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  • 2022.06.01

アニッシュ・カプーアが世界で評価される訳 山本浩貴(文化研究者)が読み解く~きわめて「政治的」な表現の追求、ソニア・ボイスと比較して

国内のギャラリーや美術館で展示されているアート作品やアーティストを、美術の専門家はどう評するか。金沢美術工芸大講師で文化研究者の山本浩貴氏が、いま東京・六本木のギャラリーで開催中のアニッシュ・カプーア展を入り口に、カプーアがなぜ世界で評価されるのか、そのアートを論じた。

ギャラリー「スカイ・ピラミデ」で開催中のアニッシュ・カプーア“Selected works 2015-2022"の展示風景。Anish Kapoor “Selected works 2015-2022" 2022, SCAI PIRAMIDE 撮影:表恒匡

SCAI PIRAMIDE(六本木)で「Anish Kapoor: Selected works 2015-2022」が開催中だ。本展には、現代アーティストのアニッシュ・カプーア(1954年生まれ)が2015年から2022年までに制作した、いくつかの立体作品が展示されている。いずれの作品も、作家が一貫して探求し続けてきた、「虚空(void)」の概念に立脚する。《Untitled》や《Eclipse》(編集部注:「蝕」の意味)と名付けられた、特異な形や質感を備えた彫刻は、鑑賞者にこれまでにない知覚や空間の体験を与える。カプーアの彫刻は、その鏡面に観者自身、そして展示空間全体を映し出すことで、作品を取り囲む人と物を包摂する環境世界を取り込む。カプーア作品の研磨された、湾曲する表面(それらは会場の光を取り込みながら、様々な色に輝いている)に姿を見せる自らやそこにいる人々を目にするなかで、鑑賞者と作品の境界線は融解し、目眩(めまい)にも近い名状しがたい感覚を覚える。「虚空」との関連において、色や光など美術史の中で倦(う)むことなく繰り返し登場するテーマと向き合ってきたカプーアは、しかし、これらの要素が決して古びることなく、常に新しい可能性を発見する余地のあるものだということを証明してみせる。

2022年4月28日付『ARTnewsJAPAN』(ANJ)の記事(「ビエンナーレ以外にヴェネチアで見るべき10の展覧会:イサム・ノグチとヤン・ヴォーのコラボ展やカプーアの個展など」)でも紹介されたように、現在、イタリア・ヴェネチアのアカデミア美術館でカプーアの大規模な回顧展が開かれている。とはいえ、このニュースは、イギリスを拠点としながらも(彼は1991年にイギリス人およびイギリスで活動する現代アーティストに授与される最大の賞・ターナー賞を受賞)、そうしたナショナルな枠組みを超越して、すでに世界的なアーティストであるカプーアであれば、それほど大きなサプライズではないと感じられるかもしれない。だが、同時期に同じヴェネチアで大きな脚光を浴びた、もう一人のイギリス在住アーティストと対照すると、カプーアのあまり知られていない重要な側面が浮かび上がる。


ヴェネチアでの展示から。アニッシュ・カプーア《Shooting Into the Corner(角に向けて撃つ)》(2008–09) Photo: Dave Morgan/©Anish Kapoor, All Rights Reserved/SIAE, 2022

人種差別や民族性に取り組んだボイス

そのアーティストの名前はソニア・ボイス(1962年生まれ)——筆者がロンドン芸術大学(UAL)で博士課程に在籍していたときの指導教官の一人でもある人物だ。ヴェネチア・ビエンナーレ英国代表のボイスが、国別パビリオン部門の最高賞・金獅子賞に選出されたというニュースは、世界中を駆け巡った。2022年5月2日付ANJの記事(「ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞はシモーヌ・リーとソニア・ボイス、黒人女性が躍進」)でも大きく取り上げられている。ボイスの歩んできた道は——少なくとも一般的に見れば——カプーアほど華やかではない。現代アート界で彼女の重要性は(とりわけ近年)認知されていたが、「知る人ぞ知る」作家といった立ち位置で、カプーアのように、国際的に、あるいは芸術の領域を越境して著名な人物ではなかった。

