「牛乳」がテーマの展覧会が浮き彫りにする「不都合な真実」──政治・経済・文化の視点から

医学や科学とアートをクロスオーバーさせるロンドンの美術館、ウェルカム・コレクションが、牛乳をテーマに据えた企画展を9月10日まで開催中だ。タイトルもずばり「Milk(ミルク)」。牛乳という日常的な食品の必要性のみならず、政治、経済、文化に与える社会的影響をクローズアップしたユニークな展覧会の内容を紹介する。

1943年のイギリスにおける1週間分の配給(2人分)。Photo: ©IWM (Imperial War Museums)

牛乳と人間の関わりを多角的に考察

牛乳は、人類の歴史の中で社会的に大きな役割を担ってきた。しかし、そのことは普段あまり意識されない。人間にとって重要な食料であり、乳児や子どもの成長を支える牛乳を、数え切れないほどの人たちが毎日飲んでいる。アメリカでは誰もが知っているカリフォルニア牛乳加工業者のマーケティングキャンペーン「Got milk?(牛乳飲んだ?)」は、過去四半世紀で最も記憶に残る広告だ。

ウェルカム・コレクションの「Milk」展では、牛乳と人間の長く深い関わりや、スーパーフード(*1)とされる牛乳と現在の私たちとの関係、牛乳に対する認識の変化とそれがこの食品の未来にもたらす影響までを幅広く考察。マリアンヌ・テンプルトンとオナー・ベダードの共同キュレーションで、赤ん坊の授乳や酪農に使われてきた道具、広告や公衆衛生のポスター、そして今回の展覧会のために委託制作されたものを含む現代アート作品など、100点以上が展示されている。


*1 高栄養価で栄養バランスに優れた食品。
ジュリア・ボルネフェルド《無題》(1995) Photo: Steven Pocock

会場に入ってすぐに目につくのが、牛の乳房をかたどった巨大で真っ黒な立体作品だ。大きくふくらみ、垂れ下がった乳房は、中にたっぷり乳が入っていることを思わせる。天井から吊り下げて展示されているこの無題の作品は、金属、石炭粉、織物、塗料を素材としてジュリア・ボルネフェルドが1995年に制作したもの。人間や動物の母体が、乳を与え世話をする機能を持つものとして示されている。これは、この展覧会で繰り返し表現されるテーマだ。

しかし、まずは歴史のおさらいをしなくてはならない。牛乳や乳製品の歴史は非常に古く、この展覧会でも、チーズを載せた2つのトレイを運ぶラバを表した古代ローマ(紀元前3~2世紀)のテラコッタ彫刻がある。牛乳の飲用が広まったのは、ヨーロッパ人による植民地の拡大によって、牛乳を標準的な飲み物とする文化が浸透したためだ。ホルスタイン・フリージアンのようなヨーロッパの乳牛種は、今も世界で最も広く飼育されている。とはいえ、「牛乳をめぐる物語」についての展示パネルの解説では、世界人口の約3分の2は牛乳を消化しにくい体質であり、特に成人してからはその傾向が顕著になるという。

ダニエル・ディーン《White》(2022) Photo: Steven Pocock. Commissioned by Wellcome Collection

ダニエル・ディーンは、8分間のアニメーション《White》(2022)で、植民地政策を正当化する物語のために利用された牛乳の役割に注目している。作品は、19世紀にニュージーランドのタラナキ山周辺で、イギリスからの入植者が放牧地を作るために森林を開拓して酪農を行った影響を明らかにする。白い物質で森林が汚染されていく映像が流れ、自然破壊の後に風景は乳牛が点在する緑の草原に変わっていく。ループ上映になっているこのアニメーションでは、画面に再び森林が映し出され、生態系が元に戻ることを想像させる。

キュレーターの1人であるテンプルトンはインタビューに答え、「このアニメーションは、伐採される前の森林を想像して作られました。アーティストのディーンは、タラナキ地方の8つのイウィ(マオリの部族)のうちンガルアヒネ・イウィと協力して動植物の調査を行い、そこにあった風景を想像しながら緻密な水彩画のレイヤーで再構築したのです」と説明した。

