美と醜、禁欲と享楽、高尚と低俗。中国の伝統文学の世界を抽象画で表現するツァイ・ユンジュ【New Talent 2023】

US版ARTnewsの姉妹メディア、Art in America誌の「New Talent(新しい才能)」は、長きにわたり年1度行われてきた新進作家を紹介する人気企画。今年、そのひとりに選ばれた、ツァイ・ユンジュは、母国、中国の伝統的な水墨画を起点に、様々な技法に挑戦している。

ツァイ・ユンジュ《I Often Think about Things in the Bath》(2021) Photo: Courtesy Tara Downs, New York/Illustrated Portrait by Denise Nestor

最近ニューヨーク近代美術館(MoMA)を訪れたツァイ・ユンジュは、そこに飾られていたヘンリー・ダーガーの作品に心を奪われたという。ダーガーはアメリカアウトサイダー・アートの代表的な作家で、壮大なファンタジー小説『非現実の王国で』(*1)と膨大な挿絵を残した。


*1 正式名称は、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ─アンジェリニアン戦争の嵐の物語』

その物語に登場するヴィヴィアン・ガールズや、幾重にも重なるパノラマのような風景は、ツァイに中国の伝統的な水墨画を思い起こさせたという。彼女はその感動を、「単一の視点や見方が一切なく、自らの心の内と外を自由に行き来することができるようだった」だと語っている。

イギリスの名門大学、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのスレード美術学校を卒業し、現在はロンドンを拠点に活動する台湾出身のツァイは、今年2月、ニューヨークのソーホーにあるタラ・ダウンズ・ギャラリーで、アメリカでの初個展「A Mirror for the Romantic」を開催した。

個展のオープニングに合わせてアメリカに来ていた彼女は、鉛筆と油彩で描かれた抽象画に囲まれていた。ツァイの作品では、鮮明なラインと心地良いにじみがカンバス上を自由に動き回り、華やかな色彩の渦を巻き起こす。構図は濃密で、無限の広がりを感じさせる。そして、見る者は、その圧倒的な熱量に飲み込まれてしまう。

自らを「動きの語り手」と表現するツァイは、「行きつ戻りつする緊張感」を特に意識しているという。筆を動かした軌跡にも現れているその緊張感は、荒々しく変形しながらも調和へと向かう。彼女の絵に明確なストーリーはないが、ドラマのような波乱に満ちている。たとえば《Word without End I Saw》(2022)はパステルカラーの華やかな作品で、軽やかに舞い上がる紫色の渦巻きを中心に、作品の中の混沌を微妙に際立たせる曲線や模様が飛び交っている。また、緑を基調とした《First Day of Four Day Interlude》(2023)は、春先のワクワクした感覚を思い起こさせる。

ツァイ・ユンジュ《The Wasp’s Smile》(2023) Photo: Ollie Hammick/Courtesy Tara Downs, New York

24歳のツァイは中国の伝統文学、特に18世紀半ばの清時代に書かれた曹雪芹の『紅楼夢』(こうろうむ)から影響を受けている。台湾の大家族の中で育った彼女は、貴族の家の栄枯盛衰を描いた紅楼夢のストーリーと、登場人物の複雑な関係性を描き出す表現や比喩に惹かれたのだ。

美と醜、禁欲と享楽、高尚と低俗などが常に入れ替わる120巻もの物語に魅了され続けている彼女は、その感情を作品の中で具現化している。彼女はまず、カンバスの端に絵の具を置き、それを全体に広げていく。そして、ある層にはドローイングのレイヤーを重ね、またある層にはジェッソを塗ってぼやけさせる。彼女はこれを、「変形」「破壊」「再構築」という言葉で説明する。

こうした制作プロセスは、ツァイが高校時代に学んだ中国の伝統的な水墨画の写実技法に由来している。国立台北芸術大学に進学してからは繊細で流動的な油彩画の筆使いを身に付け、スレード美術学校に入ると抽象画に転向し、2022年に修士号を取得した。

絵画の技法を変えても、ツァイの関心は空間内の関係性を拡大し、感情の重なりを追求することにある。中国語の慣用句の言葉遣いやリズムが比喩的な意味を与えるように、カンバス上に落とし込まれた身体の動きが事象の連鎖を引き起こすのだ。そのことをツァイはこう説明する。「1つひとつが広大な世界観と内なる精神世界を構築し、それを見る人たちに伝えているのです」(翻訳:鈴木篤史)

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