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  • 2022.05.20

私は黒人女性に語りかけたい:ヴェネチア・ビエンナーレ最高賞シモーヌ・リーの創作

2022年のヴェネチア・ビエンナーレの米国館では、メイン展示部門で最高賞の金獅子賞を受賞したシモーヌ・リーの展覧会が開催されている。黒人女性が金獅子賞を受賞するのも、米国の代表アーティストに選出されるのもビエンナーレ史上初めてのことだ。

制作中のシモーヌ・リー(2021) Photo Shaniqwa Jarvis/Courtesy Matthew Marks Gallery

米国館の当初の展示タイトルは「Grittin」の予定だった。これは、身を守る決意を表す俗語だ。しかし開幕の直前、リーはそれを「Sovereignty(主権)」に変更している。その理由は、パビリオンの前に立てば分かる。茅葺き屋根と、荒く削った木の梁と二重の柱廊が、パラディオ様式の重厚な建物をすっかり覆い隠しているのだ。強い象徴性を持つこの建物の外観を変貌させたこと。そしてその内部で展示する作品の優美さと力強さ。どちらにおいても、リーの仕事は威厳に満ちた存在感を放っている。

シモーヌ・リーが手がけたヴェネチア・ビエンナーレの米国館 ©Simone Leigh/Photo Timothy Schenk/Courtesy the artist and Matthew Marks Gallery

米国館を一変させたファサードデザインでリーが参考にしたのは、実際のアフリカの建築様式ではなく、1931年にパリで開かれた植民地博覧会の建物だ。当時、この博覧会に反発したフランスのシュルレアリストのグループは、地元の共産党支部と共同で植民地政策を批判する博覧会を同時期に開催していた。しかし、シュルレアリストたち自身もアフリカの部族芸術を形式的に取り入れ、商業的に利用していた事実がある。リーは、こうした搾取と権利擁護が絡み合った糸を、ある方向へと導いている。作品を通して、自らがアフリカ的なイメージの正当な継承者だということを示しているのだ。

同館の前庭には、光沢のある黒いコーティングを施した巨大なブロンズ像が置かれている。《Satellite(衛星)》と名付けられたこの彫刻は、同館で展示されている他の作品と同様、制作年が2022年と記されている。高さ7メートルを超えるこの作品は、パブロ・ピカソなどが収集してきたことで知られる祭礼用のドゥンバの仮面に着想を得たものだ。

西アフリカのバガ族が、冠婚葬祭や農耕に関する祭礼で着用するこの仮面は、何人もの子どもを育て上げた長老女性の母性を表現している。ややこしいことに、それを着けるのは若い男性で、仮面の脚は彼らの肩にまたがった形になる。長年にわたって授乳してきたことを示す平たく垂れた乳房など、この仮面の特徴はリーの作品で強調・抽象化され、その大きさは鑑賞者の頭上にそびえるほどに拡大されている。最も大胆に変えられているのは頭部だ。リーは頭にあたる部分を上方に少し傾けた大きな皿に置き換え、表現の信号を送受信できる強力な衛星放送のアンテナに見立てている。

この大きな皿はリーの作品でおなじみのモチーフで、目のない、あるいは顔のない頭部の1つのバリエーションだ。パビリオン中央の小さな円形ギャラリーに立つ、すらりと背の高い像《Sentinel(見張り)》にも、やはり浅い皿状の頭部が取り付けられており、その上でドームの丸い天窓が後光のような効果を持っている。

シモーヌ・リー《Sentinel(見張り)》(2022)ブロンズ。約493 × 99 × 59cm  Photo Timothy Schenck/Courtesy Matthew Marks Gallery

白人社会の中で業績を認められなかったり、盗用されたりすることが多い米国の黒人、それも特に女性にとって、そうした体験自体がアイデンティティの一部となることがある。そこに存在するのに、いないことにされている不可視性を、リーは謎めいた像として表現する。それらは口を閉ざし、目を固く閉じている。

19年にニューヨークのグッゲンハイム美術館でヒューゴ・ボス賞の個展を開催した際、リーは、自分は何よりもまず黒人女性の鑑賞者に向けて語りかけていると明言した。それ以外の人々に対しては、作品を簡単に理解した気にならないでほしい、その前にきちんと歴史を勉強するように、と挑戦的な姿勢を示していた。

だが、「Sovereignty」展では戦術を変え、作品のインスピレーションの源を解説したり暗示したりするパンフレットを用意している。たとえば、《Sentinel》はパワーフィギュアと呼ばれるアフリカの呪術的な像と関連づけられており、頭部の皿は明らかに、リーの友人で彫刻家のワンゲチ・ムトゥを意識している。ムトゥが古代の柱像に着想を得て制作し、ニューヨークメトロポリタン美術館のエントランスを飾った威厳に満ちた女性像は、磨かれたブロンズの円盤が顔を覆い隠したり頭上に乗せられたりしている。また、ジャコメッティの《Spoon Woman(女=スプーン)》も、この作品から連想されるものの1つだ。

