宮津大輔連載「アート×経営の時代」第6回「研ぎ澄まされた美意識が生む革新性」〜株式会社ポーラ・オルビスホールディングス 代表取締役会長 鈴木郷史

アートコレクターであり、多数の著書もある横浜美術大学教授の宮津大輔氏による連載第6回。今回は美術館やギャラリーを運営していることでも知られる株式会社ポーラ・オルビスホールディングスの代表取締役会長、鈴木郷史氏のもとを訪ねた。(本文中敬称略)

今回の取材はポーラ銀座ビルに設けられた会長室で行われた。撮影:西田香織(以下、提供写真以外は同)

ケースに学ぶ「アート×経営の時代」

世には近頃、「アート思考」なるものが流布している。それは、あたかもロジカルな戦略で解決できなかった経営課題が、アートの直観的な「ひらめき」によって解決可能であるといった誤解を招きかねない。

優れた現代アート作品が有する真の魅力と、それを理解・消化し自らの経営戦略に生かすことは、そんな安易なことでも、それほど薄っぺらいものでもない。

連載第2回からは、筆者が仕事などを通じ知遇を得たトップ・マネジメントへのインタビューに基づき、アートが有する唯一無二のパワーを企業経営へと生かしている実例について紹介するものである。

今回はポーラ ミュージアム アネックス(銀座)のみならず、展覧会の場で何度もお目に掛かり、親しくお話する機会を得ているポーラ・オルビスグループの鈴木郷史氏を取り上げたい。

端正な装いに身を包んだ、鋭い眼光の好事家(ディレッタント)

係の方に先導され会長室に一歩足を踏み入れると、入室前の予想を覆し、あちこちにアート作品やクラフツマン・シップ溢れるオブジェが飾られている。一見すると執務室というよりも、趣味の部屋あるいは男の隠れ家のようである。鈴木は、ネップ(糸節)の入った青藍地のサファリジャケットに細身のパンツ、そして優美なスエードのローファーという出で立ちである。幅広いラペル幅や袖口のターンナップ・カフスといった意匠が、ラギッド(ファッション用語で武骨、逞しい)な中にもエレガントで知的な雰囲気を醸し出している。

グループ売上は今や1,660億円を超え(連結売上高・2022年通期)、2023年第1四半期はコロナ禍の混乱から回復し連結で2桁増収、営業利益も大幅増益を達成している。およそ4,120人の従業員(連結、2022年12月31日現在)を率いて、好業績を挙げる鈴木の柔和な表情と鋭い眼差し、そして隙のない所作はまるで戦国武将を思わせる。

自信に満ち溢れた現在の姿からは想像し難いが、幼少期から多感な思春期に掛けては、創業家に生まれ後継者を宿命づけられた自身の立場に深く悩んでいたという。創業者である鈴木忍(1902~1954年)は、1929年静岡市で個人事業として創業、1940年にはポーラ化成工業株式会社(以下、ポーラ化成工業)として法人化している。

1954年に静岡工場が設立・稼働して以来、鈴木少年は工場で働く従業員と家族のため開かれる運動会に、祖母(創業者の妻・美千代)に手を引かれ訪れていた。そこに集う大勢の人々を目の当たりにして、幼心に「こんなに大勢の人生に、責任を負わなきゃならないんだ」と重圧を感じていた。こうした彼の気持ちを慰めたのは、読書を通じてひととき異世界に遊ぶことであった。一時は自裁まで思いつめていた鈴木を救ったのも、近所の書店で導かれるようにして手に取った西田幾多郎(1870~1945年)の著作『善の研究』であった。

近代西洋哲学によって確立された「認識する主体」と「認識される客体」という二元論を乗り越えるべく、西田は「純粋経験」という概念を考案している。 主体と客体は抽象化の産物に過ぎず、我々に与えられた直接的な経験には、主体も客体もないことを喝破したのである。根源的な「純粋経験」に立ち戻り世界を見つめ直せば、「善/悪」「一/多」「愛/知」「生/死」といった様々な二項対立は一見矛盾しているようでいて、実は「~なるもの」の側面であり「働き」であることが理解できる。西田の思想は、合理主義的な世界観が見失ってしまった、我々が本来有している豊かな経験を取り戻すための有効な手立てを示したといえよう※1。

