総工費200億円超! メトロポリタン美術館が時代遅れの展示をリニューアル、その見どころは?
ニューヨークのメトロポリタン美術館が、ヨーロッパ絵画部門の全展示室をリニューアルオープンした。同部門では約5年間にわたる天窓の改修に加え、展示内容も劇的にアップデートされている。新たな展示の見どころを、US版ARTnewsのシニアエディターがレビューする。
ヨーロッパ絵画の展示替えに加えられた新しい視点
今、メトロポリタン美術館(以下、MET)には、興味をかきたてられる展示が勢揃いしている。19世紀後半のフランスを代表する2人の画家を取り上げた「マネ/ドガ」展、ジャコルビー・サッターホワイトによるグレートホールの大型コミッション作品、ビザンティン美術とアフリカの関係がテーマの「Africa & Byzantium」展など、ほんの3つ例を挙げただけでもその多彩さが分かるだろう。そんな中でかすみがちだが、実は最も刺激的なのがヨーロッパ絵画の全面的な展示替えだ。
2018年以降、METはヨーロッパ絵画の展示室を一時閉鎖し、自然光をより多く取り入れるために天窓を取り替える改修を進めていた。総工費は実に1億5000万ドル(約225億円)というMET史上最高額で、2020年から段階的に再開されていたものが今秋ついに完成した。
コロナ禍の最中から再開されてきた展示室では、いくつもの新たな視点が加えられたのがよく分かる。歴史上、ヨーロッパ絵画の展示から締め出されてきた女性作家がクローズアップされるようになり、植民地主義や階級、人種、ジェンダーといったトピックが扱われるようになったのだ。そして今、METのキュレーターたちは、時代遅れになっていた展示構成をさらに刷新するプロセスに取り組んでいる。
11月20日、5年ぶりにヨーロッパ絵画の全展示室が公開され、45の展示室で700点近い作品が見られるようになった。以前は閉鎖的な空間を作り出していた壁が取り払われたことで、開放感に満ちた美しいスペースに生まれ変わっている。
METの常連には親しみのある数々の有名作品も、展示が一新された。たとえば、改修工事中は寂しい特別展示室に置かれていた同館所蔵のフェルメール作品5点は、それぞれ専用のスペースに展示されるようになり、フランシスコ・デ・ゴヤ、ピーテル・パウル・ルーベンス、ジャック=ルイ・ダヴィッドも、その他の珠玉作とともに戻ってきた。ただ、ヘッドキュレーターのステファン・ウォロホジアンが率いるヨーロッパ絵画部門のスタッフたちは、単なる再展示にとどまらず、新しい角度からこうした名画を見つめ直している。
ヨーロッパ絵画・彫刻の概念を拡張するような展示方法
目玉の1つ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの歴史画で、高さ約560センチメートルもの《マリウスの凱旋》(1729)は、長年METのヨーロッパ絵画展示の入り口で来場者を出迎えていた大作だ。タイトルからすると主人公はローマの将軍マリウスなのだが、実際に絵を見ると、ローマ軍に捕らえられ、鎖につながれて通りを引き回される北アフリカのヌミディア王ユグルタに目を奪われる。はためく旗や群がる見物人の荘厳な描写とは対照的な暴力的な光景だが、キュレーターたちはこの点にあえて着目した。
現在、《マリウスの凱旋》と並置して展示されているのは、メキシコの先住民プレペチャ族の画家、ホセ・マヌエル・デ・ラ・セルダによる漆細工の円形の盆(1764年頃)だ。古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩、『アエネーイス』のエピソードの1つを表したこの作品には、競走馬や曲がりくねった木々が東アジアの装飾品を参考にしたスタイルで描かれている。
ティエポロとデ・ラ・セルダの作品の間には、古代ローマに着想を得ている以外、共通点は見当たらないかもしれない。しかし、ティエポロもデ・ラ・セルダも、すでにヨーロッパの帝国がグローバル化し、世界の隅々にまで植民地主義の触手を伸ばしていた時代の作家だ。それを裏付けるものとして、近くの展示室「Tiepolo and Multiracial Europe(ティエポロと多民族ヨーロッパ)」には、ヴェネチアにいた黒人・トルコ人の奴隷や、アフリカやアジアを擬人化した人物を描いたフレスコ画の準備段階で制作された油彩画が集められている。
こうした展示方法は、ヨーロッパの絵画や彫刻という概念そのものを大胆に拡張する取り組みと言える。「ヨーロッパ絵画部門」は、欧米の多くの美術館で一般に用いられる名称だが、METのキュレーターたちは、「実際にはヨーロッパ大陸の影響は大西洋を越え太平洋にまで及んでいたのだから、それは誤った呼び方だ」というメッセージを伝えようとしているように思える。
