現代写真の市場価格が下落。スマートフォンによる写真のコモディティ化が原因?

現代写真の市場が低迷しているという。アンドレアス・グルスキー杉本博司、ルイーズ・ローラーなどの価格がこの10年で下落している背景と、アートとしての写真の価値を考察する。

アンドレアス・グルスキーの《Paris, Montparnasse》(1993)を運ぶギャラリーのスタッフ。2013年にサザビーズで、148万2500ポンド(現在の為替レートで約2億7100万円)で落札された。Photo: Lewis Whyld/PA Images via Getty Images

著者のダニエル・サリックは、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭(ワシントンD.C.)の理事長であり、全米でコミュニケーション・アドボカシー活動を展開するSubject Matter+Kivvitの創立パートナーでもある。ここで述べられている内容はサリックの個人としての見解に基づいている。

スマホが急速に普及する中、現代写真の市場は低迷

iPhoneが登場して16年、インスタグラムがアートの世界に押し寄せるようになって10年あまり。その間に写真はありとあらゆるところにあふれるようになり、何が優れた写真なのかを判断する感覚を鈍らせてしまった。毎日何十億枚もの写真がオンラインで共有される一方で、現代写真の市場は大幅に縮小し、数多くのスター写真家たちが消えていった。

市場では、ときに過剰な調整局面が訪れる。それが今日の現代写真に起きていることなのだろう。しかし、世界に、そして芸術の歴史に多大な貢献を果たしてきた写真というメディアは、新たな復興を迎えるに値するはずだ。

私がアートの収集を始めたのは2000年。それ以来、アートとしての写真を高く評価し、自分のコレクションに加えてきた。初期のアート・バーゼル・マイアミ・ビーチでは、さまざまなブースに超大型の大胆な現代写真があふれていたのを思い出す。その価格に比して写真が提供するスケールの大きさと、雄弁にストーリーを語る写真ならではの可能性に感銘を受けたものだった。

しかし、私たちの身のまわりに写真があふれているせいで、ここ数年は現代写真の金銭的価値が薄れているように感じる。今こそ、コレクターは写真との関係を見直し、自撮り写真と優れた芸術写真を区別して考えるべき時期に来ていると思う。

別に投資家的な目で見ているわけではないが、写真というメディアを真剣に見直せば、美術館級の作品を魅力的な価格で手に入れることができると私は確信している。そして、絵画を志向する作家がいまだ中心的存在である現在のアート界において、あえて写真を選び、革新的な制作に取り組む新世代のアーティストたちを発見することもできるだろう。

グルスキーなど、著名写真家の作品価格も軒並み下落

過去10年間で写真の市場がどれほど落ち込んだかを理解するために、アンドレアス・グルスキーのケースを考えてみよう。彼が同世代のトップを走る写真家であることは間違いないからだ。2006年から2017年にかけて、オークションで落札価格が100万ドル(現在の為替レートで約1億4400万円、以下同)を超えたグルスキーの作品は32点にのぼる。しかし、その後は1点もない。

北朝鮮で撮影された強い印象を残す写真(北朝鮮政府が国民を支配する全体主義的な状況を撮影した「平壌」シリーズの1点《Pyongyang IV》)は、2010年11月にサザビーズロンドンのオークションで、213万ドル(約3億円)で落札された。それから10年後の2021年10月、「平壌」シリーズの同じような写真7点(1次市場での販売価格は100万ドルを超えていたらしい)の予想落札価格は、44万〜57万ドル(約6300万〜8200万円)でしかなかった。

2010年11月、サザビーズ・ロンドンに出品されたアンドレアス・グルスキー《Pyongyang IV》。Phito: Courtesy Sotheby’s

グルスキーだけではなく、トーマス・シュトルートから杉本博司まで、価格が下がった偉大な写真家は枚挙にいとまがない。2007年と2008年には、杉本の有名な「海景」シリーズの写真4点が100万ドルを超える価格で落札された。その後、杉本の国際的な評価は高まる一方で、美術館での大規模展も相次いだが、2009年から今年にかけてオークションで落札された十数点は、30万〜50万ドル(約4300万〜7200万円)にとどまっている。

ピクチャーズ・ジェネレーション(*1)の中心的人物であるルイーズ・ローラーの作品についても、価格による評価と歴史的価値は一致していない。2016年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で大規模個展が開かれ、世界中の主要な美術館の多くがローラーの写真を所蔵している。オークションでの最高落札価格としては、アンディ・ウォーホルがマリリン・モンローを描いた絵の写真が34万1000ドル(約4900万円)をつけたこともある。しかし今日では、オークションでの落札額のほとんどは7万5000ドル(約1100万円)以下で、最低販売価格に入札価格が届かないなどの理由で不落札になる場合すらある。


*1 1970年代初頭のアメリカで、メディア文化を批判的に分析した当時の若手アーティストたちのゆるやかな集団。映画やテレビ、雑誌などのメディアにあふれるイメージに囲まれて育った世代で、オリジナリティや真正性という概念そのものに疑問を投げかけたロラン・バルト、ミシェル・フーコーらに触発された。1977年、ニューヨークのアーティスト・スペースで、これらのアーティストの展覧会「The Pictures Generation」が開催された。

これを、若手画家の場合と比較してみてほしい。美術館での大きな展覧会に(あるいは小さな展覧会にさえ)参加したことがなくても、100万ドルを超える作品を定期的に発表している若手画家は少なくない。こうした画家たちの多くは将来有望ではあるが、その中の最良のアーティストであっても、批評的な視点に基づく評価においてはローラーの足元にもおよばない。

もちろん、写真においてはエディションという事情がある。1点の写真から10枚のプリントを販売する写真家もいるので、それが価格に影響している面もあるだろう。しかし、エディションは、市場が最も活発かつ加熱し始めていた2000年代初頭にも存在していた。

SNSから溢れる画像の中、見逃されている写真本来の価値

なぜ今、価格の下落が起きているのだろうか?