純粋経験という考え方に衝撃を受けた鈴木が、心奪われたのは本田技研工業株式会社(以下、ホンダ)のF1メキシコGP初勝利(1965年10月)であった。日本の自動車技術が世界の晴れ舞台で快挙を成し遂げたことに興奮し、人生の目標を定められずにいた彼は「本田宗一郎(1906~1991年)と働く」ことを心に決めてエンジニアへの道を目指した。がむしゃらに勉強した鈴木は、早稲田大学に入学し、同大大学院理工学研究科修了後の1979年に念願のホンダ入社を果たす。面接では、「僕を採らないとホンダは損をしますよ」と熱意に裏付けされた強気で押し通したという。

ホンダのF1初勝利がもたらした感動という純粋経験によって、彼は主体=「己は、一体何になりたいのか?」と、客体=「第三者に期待される後継者としての人物像」を乗り越えたのである。

バウハウスに影響を受け、本田宗一郎から学んだ”美学”

叔父である第二代社長・鈴木常司(1930~2000年)の家に遊びに行くと、そこには美術品が掛けられていた。そうした環境で育ち、元々建築に興味を持っていた鈴木は、テクノロジーへの入口をバウハウス※2に求めた。バウハウスの教壇には、ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866~1944年)やパウル・クレー(Paul Klee, 1879~1940年)といった美術史に名を遺す巨匠たちが立っていた。しかし、鈴木の興味を最も強く引いたのは、同校の予備課程を担当していたヨハネス・イッテン(Johannes Itten, 1888~1967年)の教育方針であった。彼は、合理主義≒機能主義と表現主義≒神秘・精神主義的要素を融合させた独自の体系を考案した。イッテンの思考を、機械と手仕事≒職人技術、そして芸術的なアプローチの組み合わせであると読み解いた鈴木は、ホンダのエンジニアとして昼夜を分かたず自動車開発に邁進する。

ある日、鈴木ら若きエンジニアたちが開発した試作車を、当時の最高顧問であった本田宗一郎の前で披露する機会がやってきた。ネーミングからシートの素材まで、従来とは徹底的に差別化を図った同車のボンネット回りには、ある革新的な仕掛けが施されていた。軽量化とコスト低減を目指して、一部のパーツを鋳鉄から樹脂製に替えていたのである。本田はそれを見て、「鉄の塊に対して、小さいといえども樹脂ではバランスが悪い」と評した。直観的な物言いに聞こえるが、各素材の持つ特性や異なる素材間のバランスが、如何に剛性や耐久性に影響を与えるのか見抜いていたといえる。更には、「プロジェクトにとっての重要な判断事項には、トップダウンが極めて有効であることも痛感しました」と、当時を振り返り鈴木は語っている。

「我々は、自動車をやる以上、1番困難な道を歩くんだということをモットーでやってきた。勝っても負けてもその原因を追求し、品質を高めて、より安全なクルマをユーザーに提供する義務がある。そして、やる以上、1番困難な道を敢えて選び、グランプリレースに出場したわけです。勝っておごることなく、勝った原因を追求して、その技術を新車にもどしどし入れていきたい」※3

これは、F1で初勝利を収めた時に記者会見で語った、本田の決意表明ともいえる言葉である。若き日の鈴木は、共に働くことで、モノづくりの偉大なる先達から技術者としての美学に加え、経営トップとしての矜持を学んでいたといえよう。

ポーラの企業理念である「Science. Art. Love.」

1986年ホンダを辞した鈴木は、株式会社ポーラ化粧品本舗(現在の株式会社ポーラ・以下、ポーラ)に入社する。そして、その2年後には、同社の近未来戦略を手掛けるプロジェクトのリーダーを務めている。その時に、彼がチームと共に選んだキーワードが、「サイエンス」「アート」、そして「サービス」であった。

