パンク精神衰えず! クリストファー・ウールはなぜ、築100年の廃墟を展示会場に選んだのか
写真やペインティングによる抽象的な作品、そしてステンシル(型紙)を用いた文字の作品などで知られる人気現代アーティスト、クリストファー・ウール。過去10年にわたる作品を振り返る個展の会場にウールが選んだのは、ギャラリーではない。彼はそこで何を提示しようとしているのか。
廃墟のようなオフィススペースで個展を開催
1997年、クリストファー・ウールはスタジオが火災に遭った後、保険を請求するために撮影した何十枚もの写真をまとめた写真集『Incident on 9th Street(9丁目の事件)』を出版した。その記録写真は、ガラスが吹き飛んだ窓、崩れ落ちた天井、めくれた床材、あちこちに散乱した書類や資料の様子を淡々と伝えている。ところが、ある写真には驚くべき光景が捉えられていた。めちゃめちゃになったスタジオの中で、2枚の絵がほとんど無傷のまま壁に立てかけられているのだ。
現在、ニューヨークのグリニッジ・ストリート101番地に立つ築100年のオフィスビルでは、ウールがこの10年のあいだに制作してきた作品を集めた個展「See Stop Run(見る、止まる、走る)」が行われている(7月31日まで)。ほかの出品作とは年代の異なる焼け跡の2枚の絵の写真も展示されているが、それはこの場所を飾るのにふさわしいと言える。というのは、古いビルの19階にある展覧会場は、前のテナントの退去後に内装材が外され、配線やコンクリートが剥き出しのままになっているからだ。
10年ほど前、ウールはグッゲンハイム美術館で展覧会を開催。ステンシルで制作された文字や花模様、スプレーの落書きのような作品を螺旋状のスロープに沿って展示した。しかし今回は、そうした優雅な場所とは打って変わって、焼けただれたスタジオが再現されたような、あるいは若手時代のパンク精神が今も健在であることを思わせるような環境に作品が置かれている。
U字型の広々とした会場には、あちこちで天井からコイル状のケーブルが垂れ下がっている。部分的に削られ、デコボコになった床の一部ではピンクと黒の装飾タイルが顔を出し、壁には作業員が残した手形や、スプレーで書き付けられた工事用のメモ、走り書きされた数式、下品な落書きなどが残されている。いくつもある窓の外にはロウアー・マンハッタンの眺望が広がり、そこから差し込む光が空間を満たしている。
ただ、作品を飾るのにちょうどいい壁面が少ないため、作品は乾いた接着剤が付着したままの柱や、窓と窓の間の狭い剥き出しの壁に展示されている。また、額装された紙の作品《Untitled》(2018)の下には、許可証などの公的書類がいくつも貼り付けられている。確認済みの証明書などは、壁に貼っておく決まりがあるのかもしれない。
ホワイトキューブへのアンチテーゼ?
展示会場となっている物件をウールが手に入れた背景には、コロナ禍以降にオフィス需要が落ち込んだことがある。彼はオフィスビルの典型的なテナントとは言えないが、ここを借りて現行の基準に適合させるのにかなりの資金を費やした。また、展覧会に自作を貸与するため、法人化を行う必要もあった。
歴史的に、物件が安く借りられる不況時に意外な場所で展示を行ってきたのは、お金がない新進アーティストや設立されて間もないアートスペースなどだ。しかしウールは、すでに資産と名声を持つ著名アーティストで、彼の作品を展示したい(そして販売したい)ギャラリーも多いはず。そんな彼が発表の場としてこの場所を選んだのは、もちろん経済的な理由からではない。この展覧会を企画したキュレーター、アンヌ・ポンテニーの解説文によれば、彼の目的は「現代のアートスペースのニュートラリティ(中立性)を避ける」ことだという。
ほかのアーティストがこの方法を採ったとしたら、廃墟を利用して無骨さを強調するわざとらしさが鼻につくかもしれない。しかし、この場所の醸し出す雰囲気がウールの作風とぴったり重なるので、そうした作為は感じられない。彼はこれまで長い間、何度もコピーを繰り返して画質を劣化させたり、絶え間なく加工を施したりしながら、作品の完全性を損なうことを制作プロセスに組み込んできた。今回の展覧会でも、あえて雑然として見づらい環境に絵画や彫刻、写真を展示することで、自作の強度と適応力を試しているのだろう。
1990年代後半以降、ウールはさまざまな方法を駆使して、自分が過去に作った作品をもとに新たなイメージを生み出している。消したり、見づらくしたり、大きさを変えたり、歪めたり、コラージュしたりして、転がり回りながら前進しつつ自己回帰するのだ。こうしたプロセスは、関連作品同士が必ずしも一緒に展示されているわけではない今回の展覧会では、すぐには理解しづらい。しかしその一方で、特定の形やパターンが全体を通して繰り返されているのは分かる。
