世界の美術館建築、100年間のベスト25。日本からは3館がランクイン
優れた美術館が備えるべき条件とは何だろう? それは内部に展示されている作品だけではなく、美術品の“入れ物”である美術館の建物も重要だ。多くの建築家が、美術館もアートとして鑑賞の対象になりうると認識しており、所蔵されている傑作と同じくらい建築そのものが広く知られている美術館も少なくない。
ここでは、過去100年間に建てられた美術館のうち、最も重要な25の建築を取り上げる。影響力のある実験的モダニズム建築や個性的なポストモダン建築から、奇抜な建築、愛される増築、円形の建築、ガラス張りのピラミッドまで、さまざまな事例がリストアップされている。
その中には、美術館のあり方についてユニークで新しい可能性を提案したもの、文化全般に大きな変革を巻き起こしたものもある。近年は、フランク・ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン)がきっかけとなり、建築家が新たな方向を目指す美術館ブームが起きている。ブームは一時期より下火になったものの、そのエネルギーは健在だ。
以下、宇宙船が浮かんでいるように見えるものから、カーペットを広げようとしているような形のものまで、1922年以降の美術館建築ベスト25を紹介する。
25. Azerbaijan Carpet Museum(アゼルバイジャン・カーペット・ミュージアム)
アゼルバイジャンの首都バクーにあるアゼルバイジャン・カーペット・ミュージアムは、1960年代に設立されて以降、15世紀に建てられたモスクや、単調な箱型の建物を転々とした。2014年に移転したのが、丸めたカーペットを少しだけ広げたような形をしている現在の建物。悪趣味との声もあるが、少なくとも個性的な外観をしている。設計はフランツ・ヤンツ。アゼルバイジャンの古くからの伝統である絨毯織りの技術が、ユネスコの無形文化遺産に登録された4年後に開館した。バクーでは2012年、ザハ・ハディド設計によるヘイダル・アリエフ・センターがオープンして高い評価を受けたが、当美術館もその頃の建築ブームの最中に建てられている。
カーペット・ミュージアムは、ソ連式の建物が多いこの街にポストモダン建築を持ち込むという重要な役割を果たすことになった。1万点もの所蔵品を収める新たな場所を作る任務を引き受けたヤンツは、そこに展示されているカーペットにふさわしい建築を提案したと言える。ヤンツは国際的な報道機関から批判されており、たとえばニュースサイトのCurbed(カーブド)は「愉快と不快の間にあるもの」と評している。ただ、その設計だけが理由ではない。汚職や人権侵害などで非難されているアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領との親交も理由の一つだ。
24. Jan Shrem and Maria Manetti Shrem Museum of Art at University of California, Davis(カリフォルニア大学デービス校 ジャン・シュレム&マリア・マネッティ・シュレム美術館)
さんさんと降り注ぐ太陽光に恵まれたこの美術館は、ニューヨークを拠点とする新進気鋭の建築事務所SO–ILの設計によるもの。オランダ人建築家でハーバード大学教授のフロリアン・アイデンバーグが率いる建築事務所で、ブルックリンの美術館、Amant Foundation(アマントファンデーション)の設計でも知られている。
この建築の最大の特徴は、アルミニウムの梁(はり)を格子状に組み合わせた起伏のあるキャノピー(天蓋)で、建物の屋根を覆い、一部は屋外に日陰を作っている。キャノピーのグリッド状のパターンは、北カリフォルニアにあるデービス校のキャンパスを取り囲む農地からインスピレーションを得た。建築事務所の説明によれば「開放感と透過性のあるデザイン」だ。このキャノピーは、ガラスの建物に降り注ぐ強い日差しや熱を和らげる効果がある。また、波型のデザインが特徴的なファサード(建物の正面部分)には、屋外上映を行う際にスクリーン代わりになる平らな部分が設けられている。
23. Zeitz Museum of contemporary African Art(ツァイツ・アフリカ現代美術館)
