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焼失したパリ・ノートルダム大聖堂の床下から、18世紀の司祭と若い貴族の石棺が発見される

2019年4月に起きたパリノートルダム大聖堂の火災は、世界に大きなショックを与えた。その後、すぐに修復作業が始まったが、このほど教会の床下で驚くべき発見があった。

ノートルダム大聖堂の床下で発見された棺。Photo: Denis Gliksman, Inrap.

古代の墓所から引き揚げられた2つの石と鉛で出来た棺には、誰が埋葬され、あるいは何が入っているのか──数カ月にわたる調査の結果、フランスの考古学者がこの謎を解明した。

石棺に刻まれた碑文によると、これらの棺に埋葬されているのは、高位の聖職者(司祭)と、若い貴族だという。

先月、フランスの国立考古学研究機関INRAPが棺をトゥールーズ第3大学に移送し、同大学の専門家が中身を分析したところ、司祭の正体は、1710年に83歳で亡くなったアントワーヌ・ド・ラ・ポルトであることがわかった。ノートルダム寺院の聖歌隊に資金を提供するなどした富豪であったことから、伝統的に教会のエリートだけが入れる墓所に埋葬されたとみられる。 

トゥールーズ大学の発表によると、ド・ラ・ポルトの遺体は、棺の中に酸素が入り込んだため、骨、頭髪、ひげ、織物など全体的に腐敗しているものの、よく保存されているとのこと。 

遺体を調査すると、歯並びは良いが、体を動かした形跡がほとんどなく、生涯座ったままだったと考えられる。そして、つまさきには痛風の兆候が見られた。痛風は、過度の飲食や運動不足で発症しやすいことから、「王様の病気」とも呼ばれる病気だ。 

2つ目の棺には、ド・ラ・ポルトの前の時代に生きていたと思われる25歳から40歳の匿名の貴族の男性が納められていた。骨盤の形から、馬に乗るのが好きな人物であったと推測され、考古学者たちは、彼を「Le Cavalier(馬乗り)」と名付けた。防腐処理が施され、葉や花で作られた冠と一緒に埋葬されたようだ。骨の分析から、彼は何年も病気をしており、死因はおそらく結核が原因の慢性髄膜炎と推測される。 

これらの発見は、医療用の画像撮影機器の技術進化のたまものだ。現在、彼らの出生地や死因の特定など、さらなる分析が進められている。また、ノートルダム大聖堂は、2024年の完成を目指して修復工事が進んでいる。(翻訳:編集部) 

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