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  • 2022.08.01

マネの《オランピア》から現代アートまで。改めて考えたい奴隷制と美術の関係

近年、美術館をはじめとするアート界において、奴隷制から利益を得てきた歴史を見つめ直そうという動きがある。また、こうした気運と呼応するように、美術と奴隷制に関する研究書も発表されている。マネの名画《オランピア》をめぐる考察などから、その歴史的背景と問題の核心を読み解いてみよう。

アルフレッド・R・ウォード《Scenes on a Cotton Plantation(綿花プランテーションの風景)》、木版画、ハーパーズ・ウィークリー(1867年2月2日付) LIBRARY OF CONGRESS

ロンドンにあるナショナル・ギャラリーは、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの英国奴隷制遺産研究センターと共同で、同美術館と大西洋奴隷制貿易との関係を研究するプロジェクトを進めている。2021年末に発表された報告書の第一弾では、美術館設立後の数十年間に、直接奴隷化に手を下したり、プランテーション経済との金銭的な結びつきによって間接的に奴隷制や奴隷貿易から利益を得たりした美術館関係者の名前が挙げられている。

その顔ぶれは収集家、慈善家、芸術家など多岐にわたる。たとえば、海上保険業で財を成したジョン・ジュリアス・アンガースタインは、ラファエロやルーベンスヴァン・ダイクなどの絵画コレクションを遺贈し、ナショナル・ギャラリーの所蔵品の基礎づくりに貢献した人物だ。画家のトマス・ゲインズバラは、カリブ海アンティグア島のサトウキビ・プランテーション経営者の支援を受けていた。さらに、国王チャールズ1世は美術収集に力を入れたことで知られるが、1632年にギニア沿岸からアメリカ大陸へアフリカ人奴隷を輸送するシンジケートに営業許可を与えている。


ハイラム・パワーズ《The Greek Slave(ギリシャの奴隷)》(1846)、大理石、167.5 × 51.4 × 47cm


ジョン・テニエル《The Virginian Slave(バージニアの奴隷)》、パンチ誌 第20号(1851年6月7日付)

近年、美術界が長年にわたって奴隷制から利益を得てきた歴史的事実を認めるべきだという気運が高まっている。ナショナル・ギャラリーの報告書もその一例だ。しかし、こうした動きは新しいものではない。1851年、奴隷制廃止運動家のウィリアム・ウェルズ・ブラウン、エレン・クラフト、ウィリアム・クラフトは、ロンドンのクリスタル・パレスで開催された万国博覧会に抗議し、かつて奴隷だった自分たちの存在をアピールするとともに、博覧会で賞賛を浴びている芸術や産業の進歩が、アメリカ大陸の奴隷労働から得た富に依存していることを訴えた。

ブラウンが自らの主張を視覚的に伝えるために、英国の挿絵画家ジョン・テニエルの風刺画《The Virginian Slave(バージニアの奴隷)》を、米国の彫刻家ハイラム・パワーズの白大理石の像《The Greek Slave(ギリシャの奴隷)》(1841-43)の台座に掲示したことはよく知られている。テニエルの風刺画には、手かせをはめられた黒人女性が描かれ、その台座には、「E Pluribus Unum」と書かれている。これは「多数から一つへ」を意味するラテン語の成句で、多数の州からなる米合衆国を表すものだ。

ブラウンは、この風刺画はパワーズの白大理石の像の「仲間としてふさわしい」と言ったと伝えられる。なぜなら、奴隷労働による搾取と、美術品の制作・展示との関係を万博の見学者に意識させるものだからだ。

19世紀の急進的な黒人奴隷制廃止論者や活動家が指摘していたこの問題は、最近になって、文化施設や美術史における喫緊の課題とされるようになった。英国のナショナル・トラストは、管理下にある歴史建築や美術品コレクションと奴隷制や植民地主義の歴史との関係について、115ページにおよぶ報告書を発表。オランダアムステルダム国立美術館レンブラントハイス美術館ロサンゼルス・カウンティ美術館などの美術館でも同様の取り組みが進められている。