リーが手がけてきた中で最も注目されたプロジェクトの1つは、14年にクリエイティブ・タイム(パブリックアートの団体)とスタイヴェサント・マンション(黒人女性の産婦人科医が設立した、病院を改造したコミュニティセンター)の後援を受け、ブルックリンに開業した「フリー・ピープルズ・メディカル・クリニック」だ。ここでは、HIV検査、血圧測定、ヨガ教室、鍼治療などのサービスを提供していた。

このプロジェクトのヒントになった先例には、1867年に2人の解放奴隷が設立したユナイテッド・オーダー・オブ・テンツという団体がある。かつては黒人の女性看護師によって秘密裏に運営され、今も活動が続いている。また、1970年代初頭にブラックパンサーが提供していた無料の医療サービスも参考にしている。

2016年にニュー・ミュージアム(ニューヨーク)で行われたスピンオフ企画「Waiting Room(待合室)」も、上記のプロジェクトと同様、黒人女性が黒人女性のために企画したものだった。だが、リーは現在、こうした取り組みに過度に注目が集まっていると感じている。確かに、議論を呼んだことは間違いないだろう。

「Waiting Room」に関して、キュレーターのヘレン・モールズワースはアートフォーラム誌に次のように書いている。「正直なところ、リーが黒人女性だけに呼びかけてこのイベントを組織したことを『問題だ』と感じた時期があったかもしれない。その時の自分の気持ちを説明するとしたら、仲間に入れてもらえなかった疎外感を隠して『本質主義(*1)』だと批評しただろう」

*1 ある集団に本質的に備わっている性質があるという考え方。それは時代が変わっても変化せず,普遍的で絶対的なものだと捉えるため,多種多様であるはずの人間をステレオタイプに押し込めがちだという問題もある。

その後、モールズワースが考えを改めたのは、包摂的であることよりも、主催者の独立性の方が重要だと思い至るようになったからだ。そして、リーの戦術は変わったかもしれないが、その優先順位は変わっていない。

「Sovereignty」展に付随して10月に開催される3日間のカンファレンス、「Loophole of Retreat(避難の抜け穴)」(10月7~9日。予約制で入場は無料)の登壇者は全て黒人女性だ。オープン・ソサエティー財団の文化・芸術ディレクター、ラシーダ・バンブレイが企画するこのカンファレンスのために、アーティスト、作家、ダンサー、映画制作者、学者らがヴェネチアに集まる。なお、リーのヒューゴ・ボス賞の個展でも、同じタイトルのシンポジウムが開かれた。

カンファレンスのタイトルは、1861年に出版された元奴隷の女性の回想録に由来するもので、著者が7年間身を潜めていたという狭い空間を指している。リーがヴェネチア・ビエンナーレのプレスイベントで語ったところによると、この言葉は「考え、計画し、書くといった様々な形で自由を実践すること」や、叙情性の余地を作ることを示唆しているという。(理論家のティナ・キャンプトとともに)このカンファレンスのアドバイザーを務める作家で学者のサイディヤ・ハートマンは、著書『Wayward Lives, Beautiful Experiments(気ままな生き方、美しい実験)』(2019)の中で、「逃げ道や抜け穴を探すことを『美しさ以外の何ものでもない』と考えない人がいるだろうか」と問いかけている。

リーは「Sovereignty」展を企画するにあたり、いくつかの「指針」に従ったと語っている。そのうちの1つが、ハートマンの「クリティカル・ファブレーション(critical fabulation:評論的手法による物語の創造)」という概念だ。リーは、無名の若い黒人女性についての情報をわずかに残る歴史資料から集め、共感と想像力の助けを借りて、複雑な1人の人間の物語として提示する。

ハートマンの著作を自らの基準とするリーにとって、もう1つの重要な指針は「クレオール化」、つまり言語と形式の混成だ。さらには、魔術的リアリズムや自然と超自然を融合させた医療へのアプローチも含まれる。つまり、リーの作品には事実とフィクション、引用と創作が混在しているのだ。

シモーヌ・リー《Last Garment(最後の服)》(2022)ブロンズ。約137 × 147 × 69cm  Photo Timothy Schenck

たとえば、米国館の最初の展示室にある大がかりなブロンズ彫刻《Last Garment(最後の服)》を見てみよう。黒く静謐な印象を与える浅いプールの中で、女性が腰をかがめて洗濯をしている。この作品の参照元の1つは、19世紀のジャマイカの土産物や絵葉書に登場する黒人の洗濯婦という侮蔑的なモチーフだ。この主題を再生させるにあたって、リーは人物に肉体的な尊厳を与えている。