トーマス・ヘザウィックの設計の特徴であるモニュメント的な建築は、ときに批判にさらされる。たとえば、ニューヨークのハドソンヤードにある「The Vessel(ヴェッセル)」は、階段と踊り場だけで構成され、蜂の巣のような独特の形状を持つ展望施設だが、周囲の美観を損ねる、あるいは転落の危険があるといった声もある。一方、プーマの元CEOヨッヘン・ツァイツが設立し、2017年にケープタウンに開館したツァイツ現アフリカ現代美術館は、かつて穀物を入れるために使われ、アフリカで最も高い建物だったサイロの廃墟をきらびやかなアートスペースに変身させた作品だ。
同館の設計についてヘザウィック・スタジオは、サイロとそこに貯蔵されていたトウモロコシへのオマージュだとしている。ヘザーウィックは、サイロの廃墟で見つかったトウモロコシの破片をデジタル解析し、その形状をもとに設計を行ったという。ヘザーウィックは当時、アーキテクチュラル・ダイジェスト誌のインタビューに答えて「トウモロコシの粒状の部分を一つ切り取って、美術館の周りの広場に置くことができなかったのが心残り」と語っている。美術館には、トウモロコシがぎっしり詰まっていた様子を思わせる膨らんだ形の窓や、細胞壁を模した曲面の壁がある。中心にあるアトリウムは自然光に満たされ、大胆なスロープが大聖堂のような空間を作り出している。
22. 金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館は、プリツカー賞を受賞したSANAA(妹島和世と西沢立衛による建築家ユニット)が設計し、2004年に金沢市に開館。円形の中に四角をパズルのようにはめ込んだ形の建築で、展示室、アートライブラリー、イベント会場など、十数個の長方形の部屋が円い屋根の下に収められている。半透明の曲がった廊下はSANAAの建築に特徴的な要素だが、この美術館では建物の外周を囲むガラス壁によって開放感を演出している。また、館内の各部屋の機能に合わせ、周囲の窓や天窓から自然光を取り入れ、あるいは遮断するよう工夫されている。
21. Odunpazari Modern Art Museum(オドゥンパザル近代美術館)
オドゥンパザル近代美術館は、2019年にトルコの大学都市、エスキシェヒルに開館。コレクターのエロル・タバンジャによるトルコ現代アートのコレクションが展示されているほか、企画展も開催している。オドゥンパザルは「木の市場」を意味し、この美術館がある地域の地名でもある。隈研吾建築都市設計事務所による設計は、オスマントルコの伝統的な木造住宅からインスピレーションを得て、明るい色の木の梁を用い、丸太小屋に見られるようなすき間のある箱型の構造を造り、エレガントなログハウスともいうべき建築を実現した。
隈研吾建築都市設計事務所は、木材の無骨さを削ぎ落とし、洗練された形で使うことで知られる。このプロジェクトでは、オスマントルコ時代の家が立ち並ぶ都市空間を再現した。設計担当者は「街並みとの調和を目指し、美術館のボリュームを分節して、小さな箱の集合体とし、さらにそれぞれの箱も、木材を積み上げた形状とすることによって、木材の持つヒューマンスケール感覚と、暖かい質感を獲得した。また、同一寸法の木材を用いて、木材をずらしながら積み上げることで流動的な空間を構成し、従来の美術館にはない、暖かく、しかもダイナミックな空間が生まれた」と説明している。館内に入ると、頭上の交差する梁から外光が入り、箱形の形状が緩やかにねじれていることに気づくだろう。
20. Museo Tamayo(ルフィーノ・タマヨ美術館)
メキシコシティにあるルフィーノ・タマヨ美術館は、自然と人工、古いものと新しいものの境界を取り払うような建築だ。ルフィーノ・タマヨの作品を収蔵する美術館を構想するにあたり、設計を担当したテオドロ・ゴンサレス・デ・レオンとアブラハム・ザブルードフスキーは、フランク・ロイド・ライトやI・M・ペイらの先駆的な建築を参考にしつつ、メキシコらしさを盛り込んだ。そして1981年に開館したのが、チャプルテペック公園のブロック状の建物だ。
外観などにはアステカの階段状の建造物を思わせるデザインを取り入れ、内部は人工的な照明と自然光が混ざり合う。中でもアトリウムが有名で、来館者は彫刻の展示空間として設けられた低層部に下りることができる。また、重厚なコンクリートの天井には細長い天窓があり、自然光が差し込むようになっている。同館は当初、美術館としては美的な要素にこだわりすぎているとの批判も受けたが、今ではメキシコのアートシーンに欠かせない存在だ。建築家が外国のスタイルと自国のスタイルを融合させ、グローバルとローカル双方のコミュニティに貢献する作品を実現した好例と言える。
19. Louvre Abu Dhabi(ルーブル・アブダビ)