たまたまその答えの手がかりを得た出来事がある。2022年の秋、私の妻の呼びかけで「Back-to-Fall Summer Photo Contest(秋の再会を祝う夏の写真コンテスト)」が、ワシントンD.C.の自宅近くのコーヒーショップで開催された。何十人もの友人や近所の人たちが参加してくれたこのイベントは、夏休み明けに再会し、休みの間に撮った写真を披露し合おうというものだ。次々と寄せられた応募の中には大判プリントの写真も多く、きちんとフレームにマウントされたものまであった。

応募作品は、風景から抽象まで、どこかで見たことのあるスタイルのオンパレードだった。私はというと、真っ青な空にフライフィッシングの釣竿の黄色い線が映えるスナップショットを選び、会場の壁にピンで留めた。2022年にMoMAで大規模な個展を開催した、今最も力量のある写真家の1人、ヴォルフガング・ティルマンスを真似てみたものだ。

ワインとビールで乾杯した後、最優秀作品が発表された。受賞したのは友人の作品で、フランスの偉大な写真家イルゼ・ビングの、鏡を使って被写体をとらえるテクニックをヒントにした魅力的な写真だった。しかし、その友人はイルゼ・ビングではないし、私がヴォルフガング・ティルマンスになろうとしても、間違いなくヴォルフガング・ティルマンスにはなれない。

インスタグラムには、あれこれと工夫された写真が次々と投稿される。それを見ているうちに私は、20世紀前半に活躍した写真家、アンセル・アダムスの「写真は撮るのではない。作るのだ」という言葉の正しさに気づいた。携帯電話でパッと撮影した私たちの写真は、幸せな偶然の産物に過ぎない。丹念に考えられた構図や、ある種の自発的なビジョンの表れではないことは明らかだ。

こうして、スマートフォンのアプリに溜まった写真の枚数は増え続ける(私は1万3000枚を突破した)。その一方、現代写真の傑作であってもオークションでの落札価格は低下し続けている。私たちの目の前で、写真というメディアを使ったスリリングな探求が進行しているのに、それを見逃している人があまりにも多いのだ。南アフリカのザネレ・ムホリから、ニューヨークを拠点とするディアナ・ローソンまで、世界中のアーティストがその写真で、人種、ジェンダー、不平等の問題を見る人に厳しく問いかけている。

アントワン・サージェント(作家、インディペンデント・キュレーターを経て、ガゴシアンのディレクターになった)は、2019年の著書『The New Black Vanguard: Photography between Art and Fashion』で、新世代の黒人アーティストたちがファッション写真とファインアートの境界を軽々と跳び越え、アウォル・エリズクなど多分野で活躍するアーティストが台頭するようになった状況について考察している。コンセプチュアルな領域では、エラッド・ラスリーやタリン・サイモンといった写真家たちが、ルイーズ・ローラーらの系譜に連なる写真を追究している。

「アート」になった現代写真の可能性

クリスティーズで写真部門をグローバルに統括する責任者、ダリウス・ハイムズに、最近の写真市場の低迷について尋ねると、興味深い長期展望を語ってくれた。ハイムズによれば、現在最も作品が売れている現代写真家25人は、写真専門のギャラリーではなく、多様なメディアを用いるアーティストを扱う大手ギャラリーに所属している。また、写真は20世紀の大半を通してニッチな市場と見なされてきたが、今はそうではないという。

また、写真の市場に見られる明るい兆しとして、19世紀や20世紀の希少な名作写真の価格が高騰していることを挙げ、写真は健全なアート市場の一部であり、今後も成長・存続していく証だとの見方をハイムズは示した。

そしてもちろん、主要な美術館も写真を強力にバックアップしている。MoMAはヴォルフガング・ティルマンス展を昨年末に実施し、ワシントンD.C.のハーシュホーン博物館は中国の最先端の写真を集めた展覧会を開催中だ。ロンドンのテート・モダンでは2020年から2021年にかけてザネレ・ムホリ展を開いたが、2024年にもムホリの個展を予定している。写真はアート界のヒエラルキーにおいて、今も正当な位置を占めているのだ。

「私たちは戦いに勝利したのです。今や写真はアートと見なされるようになりました」とハイムズは言う。

どんな芸術も、市場では浮き沈みのサイクルを繰り返すもので、写真もその例外ではない。現代写真には、再びスポットライトを浴びる価値がある。私たちがスマートフォンから視線を上げさえすれば、その瞬間は訪れるはずだ。(翻訳:清水玲奈)

from ARTnews

あわせて読みたい

  • ARTnews
  • CULTURE
  • 現代写真の市場価格が下落。スマートフォンによる写真のコモディティ化が原因?