巨額の金が動くアート市場の闇──ロシアの億万長者がサザビーズを詐欺ほう助で訴えた裁判で敗訴

ロシアの大富豪ドミトリー・リボロフレフがサザビーズを詐欺ほう助で訴えていた裁判で、1月30日にマンハッタンの連邦裁判所は原告側の訴えを退ける判決を下した。リボロフレフは、スイスのアートディーラー、イヴ・ブーヴィエが彼に対して行った美術品の過大請求にサザビーズが加担したと主張していた。

2017年5月17日、モナコのスタッド・ルイ2世で行われたフランスリーグ1、ASモナコ対ASサンテティエンヌ(ASSE)の試合観戦に訪れたドミトリー・リボロフレフ。Photo: Jean Catuffe/Getty Images

詐欺を働いた美術商とサザビーズが共謀?

この訴訟では、ロシアオリガルヒとして巨万の富を築いたドミトリー・リボロフレフが所有するアクセント・ディライト・インターナショナル社と、大手オークションハウス、サザビーズそれぞれの弁護人が、3週間余りの審理を経て1月29日に最終弁論を実施。30日に行われた陪審員団による評議で、サザビーズ側が支持された。

これによりアート界で最も長く続いた係争の1つに終止符が打たれたわけだが、同訴訟は、美術商やオークションハウスの今後のビジネスに大きく影響する可能性があるとして注目されていた。そこで、ここまでの経緯を改めて振り返る。

そもそもリボロフレフは、2015年以来10年近くにわたり世界各地の法廷で、自身のアートアドバイザーであったイヴ・ブーヴィエと争ってきた。リボロフレフの訴えは、2002年から2014年の間にブーヴィエを通して購入した38点の美術品について、累計10億ドル(直近の為替レートで約1470億円、以下同)にのぼる過大請求をされたというもの。しかし、リボロフレフに有利な判決を下した法廷はなかった。

たとえば、リブロフレフがシンガポールで起こした民事裁判は、現地の控訴裁判所によって2017年に棄却された。スイスの裁判所で審理する方が適切だと同裁判所が判断したためだ。そして、ジュネーブでの裁判では、検察が「数回の公聴会を経ても被告に対する嫌疑を裏付ける十分な証拠を得られなかった」との結論に達してから4カ月後の2023年11月、ブーヴィエとリボロフレフの間で和解が成立。リボロフレフの弁護団が訴えを取り下げたとの報告を受け、検察当局はこの訴訟の終結を発表している。

一方、今回のニューヨークでの裁判は、リボロフレフの会社(原告)とサザビーズ(被告)の間で争われた。しかし、昨年ジェシー・M・ファーマン連邦地裁判事の同意によって陪審裁判となったこの裁判でも、当然ながら焦点となったのはブーヴィエの行為で、双方の弁護士の最終弁論もブーヴィエに関することから始まった。

原告側の弁護士ゾーイ・サルツマンは最終弁論の冒頭で、この事件はまるで点描画のようだと口を切り、陪審員にこう語りかけた。

「1つ1つは点に過ぎず、全体像を把握するには一歩下がって眺める必要があります。そして、それは決して容易ではないと承知しています。双方の弁護団はこれまで何度にもわたって、いくつもの資料を提出してきました。メールや契約書、サザビーズの社内規則集やガイドラインなど、あなたがた陪審員が検討すべき資料は膨大でした」

被告を有罪とするには合理的な疑いを超える立証(*1)が要求される刑事訴訟とは異なり、民事訴訟で必要なのは、明白かつ説得力のある証拠を示すことだ。今回の裁判で言えば、ブーヴィエがリボロフレフをだました際にサザビーズの関与があったことを示す明白な証拠があるかどうかが、陪審員が審議をするうえでのポイントだった。


*1 犯罪事実があったことを証明する際には、「通常人なら誰でも疑いを差しはさまない程度の、真実らしいとの確信」が得られる証明が求められる。これを「合理的な疑いを超える」程度の証明と呼ぶ。

サザビーズの担当者は関与したのか?

最終弁論の中でサルツマンは、現在サザビーズでプライベートセール部門のトップを務めるサミュエル・ヴァレットを、昇進や手数料しか頭にない「貪欲な下級管理職」だとし、ヴァレットが今の地位にあるのは、彼が常に言いなりになっていたブーヴィエとの取引によるところが大きいと断じた。 

事実、問題とされる取引が行われていた時期と重なる2011年から2014年にかけて、ヴァレットの営業実績の86〜97パーセントをブーヴィエに対する売り上げが占めていた。そして彼は、2014年にサザビーズ社内でスペシャリストから現在のポジションに昇進している。サルツマンはさらに、事件に関わる4点の作品の売買では、約1900万ドル(約28億円)の手数料がサザビーズに支払われ、そのうち97万9000ドル強(約1億4000万円)を受け取ったのがヴァレットだったと指摘。

「あまりに数字が大きすぎてピンとこないかもしれません。私たちにとって、20万ドル(約2900万円)ですらかなりの大金です」

サルツマンがそう語りかけた陪審員団は、看護師や教会のオルガニストといったブルーカラー層で構成され、数人は失業中だ。ちなみに、サルツマンがパートナー弁護士として働いている法律事務所、ECBAWMでは、現在アソシエイト弁護士(補佐的な役割を担う若手向けのポジション)を募集中で、16万ドルから21万ドル(約2400万~3100万円)の給与が提示されている。

2013年にリボロフレフが1億2750万ドル(当時の為替で約184億円)で購入し、その後2017年にクリスティーズ・ニューヨークで4億5030万ドル(同約510億円)で落札されたレオナルド・ダ・ヴィンチの《サルバトール・ムンディ》。Photo: Wikimedia Commons