ドバイのサディヤット島にあるルーブル・アブダビは、計画当初、安藤忠雄、フランク・ゲーリー、ザハ・ハディドらの設計による一連の文化施設と同時に開館予定だった。このプロジェクトには莫大な予算が投入されているが、2022年の現時点で唯一稼働しているのは、2017年開館のルーブル・アブダビだけだ。設計はジャン・ヌーベル。巨大な鋼鉄製のドームが特徴的で、網目状の部分から太陽光を取り込み、館内に木漏れ日のような光の模様を描く。
海岸に位置するルーブル・アブダビは、55棟の独立したパビリオンで構成され、それ自体が小島のようになっている。ヌーベルは2000年代初頭、グッゲンハイム美術館のトーマス・クレンズ館長(当時)とのランチをきっかけに構想を温め始め、中東の伝統建築を想起させる建築を目指した。フランス政府とアラブ首長国連邦政府が13億ドルを投じて建設した同館は、建設作業員への不払い疑惑などの問題に何度も悩まされたが、開館当初から多くの来館者を集め、人々を魅了する場所になっている。
18. National Museum of Modern and Contemporary Art(韓国国立現代美術館 果川館)
韓国の国立現代美術館 果川館の設計を担当した金泰修(キム・テス)は、周辺の風景を建築の要素として取り入れることで知られている。ソウルからほど近い果川に位置する韓国初の現代アート専門の美術館の設計に際し、キムは清渓山のピンク色がかった花崗岩を基調とした。1986年開館だが、同時代の多くの建築とは対照的に飾り気がなく、美術館というよりも城砦のように見える。それはキムの意図するところでもあり、仏教寺院や韓国の伝統建築の美学を取り入れ、周囲の環境に溶け込むような建築を実現した。2016年のコリアン・ヘラルド紙の取材に対し、「建物は土地の一部であるべきだというのが私の信念」とキムは語っている。ポストモダンと伝統的な建築様式の要素を融合させた同館は、韓国の過去と現在をさりげなく繋ぐ建築を実現している。
17. MAXXI(イタリア国立21世紀美術館)
1990年代後半、ローマのイタリア国立21世紀美術館(MAXXI)の設計を委託された時、ザハ・ハディドはすでに大胆かつありえないような曲線が印象的な建築で世界的名声を得ていた。MAXXIでもハディドらしい美学を発揮し、上から見ると5つのエレメントが絡み合うように見える飾り気のないコンクリートの建物を提案した。中央には白い吹き抜けの空間があり、その周囲に黒の階段が設置されている。2009年に完成した美術館をハディドは「キャンパス」と呼んでいたが、そこには周囲の環境とシームレスに融合するものを作ろうという彼女の意志が表されている。アパートメントが建ち並ぶ地域に建つMAXXIは、近年ローマに建てられた重要な現代建築であり、当初、ローマ市民からは疑念の目が向けられたものの、今ではおおむね高い評価を受けている。また、世界でも数少ない、有色人種の女性建築家が設計した大型美術館でもある。
16. Kunst Haus Vienna(クンストハウス・ウィーン)
1991年開館のクンストハウス・ウィーンは、アーティスト・建築家として活動したフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー設計による風変わりな建築だ。フンデルトヴァッサーは、直線を「不健全で不道徳」だと嫌ったことで知られ、エキセントリックな環境保護主義者でもあった。
建物は、19世紀末に建てられたトーネット社(アイコニックなビストロチェアで知られる)の家具工場を改築したもの。ファサード部分はモザイクのパッチワークで覆われ、ところどころ黒と白の歪んだグリッド状の部分があったり、鮮やかな色のモザイクがアクセント的に配されたりしている。また、廃品を組み合わせて作った風変わりな柱や、「凹凸のある床は足の裏にメロディーを奏でる」という彼の考えから採用された起伏のある床など、フンデルトヴァッサーの建築に特有の要素がふんだんに盛り込まれている。さらに、自然を身近に感じることができるよう屋上庭園を作り、ロビーには噴水を設置している。しかし、コンポストトイレなど、建築家が示したエコビジョンの重要な要素がいくつか欠けているのが現状だ。ギャラリーでは、フンデルトヴァッサー自身のアート作品の常設展示のほか、現代アーティストの企画展も開催されている。
15. 豊島美術館
豊島美術館は、岡山県沖の小さな離島に位置する円形のコンクリート建築で、展示されている作品はただ1点、内藤礼の《母型》(2010)だけだ。天窓がぽっかりと開いた下では、水滴が緩やかな曲面を静かに移動し、くぼんだ部分に溜まるプロセスが繰り返される。