厳しい生活で手が荒れた妻を労るため独学でクリームをつくり、やがてそれを自転車に載せて一人ひとりお客様のもとを訪ねる。そして製品説明をしながら量り売りするという創業者の商いは、後にポーラの主力事業となる訪問販売システムへと進化・発展していった。一見相反しているような「サイエンス」と「アート」が止揚することによって、同社のスキンケア製品は独自優位性を高めている。一方で、創業者の想いを継承する「サービス」重視の姿勢こそが、揺るぎない社業の隆盛を約束しているかのようである。

2016年に策定されたポーラの企業理念は、「Science. Art. Love.」であった。サービスは時代と共に「ホスピタリティ」へと言葉を変え、更に顧客のみならず全てのステークホルダーに対する「ラブ」へと進化を遂げたのである。同社の公式Webサイトには、以下のように謳われている

私たちは、美と健康を願う人々および社会の永続的幸福を実現します。

Science 科学的探究心と挑戦で、革新を生む。
Art 卓越した美と技で、驚きと感動を生む。
Love 一人ひとりの人間を尊重し、愛あふれる関係を築く。

いつの時代だって。 科学が、人を前進させる。
芸術が、美のあり方を教えてくれる。
ふたつがひとつになり、新しい何かが生まれる。
新しい商品、新しい人生、新しい幸福。
その考えが、POLAの美への姿勢です。
そして、もうひとつ大切にするもの。
それは、愛です。

鈴木自身は、新しい企業理念の立案プロセスには直接関与していなかったという。しかし、彼が「必然性のある偶然」と語るように、同社の理念は合理(機能)主義と表現(精神)主義を融合したバウハウスの思想や、西田哲学における「主客合一」とも通底しているようである。そしてサービスからホスピタリティを経て辿り着いた愛という語は、創業以来大切に継承され続けてきたポーラのDNAであるといえよう。

将来のあるべき姿に道筋をつけた鈴木は、1996年にポーラ化成工業、2000年にはポーラ化粧品本舗の社長に就任する。手始めに取り組んだのが、事業ポートフォリオを見直し、再編することであった。「(事業領域を)絞り込み専門性を深めると、遠く、つまり未来の社会が見えてきます。化粧品は肌を美しくするだけのものではありません。社会課題を解決し、Well-being(心身ともに良好な状態)をもたらすものであると考えています」と、その目指すべき到達点を説明した。

人材評価・育成における「美意識」の重要性

鈴木は事業再編と共に、経営資源についても時代の変化に鑑みて見直すべきであると考えていた。そして、ポーラの伝統的強みである「訪問販売」ですら、決して聖域化することをしなかったのである。まずは現場の考えを知るべく、ビューティーディレクターをはじめ販売の第一線に立つ責任者と70回以上にも及ぶミーティングを重ねたという。同時に、全店舗の現状についても詳細な分析を行っている。そこから導き出された最適解こそが、個別対応のカウンセリングと、エステサービス提供という「一人ひとりのニーズに応える」ビジネススタイルであった。こうして現在では中核事業へと成長した、カウンセリングとエステ、そして化粧品販売を融合させた新たな店舗「ポーラ ザ ビューティー」が誕生したのである。

今となっては原点回帰のビジネスであると誰しも納得するが、構想段階では社内に反対の声もあった。社長に就任して間もない鈴木を勇気づけ、決断を促したのは、一人の女性社員による「そうした店舗を実現しないと、ポーラは潰れますよ!」という一言であった。この時に鈴木は、会社の将来を”自分事”として捉える高い問題意識と、自ら進んで課題解決に取り組む自律性を有する社員の重要性を再認識した。同時に、人材教育・育成プログラムの早急な充実を図るべきであると痛感したのである(その後、彼女は同プロジェクトの責任者に抜擢され、ポーラ ザ ビューティーの立ち上げから全国展開までを見事に成し遂げている)。

