オークションに出品予定のセザンヌ名作にナチスの影。国際博物館会議は「販売は言語道断」と非難
9月末、スイス・バーデンにあるラングマット美術館が、同館所蔵のポール・セザンヌの名作3点を11月開催のオークションに出品すると発表していたが、それらの来歴に問題があることがわかった。
元の持ち主の遺族への返還が決定
来歴に問題があることが判明したのは、セザンヌの名画3点の中でも最も注目を集めていた静物画《Fruits et pot de gingembre》(1890-1893)だ。オークション前の調査で、元の持ち主が強制されてラングマット美術館に売却したものである可能性を示す証拠が見つかったのだ。
調査結果を受けてラングマット美術館は、クリスティーズの協力のもと、1929年にこの絵画を共同購入したユダヤ人美術商、ヤコブ・ゴールドシュミットの遺族に連絡を取り、返還に関する合意に至ったという。合意の条件は公になっていないが、推定価格は3500万ドルから5500万ドル(約52億〜82億円)とされている。
フランクフルトにあったゴールドシュミット&カンパニー画廊と、パリのベルネーム=ジューヌ画廊の関連会社でルツェルンにあったラール・モデルは、1933年に、ラングマット美術館の設立者であるジョン・アルフレッド・ブラウンの父、シドニー・ブラウン博士に本作を販売したが、その背景には、本作を手放さざるを得ない緊迫した状況があった。
というのも、ドイツでアドルフ・ヒトラーのナチ党が政権を握った1933年以降、ゴールドシュミットの生活と仕事は常に脅威に晒されていたのだ。同年4月、ナチ党はユダヤ人が経営する企業に対するボイコットを実施。1934年には、ドイツ労働戦線(*1)にユダヤ人が参加することを禁止した。これにより、ユダヤ人が民間企業で働くことが事実上不可能になり、ゴールドシュミットも美術商を続けることができなくなった。
*1 既存の労働組合を解体したナチスが、代わりに設置した資本家と労働者による統合組織。
1930年代にドイツから出ることを促された多くのユダヤ人と同様、ゴールドシュミットは1936年にドイツを離れる際に帝国逃亡税として知られる法外な国外移住税の支払いを余儀なくされた。欧州のNPO組織である経済政策研究センターによると、その年の実効税率は85.8%だったという。
販売を進めるために友好的な解決策を模索
《Fruits et pot de gingembre》がこうした経緯でラングマット美術館に購入されたことは、つい最近まで知られていなかった。また、クリスティーズが9月下旬にこの絵をオークションにかけると発表したときも、返還請求の可能性についてはまったく触れられていなかった。ラングマット美術館によると、この作品の来歴に疑問を抱かせる文書が浮上したのは、クリスティーズが出品を発表した後のことだったという。
ラングマット美術館の広報担当者は、「子孫にコンタクトを取った方がいいと判断するに至った証拠が出てきたのは、かなり後の段階でした。こうしたことはさほど珍しくありません」と答えている。
さらに、同美術館のマルクス・シュテグマン館長はこう続けた。
「歴史的資料には不明瞭なところもありますが、状況は明白です。ゴールドシュミットは、その数年前までのような商いができる状況にありませんでした。返還の必要性があるかどうかは定かではありませんでしたが、ラングマット財団と美術館はこの作品の販売を進める上で、彼の相続人を探し出してクリスティーズと共に友好的な解決策を見つけることが、最も適切な方法だと考えました」
同美術館によれば、和解が成立したのはつい最近のことであり、オークションへの出品は予定通り行われるという。クリスティーズは声明で、「オークションに出品される作品の来歴情報を可能な限り詳細に示すことを目標に、目録作成に不可欠な調査に全力を尽くしています」とし、ラングマット財団とヤコブ・ゴールドシュミットの相続人に対し、「この件での献身的な協力や関与、そして配慮」に感謝すると述べている。
販売自体や美術館創設家の過去に対する批判も
ラングマット美術館は、《Fruits et pot de gingembre》を含む3点のセザンヌ作品をクリスティーズのオークションに出品するが、今回の販売はラングマット財団の資金調達を目的として行われるもので、目標額は4500万ドル(約67億円)とされている。
クリスティーズによれば、この3点は、《Fruits et pot de gingembre》(推定落札価格3500万〜5500万ドル:約52億〜82億円)、《Quatre pommes et un couteau》(1885、推定落札価格700万〜1000万ドル:約10億〜15億円)、《La mer à l’Estaque》(1878-1879、推定落札価格300万〜500万ドル:約4億5000万〜7億5000万円)の順に販売される予定で、落札総額が4500万ドルを超えた時点で残った作品は引き上げられ、同美術館に返却される。
しかし、国際博物館会議(ICOM)のスイス支部会長は、この販売は「言語道断」であり、収蔵作品の売却に関するICOMの規定(売却見込み額を理由に収蔵品を手放すことは認められない) を著しく無視するものだと非難。さらに今回の計画に異を唱えたのはICOMだけでなく、ラングマット美術館を設立したジョン・アルフレッド・ブラウンの親族が経営していた重電・輸送機器メーカー、ブラウン・ボベリ社とナチ党とのつながりを指摘する批判が噴出した。
同美術館のコレクションのベースとなっているのは、シドニー・W・ブラウンとジェニー・ブラウン夫妻のコレクション。夫妻の息子ジョン・アルフレッド・ブラウンが両親から受け継いだ邸宅であるヴィラ・ラングマットと所蔵品をバーデン市に遺贈したことがきっかけで、同館は1990年に創設された。
ブラウン・ボベリ社はシドニーの兄、チャールズ・ユージーン・ランスロット・ブラウンが1891年にバーデンに設立した。シドニーは同社の技術ディレクター として働き、1935年に引退している。なお、第2次世界大戦中にドイツのマンハイムにあった同社の子会社は、強制収容所での奴隷労働を含む強制労働によって事業拡大を図ったとされる。
1941年にシドニー・W・ブラウンが死去した後、彼が保有していたブラウン・ボベリ社の株は子どもたちに受け継がれたが、美術館の広報担当者によると、戦時中のブラウン家の同社への投資はごくわずかだったという。当時、一家が保有する株式の価値は約7万5000スイスフランで、同社株全体の名目価格は3000万スイスフラン。つまり、ブラウン家が保有していた株式は全体の約0.25%だ。
同美術館のウェブサイトには次のように記されている。「ブラウン・ボベリ社は1988年にスウェーデンのアセア社と合併し、アセア・ブラウン・ボベリ(ABB)となりました。ほかの多くのスイス企業と同様、ABBは2000年に第2次世界大戦中の強制労働に関するすべての訴えを解決しています」(翻訳:野澤朋代)
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