・アートは、今どのような地点にあると言えるのでしょうか。
表現の面では、フェミニスト・アーティストの第一世代が、主に「女性の経験の可視化」や「制度への批判」に重点を置いていたことに対して、近年はジェンダー、人種、階級、生態といった要素を交差的に扱う、インターセクショナリティの観点へとより拡張している印象がありますね。コレクターの立場から見ても、ひとつの文脈には括れない多様さがあると感じています。ただ作品を購入するときは、フェミニズムの理念そのものに惹かれるというよりは、その視点をもつアーティストが新たに切り開くイメージや物語、アーカイブの力に注目するケースの方が多いと感じています。

投資ではなく愛好するためのアート
──ソヨンさんはコレクターとしてのみならず「アートを伝える」ことを多様なチャンネルで実践していますね。
コレクターとして買ったものを紹介することもそうですし、私はアートを伝える仕事が、結局はすべて教育につながると思っているんです。ですから、「美術教育者」としてのポジショニングがもっとも大事です。伝える相手はさまざまですが、運営している教育機関やアートメッセンジャーというニックネームで運営しているYouTube、そして著作も、私にとっては「教育」のひとつのありかたなんです。
──本格的に「教育」を意識して活動するようになったのはいつからですか?
いわゆる公共教育、学校とは違うフィールドで本格的に活動を始めたのは2008年です。美術教育学、美術史で修士課程を修了して以来17年間、美術教育のありかたやスタイルは公教育に限定されないほうがいいという考えが常にありました。そのうちに自然といまのスタイルに辿り着きましたね。私が生涯を通じて取り組みたいのが学校の外で行う美術教育であり、(運営している)会社のモットーも「人生のための美術教育」なんです。ブログとYouTubeで「アートメッセンジャー」と名乗っているのも、いつでもどこでも、年を重ねても美術を伝えたいという思いから。アートメッセンジャーの由来は、ギリシャ・ローマ神話で神々の伝令使である「ヘルメス」。実際に名乗り始めてから、より「アートのニュースや情報をしっかり伝えなければ」という使命感が生まれました。
──YouTubeでは、実際にアートシーンで働く女性をゲストに招くなど、多様な立場の女性に光を当てているように感じました。
美術界で働く多様な職業群、例えばギャラリスト、キュレーター、アートフェアのスタッフなど、さまざまな女性に出演してもらうようにしています。最近では、ドスント(美術館や博物館、展示のガイド)の女性に出演してもらった回もあります。彼女たちがどのように働いていて、どんな姿でアートシーンを生きているかを見せることを重視しています。ですから私の動画はかなり飾り気がないですし、率直でドキュメンタリー性が強いともいえます。これからもその方向性で続けたいですね。
──教育を通して「ここはもっと変えていきたい」と感じている部分はありますか?
たとえばアートを所有することについて、投資ではなく愛好として、私たちの生活空間でともに生きていく、よい伴侶であるという認識がもっと広がるべきだと感じています。私たちの人生にとってアートがなぜ重要なのか、アートと生きることの幸せについて、多くのコミュニケーションを交わす必要がある。それを伝えるために、講演やYouTubeを活用しています。
ジェンダーやフェミニズムに目を向けると、先に申し上げたような「偉大な芸術家=男性」という無意識の前提もあり、ジェンダー問題について語りにくい空気がまだあるように感じます。子ども向けの教育では、素材やテーマを選ぶとき、特定の性別と結びつけないようにプランニングし、女性やクィア・アーティストの事例を多様に、そして自然に提示することが重要だと思っています。成人向けの教育では、第一世代のフェミニストをはじめ、歴史的な流れを踏まえつつ、「もしこの作品が存在していなかったら、私たちは何を認識できないままだったか?」といった問いを投げかけます。理念を押し付けずにそれぞれの認識を揺さぶる方法が議論において効果的だったように感じていますね。
──これから新しく挑戦したい仕事や計画があれば教えてください。
2025年の冬に『그림 읽는 밤』(『絵を読む夜』、未邦訳)を出版しました。いまも子どものための美術史や鑑賞についての本、見過ごされてきた女性アーティストを紹介する本の制作を進めています。読者とのコミュニケーションと教育という意味で、継続的に本の執筆を続けていきたいですね。また、アートコレクターの友人とともに、色々なプロジェクトを準備中です。
私は「アートシーンを変える/改善していく」というのは少し大袈裟なことのように感じるんです。壮大な目標を掲げるより、私がアートの領域で幸せに働き、日々多くのことを感じている姿を見せたい。それが人々に伝わることで、より多くの人が関心を持ってくれるようになるんじゃないかと信じています。

イ・ソヨン|アートコレクター、教育者、美術エッセイスト。美術大学卒業後、大学院で美術教育学を学んだ。2008年より学校外での美術教育活動を開始し、多数の美術教育機関や講演、ワークショップなどを主催している。YouTubeチャンネル「アートメッセンジャー イ・ソヨン」では、アートシーンで働く人々のインタビュー、アーティストや展示、コレクションの紹介など、アートに関わるさまざまなコンテンツを発信。著書に『모지스 할머니, 평범한 삶의 행복을 그리다』(『グランマ・モーゼス、平凡な人生の幸せを描く』、2022)や『하루 한 장, 인생 그림』(『一日一枚、人生の絵』、2023)、『처음 만나는 아트 컬렉팅』(『はじめて出会うアートコレクティング』、2022)』(すべて未邦訳)など。
Text: Ruka Kiyama Edit & Photo: Shunta Ishigami