ポーラ ザ ビューティ

早速鈴木は、営業職を中心にプロセス・マネジメント※4制度を導入した。ところが、高い業績を上げているにも関わらず、同手法を活用しきれていない社員が少なからずいることに気づいた。そこで、成果が出る人と出ない人の分岐点とは何かという点について探求した。その結果、人としての魅力が大きいことに辿り着いたという。しかし、社員の能力評価軸として採用するには、評価基準の曖昧性や恣意的な運用を排除しなければならない。そこで、世界の優れたリーダーに備わるコンピテンシー(優れた成果を創出する個人の能力や行動特性)に関するデータを持つ、外部協力会社の力も借りて導入に踏み切ったのである。

最初は自らが実験台となって、「徹底したトップダウン型の経営」や「権限委譲が足りない」といった評価結果をイントラネット(企業内ネットワーク)で公開した。事業再編や経営資源見直しの成果は未だ見えず、鈴木の手腕に半信半疑の従業員もいる中で、「会社が変わらなくてはいけない時に、トップが旗を振らなくて誰がやってくれるのかという思い」が強かった。「当時は、敢えてトップダウンで指示していました」と、省察している。

他社に先んじて、新たな考え方を人材評価・育成に取り入れたポーラ・オルビスグループのコンピテンシーは以下の通りである。注目すべきは、最も重要視されている(同社の公式Webサイトでは、特に青色の太文字で表記)役員、社員にも共通するコンピテンシーが「美意識」という点である。役員向けには「自身の魅力あふれるパーソナリティを発揮することで、人間的・個性的なリーダーとして周囲にインパクトを与える」と定義され、社員に対しては「他者に依存しない自分なりの見方や感受性を大切にし、表現する」指針として示されている※5。

●ポーラ・オルビスグループ 役員コンピテンシー
①社会的意義の追求
②美意識
③多様性ある個人の尊重
④長期的ビジョン
⑤市場・環境洞察力
⑥変化指向
⑦外部ネットワーキング力
⑧機動力を高める判断
⑨行動指向
⑩成果への情熱

●ポーラ・オルビスグループ 社員コンピテンシー
①社会的意義の追求
②美意識
③多様な個人を尊重し活かす力
④ビジョン構築力
⑤市場・環境洞察力
⑥外部ネットワーキング力
⑦概念的思考力
⑧分析的思考力
⑨育成風土の醸成
⑩挑戦・行動指向
⑪成果への情熱

「VISION 2029」:多様化する「美」の価値観に応える個性的な事業の集合体

2022年には、創立100周年へ向けてポーラ・オルビスグループは、新たな事業領域への拡張を描いた長期経営計画を発表している。2017年に刷新したグループのミッションである「感受性のスイッチを全開にする」と、描くべきビジョン「ブランドひとつひとつの異なる個性を生かして、世界中の人々の人生を彩る企業グループ」に基づき、「VISION 2029」は策定された。社会環境の大きな変化に伴い、より広義の「美」や社会的な価値提供が重要視される中で、「多様化する『美』の価値観に応える個性的な事業の集合体」を、2029年に達成すべきグループの”ありたい姿”と定義したのである。具体的には、基幹製品・サービスである化粧品、美容・健康領域を中心に、Well-being や社会領域へ事業ポートフォリオを拡大し、国内・外でサステナブルな成長を目指すことを意味する。

新たな事業として注目すべきは、2024年春の竣工に向け建設中のポーラ青山ビルディングであろう。「好奇心や五感を刺激するアート・文化体験 次代に受け継ぐ新たな価値」を謳う同ビルは、6階まで吹き抜けのアートスペースを備え、レッジョ・エミリア教育※6を実践する「まちの保育園 南青山」(仮称)を2階フロアに開園する予定である。同園は施設の中心にアトリエを設け、青山の地域資源などを活用しながら創造性を伸ばす学びを目指している。「港区の条例によって公的なスペースを設けなければならなかったのです。そこで、迷うことなく保育園を選びました。私たちにとって最も大切なことは、社会課題解決への挑戦であるからです」と、鈴木は新規不動産事業の目的を力強く述べている。

