「若くない女性のからだ」にあなたは何を思う? NYのギャラリーの試みが浮き彫りにするアート界の歪み
これまで美術の世界では、数えきれない女性たちが描写の対象となってきた。ニューヨークのライアン・リー・ギャラリーでは、中でも「年齢を重ねる」という観点から女性を見つめた企画展を開催。同展が提示する「問い」とは?
高齢女性がポップカルチャーにも登場する時代に
アメリカは今や、老後世代の黄金時代だ。100歳以上の人口は20年前の倍になり、社会全体の高齢化を反映するかのように、議会の4分の1を70歳以上の議員が占めている。今年9月に死去したダイアン・ファインスタイン上院議員が、そのしばらく前から職務遂行能力を失っていたとの指摘は少なくないが、そんなふうに議会の高齢化にリスクがないとは言えない。
ポップカルチャー界においても、同様の現象は起きている。例えば80代のリリー・トムリンやジェーン・フォンダなどが出演するスポーツ・コメディ映画『80 for Brady:エイティ・フォー・ブレイディ』や人気恋愛リアリティ番組「バチェラー」のシニア版スピンオフ「ゴールデン・バチェラー」、あるいはスポーツ・イラストレイテッド誌の水着特集号の表紙を実業家でテレビパーソナリティのマーサ・スチュアートが81歳で飾るなど、シニア世代をターゲットにした作品が多数生まれている。
そんなふうに、メディアを通じていくつになっても生き生きと輝く女性たちの存在がフィーチャーされる一方で、多くの女性たちは自らもそうなりたいと願い、若い時と同じような理想に駆り立てられているのも事実だ。
知力・体力や性的魅力という狭い枠組みに囚われることなく、まったく別の方法で老いを肯定することはできないのだろうか? ニューヨークのライアン・リー・ギャラリーで最近開催されたグループ展「Can You See Me Now? Painting the Aging Body(今の私を見れますか? 年を重ねたからだを描く)」は、そんな問いを暗に投げかけていた。
会場には、年齢を重ねたシスジェンダー(*1)女性の身体をあたたかいまなざしで表現した絵画作品が並んでいた。それらを見ていて感じたのは、このような視点で女性を描いた作品に美術館やギャラリーで出合うのは非常に稀だということだ。本展に参加したジョアン・センメル、ハン・リウ、サマンサ・ナイなど11人のアーティストは、自分自身や親しい友人を被写体に、年を重ねることに対する賛美を送っている。
*1 性自認と生まれ持った性別が一致している人
老いた女性に対する否定的な見方が支配的な社会
この展覧会のキュレーションを担当したのは、ライアン・リー・ギャラリーの共同設立者ジェフリー・リーとアーティストのクラリティ・ヘインズ。リーが本展のアイデアを思いついたきっかけは、自身のギャラリーに所属していたメイ・スティーブンスが2019年に死去したのち、彼女の遺作を管理する中で気づいたあることだった。
スティーブンスの主要作品はすべて高く評価され、コレクターや美術館などに所蔵されているが、彼女の高齢の母アリス・スティーブンスが描かれた作品群だけは例外だった。これらも他に劣らず力強い作品なのに、なぜ人気がないのか──リーはその理由を、年老いた女性がモデルだからではないかと推測した。
「この題材を、意義深い形で取り上げたアーティストはほとんどいない。そのこと自体、ある意味衝撃的でした」
リーは、女性ヌードという題材が脈々と受け継がれてきた西洋絵画の歴史に触れた上で、こう続ける。
「美術業界も含め、私たちの社会は当たり前のように『男性のまなざし(male gaze)』によって成り立ってきました。それに慣れすぎた結果として、『女性の老い』に対して否定的な感情を持つ女性がとても多いのです」
リーとともにキュレーターを務めたクラリティ・ヘインズは、女性やクィアの人々の上半身ヌードを多数描いてきたアーティストであり、彼女が選ぶモデルの多くは高齢だ。今回、リーから「年を重ねる」ことをテーマにした企画展のキュレーションを手伝ってほしいと打診されたヘインズは、喜んでその依頼を引き受けたという。
「彼からこの企画を持ちかけられたとき、私は『本気?』と思わず聞き返しました。このテーマに興味を持つ人がどれほど少ないか。特に、若さや美しさ、そして『超現代的』であることに取り憑かれている今のアート市場は特にそうであることを知っているのか、と」
ありのままの肉体を肯定的に捉える視点