海沿いの丘に立つこの美術館は、アート拠点として人気の高い直島の隣にある。直島には、草間彌生、ジェームズ・タレル、クロード・モネなどの作品が常設展示されており、見学者は多様なアート作品が展示された地中美術館や香川直島伝道所などを見て回った後に、豊島美術館でさらに瞑想のような魅惑的な体験ができる。設計は、妹島和世と共同でSANAAを設立し、ニューミュージアム(ニューヨーク)などを手がけてプリツカー賞を受賞した西沢立衛が担当した。豊島美術館は2010年、瀬戸内国際芸術祭と同時に開館し、現在では島のシンボルとして親しまれている。
14. Neue Staatsgalerie(シュターツギャラリー新館)
1977年に開館したポンピドゥー・センターをきっかけに、ポストモダンの美術館建築が注目されるようになった。この流れを受けて、新旧の様式の衝突を大胆に表現したのがシュトゥットガルトのシュターツギャラリー新館だ。設計はジェームズ・スターリングで、19世紀に建てられた新古典主義様式の建物を増築したもの。近現代アートの展示を行うスターリングの増築部分は、明確な機能のない要素を多く含む点で、元の典型的美術館建築との対比を強く感じさせる。
同館の傾斜した窓には鉄骨が並び、一部の空間は緑色の床で彩られている。比較的シンプルな設計のギャラリーは、通常のアートスペースのように見えるが、一風変わったU字型に配置されている。中央にはオープンエアの円形の空間があるが、そこはアート鑑賞の場ではなく(作品は一つも展示されていない)、建築に必要な要素でもなく、ただ空を見上げるための場所だ。スターリングの設計は、従来の美術館のあり方を覆し、ポストモダン様式を確立した建築の一つと言える。
13. Yale Center for British Art(イェール大学英国美術研究センター)
コネチカット州ニューヘイブンにあるイェール大学英国美術研究センターは、外から見ただけでは数多くの独自性を擁していることは分からない。1977年にオープンしたこの建物について設計者のルイス・カーンは、「どんよりした日には蛾のように、晴れた日には蝶のように見える」と述べている。ガラスと鉄骨の外観は一見オフィスビルのようだが、内部にはさまざまな工夫が凝らされ、単なる箱型の建物とは思えないほど野心的なものだ。建物の構造や機械設備が見え、空調の配管がむき出しのままなのもカーンの典型的な手法だ。こうした様式は、(ポンピドゥー・センターのように)美術館の構造を覆すことを意図したポストモダン的なひねりというより、カーンの建築家としての良心を現そうとしたものだろう。ポール・メロンが寄贈した、数百年前の絵画が展示されているホールの中央には、巨大なコンクリートの円柱がある。それは映画「2001年宇宙の旅」(1968年)に登場するモノリスのようで、奇妙な優美さと魅惑的な違和感を生じさせる。
展示室は、自然光がふんだんに降り注ぎ、古き良き時代のサロンを彷彿とさせる空間でありながら、時代遅れな部屋を復元したような安っぽさはない。また、カーンが「ポゴ」と名付けた可動式のパネルによって簡単に壁の配置を変えることができ、展示を行う学芸員にとっては非常に自由度の高いものになっている。イェール大学英国美術研究センターはカーンの最後の建築になった。イェール大学美術館(カーンが初めて設計した美術館で、イェール大学英国美術研究センターにほど近い)やテキサス州フォートワースにあるキンベル美術館などを手がけ、美術館建築のあり方を変えた建築家にふさわしい遺作と言えるだろう。
12. Guggenheim Bilbao(ビルバオ・グッゲンハイム美術館)
フランク・ゲーリーが設計したスペインのグッゲンハイム・ビルバオは、1997年に完成するまでは、成功が疑問視されていた。このプロジェクトは、地方自治体や国がグッゲンハイムと緊密に協力して衰退した地域の再生を目指すという、当時としては異例のものだった。ただ、民間と公共の利益追求を融合させることにより、地元住民は事実上美術館の受け入れを強制されているという批判が一部の評論家から指摘され、論争が巻き起こった。しかしその後も、ヨーロッパ諸国で都市の中心部以外の場所に美術館を新設する際に、しばしばビルバオ方式が用いられている。
美術館の敷地は川のほとりにあり、ゲーリーは川を行き交う船をイメージして設計している。金属製の渦巻きは非常に精巧で、設計には3Dイメージングが用いられた。リチャード・セラの巨大なインスタレーションが常設されている美術館にふさわしい優美な建築とも言えるが、この美術館はアートの世界と建築の世界を二極化させるものにもなってしまった。グッゲンハイム側は、何百万人もの来場者を集め、地域経済の活性化に貢献し、世界で次々と個性のある美術館建築が生まれるブームのきっかけになったと指摘する。ただ、ゲーリーがビルバオでやったことを再現しようとするプロジェクトは多いが、成功例はほとんどない。