チーズを載せた2つのトレイを運ぶラバをかたどったテラコッタの彫刻(紀元前3~2世紀)。制作者不明。Photo: British Museum

牛乳はどう政治的に利用されてきたか

この企画展の最大のテーマは現代社会の牛乳をめぐるシステムで、牛乳がいかにして人々の食生活の中心的存在となったかを提示している。牛乳の消費は、17~18世紀のコーヒーハウスの台頭とともにイギリスで普及し、産業革命でさらに拡大。都市部の人口が増加するにつれ、牛乳の需要も増えていった。「The Daily Round: The Story of Milk Production and Distribution(毎日の供給-牛乳の生産と流通)」と題された2分間のビデオでは、エクスプレス・デーリィ社が先進的な設備で牛乳を殺菌し、専用の列車で輸送する様子が紹介されている。牛乳や乳製品は工場で集中製造されるようになり、大規模な乳業会社が生産の主導権を握るようになった。

現在、イギリスの酪農業は出稼ぎ労働者の労働力に頼っているが、ブレグジットによって移民が減少したことに加え、コロナ禍やウクライナロシアの戦争の影響で、労働力不足はさらに深刻化している。

アメリカでは、20世紀初頭に牛乳の普及を促す大々的な広告キャンペーンが始まった。その中には、裏に別の意図が隠されたものもある。広告主はこぞって、白人の核家族を牛乳消費の顔として前面に押し出したが、そこには「混じり気のなさ」という概念が透けて見える。また、ハーバート・フーバー(のちの第31代アメリカ大統領)をはじめとする優生学主義者たちは、「ナチュラルな」牛乳の「混じり気のなさ」を、白人の優位性や人種階層のイデオロギーと関連づけ、人種差別を正当化するためのイカサマとも言える主張を行った。ここに展示されている1920年代の広告には、フーバーの「白人種は乳製品なしでは生きていけない」という言葉が引用されている。

そのそばには、ルーク・ターナーが2017年に制作した3分間の映像が展示されている。これは、フーバーの人種差別的理想に似た問題を提起する作品だ。ターナーは、ドナルド・トランプが第45代アメリカ大統領に就任した2017年1月20日から、「He Will Not Divide Us(彼に私たちを分断させない)」という反トランプのオンラインパフォーマンスをライブ配信した。映像には、アメリカのネオナチが人種差別的、あるいは反ユダヤ主義スローガンを唱えながら牛乳を飲んでいる様子が映し出されている。

左:イギリス保健省のポスター「Let the toddler’s first steps lead to the welfare centre(幼児の最初の一歩は福祉センターへ)」(1937-38頃)。Photo: Wellcome Collection、右:イギリス食糧省のためにジェームス・フィトンがデザインしたポスター「Milk: The backbone of young Britain(牛乳は若いイギリスを支える)」(1945-51)。Photo: ©IWM

牛乳が政治的宣伝に使われるのは、過去に限った話ではない。たとえば、今もアメリカの生活保護受給者にはプロセスチーズ「Government Cheese(政府のチーズ)」が支給され、それを宣伝する限定版の帽子もある。プロセスチーズには飽和脂肪酸が多いが、受給者の内訳を人種別に見ると、飽和脂肪酸の摂取による疾患のリスクが高い黒人やラテンアメリカ系世帯の割合が圧倒的に多い。このチーズは、ケンドリック・ラマーやジェイ・Zといったミュージシャンが、自分が経験した貧困を表すものとして楽曲の中で取り上げるなど、ポップカルチャーにおいても象徴的存在になっている。

さらに、アメリカの「Got Milk?」やイギリスの「Make Mine Milk(私のは牛乳にして)」といった広告キャンペーンでは、さまざまなセレブが食生活に牛乳を取り入れれば健康になると宣伝し、牛乳神話を浸透させていった。