さらに、「Decolonize This Place(この場所を脱植民地化せよ)」「Museums Are Not Neutral(博物館は中立的ではない)」「Strike MoMA(ニューヨーク近代美術館にストライキを)」といった草の根運動が、帝国主義がもたらした富や、奴隷制と植民地主義の上に成立した多くの文化施設が中立性を主張している欺瞞への批判を強めている。


左:ヘンリー・セイヤー著『Value in Art: Manet and the Slave Trade(美術における価値:マネと奴隷貿易)』(シカゴ大学出版、2022年、256ページ、カラー図版42点、モノクロ図版39点、布装、45ドル)
右:アンナ・アラビンダン=ケッソン著『Black Bodies, White Gold: Art, Cotton, and Commerce in the Atlantic World(黒い肉体、白い金:大西洋世界における芸術、綿花、商業)』(デューク大学出版、2021年、320ページ、カラー図版88点、ペーパーバック、28ドル) George Chinsee for Art in America

美術館の取り組みを補完するような研究成果も発表されている。それは、美術界の中心的な素材や美的カテゴリーが、いかに奴隷制度や奴隷貿易を形成し、また、それによって形成されたかを問うものだ。その代表的なものに、最近出版された2冊の本、ヘンリー・セイヤー著『Value in Art: Manet and the Slave Trade(美術における価値:マネと奴隷貿易)』(2022)とアンナ・アラビンダン=ケッソン著『Black Bodies, White Gold: Art, Cotton, and Commerce in the Atlantic World(黒い肉体、白い金:大西洋世界における芸術、綿花、商業)』(2021)がある。

この研究書は、美学、人種、経済学が絡み合う言説の根底にある「価値」という言葉に、奴隷制の歴史がどう組み込まれているかを考察している。人、物事、思想の価値とは、どのように与えられるのか。批評家、芸術家、鑑賞者は、どのようなやり方で、どのような目的のために、価値を呼び起こしてきたのか。これらの営みは、奴隷制度、人種資本主義、白人至上主義の暴力にどのように組み込まれているのか。そして、こうしたプロセスを理解するために、学者たちはどのようなアプローチをとっているのか。

セイヤーは、価値についての物語の始まりを、1865年、つまりエドゥアール・マネがパリ・サロンに代表作の1つ《オランピア》を出品した年に設定している。この絵には、白人女性と黒人女性が並んで描かれている。高級娼婦である白人女性は裸でベッドに横たわり、右側にいる黒人女性(メイドか付き人らしい)は、大きな花束を持って部屋に入ってきたところのようだ。セイヤーは、エミール・ゾラによる1867年発行の小冊子『新しい絵画の方法:エドゥアール・マネ』に関連付けて分析することで、すでに繰り返し研究されてきた《オランピア》に新たな解釈を試みている。

ゾラは、画家の芸術は何よりも「価値の法則」に導かれていると主張する。一方のセイヤーは、色彩の特性としての価値、具体的には明暗に注目しており、その主張は「価値」の二重の意味を軸としたものだ。ゾラは、マネが色調と色彩の「正しい関係」(les rapports justes)に関心を抱いていると述べているが、これには形式的な意味合いと道徳的な意味合いの両方があると考えられる。《オランピア》において、また、その芸術全体において、マネは絵の具の物質性とその対比効果を、第二帝政期のフランスにおける人種間の関係や奴隷制の影響を批判する婉曲的な比喩として用いているというのがセイヤーの主な論旨であり、ゾラの見解はそれを裏付けるものとして用いられている。