11. Louvre(ルーブル美術館)
1981年、I・M・ペイが活性化の依頼を受けた当時のルーブル美術館は、18世紀末の設立以来、少なくとも外観に関してはほとんど変化がなかった。その歴史的建築に囲まれた巨大な広場の中心にペイが登場させたのが、ガラス張りのピラミッドだ。大胆な設計は厳しい批判を受けたものの、ペイは未来的な建造物の増築によって、ルーブル美術館を現代にふさわしい美術館として再生させることができるとの信念を貫いた。1985年に完成したピラミッドは、現在美術館の主な入り口の一つとして使われている(地下から入るという選択肢もあっただろうが、ペイは世界有数の美術館にはふさわしくないと感じていた)。
当初、ピラミッドは賛否両論を巻き起こし、フィガロ紙はペイを「誇大妄想」と非難した。しかし今では、ピラミッドとその下のらせん階段は、モナ・リザと並ぶルーブル美術館の顔になっている。なお、あまり知られていないが、ペイは一般公開されていない部分の設計も担当している。会議室、オフィス、それに、従来は打ち合わせのたびに美術館全体を横切っていかなければならかったスタッフのための専用通路で、こうした施設もガラスのピラミッドに匹敵する重要性を持つものだ。
10. Museu de Arte de São Paulo(サンパウロ美術館)
1968年開館のサンパウロ美術館は、イタリア生まれのブラジル人建築家、リナ・ボ・バルディが設計した片持ち梁構造でガラス張りのモダニズム建築だ。2フロアの展示スペースは、4本の大きな赤い柱で地上から持ち上げられ、屋根に伸びる太い梁につながれている。ボ・バルディは、エンジニアのホセ・カルロス・フィゲイレード・フェラスとの緊密な協力で、軽さと重さの要素を見事に組み合わせたブルータリズムの真髄とも言うべき建築を完成させた。
ボ・バルディの考えは、エリート主義的なものではなく、サンパウロ市民のために開かれた公共空間を残したいというものだ。雨季には屋根代わりになり、夏には日陰になる美術館の建物の下は、市場が開かれるなど日常的な都市生活の場にもなっている。また、時には大規模な抗議集会が開かれることもある。丘の斜面を利用して地下にも2つのフロアが設けられていて、劇場や書店が入っている。この美術館で最も有名なのが、斬新な展示方式だ。展示室はオープンフロアで、作品は通常の壁ではなく、コンクリート製ブロックの上にガラス板を立てた「イーゼル」にかけて展示される。これにより、作品の表と裏を見せたり、作品を複数の列に並べたりして展示することを可能にしている。
9. Tank Shanghai(上海油罐芸術中心)
2019年開館の上海油罐芸術中心(タンク・シャンハイ)は、ナイトクラブやカラオケバーで財を成した経営者で、中国を代表するアートコレクターでもある喬志兵のプライベート・コレクションから多様な現代アート作品を展示している。ニューヨークと北京を拠点とするオープン・アーキテクチャー社が、5つの元航空燃料タンクを巨大な美術館に改造した。黄浦江沿いに位置し、上海のスカイラインを一望できるこの美術館のシックなポストインダストリアル調の雰囲気は、1990年代以降の上海の急速な発展を物語っている。
このプロジェクトは、建築家が使われなくなった建物を壊してゼロから始めるのではなく、今の時代に必要な機能に合わせて再利用するアダプティブ・リユースの教科書的な事例でもある。オープン・アーキテクチャー社の設計は、フランク・ロイド・ライトによるグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)の巻貝のような螺旋状の構造を参考に、さらに洗練されたアクセントとしてスリット状の窓や天窓を加えている。美術館の5つのタンクのうち、2つのタンクには典型的なホワイトキューブ(白い立方体の展示室)が設置されているが、残り3つのタンク内部はほとんど手を加えられていない。また、建物周囲の景観にも細かい配慮がなされ、5つのタンクの間には散策したくなるような曲がりくねった小道がある。美術館のメインエントランスに向かう部分はスロープ状で、見学者を入口にいざなうようになっている。
8. Neue Nationalgalerie(新ナショナルギャラリー)