隣の展示室には、150cmを超える高さの白いストーンウェア(*2)の水差しがあり、その側面には6つの楕円形のものがスイカのように盛り上がっている。この形は、リーの彫刻にしばしば登場するタカラ貝に似た形のバリエーションで、恐ろしげなヴァギナ・デンタータ(歯のある女性器)を思い起こさせる。だが、この作品には、社会的・政治的な含みもある。その1つは、南北戦争前の奴隷が密かに、そして戦後は解放奴隷が人目をはばからずに作っていた「顔型の水差し」だ。それが何を象徴していたのか、どんな用途があったのかについては謎が多い。

*2 炻器(せっき)。陶器と磁器の中間的なもの。

水差しと同じ展示室には、大きなスカートと膨らんだ袖を持つ、白く輝くストーンウェアの女性像がある。その手は祈りか懇願のために組まれ、顔には目がない。この像の仕草は、1882年に撮影された黒人女性の写真から引用されている。植民地の風俗を感傷的に描いた「プランテーションライフ」という写真シリーズのもので、同じ写真には顔型の水差しも写っている。

シモーヌ・リー:手前《Sphinx(スフィンクス)》(2022)ストーンウェア。奥《Cupboard(戸棚)》(2022)ヤシの繊維、鉄、上薬をかけたストーンウェア AP

「Sovereignty」展の最後の展示室に並ぶのは、2014年にカラ・ウォーカーが制作した女性の頭を持つ巨大なライオン像にインスパイアされたと思われる、幽霊のような灰色のスフィンクスと、頭はないが両手で誇らしげに胸を支える、鮮やかなブルーの女性像だ。そしてもう1つ、天井に届きそうな大作がある。入り口の茅葺き屋根を思い起こさせる、ヤシの繊維でできたスカート状の造作物の上に、ストーンウェアのタカラ貝を冠した作品だ。

リーが作る像によく出てくるドーム型のスカートは、カメルーンやジンバブエの伝統的な住居や台所を参考にしている。さらにリーは、アートニュースペーパー紙のナンシー・ケニーのインタビューで、ベラスケスの《ラス・メニーナス》に描かれたスカートや、アフリカ系ブラジル人が信仰するカンドンブレで女性が身につける儀式用スカートにも言及している。そしてもう1つの重要な参照元が、ミシシッピー州にあるマミーズ・カップボード(Mammy’s Cupboard:マミーの戸棚)というレストランだ(*3)。建物の外観が女性の形をしていて、客はそのスカートの中に入るという作りになっている。「スカートの中に入って食事をするという行為には、象徴的な暴力性があり、とても衝撃的だった」とリーは語っている。

*3 マミーという言葉には、米国南部で白人家庭に住み込みで働く大柄で優しい黒人女性の召使を指す軽蔑的な意味もある。

今回のヴェネチア・ビエンナーレで、リーは初の映像作品を発表している。《Conspiracy(陰謀)》という20分の作品だが、同じ展示室では、もう1つ、彼女とって初めての試みの成果を見ることができる。彼女の友人で同僚、そして実績あるノンフィクション作家のシャリファ・ローズ=ピッツのブロンズ像だ。等身大よりも大きく、顔もしっかり分かるこの像は、目線を下に落としていて、ブルックリンのスタジオで作業するリーを捉えた映像作品のトーンとマッチしている。

映像作品では、仕事をするリーの手の動き、そして肉体労働に焦点を当てており、ヤシ繊維のスカートをはいた彫刻に火をつけて燃やし尽くすというドラマチックなシーンもある。この儀式を見守る人々の中には、リーの友人で師でもあるパフォーマンスアーティストのロレイン・オグラディもいて、威厳ある存在感を放っている。マドリン・ハント=エーリッヒが撮影したこれらの美しい映像は、リーが自分の作品の受容のされ方をコントロールする手段にもなっている。

ニューヨークのハイライン公園に展示されている《Brick House(レンガの家)》(2019)ブロンズ。高さ約5メートル Photo Timothy Schenck/©Simone Leigh/Courtesy the artist and High Line

今回のビエンナーレでは、米国館以外の2カ所でもリーの作品を見ることができる。中でも際立っているのは、キュレーターのチェチリア・アレマーニがアルセナーレ会場の一番目立つ場所に配置した《Brick House(レンガの家)》(2019)だ。リーはこの作品で、ビエンナーレの最優秀アーティストに与えられる金獅子賞を受賞した。巨大で威厳のあるブロンズの胸像は、アレマーニがディレクションしたニューヨークのハイライン公園のアートプログラムで初めて公開されたもの。また、アルセナーレの裏手の庭を飾る《Cupboard(戸棚)》(2022)は、大きく広がったスカート姿の金色にコーティングされた腕のないブロンズ像で、眩いほどの美しさだ。