ウールは、エナメル絵の具を垂らした紙を折り畳んで作ったロールシャッハテストの模様のような1986年の作品(この展覧会には展示されていない)をもとに、数多くの絵画を制作した。2020年から23年にかけてのシリーズでは、模様をデジタル加工し、インクジェットプリンターで出力してからさらにその上に絵を描いている。展覧会のために設営された数少ない壁面の1つに、そのうちの10点がグリッド状に飾られているが、偶然から生まれたそれらの絵にはきっと無数のバリエーションがあるのだろう。
たとえば、このシリーズの初期に作られた《Untitled》(2020)という1枚の絵をもとにした《Untitled》(2023)という2枚の大きなシルクスクリーン版画がある。エレベーターの脇に掛けられた、ほとんど見分けがつかないほど似通った2つの巨大なインクの染み状の模様には、反復によって差異を生み出していくウールの方法論がよく表れている。
ウールの再帰的なプロセスが持つ多層性
展覧会で一番の見どころは、過去10年にわたりウールがテキサス州マーファの自宅周辺で拾った牧場のフェンス材やワイヤーを用いて制作した彫刻だ。しかしこれらの作品も、雑然とした展示空間に紛れて目に入りにくい。
鉄屑が絡まったような彫刻作品は、荒涼とした大地を風に吹かれて転がっていくタンブルウィード(球状になった枯れ草の塊)を思わせる。そして、この彫刻には驚くほどたくさんのバリエーションがある。最も初期の作品《Untitled》(2013)は錆びた有刺鉄線が優雅に絡み合ったもので、シャンデリアのように、鑑賞者の目の高さに吊り下げられている。また、針金や金網、薄い金属板がぐしゃぐしゃにまとめられた《Untitled》(2019)のほか、みっしりと編まれた巣のようなコンパクトな作品もある。
鉄屑の彫刻をもとに、サイズを拡大した鋳型で作ったブロンズ像に赤みがかった銅メッキを施した作品もいくつかある。その1つ、《Untitled》(2021)が台座の上に乗っているさまは、さながらピルエットをしているバレエダンサーのようだ。また、《Bad Rabbit》(2022)はワイヤー彫刻の写真をコピー機で複製し、コントラストを高め平面性を打ち出したもので、ウールの絵画作品の線との類似性を強調している。
ウールの絵画の線と彫刻の線が融合しているのが、新しいモザイク作品《Untitled》(2023)だ。紙を支持体にした2021年の油彩画(これも過去のシルクスクリーン版画をアレンジしたもの)をベースに作られたこのモザイクでは、石とガラスでできた四角いタイルが、もとのデジタル画像にあった歪んだピクセルを再現している。高さは約3.3メートルと床から天井まで届く大きさで、この場所に合わせて作られたようにも見えるが、そういうわけではないという。
会場から2キロほど北にある新築のオフィスビル、2マンハッタン・ウエストには、ウールが初めて手がけたモザイク作品《Crosstown Traffic》(2023)がある。これは《Untitled》(2023)と似ているが、サイズははるかに大きく、ピカピカの広大なロビーで人々を見下ろしている。ウールの作品は、裕福なエリートが行き交うこうした場所にも違和感なくフィットする。
一方、廃墟のようなオフィススペースに展示されている作品は、ずっと控え目なたたずまいだ。黒と白、そしてくすんだピンクが雲のように渦巻くモザイクは、工事現場のように雑然としたこの空間によく似合っている。内装材の下に埋もれていた古いタイルの色ともマッチしているため、このモザイク作品も工事中に発見されたのではないかとすら思える。
ウールは、今回の展覧会をニューヨークで増え続ける大手ギャラリーで開催することもできただろう。実際、2年前にはブリュッセルのギャラリー、グザヴィエ・ハフケンスの新拠点でこれらの作品の多くを展示している。しかし、この場所が持つ生々しさは、彼の作品の持つ強く無骨なエネルギーを引き出すのにはうってつけだ。内部構造が剥き出しになった空間は、ウールの再帰的なプロセスが持つ多層性に私たちの目を向けさせる。そして、絵の具の塗り重ねやデジタル加工の層に埋もれ、崩れて見えなくなったイメージ、あるいは積み重なったイメージの歴史に注意を向けるよう促すのだ。(翻訳:野澤朋代)
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