この主張は挑発的なものだが、「マネと奴隷貿易」という副題は誤解を招きかねない。セイヤーは、マネと奴隷貿易の具体的な関係(本文中では用語の厳密な定義はなされていない)を分析することよりも、より一般的に人種、奴隷、帝国主義に対するマネの態度を推測することに心を砕いているようだ。これまでマネの作品は、周囲の世界から封印された、形と面の自律的な芸術として読み解かれることが多かった。哲学者のミシェル・フーコーは、マネの作品を、描くという行為そのものを対象とした「オブジェとしての絵画」とみなし、美術史家のジャン・クレイはマネが形態と対象を区別する能力を持っていたと書いている。一方、セイヤーは、絵画の表面に息づき、またそれを包んでいる政治的な要素を引き出そうと試みる。

セイヤーの著作は、一次資料と二次資料の両方を駆使して、マネの政治的・人種的な側面を再構築しようとするものだ。ハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』の初期フランス語訳からナポレオン3世のメキシコ出兵に対する反帝国主義的批判までの様々な文献を用いて、同時代の出来事に対してマネに何らかの感情や思想を抱かせたであろう知識や影響力のネットワークを明らかにしている。また、ダーシー・グリマルド・グリグスビーの重要な論文「Still Thinking About Olympia's Maid(今もオランピアのメイドについて考えている)」(2016年)など近年の資料や、T・J・クラークやグリゼルダ・ポロックによる古い研究などを利用し、マネの《オランピア》に関する美術史的文献の正統性についても考察している。


エドゥアール・マネ《オランピア》(1863)、カンバスに油彩、130.5×191cm

しかし、この絵に対する多くの黒人フェミニストの批評は無視されている。たとえば、アーティストのロレイン・オグレイディによる論文「Olympia’s Maid: Reclaiming Black Female Subjectivity(オリンピアのメイド:黒人女性の主体性を取り戻す)」(1994)や、研究者ジェニファー・デビア・ブロディの「Black Cat Fever: Manifestations of Manet’s Olympia(黒猫フィーバー:マネのオランピアのマニフェステーション)」(2011年)などだ(後者については、ついでのように巻末に引用されているが)。

また、セイヤーは、2018年にコロンビア大学のウォラック・アート・ギャラリーがデニース・マレルの企画で実施した画期的な展覧会「Posing Modernity: The Black Model from Manet and Matisse to Today(近代のポーズを取る:マネやマティスから今日までの黒人モデル)」にも軽く触れているだけだ。この展覧会の拡大版である「Le Modèle Noir de Géricault à Matisse(ジェリコーからマティスまでの黒人モデル)」は、翌年パリのオルセー美術館で開催され、その後グアドループのポワンタピートルにある歴史博物館に巡回したが、それについても同じような扱いしかしていない。

デニース・マレルは、19世紀のパリにおける美術制作の多文化的現実、すなわち《オランピア》に登場する黒人女性、ロールをはじめとする黒人モデルが重要な役割を果たした環境について、斬新な歴史的・文化的文脈を示した。それにもかかわらず、セイヤーの著書では名前が1か所で触れられているのみで、あとは脚注に追いやられている。マネが「オランピアのメイド」を描いたことを主な事例としてマネと人種についての本を書きながら、メイドの主体性にいち早く注目した黒人女性による研究を見過ごす姿勢は容認できない。

セイヤーの著書は、マネが影響を受けた領域を理解しようとし、マネの絵画へのアプローチを形成したと見られる文献や物語などを分析している。しかし、この本の参照の範囲はあまりにも狭い。そのため、人種や奴隷制についてどのように記述されているかだけではなく、誰の経験や学問的貢献を基に書かれたのかという疑問を感じざるをえない。

「学術ビジネス」、あるいはポストコロニアル文学の研究者アナベル・L・キムが「学術事業」と呼ぶものは、知識の生産を前提とし、大学出版局から出される単著本や、査読付き論文の刊行物という形でパッケージ化される。キムが「The Politics of Citation(引用の政治学)」(2020)という論文で述べているように、引用という行為は、「思考を財産として扱い、その財産を資本や知的価値のベクトルに変える交換の力学と密接に結びついた」ものだ。

