イスラエル支持者がパレ・ド・トーキョーの後援を打ち切り。理由は「政治的価値観の相違」
パレ・ド・トーキョーの長年の後援者であるサンドラ・ヘゲデュースが、同館への後援を打ち切ると発表した。同館によるパレスチナの歴史を扱った展覧会の開催が理由と見られる。
パレ・ド・トーキョーの後援者グループ「アミ・デュ・パレ・ド・トーキョー」からの脱会を発表したサンドラ・ヘゲデュースは、自身のインスタグラムで、この決定の背景には同館との「価値観の相違」があると述べた。
「理由はシンプルです。パレ・ド・トーキョーの新しい方針は非常に政治的であり、私はこれに賛同できません。同館の今後のプログラムは『Causes』の擁護を重要視しています」
彼女は「Causes」を「Wokisme(ウォーキズム=社会正義に関わる問題に高い意識を持ち、その解決に取り組もうとする姿勢)、反資本主義、親パレスチナなど」と定義している。この投稿には、現時点で13000以上の「いいね!」がついている。
本人は明言を避けているが、後援打ち切りの決定打となったのは、パレ・ド・トーキョーで開催中の「Past Disquiet(過去の不穏)」だと考えられる。その中心的役割を担っているのが、1978年にベイルートで開催された「パレスチナのための国際美術展」のアーカイブだ。ヘゲデュースは本展について、「この紛争の歴史について、偏った見方や嘘を何の視点もなく提示している」と指摘し、「この展覧会には、人種差別的、暴力的、反ユダヤ的な発言が含まれている」と遺憾の意を表している。
同館によるこの展覧会の説明は以下の通り。
「この展覧会は、1960年代から80年代までの国際的な反帝国主義運動におけるアーティストの政治的関与と連帯の歴史をたどるドキュメンタリーおよびアーカイブ展であり、研究者でキュレーターのクリスティーン・クーリとラシャ・サルティが2008年に開始した研究の成果です。本展は、4つの美術館──『亡命する美術館』あるいは『連帯する美術館』──による、今では忘れられてしまった大陸を超えた物語(展示)の巡回展と位置づけられます。ここでは、パレスチナ人とニカラグア人の解放のための闘い、チリのピノチェト独裁政権と南アフリカのアパルトヘイト制度に対する闘争についての世界中のアーティストたちの取り組みを紹介します」
フランスのアート専門紙「Le Quotidien de l'Art」によると、パレ・ド・トーキョーのギヨーム・デザンジュ館長は声明を発表し、「後援者グループの使命はパレを支援することであり、パレのプログラムをジャッジすることではありません。パレ・ド・トーキョーに参加するかどうかは、一人ひとりの判断に委ねられています」と述べ、「アートは時に相反する領域であり、社会の分断、大きな二極化を反映するもの。私は今日、このようなテーマを否定してはならないと確信しました」と続けた。
一方、パレ・ド・トーキョーの広報担当者は、US版ARTnewsのコメント要請に応じなかった。
15年にわたりパレ・ド・トーキョーを支援してきたヘゲデュースはブラジル出身で、フランスが拠点の自身の財団「SAMアート・プロジェクト」では、過去に2つのイニシアチブを同館と共同で推進してきた。一つは、ヨーロッパのギャラリーに与える賞のプロジェクトで、受賞したギャラリーは欧米以外で展覧会を開催することができる。もう一つは、グローバル・サウスのアーティストに焦点を当てたパリでのレジデンスプログラムだ。
ヘゲデュースは自身のX(旧ツイッター)アカウントのプロフィール欄に、「誇り高きシオニスト」と書いており、イスラエル支持を公言している。インスタグラムでもその旨の投稿が目立つが、最近では、コロンビア大学でのパレスチナ支持派の野営デモについて、「学生たちは、ユダヤ人を安心させるための強制収容所を作った」と嘲笑している。
彼女はフランスのアート誌『Transfuge』に、後援者グループからの脱退は、単に自身のイスラエル支持を宣言するためだけではないと語っている。「これは私の個人的な事情や、イスラエル・ハマス紛争をはるかに超えた決断です。私が指摘したいのは、文化的環境における昨今の流れ、つまり、ウォーキズムとイスラモ左翼主義(Islamo-leftism)なのです」(翻訳:編集部)
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