ドイツ出身の建築家、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、ナチスが台頭する中、1937年に米国に亡命した。ベルリンの新ナショナルギャラリーは、ヨーロッパにあるミースの建築物で、唯一渡米後に設計されたものだ。それだけでも注目に値するが、この美術館は世界有数のエレガントな設計として評価されている。1920年代から1930年代にかけてバウハウス運動で名を馳せたミースは、生涯を通して機能主義を重視した。新ナショナルギャラリーはミース建築の典型的な例で、必要のない装飾的な要素を排除し、主に鉄などの工業用素材を用いている。2フロアで構成される建物の展示作品はほとんどガラス張りのファサードからは見えないため、外観からは美術館とは思えない。
極めてベーシックな形状が印象的なこの美術館は1968年に開館したものだが、近年は経年劣化が進み、錆びやひび割れが生じていた。2015年にデビッド・チッパーフィールドが修復「手術」に参加し、1億6800万ドルをかけた改修を経て2021年に再オープンした。2022年1月の時点で、ユネスコの世界文化遺産への登録を目指している。
7. 地中美術館
瀬戸内海に浮かぶ直島で2004年に開館した地中美術館が最も驚くべき景観を見せるのは、上空から見下ろしたときだろう。上から見ると三角形や四角形が遊び心を感じさせる配置で散りばめられていて、まるで大きな紙吹雪のようだ。
独学で建築を学んだ安藤忠雄が、瀬戸内海を見下ろす丘の地中に建てたコンクリート造りの地中美術館は、「日本のブルータリズム」の一例とされ、常設展示されているのはジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリア、クロード・モネなどの作品。展示室をたどる導線はさりげなく、かつ明快で、時折現れる屋外の通路がアクセントになっている。安藤は自然と建築を融合させること、景観のありのままの流れや曲線に建物を適合させることを目指した。直島は、今ではアートファンが必ず訪れるべき目的地となっている。
6. Museum für Moderne Kunst(フランクフルト現代美術館)
ウィーン生まれのポストモダンの建築家、ハンス・ホラインが設計し、1991年に開館したフランクフルト現代美術館(MMK)は、ドイツ伝統の建築様式と遊び心のあるポストモダンのフォルムをうまく融合させている。第二次世界大戦中、フランクフルトは大空襲に遭い、歴史的な建築のほとんどが破壊された。ホラインは、空襲をまぬがれた貴重な建築の柱と梁を生かし、金融都市フランクフルトの超高層ビルによくあるスタイルのガラス窓を採用したが、この意外な組み合わせは、新旧のヨーロッパが混在するフランクフルトにしっくりとなじんでいる。
MMKはドイツ再統一後、最も早く開館した美術館の一つだが、3階建ての建物の内部は巧みにレイアウトされ、見学者が自然に移動できるよう導線が工夫されている。敷地と建物が三角形という条件のため(MMKはフランクフルト市民には「一切れのケーキ」として親しまれている)、尖った三角形の部屋があるなど、館内は複雑な構造になっている。そうした事情を考えると、その導線の巧みさは見事と言うほかはない。遠景を鋭く縁取るように配置された階段や、メインホールを見下ろすバルコニーなど、個性的であると同時に鑑賞体験を妨げない建築が実現されている。最近の美術館建築でも、この両立に成功している例は稀だ。
5. Sainsbury Wing, National Gallery(ナショナル・ギャラリー新館、セインズベリー・ウィング)
ロンドンのトラファルガー広場の中心からナショナル・ギャラリーの堂々とした新古典主義の建物を眺めた時、1991年に増築された新館(セインズベリー・ウイング)の存在に気づく人は少ないかもしれない。ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウンによるポストモダンの建築は、奇抜でありながら存在感を主張しないのが特徴だ。最終的にヴェンチューリとスコット・ブラウンに決定したコンペは、当初から注目と論争の的となっていた。英国が自国の文化をどのように表現すべきかについて、意見の対立があったからだ。新館による大規模な拡張については、チャールズ皇太子を中心とする古典主義派と、英国が最先端の建築に貢献するチャンスだと考える一派がいた。