財産や価値に関する考え方を理解することは、芸術と奴隷制の交わりについて書く場合に特に意味がある。アンナ・アラビンダン=ケッソンが主張するように、美術と奴隷制の根底にあるのは「投機的ビジョン」だ。すなわち、人間の肉体とその労働が、より大きな支配体制である資本主義的評価によって抽象化されるということなのだ。

投機的ビジョンは、アラビンダン=ケッソンの著書『Black Bodies, White Gold: Art, Cotton, and Commerce in the Atlantic World(黒い肉体、白い金:大西洋世界における芸術、綿花、商業)』の中心的な概念で、綿花という一素材が、大西洋世界における奴隷解放の前後に黒人性の構築に及ぼした影響を巧みに検証している。アラビンダン=ケッソンは、綿花という商品が、その生産、流通、そして表象によって、奴隷制の政治経済のもとで生きた黒人を識別しやすく、代替可能なものに変換したと論じる。つまり、ある黒人が、同等以上の能力を持つ別の黒人と、いつでも交換できる存在とみなされるようになったのだ。

さらに、綿は縦糸と横糸に黒人の存在と抵抗の物語を秘めた「記憶を持つ素材」でもある。たとえば「ニグロ・クロス」と呼ばれる布は、平織りで粗く織られた綿で、奴隷の服に用いられ、奴隷であることを公に示す役割も果たした。一方で、綿は黒人女性がキルトとして再創造、再利用することもあった。キルトは「記憶の形、歴史の絵画的記録であると同時に、コミュニケーションの様式」でもあったのだ。


レオナルド・ドリュー《Number 25(ナンバー25)》(1992)、綿、274×305×117cm Courtesy Galerie Lelong & Co.

アラビンダン=ケッソンは、ハンク・ウィリス・トーマス、ルバイナ・ヒミッド、インカ・ショニバレ、レオナルド・ドリューの現代アート作品を細かく論じている。この4人は、素材や主題として、あるいはその両方で綿を利用しているアーティストだ。アラビンダン=ケッソンは、作品そのものの形式的な特性から方法論を導き出し、その構造を使って18世紀後半にさかのぼる奴隷制の物質的、視覚的、文献的な遺産を探求する。

その分析によれば、これらのアーティストは、肉体を直接的に表現するのではなく、遠回しの隠喩や部分的な表現を用いながら、黒人が奴隷制度とその投機的ビジョンの下で(生産的「価値」として)抽象化され、(人種化された肉体として、「財産」として)可視化された事実について、幅広い歴史的考察を呼び起こしている。このアプローチが特に意味を持つのは、学術的研究と芸術的実践の間を行き来し、その両方を用いて、奴隷制の記録によって永続的なものとされた視覚的歴史を解体する時だ。

アラビンダン=ケッソンは、自身の思考が、現代アートを含む豊かな学際的黒人研究に参加したことで形成されたとしている。そしてそれは、アナベル・L・キムが理想としたような引用の実践の可能性を示している。その目標は、個人の知的資本の蓄積から脱し、「他の思考形態、自身の知的活動のテリトリーを超えた他のテリトリーへの突破口を開く」ことだ。

セイヤーとアラビンダン=ケッソンが考察する価値の問題は、現在、奴隷制と奴隷貿易の歴史に加担した過去と格闘している美術機関にとって、直接的な意味を持つものだ。2人の研究は、人種資本主義システムへの美術の関与について、読者に幅広い思考を求めている。それは、ナショナル・ギャラリーの歴史的自己評価にも通じるところがある。こうしたプロジェクトは現在も進行中であり、最近の研究によって明るみに出た情報を美術館がどう扱うかは未知数だ。いずれにしても、寛容な態度で知識を共有し、過去の誤りを認めること、そして歴史を踏まえて考え、新たな未来を構想することが1つの前進であることは明らかだろう。(翻訳:清水玲奈)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年7月20日に掲載されました。元記事はこちら

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