そのメッセージを証明しているのがアメリカ大陸における旧スペイン領の美術に特化した展示室で、メキシコ、グアテマラ、ペルーなどで制作された多様な作品が展示されている。たとえば、ペルーのクスコにいた氏名不詳の画家が、1770〜80年頃に聖母マリアの彫刻をテーマに描いた絵画がある。バルバネラの聖母と呼ばれるこの像は、スペインのラ・リオハ地方の1本の木に隠されていたが、ある盗賊の前に幻として姿を現わしたとされる。絵には、聖母の足元にひざまずく盗賊の姿とともに、ゴツゴツとしたイベリア半島の峰々が背景に描かれており、この絵が描かれる2世紀以上前からペルーを植民地化していたスペインとの深いつながりを物語っている。
女性や黒人、有色人種のアーティストの作品を拡充
また、これまで軽視されてきた黒人や有色人種の人物をテーマとした展示室も設けられた。「The British Atlantic World(英国領の大西洋世界)」と題された展示室には、東インド会社の将官の家に養育係として雇われていたベンガル人女性を描いたウィリアム・ウッドの《Joanna de Silva》があり、「Northern Renaissance(北方ルネサンス)」の展示室では、ルーカス・クラナッハ(父)と弟子たちが描いたエジプトの士官、《聖モーリス》の絵を見ることができる。さらに、ヒエロニムス・ボスの《東方三博士の礼拝》の解説には、イエス・キリストを訪ねた三博士の中の黒人王に焦点を当てた説明がある。
しかし、こうした試みで従来の伝統的な展示の枠組みが完全に消え去ったわけではなく、少なくともその痕跡は残っている。以前は国ごとの展示室が設けられていた肖像画や風景画は、新たにテーマ別の分類になったとはいえ、ほとんどは「イタリアのゴシック」「スペインのバロック」「オランダ美術の黄金時代」「フランスの新古典主義」のように時系列で展示されている。
とはいえ、特筆に値する展示がないわけではない。中でも静かな革命を感じさせるのが、順路の終盤で女性アーティストが主役に躍り出ていることだ。
静物画の展示室には、饗宴後の残骸で埋め尽くされた食卓を象徴的に描いたウィレム・クラースゾーン・ヘーダのヴァニタス画(*1)《Still Life with Oysters, a Silver Tazza, and Glassware》などが並んでいるが、ここでの主役はヘーダからオランダ静物画の伝統を引き継いだマルガレータ・ハーバーマンだ。
*1 寓意的な静物画のジャンルの1つ。ヴァニタスはラテン語で虚栄、虚しさの意。
ハーバーマンの《A Vase of Flowers》(1716)は、花瓶を覆い隠すほどのバラやアジサイを描いた作品で、とても見応えがある。現存する彼女の絵画が、これを含めて世界に2点しかないのは残念なことだ。また、フランス絵画の展示室には、比較的新しい収蔵品であるエリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの《Julie Le Brun (1780–1819) Looking in a Mirror》(1787)がある。この絵は、鏡をのぞき込む少女の視線が正面を向いた鏡に映り、絵を見る者の視線と交わるという凝った構図になっている。
現代アート作品の登場で味わえる新鮮な体験も
しかし一番の驚きは、ヨーロッパ絵画部門の終盤に設けられた展示室に、現代の作品がいくつも展示されていることだ。ここでは、18世紀フランスのマリー=ヴィクトワール・ルモワンヌと20世紀アメリカの抽象表現主義のアーティスト、エレイン・デ・クーニングによる自画像が並置され、誰にも注目されなかった過去の時代から、女性のアーティストが常に自己表現を続けてきたことを暗示している。また、19世紀フランスの画家ジャン・アローが画家レオン・パリエールを描いた絵画とともに展示されているのは、黒人画家ケリー・ジェームズ・マーシャルの作品で、絵に登場する人物も全て黒人だ。
さらに衝撃的なのが、スペインの画家エル・グレコとヨーロッパのモダニズムのつながりを示唆する展示室だ。エル・グレコとポール・セザンヌが、それぞれトレドとフォンテーヌブローを描いた絵を、数分かけてじっくりと鑑賞してみてほしい。丘が連なるエル・グレコの風景と、ゴツゴツした岩場を捉えたセザンヌの風景は、いずれも平面の重なりとして表現されていて、その思いがけない類似を目の当たりにするのは得がたい体験だろう。古臭くなったテーマに新たな視点を見出すことにかけて、METの右に出るものはなさそうだ。
とはいえ、ここまで紹介したのは、ヨーロッパ絵画部門の展示の中でもとりわけ人目を引く工夫であり、全体の素晴らしさを伝えるにはとうてい足りない。そして、人混みのせいで見落としてしまうこともありそうな名画もある。その一例として、ピエール・ジャック・ヴォレールの《ヴェスヴィオ火山の噴火》(1776年頃)に触れておきたい。絵の中では、夜空に向かって噴火するヴェスヴィオ山が、月と雲が浮かぶ夜の静けさをかき乱している。この絵は今年METに寄贈され、新たな展示に加わった。今後も、こうしたうれしいサプライズが次々と登場するに違いない。(翻訳:清水玲奈)
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