アルセナーレ付近の公園に展示されている《Cupboard(戸棚)》(2022) AP Photo/Antonio Calanni

アレマーニのキュレーションによる今回のビエンナーレの主な目的の1つは、アートに再び魔力を呼び込むことだ。魔術的リアリズムへの傾倒や、心身の健康・幸福に対する非西洋的、そして女性的なアプローチの尊重は、リーの方向性と合致している。とはいえ、リーもアレマーニも現代の重要な政治的課題に無関心なわけではない。昨今の文化では精神性が合理性を駆逐しているようにも見えるが、リーの仕事に関して言えば、人種問題や社会の不公正に正面から向き合った作品が最も力強かったと私は思う。

アレマーニはアートフォーラム誌のデビッド・ベラスコとの対話の中で、(国別のパビリオンが並ぶ)ジャルディーニ会場が、「国民国家という概念」を暗に支持していることを嘆いている。そして、普段は時代遅れなものとされるこの概念が、新たな侵略が起きた時に頭をもたげることも指摘している。ロシアのウクライナ侵攻が我々に思い起こさせるものがあるとすれば、それは神話的な国家理念を信じることの危険性だろう。

ジル・メドベドウと共同でアメリカ館のコミッショナーを務めるエバ・レスピーニは、「Sovereignty 」展のプレスイベントでリーに、米国代表を務めるのはどんな意味を持つのかと尋ねている。リーは、「前に進むためには、ナショナリズムという概念を捨て去る必要がある」と答え、会場の喝采を浴びた。ちなみに、レスピーニとメドベドウはボストン現代美術館のディレクターとチーフキュレーターで、23年3月に同美術館で始まるリーの個展ではヴェネチア・ビエンナーレの出品作品も展示される(その後米国各地の美術館を巡回予定)。

だが、その発言の後にリーは、「ジャマイカからの移民の両親のもとに生まれた私は、米国的な体験もしている」と付け加えている。近年のリーは、アメリカンドリームを地でいくような目覚ましい成功を収めた。ハウザー&ワースからマシュー・マークスにギャラリーを移った彼女は、有名アーティストとして資金も潤沢にあり、活動の自由度も広がっている。ブルックリンのレッドフックに大きなスタジオを構えたり、粘土で作った原寸の像からブロンズ像を鋳造するためフィラデルフィアの鋳造所を貸し切ったり、今回のビエンナーレでは床の補強を含めた米国館の改装のために建築家を雇ったりするまでになったのだ。

1967年にシカゴで生まれたリーは、クエーカー教系のアーラム大学で学び、その後アートの道に進んだ。シアスター・ゲイツと同じく(2人とも最初は陶芸作家だった)、手作業へのこだわりを突き詰め、短期間だが社会的な実践経験を積んだ。そして、2019年のビエンナーレで米国館を飾ったマーティン・ピューライヤーと同様、アフリカ工芸の伝統について学び、現代アートにそれを生かしている。そして、キュビスムでは形式的に、シュルレアリスムでは象徴的に利用されたアフリカの祭礼用のオブジェに関して、自分こそがそうしたモチーフを扱うべき存在なのだと主張する。

シモーヌ・リーによる、タカラ貝の形をした大型のストーンウェア作品

これらの選択は全て、彼女の抵抗の精神を反映している。私がリーの作品で最も強力だと感じる要素は、煮えたぎるような無言の怒りだ。それは、映像作品で彫刻を燃やすシーンに垣間見え、パビリオンの燃えやすそうな藁葺屋根、タカラ貝のむき出しの歯、そして何よりも、鑑賞者の存在を認めない目を閉じた像が多いことに、その怒りが表れている。

リーは常に文化的、社会的な排除の力を捉え、作品の中でそれを怒りに変える。もちろん、現在の名声は、その姿勢を逆説的なものにしているとも言える。怒りはともすれば、物事を歪め、コミュニケーションを阻害する。しかし、それはまた、表現に極限まで力を与えるものでもあるのだ。世界中から集まる人々の虚栄やむき出しの欲望だけでなく、誠実な好奇心や真摯な芸術的探究が見本市のように並ぶビエンナーレという場において、リーは絶妙なバランス感覚を発揮している。

シモーヌ・リーの作品は、11月27日までヴェネチア・ビエンナーレで展示される。(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年5月4日に掲載されました。元記事はこちら

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