牛乳から見えてくるジェンダーや環境問題

「科学的な母性」と題されたセクションでは、1930年代に保健師が家庭を訪問して赤ん坊の体重を測るときに使った携帯用体重計が、子どもの体重が少ない場合など、多くの母親に不安を与えていたことを紹介している。当時、貧しい女性は栄養が足りず、乳児の成長に必要な母乳を十分に与えられないことが多かった。ちなみに、1860年代に初めて登場した粉ミルク(牛乳を成分とした粉末製品)は、グラクソ社などの企業が母乳の「完全な代替品」であると宣伝していた。

白人女性の身体的特性を中心に作られた体重や栄養に関する基準は、今も根強く残っている。階級や人種、社会移動(*2)が子どもの成長に与える影響は、十分に考慮されないままだ。


*2 社会移動(social mobility):人びとが社会における地位をどの程度自由に改善することができるかを示す尺度。
イラナ・ハリス=バブー《Let Down Reflex》(2023) Photo: Steven Pocock. Commissioned by Wellcome Collection

イラナ・ハリス=バブーによる14分間の映像作品、《Let Down Reflex》(2023)も魅力的だ。ウェルカム・コレクションの委託で制作されたこのビデオは、特注のイスと壁紙を使った空間で上映されている。その中では、ハリス=バブーの母親、姉、姪が、母乳育児に関する個人的な経験を語り、授乳を取り巻く幅広い政治的背景が考察されている。作品はまた、「All the pretty horses」という子守唄にも触れている。これは、自分の赤ん坊と引き離され、奴隷となったアフリカ人の母親が、奴隷主の子どもの授乳や世話をするときに歌ったと言われている。ハリス=バブーの作品は、奴隷にされた女性から身体の自律性を奪った大西洋奴隷貿易の恐ろしい歴史と負の遺産を強調するとともに、現在のアメリカやイギリスでも、妊婦医療において黒人女性が負わされている不平等の問題を指摘するものだ。

「The Cost of Milk(ミルクの代償)」と題された最後のセクションは、私たちの食料供給システムや消費者としての選択を支える価値観について、改めて考えさせる展示になっている。自家製オーツ麦ミルクの作り方を紹介するイヴ・ブルのZINE(*3)「DIY Oat Milk」は、ライフスタイルの選択が環境に与える影響と、資本主義システムの中でエシカルな消費(*4)を行うことの難しさに目を向けさせている。市販の植物性ミルクは、牛乳に比べて高い価格で販売されていることから、環境に配慮することが許されるのは経済的にゆとりのある富裕層だけという事態になりかねないのだ。


*3 ZINE(ジン):個人(やグループ)が、自らの趣味など自由なテーマで作る雑誌。同人誌。
*4 エシカル(倫理的)消費:消費者それぞれが自分にとっての社会的課題の解決を考慮したり、そうした課題に取り組む事業者を応援しながら消費活動を行うこと。
ジェス・ドブキン《For What It's Worth》(2023) Photo: Steven Pocock. Commissioned by Wellcome Collection

展覧会の締めくくりに登場する作品は、委託制作によるジェス・ドブキンのインスタレーション《For What It's Worth》(2023)で、母乳にまつわる倫理や規制、そして母乳を与える女性たちが崇拝されたり、逆に軽んじられたりする複雑さについて考察している。さらに、21世紀に入って母乳がオンラインで販売されるようになり、ボディビルダーやフェティシスト、それに代替医療を志向する人々によって消費されている実態も示されている。展示室に流れるサウンドトラックは、ドブキンがプロジェクト制作中のリサーチで協力者と交わした会話の抜粋だ。

キュレーターのベダードはこう語った。「(協力者の)チャリティ・ムバゼの言葉が頭から離れません。彼女はこう言いました。歴史を通じて、女性は母乳を出すがゆえに動物とみなされるか、母乳を出すがゆえに神聖であるとみなされるかのいずれかだったと」(翻訳:清水玲奈)

from ARTnews

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