旧英国領出身の両親の下、ロンドンで生まれたボイスは、キャリア初期の1980年代、主に黒人系移民に対する差別と格闘した「ブラック・アーツ・ムーブメント」(BAM)に深く関与した。この芸術運動以降、彼女は絵画・ドローイング・写真・映像・パフォーマンスなど、多彩な表現方法・媒体を駆使しながら、人種差別や民族性にまつわる社会問題に取り組んできた。加えて、多方向からの抑圧に着目する「インターセクショナリティ」の視点を導入すると、ボイスが人種とジェンダーの問題に同時にアプローチしてきたことは重要だ。ボイスの国別パビリオン部門・金獅子賞受賞に加え、イギリスで活動する黒人女性アーティストに焦点を当てた先駆的展覧会を企画したルバイナ・ヒミドが最年長でターナー賞を受賞したこと(2017年)、今年のヴェネチア・ビエンナーレのメイン展示部門・金獅子賞がアメリカ在住の黒人女性シモーヌ・リーであることが、現在、人種とジェンダーの問題がアート界で最重要とされている証拠である。


ギャラリー「スカイ・ピラミデ」で開催中のアニッシュ・カプーア“Selected works 2015-2022"の展示風景。Anish Kapoor “Selected works 2015-2022" 2022, SCAI PIRAMIDE 撮影:表恒匡

カテゴリー化を避け普遍性を探究したカプーア

カプーアは、公表されている通り、インド・ムンバイの生まれだ。最大の旧英領であったインドからは、戦後、多数の移民がおり、アフリカやカリブからの移民同様、偏見や憎悪の対象となることも多かった。石松紀子著『イギリスにみる美術の現在——抵抗から開かれたモダニズムへ』(花書院、2015年)でも紹介されているように、カプーアは、1980年代末に企画された「ブリティッシュ・ブラック・アーティスト」を集めた展覧会への参加を断っている。彼は、そうしたカテゴリー化はむしろブラック・アーティストたちをさらなる周縁に追いやると考え、そのような区分に収まることをよしとしなかった。こうした考えは、差別に抗するためにアーティスト間の連帯を志向し、あえて「ブラック・アート」というカテゴリーを構築した、ボイスやBAMに加わった他の作家——エディ・チェンバースやキース・パイパーら——と異なっていた。

当然ながら、ここでカプーアとボイスのいずれが「正しい」のかを論じたいわけではない。それぞれの信念に基づく選択であり、その選択に伴う葛藤や苦悩が両者にあったはずだ。ここで興味深いのは、そうした正反対の選択をしたカプーアとボイスという2人のアーティストが、同じ時期・同じ場所で大きなスポットライトを浴びているということ。そして、そうした文脈を踏まえると、カプーア作品における「色」「光」「知覚」「空間」といった諸要素への飽くなき探求が、また別の意味合いを帯びてくるように思われることだ。すなわち、「人種」「民族」「国籍」「ジェンダー」など、アーティストとしての自身をカテゴリー化する諸要素とは距離をとり、そのようなより「普遍的な」諸要素への探求を通した表現の拡充という意味合いである。


ギャラリー「スカイ・ピラミデ」で開催中のアニッシュ・カプーア“Selected works 2015-2022"の展示風景。Anish Kapoor “Selected works 2015-2022" 2022, SCAI PIRAMIDE 撮影:表恒匡

その意味で、カプーアの芸術実践を、(複雑な歴史的経緯を経て——紙幅の都合上、ここでは詳しく述べることができないが、ドウス昌代著『イサム・ノグチ——宿命の越境者』<講談社、2003年>、特に同書上巻の第3章「かたつむりの歌」Ⅲ「ポストン強制収容所」を読んでいただきたい)帰属問題とは距離を保った日系アメリカ人アーティストのイサム・ノグチのそれと比較してみるのも面白い。

すでに鬼籍に入った者でも、存命作家であっても、巨匠には、しばしば、固定化されたイメージがまつわり付く。カプーアも、その例に漏れない。しばしば、カプーアの作品は非政治的であり、そこに彼自身のルーツにまつわる諸要素を読み取ることはできないと考えられている。それはその通りなのだが、カプーアが作品においてあえて一貫して人種や民族とは切り離した表現を追求してきたこと(それは「人種や民族の問題に関心がない」こととはまったく異なる)自体が、彼の信念や立ち位置を示している。筆者からすれば、それは「非政治的」どころか、きわめて「政治的」な姿勢である。このように、美術史を知ることは、一般的に知られるステレオタイプとは違うアーティスト像を発見するヒントを与えてくれる。

展覧会情報

展覧会名:Anish Kapoor: Selected works 2015-2022
会場:SCAI PIRAMIDE(〒106-0032 東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル3F)
会期:2022年5月7日(土)~7月9日(土) ※予約不要
開廊時間:12:00~18:00
休廊日:日・月・祝日
電話 : 03-6447-4817

アートについてもっと学びたい方はこちらへ。本稿の著者である山本浩貴さんが、異分野の研究者をゲストに迎え、動画で解説しています。

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