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会場は現役の女子刑務所。受刑者が展覧会ガイドを務めるバチカン館をリポート

第60回ヴェネチア・ビエンナーレの数ある国別パビリオンの中でも、飛び抜けて特異な存在なのがバチカン館だ。女子刑務所が展示会場として用いられ、入場するのも一苦労のこのパビリオンをリポートする。

ヴェネチア・ビエンナーレ2024でバチカン館の外壁を飾るマウリツィオ・カテランの作品。Photo: Lucas Blalock

マウリツィオ・カテランの巨大作品がお出迎え

今回のヴェネチア・ビエンナーレの展示で最も狭き門なのが、ジュデッカ島女子刑務所を会場とするバチカン館だ。入場予約を取るのは至難のわざで、入り口には本物の刑務官が立っている。たとえアート界でそれなりの地位にいたとしても、刑務所とバチカンは特別扱いしてくれないようだ(それが本来あるべき姿勢だが)。とはいえ、オープニングのためにヴェネチアを訪れた多くのアート関係者は、「ノー」という言葉を聞き慣れていない。

1週間前に予約した時間帯(身元調査に時間を要するため、かなり前もって予約しなければならない)に会場に到着すると、さらに携帯電話とパスポートを預けるよう求められた。入り口でセキュリティチェックを受けていたとき、大手ギャラリーのディーラーが割り込んできて、警備員に自分がどれほどの重要人物であるかを説明し、列に並んでいた人々より先に入ろうとしたが、もちろん警備員は全く取り合おうとしない。すると、その場にいたイタリアの著名キュレーターが、ここは本物の刑務所で、この人たちは本物の警察官なのですよ、と釘を刺していた。

このバチカン館で主役的存在なのが、マウリツィオ・カテランだ。ガムテープでバナナを壁に貼り付けるという人を食った作品で知られるカテランのことだから、ひょっとすると私たち観客がジョークのネタにされるのではないか。会場に向かう船の上でふとそう思ったが、ある意味その通りだったと言える。「刑務所には何を着ていけばいいんだろう」などと、どうでもいいことを大真面目に考えたりしたのだから。刑務所を訪れるのは子どもの頃以来で、自分でもバカバカしいと思うほど気持ちが落ち着かなかった。まるで、呪いをかけられてしまった夫婦を描く人気ブラックコメディ「The Curse(ザ・カース)」の中に迷い込んだ気分、いや、それ以上だったかもしれない。

カテランはかつて、隕石が当たって倒れているローマ教皇の像を制作している。それを知っている人なら、なぜ彼がバチカン館の出品作家に選ばれたのか不思議に思うだろう。しかし、私が見た限り、今回のビエンナーレのためにカテランが制作した作品は教皇を茶化してはいないようだ。

バチカン館ではまず、カテランが刑務所の外壁に描いた巨大な足が目に入る。正面から描かれた足裏はマンテーニャの《死せるキリスト》(1480年頃)を思わせ、大きなモノクロの壁画は街中に巨大ポートレートを出現させるフランス人アーティストのJRのようだ。しかし、外壁にあるこの絵を見ることができるのは来場者だけで、内側にいる受刑者は目にすることができない。ちなみに、フランシスコ教皇が4月下旬にこの刑務所を訪れる予定だが、ローマ教皇がヴェネチア・ビエンナーレを観覧するのは史上初だという。

受刑者によるガイドツアーと刑務所内の日常

中に入ると、展覧会ガイドとして2人の受刑者が私たちを案内してくれた。その真摯な対応に心打たれ、バカげた考えや心配は消えていった。コリータ・ケント、シモーネ・ファタル、クレール・フォンテーヌ、ソニア・ゴメスらの作品の説明をするかたわら、彼女たちは個人的なエピソードも話してくれた。13世紀に建てられた修道院を転用したこの刑務所に収容されている80人の女性のうち、20人がボランティアとしてガイド役を買って出たという。

私たちはスタッフバーに飾られたコリータ・ケントの版画を見た後、受刑者によるイタリア語の詩がペイントされた石板が並ぶ通路を歩いた。これはシモーネ・ファタルの作品だ。そこを抜けると刑務所内で唯一の鉄格子のない窓があり、その横にはファタル作品の絵葉書が積まれ、来場者が持ち帰れるようになっている。館内では写真撮影も、メモを取ることも禁止されているからだ。

受刑者のいる中庭に入っていくと、おしゃべりをしている女性たちや、新しいベンチの設置作業をしている女性たちがいた。しかし、見学者は彼女らに質問したり、話しかけたりしないよう念押しされている。壁に取り付けられた青いネオンサインは、アーティストコレクティブのクレール・フォンテーヌによる作品で、「SIAMO CON VOI NELLA NOTTE(夜、私たちはあなたとともにいる)」というテキストが読み取れる。これは、1970年代のイタリアで政治犯との連帯を表明するメッセージとして、あちこちの都市に出現した壁画から引用されたものだ。

ガイドをしてくれた1人は、この作品に関する個人的な体験を話してくれた。そこから発せられる青い光が夜中に窓から差し込んでくると、自分の犯した過ちが繰り返し頭の中で再生されて眠れなくなることがあるのだという。

次に案内されたのは、面会に来た子どもたちが監視付きで母親と会える遊び場だった。私はこのとき、同じガイドツアーに参加している洗練された同業者たちの手前、必死に平静を装っていた。きっと彼らは、この光景を目にするという体験がどんな感情を引き起こすのか、分からないだろうと思ったからだ。

その先には、マルコ・ペレゴとゾーイ・サルダナの映像作品を上映している部屋があった。この作品には受刑者がキャストとスタッフとして関わっていて、ドラマチックな音楽を伴ったモノクロ映像の中では、6つのベッドが並んだ部屋など普段私たちが目にすることのない刑務所の一部を見ることができる。ドアの前には看守が立っているので、来場者は気ままに出入りすることができず、全員が初めから終わりまで作品を鑑賞した。

最後の展示室である教会に入る手前には、クレア・タブレの作品がある。それは、塀の向こう側にいる受刑者の家族の肖像だ。教会の中にはソニア・ゴメスが布などを縫い合わせて作った細長い作品が吊るされているが、私たちのガイドは優しげに揺れるその作品が好きだと言っていた。それは、上を向くことを思い出させてくれるからだという。

ここに記したことは、展示を見た第一印象にすぎない。入場が難しいこの展示の概要を、いち早く共有したかったのだ。自分なりの解釈はいろいろあるが、この先かなり長くそれについて考え続けることになるだろう。(翻訳:野澤朋代)

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