ポーラ青山ビルディング外観完成予想図 ※完成予想図は実際とは異なる場合や、今後変更になる可能性があります。

更には、社内ベンチャー制度を利用した「がんサバイバー向けのビューティー事業」を展開する株式会社encyclo(エンサイクロ)の設立をはじめ、「多様化する『美』の価値観に応える個性的な事業の集合体」への参加を目指し、多くの社員が続々と名乗りを挙げている。こうした社員の自発性に対して、鈴木は「『多様性ある個人の尊重』によって、当社は過去の成功体験を重視する官僚的思考やピラミッド型の組織から脱却し、リゾーム的な集合体へと変わりつつある」と目を細める。リゾーム(地下茎、根茎)とは、上下関係や二項対立などを有する伝統的な階層秩序の「ツリー・モデル」に対して、中心も、始まりも終わりもなく相互横断的で自由な状態を比喩的に称した哲学用語である※7。

グループを率いてから20年以上の歳月が過ぎ、社会と企業、そしてそこで働く従業員の変化に合わせて、鈴木自身も西田哲学からポストモダン思想へ、そして本田宗一郎から受けた薫陶から自ら編み出したスタイルへと変わりつつあるのかもしれない。

ポーラ美術館を、教育の場としても活用する

鈴木はグループのトップ以外にも、公益財団法人ポーラ美術振興財団理事長としての顔も持っており、ポーラ美術館(箱根)の改革にも熱心に取り組んでいる。同美術館は、印象派やエコール・ド・パリ、あるいは我が国近代洋画の巨匠たちの手になる名品で広く知られている。

ポーラに入社した当時の彼は、五反田本社に出社するたび役員フロアに掛けられていたモネ(Claude Monet, 1840~1926年)やルノワール(Pierre-Auguste Renoir, 1841~1919年)の作品に対し「いかにも日本の経営者が好みそうな画風」であると感じて、半ば等閑視を決め込んでいた。しかし、印象派が当時の保守的なアカデミー絵画に抗い、空気の揺らぎや光の変化を画布に留めんとした前衛芸術運動であったことや、絵具を混ぜることなく、隣接する色同士が鑑賞者の網膜上で疑似的に混合される「筆触分割技法」を用いていることを学び、その革新性に自らの偏見や浅慮を改めたという。「印象派、中でもモネが描いた《睡蓮》なんかは、近づいて見れば正に抽象絵画のようでしょう。だから、いつかモネの横にリヒターの作品を並べて展示してみたいと思っていたんですよ」と語った。この思いつきが、後にポーラ美術館、引いては日本に大きな贈り物をもたらすことになる。

2020年10月6日サザビーズ香港のイブニング・セールで、当夜の目玉であったゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932年~)による《Abstraktes Bild (649-2)》(1987年)が、およそ30億円(約2億1,463万香港ドル)で落札された。それは、アジアで開催されたオークションにおける西洋アーティストの作品では史上最高落札額であった。「エスティメイト(落札予想価格)よりは随分上がってしまったけれど、私自身の予想よりは低い金額で落札できたので、あの時はホッとしました」と心情を吐露している。

(左) ゲルハルト・リヒター《抽象絵画(649-2)》1987年 (右)クロード・モネ《睡蓮の池》1899年 すべてポーラ美術館蔵 ©Ken KATO

理事長就任時には、先代の意思を尊重し10年間は近代美術路線を踏襲すると決めていた。従って、現代アートのコレクションと展示を正式に開始したのは、2019年からと割合と最近である。その理由を、「人はついつい自分に理解可能な範囲内で、自分に都合の良い見方、捉え方をしてしまうからです」と説明する。また、「具象的な表現は物語を紡いでしまうことで、却って再帰性(自己を、他に反映することで規定する性質)を阻害してしまいます」と、難解に思われがちな現代アートや抽象表現が持つ強みを高く評価している。