サルツマンが最終弁論で述べたように、陪審員たちは審議のうえで、次のことを認定しなければならなかった。ブーヴィエがリボロフレフを騙したのか、サザビーズはそれをほう助したのか、そして、それによってリボロフレフが美術品購入のために使っていたアクセント・ディライト社は損害を被ったのか。

最初の点についての判断は、おそらく簡単だったろう。ブーヴィエに責任があることは双方の弁護団が認めており、ファーマン判事も公判前にそう指摘しているからだ。一方、リボロフレフをだましたとされるブーヴィエの具体的な手口や文書捏造にサザビーズが関与しているかどうかは、そう単純な話ではない。サルツマンは数週間にわたる裁判の中で、ヴァレットがブーヴィエの要求に応じて査定額を引き上げ、通貨を変更し、さらには過去のメッセージの文面に変更を加えるよう同僚に依頼したと主張してきた。

「騙されたのはリボロフレフ自身の責任」

一方、被告側の弁護士マーカス・アスナーは、それら1つ1つの行為に対し、疑惑を退けられる理由があると反論。また、ブーヴィエがリブロフレフに架空の売り手がいると嘘をついて価格を吊り上げていたことをヴァレットが知っていたという直接的な証拠はないと強調した。

こうした反論に対しサルツマンは、直接的な共謀関係があったことを示す代わりに、サザビーズ、ひいてはアート市場全体が、いかに欲に駆られているかという話を展開。そこには不正の可能性に気づいても見て見ぬふりをする文化があると彼女は言い、サザビーズという組織が何よりも優先しているのは金で、それは「理念や真実、ブランド」よりも上に置かれていると論述。同社には「サム・ヴァレットのような人物が思うままに不正を働ける土壌がある」と語った。

サルツマンの最終弁論の最後の数分間は、まるで大手たばこ会社や石油産業の悪事を正すかのような熱を帯びていた。裁判の序盤でリボロフレフ自身が語った「訴えたのは金目当てではない。サザビーズを信頼のおける会社にするためだ」という証言を、彼女は最終弁論でも繰り返してみせた。

「法の下では大企業に説明責任があります。今こそサザビーズにそれを要求し、透明性と誠実さの重要性を彼らに説かねばなりません」

しかしアスナーは、こうした言い分を一切認めなかった。彼はまず、リボロフレフがだまされたのは確かだが、詐欺を働いたのはブーヴィエだけだと弁論。「私たちが今ここに集まっているのは、ドミトリー・リボロフレフが自分の損失を誰かのせいにしたいと考えたからです」と述べ、証拠として提出されていた交信記録などの膨大な資料の中に埋もれていた1つの事実を取り上げた。それは、ブーヴィエがリボロフレフに売った全作品のうち、サザビーズから入手したのは3分の1にすぎないということだ。

アスナーは、原告側が論点を捻じ曲げていると主張。ブーヴィエがリボロフレフに嘘をついていたことをサザビーズが知っていた証拠はないとしてこう問いかけた。

「あなたがた陪審員がサザビーズに有利な判決を下すには、その事実だけで十分ではないでしょうか?」

リボロフレフに対する反対尋問の際と同様、アスナーは最終弁論でも詐欺に遭ったのはリボロフレフ自身の責任だと論じた。さらに、この億万長者は医者、ブローカー、ビジネスマンとして多くの経験を積んできた人物で、これまでのキャリアを通じて「大勢の弁護士や会計士を雇って」身を守ってきたが、唯一それを怠ったときにだまされたのだということを陪審員に印象づけようとした。

アスナーはさらに、関連する作品1つ1つに関して、サザビーズが詐欺に関与していたという原告側の主張に反論。原告側の弁護団は証人尋問の際に、ブーヴィエの企みをサザビーズが知っていたと仄めかすため、両者のやり取りにその証拠があるとたびたび主張してきたが、それは事実無根だと語気を強めた。

つまり、明らかになったのは、リブロフレフが作品を購入する際に従ったのはブーヴィエのアドバイスだけだったこと、そして、どの作品の場合もサザビーズとの契約書にサインしたのはブーヴィエで、後に彼がそれをリブロフレフに売ったということだ。ただし、ヴァレットから受け取った特定の作品に関するメールを、ブーヴィエがリブロフレフに転送していたことについてはアスナーも認めた。しかし、その場合もブーヴィエは常に独自の見解を付け加えていたと指摘した。

巨額の金が動くアート市場の闇

アート市場の透明性を求める原告側の主張についても、アスナーは反論を用意していた。そもそもリブロフレフ自身が、多くの大物コレクターと同様、あらゆる局面で身元を隠そうとしていたのだと陪審員たちに説明。アスナーによれば、リブロフレフがブーヴィエを通じて作品を買っていた大きな理由の1つは、自分の身元を隠すためだった。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの《サルバトール・ムンディ》の購入にあたっては、リブロフレフがブーヴィエの助言に従い、売り手を心理的に揺さぶる目的で彼らとの会合をキャンセルしたこともあったという。

原告側が被告側に求めていた支払いは巨額だ。サザビーズから買った作品をリブロフレフに転売した際にブーヴィエが得た利ざやの合計約1億5400万ドル(約226億円)と、それらの取引の際に支払われた手数料、さらに陪審が適切と判断した場合には損害賠償も加算されるはずだった。

陪審員たちはこの事件をどう受け止めただろう。アート市場というのは、関係者にとってさえ不透明で闇が深いと感じられる場所だ。ある金持ちが別の金持ちに騙され、その事件で関与が疑われている企業は、昨年80億ドル(約1兆1800億円)近くの美術品を販売している。果たして悪者は誰なのか? ニューヨークの下町に暮らす労働者にとっては、どうでもいい話かもしれないが。(翻訳:野澤朋代)

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