結果に明暗。第2回ART SGの売上から見えてくる、アジア・アート市場の勢力図
1月19日から1月21日までシンガポールで開催されたアートフェア、ART SG。参加ギャラリーに取材した販売実績と、そこから見えてくる東南アジアや周辺地域のアート市場の現状をまとめた。
会期を通じて賑わいを見せたが、結果はまちまち
第2回ART SGは、出展ギャラリーが昨年から約3割減少。第1回に参加した有力ギャラリーの中には参加を見送ったところもあり、東南アジアは本当に主要なアート市場の1つになり得るのかという懸念が多くのアートディーラーの間に広がっていた。
とはいえ、いくつかのギャラリーでは初日から作品が売れ、会場は連日多数の来場者で賑わった。大物コレクターも多く、ARTnewsトップ200コレクターに選ばれているハリアント・アディコエソエモやアレクサンダー・テジャ、地元シンガポールのジャッキー・フェン、アンドリュー・シュエ、キム&リト・カマチョ、アルバート・リム、リンダ・ネオなどの姿が見られた。周辺国からも、インドネシアのイワン・クルニアワン・ルクミント、台湾のレオ・シー、香港のエヴァン・チョウ、タイの建築家クラパット・ヤントラサストなどが会場を訪れている。
美術館関係者では、バンコク現代美術館のキット・ベンチャロンクル、シンガポールのホエール・アート・ミュージアムの創設者リー・ファン、香港の大館當代美術館のピー・リー、UAEのシャルジャ芸術財団からインターナショナル・プログラム・ディレクターのジュディス・グリア、ロンドンのチゼンヘール・ギャラリーのディレクターであるゾーイ・ウィットリーが来場。さらには、マンチェスターにあるウィットワース・ギャラリーのディレクターで、光州ビエンナーレ2023のアーティスティック・ディレクターを務め、今年開催されるヴェネチア・ビエンナーレの日本館キュレーターでもあるイ・スッキョンも視察していた。
しかし、集客に成功し、豪華な顔ぶれが集まった一方で、残念な結果に終わったという声も聞かれた。シンガポールが、数億円から十数億円の作品が盛んに取引される香港クラスの市場になるには、まだ時間がかかりそうだ。
ここでは、世界各地から参加した10人を超えるアートディーラーに、今回のART SGの結果や所感を聞いた。なお、販売情報はギャラリーから提供されたもので、割引や手数料などは含まれない(販売額は全て米ドルで表記)。
大手ギャラリーの売り上げは好調
昨年に続き参加したロンドンのギャラリー、ワディントン・カストットは、今回のフェアで最大級の大型作品を複数出品した。その中には、1991年のターナー賞にノミネートされたイアン・ダヴェンポートが手がけた、壁から床へと広がる幅6メートル超の新作インスタレーションや、ジャン・デュビュッフェによる重さ約350キロ・高さ約4メートルの彫刻などがあった。
US版ARTnewsの取材にワディントン・カストットのシニア・ディレクター、ジェイコブ・トワイフォードは、同ギャラリーがアジア市場の中心に捉える香港と比較しつつこう語った。
「香港とは異なるコレクター層がいるシンガポールは、アジアで2番目の拠点としてロジカルな選択だと考えています」
ワディントン・カストットは昨年のART SGで、大型彫刻を1点とそのほか数点の作品、そしてダベンポートの壁から床まであるインスタレーション《Deep Magenta Mirrored》を販売。ダベンポートの作品は、現在モンドリアン・シンガポール・ダクストン・ホテルに展示されている。ちなみに、ロンドンを本拠とする同ギャラリーは、ART SGのオーガナイザーであるマグナス・レンフリューとは30年近い付き合いがある(レンフリューは駆け出しの頃、トワイフォードのもとで仕事をしていた)。
「まだ多くの取引が期待できるフェアではありませんが、シンガポールや東南アジアには真剣なコレクターがいます」
トワイフォードはそう言いつつ、デュビュッフェの巨大彫刻のような作品の購入を検討する「本格的なコレクターはかなり少数」だと認めた。
東南アジアから出展した数軒のギャラリーで売れ行きが好調だったのは、韓国や日本のアーティストによる作品だ。しかし、全体に占める割合は少ないものの、最も高い価格帯で売れたのは依然として西洋人アーティストの作品だった。