この展覧会を訪れた多くの人が、老いた肉体を直視した経験があまりに少ないことに気づき、驚いたことだろう。同時に、出品作品を前にそうした感情がすぐに安堵感やもっと知りたいというポジティブな好奇心へ変わったことを、意外に思ったかもしれない。
スティーブンスが母親を描いた《A Life》(1984)は、連続写真のような構成の作品だ。作品の左側には椅子に座ったまま眠っている母親が、中央には目を覚まして眩しそうに顔をしかめている母親が、そして右側には、カンバスの外にある何かを見つめるすっかり覚醒した彼女が描かれている。目覚めを境に、年季の入った物悲しいオブジェのようだったスティーブンスの母親は、しっかりとした意志を持つ完全な主体へと変わるのだ。
一方、サマンサ・ナイがフロリダにあるユダヤ人高齢者コミュニティに住む自身の祖母の友人たちをモデルにした「Entertainment for Men」シリーズ(2006-12)は、もっとセクシーだ。ナイは80年代のプレイボーイ誌を参照して、ポーズや衣装を描いたという。
画面の中から鑑賞者を見つめ返す女性たちのまなざしは、控えめなものもあれば、力強いものもある。程度の差はあれ、全員が、しみだらけの肌を大きく露出している。彼女たちは魅惑的だが、その美しさに人工的なところは一切ない。それは「ゴールデン・バチェラー」の世界観からはかけ離れたものだ。
この展覧会が、年齢を重ねた女性たちの多様な姿を捉えることに成功しているのは、自身を含め、ナイやアンジェラ・デュフレーン、マラ・イクバルといったレズビアン作家たちのクィア的・フェミニスト的な視点に負うところがあるのではないかとヘインズは考えている。ヘインズ自身も、90年代にクィアやフェミニストのコミュニティと深く関わった後、女性の上半身を描いた肖像画のシリーズに取り組み始めた。そうしたコミュニティの解放的な雰囲気に感化され、彼女はむき出しの乳房や肉体のたるみを自由の象徴として捉えるようになった。
年配のモデルを描くことに関してヘインズは、年齢を重ねた肌が持つ「データ量」の多さにワクワクすると語る。今回展示されている彼女の作品《Brenda》(2020)では、一対の乳房が、妊娠線が刻まれた腹部の真ん中あたりまで垂れ下がっている。ヘインズは、そこに浮かび上がる青と紫色の血管といったディテールこそが作品を見応えあるものにしているのだという。
「レズビアンのコミュニティには、多様な体型を受け入れる土壌があります。そして、シスジェンダー男性が優位的なアート界では接することの少ない、身体のさまざまな側面に対する真の愛に触れることができるのです」
アートマーケットは依然として「若い肉体」志向
アート界では歴史的に、コレクターやキュレーター、ディーラーの多くが男性であり、そうしたジェンダーの偏りが、作家のキャリアと美術史の規範を形成してきた。ヘインズは自身の実体験に照らして、こうした男性が望む作品を制作してこなかったことが自身の低い評価に反映されているのではないかと考えている。そのように感じているのは、彼女だけではない。
ユートピア的な風景の中で年配の女性たちがセックスをしていたり、自慰をしていたりするシーンを多く描いてきたナイは、もっと若い肉体を描いてはどうかというアドバイスを常に受けてきたと話す。彼女は、アーモリー・ショーのソロブースに絵画を出品したとき、このアドバイスの背後にある不幸な真実に直面することになったと回想する。
「私の絵にとても興味を持ってくれた女性がいたのですが、最終的には夫の反応を心配して作品購入には至りませんでした。彼女は、『この作品がすごく気に入ったけれど、夫は老いた肉体をそういうふうに見られない』と言ったのです。それを聞いて、かなりショックを受けました。いろいろな意味で、大きく動揺させられる言葉です」
こんなことがあるからこそ、ヘインズとリーはこの展覧会をこれからも発展させていきたいと考えている。
「今後この展覧会をどのように拡張し、再編成していけるのか、とても楽しみです」
そう語るヘインズは、具象絵画以外の作品やシスジェンダーではない身体を表現した作品も見せる、よりインクルーシブな展示に挑戦したいという。「人々が自分自身を表現し、年齢を表現する方法には、とても興味深い歴史があります。私はそのすべてを見たいのです」(翻訳:野澤朋代)
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