現代アート慣れした見巧者以外には少々難しいのではと危惧された、「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」展(会期:2021年9月18日~2022年3月30日)は、蓋を開けてみれば予想に反して大好評であった。会期終盤の2022年3月には、単月で過去最高の来館者数を達成している。この事実一つとっても、鈴木の考えが正鵠を得ていることを証していよう。

更に、鈴木と美術館スタッフは、ポーラ美術館を教育の場として捉え直し、美術教育・普及プログラムのみならず、ビジネスパーソン向けの人材教育へも活用しはじめているのである。MoMA(ニューヨーク近代美術館)が発明したビジュアル・シンキング・ストラテジー(作品を見て、自分が何を感じ考えたか意見交換する鑑賞メソッド)を基にして、独自の「アート研修」を開発。まずは自社の研修に取り入れ、最近では徐々に社外へも拡げている。「この研修が優れているのは、普段と違う一面が発見できるという点です。広く世のビジネスパーソンには美意識を磨き、『感受性のスイッチを全開』にしてもらい、自らのビジネスを通じた社会課題解決に貢献して欲しいと願っています」と、その効用を述べている。

また、美術館周囲の森を開放して、作品を設置してもいる。「自ずと然るべき存在の”自然”と向き合い、ホワイト・キューブ(色彩や装飾を排した、美術館の展示スペース)では見出せなかったアート作品の魅力を再発見することで、いつもとは違ったイノベーティブな思考を養えるのではないでしょうか。改革とは、20年、30年後の当たり前ですから」と、その真意を語った。

鈴木郷史にとってアートとは?

鈴木郷史にとってアートとは何か?という最後の問いに対しては、「アートに囲まれている時が、一番自分らしいと思っているので、生活に欠くべからざるものです」と言い切った後に、「五感に対して心地良さだけでなく、違和感を与え、社会に”何か”を気づかせる存在」と答えた。そして、財団理事長の顔に戻り「そこにこそ、ポーラ美術館の存在意義があると思っています」と静かに語った。

アートと共に、鈴木が大事にしているのが読書である。今も多忙な執務の合間を縫って、月に平均20冊ほどを読了するという。ジャンルは美術史を含む芸術系全般から、思想や自然科学、文化人類学、そして社会学や心理学まで多岐にわたる。そして、自ら感動した書籍を推薦図書として、社長時代には毎年、ポーラ・オルビスグループの新入社員全員にポケット・マネーでプレゼントしている。


※1:以下を参考にし、一部引用している。
西田幾多郎『善の研究』岩波書店、1979年
若松英輔『NHK100分de名著・西田幾多郎「善の研究」』NHK出版、2019年
※2:1919年ドイツのワイマールに設立された建築並びにデザインに関する国立総合学校である。
芸術と生活の合致を目指して、建築を中心に各種芸術や手工業、職人技術といったあらゆる
造形活動の統合を目指した。
※3:本田技研工業株式会社公式Webサイト「念願のメキシコGP初勝利」『語り継ぎたいこと-チャレンジの50年』(2023年5月5日閲覧)
※4:目標とする結果に至るまでの業務プロセスを可視化・分析した上で標準化することによって、成果の最大化を目指すマネジメント手法。
※6:第2次世界大戦後にイタリアの都市であるレッジョ・エミリアで芽吹いた教育法であり、美術を通して創造性を高め、自己表現力を磨くことなどを特徴としている。
※7:フランスの哲学者であるジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925~1995年)と精神科医のフェリックス・ガタリ(Pierre-Felix Guattari, 1930~1992)が、共著『千のプラトー』(1980年)の中で提唱した概念である。以下を参考にし、一部引用している。
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』上・中・下巻、宇野邦一、小沢秋広、田中敏彦、豊崎光一、宮林寛、守中高明訳、河出書房新社、2010年

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