タデウス・ロパックは、フェア2日目にアンゼルム・キーファーの絵画《Wer jetzt kein Haus hat, baut sich keines mehr》を120万ドル(約1億7800万円)弱で、イ・ブルの《Percy CVII》を19万ドル(約2800万円)で販売したと報告。また、VIPプレビューでは、ジュール・ド・バランクールの油彩パネル画が12万5000ドル(約1850万円)、アレックス・カッツが11万ドル(約1630万円)で売れている。世界的な大手ギャラリーでもう1つ好調な売れ行きを報告しているのがホワイト・キューブで、フェア期間中に200万ドル(約3億円)ほどの取引があったという。
ホワイト・キューブのアジア担当ジェネラルマネージャー、ウェンディ・シューは、今年のART SGは「初回とは雰囲気が違っていた」と語る。コロナ禍明けのお祭り気分が漂い、より国際的だった昨年と比べると、今年のVIPプレビューは地元在住の招待客が多かったという。とはいえ、シンガポールという土地柄、地元客といっても香港やインドネシア、中国、日本、韓国などからの移住者が多い。
リーマン・モーピンは、デイヴィッド・サーレの作品を「シンガポールを拠点とする著名なファミリーコレクション」に25万ドル(約3700万円)で、イ・ブルの作品2点を「20万ドルから30万ドル(約2960万円〜約4400万円)」で販売。また、マンディ・エル・セイグの作品《Piece Painting (Ariel)》を、「上海を拠点とする著名なコレクター」に8万ドルから10万ドル(約1180万円〜約1480万円)で、その他2点を5万ドルから7万ドル(約740万円〜約1040万円)で売り上げた。
ニューヨーク、シンガポール、ロンドンに拠点のあるスンダラム・タゴール・ギャラリーでは、千住博の作品3点に24万ドルから41万ドル(約3550万円〜約6070万円)で、そのほか数点には3万5000ドルから6万ドル(約520万円〜約890万円)で買い手がついた。ディレクターのメラニー・テイラーは、売れ行きは好調だったと振り返る。同ギャラリーではまた、ジェーン・リーのアクリル画《No Thing is #8》が、シンガポールに私設美術館を計画しているインドネシアのコレクターに7万6000ドル(約1120万円)で売れた。
東南アジア、韓国、日本のギャラリーの売れ行きは?
シンガポール、クアラルンプール、バンコクで自身の名を冠したギャラリーを経営するリチャード・コーは、フェア2日目に1点を除いて全ての作品が売れたと回答。また、ナティー・イタリット、ジャスティン・リム、ルーベン・パンなど南アジアのアーティストの作品に、2万ドルから18万ドル(約300万円〜約2660万円)で買い手がついたという。コーは、フェアの印象をこう説明する。
「訪れてくれた人々は作品について質問をしたり、メモを取ったりしていて、作品の内容や自分の好みを理解している様子でした」
初日には、釜山のチョヒョン・ギャラリーがリー・ベー(李英培)の作品4点の販売を報告。紙に木炭で描いた絵2点がそれぞれ5万ドル(約740万円)で、カンバスに木炭で描いた作品2点が12万ドル(約1780万円)と18万ドル(約2660万円)で売れている。ディレクターのジュ・ミンヨンによると、2回目の参加となる今回のフェアでは、売上高を増やすために昨年も出品したリー・ベー作品のうち小ぶりなものを多く揃えたという。
また、香港やソウルで彼女が出会ったコレクターたちが投資志向であるのに対し、ART SGの来場者は、韓国の新進アーティストを応援するために作品を購入する傾向があるようだと話していた。中でも、カン・カンフンの具象画への関心は非常に高く、キャンセル待ちが出るほどだった。
東京のギャラリー、ア・ライトハウス・カナタは、昨年より30平方メートルほど広いブースに、より大規模で野心的な作品を展示。スペースを広げたことが功を奏して、売上高は昨年比で3割増となり、武井地子や米元優曜などの抽象画や彫刻15点が2万ドルから15万ドル(約300万円〜約2200万円)で売れた。これらの作品は、オーストラリア、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、中国の個人コレクターの手に渡ったという。
今回の結果について同ギャラリーの設立者である青山和平は、中国本土最大級のアートフェアである上海のウエストバンド・アート&デザインや、欧州最大規模のTEFAFマーストリヒトでの結果に匹敵する「とても嬉しい驚き」だったと話す。また、中国や香港からの移住者が増えていることを挙げながら、「シンガポールは新たなフロンティアになっていると思います」と付け加えた。
ニューヨークとロサンゼルスに拠点を持つアルバーツ・ベンダは、オーストラリア人アーティスト、デル・キャスリン・バートンのサイケデリックな大型絵画が並ぶ個展形式のブースで参加した。アソシエイト・ギャラリー・ディレクターのケイト・モガーは、同ギャラリーは他のフェアでもバートンの作品を出品しており、10年近く彼女と仕事をしていることもあって、個展形式で参加することに「迷いはなかった」と語る。
3万ドルから20万ドル(約440万円〜約2960万円)で販売された7点のバートン作品には、「複数のコレクターが関心を示していた」という。最終的に全点を手に入れた上海在住のコレクターは、将来開設する予定の私設美術館にそれらを並べて展示するそうだ。
マレーシアを拠点とするリッシム・コンテンポラリーは、ART SGを普段はリーチできないコレクターや美術館にアプローチする機会だと捉えている。この新進ギャラリーは、ポール・ニクソン・アティアとサイフル・ラズマンという2人の先住民アーティストによる印象的な大作を出展。前者の作品は抽象的な水墨画、後者は鮮やかなミクストメディアのコラージュ作品だ。
同ギャラリーのパートナー、スレイマン・アズハリによると、クアラルンプールの私設美術館が購入した1点を含む6点の大作と2点の小品が売れ、販売価格は4000ドルから1万ドル(約60万円〜約148万円)だった。「予想もしない展開でした」と語るアズハリは、シンガポールでの需要の高さを鑑みるに、今後のフェアでは慎重を期しながら値上げを検討する必要があると考えている。
「地元マレーシアの顧客の購買力は国際的なレベルには達していません。彼らが離れていかないよう値付けには配慮が必要です」
ナイジェリアのギャラリー、レトロ・アフリカは、中央アフリカと南アフリカのアート作品に対する認知向上のためこのフェアに参加した。まだ20代の若手ギャラリスト、ドリー・コラ=バロガンによると、ロンドンを拠点とするナイジェリア人アーティスト、ケン・ヌワディオグブの情緒あふれる大型油彩画2点が、初日にそれぞれ2万1000ドル(約310万円)で売れたという。
販売不振のギャラリーは「今後の参加はない」
好結果を出したギャラリーがある一方で、ART SGではほとんど、あるいは全く作品が売れなかったという声も少なくない。また、今回の経験から、このフェアにまた参加するかどうか迷っているというギャラリーもあった。
あるヨーロッパのギャラリーの場合、売れたのはフェア前にコレクターに販売することが決まっていた作品だけで、シンガポールに持ってきたそれ以外の全作品を返送せざるを得なくなった。率直な意見を述べるため匿名で取材に応えてくれたギャラリストは、「非常に残念です。今後参加することはないでしょう」と話す。別の南アジアのギャラリーは、地元からフェアに足を運んでくれたコレクターが唯一の買い手だったそうで、「期待値が高すぎて現実的でなかった」と語った。
東京やソウルに次々と拠点を開設している有力ギャラリーやメガギャラリーが、シンガポール進出を検討するようになるにはどんな変化が必要なのだろうか。アートアドバイザーのエドワード・ミッテランはこう考えている。
「ある程度将来への展望が持てないと、ここに新たなスペースを構えようとは思えないでしょう。今はまだ香港と競合していて、状況には厳しいものがあります」
ミッテランには、彼がキュレーションしたピエール・ロリネのプライベートコレクション展で話を聞いたのだが、その展覧会のタイトルは、いみじくも「Rough(厳しさ)」だった。(翻訳:野澤朋代)
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