ヴェンチューリとスコット・ブラウンは、1824年建造のナショナル・ギャラリーに見られるパンテオン神殿のような構造を研究し、あえてそれに従うことで、気取った古典主義派をさりげなく揶揄するような提案をした。たとえば、本館を模倣したコリント式円柱をファサードの角にあたる部分に設置しているが、建物が大きく湾曲しているため、ところどころで5本の四分柱が組み合わされており、まるでレンダリング中にエラーが発生したようにも見える。これは、新古典主義者がギリシャ建築の象徴である柱を、建物を支えるものではなく、権威や威信の虚ろなイメージとして用いていることを鋭く突いたものだ。本館から離れるにつれ、ギリシャ風の装飾は次第に消えていく。建築専門メディア、アーキデイリーは、ナショナル・ギャラリー新館について、「(文脈に沿い、現代的であり、創造性を示し、かつ抑制的であるという)相反する要求を、いかに自らの強味に変えるかという試みだった」と評価している。
4. Guggenheim Museum(グッゲンハイム美術館)
フランク・ロイド・ライト設計のグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)は、外観からして世界に類がないもので、ユニークな円形の建物はアートの見方を一変させてしまった。近くにあるメトロポリタン美術館の古典的構造とは異なり、グッゲンハイム美術館には直角の部分がほぼ存在しない。内部は円形のホールを取り巻くように作品が配置され、全長400メートルを超える螺旋状のスロープが上に向かって続いている。外観は、ライトによると「逆さにしたジッグラト(*1)」をコンセプトとし、古代メソポタミア建築がベースであることを示唆している。ライトはまた、一般的な展示作品の見方を覆すような美術館にしたいと考え、傾いた壁を採用している。
原案では、見学者は館内の最上部から出発してスロープを降りながら鑑賞していくことと、作品は壁に立てかけて展示することが想定されていたが、いずれも実現しなかった。また、外壁を赤くする案もあったが、グッゲンハイム美術館の初代館長でアートアドバイザーのヒラ・リベイが、派手すぎると却下している。1959年の開館前から、ライトの建築に対しては批評家やアーティストから反対の声が上がった。しかしその後、人々の評価は一変し、グッゲンハイム美術館はニューヨークでもとりわけ多くの見学者を集める観光名所となった。今では、ライトによる建築そのものがアート作品だという考え方が一般化している。ライト自身も建物の落成にあたり、画家がカンバスにサインをするように建物のファサードにサインをしている。
3. National Museum of African American History and Culture(国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館)
国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館(NMAAHC)は、ワシントンD.C.の中心部にある国立公園、ナショナル・モールで最も印象的な建築だろう。同館は、モニュメントを兼ねたものとしてデビッド・アジャイが設計した。クラシックな博物館や美術館によく見られる白い大理石は用いず、ファサードの大部分はアルミニウム青銅部材を斜めに組んで、光をうまく取り入れている。アジャイは建物の構造について、数世紀にわたる黒人のアフリカから米国への移動、そして米国内の移動を表現する3部構成になっていると説明。地下の薄暗い展示室は「クリプト(穴蔵)」、移動に焦点を当てた中層部は「コロナ(光冠)」、最上階の最も明るい開放的な空間は「ナウ(今)」と呼ばれ、アートが主役となる解放の場とされている。
2016年に開館したNMAAHCは、2021年末に亡くなったグレッグ・テートなどの批評家から絶賛された。テートはARTnewsへの寄稿で次のように評している。「偉大な博物館や美術館には、悪魔のような細心さで細部を正確に仕上げるだけでなく、ロバータ・フラックの名曲の歌詞にあるように、見る者を『やさしく殺す』力がある。NMAAHCはその両方において高得点を得るものだ」
2. Niterói Contemporary Art Museum(ニテロイ現代美術館)
1996年に完成したニテロイ現代美術館は、数多くの作品を残したブラジルの建築家、オスカー・ニーマイヤーによる美術館建築の傑作だ。湾を見下ろす崖の先端、リオデジャネイロの景色を一望できる場所に立地している。人工池の上に浮遊するように建てられ、その水面にも姿を映す建物の外観について、多くの人はUFOにインスピレーションを受けたものだと思っていた。ニーマイヤーは冗談のような回答として、ドキュメンタリー映画『20世紀最後の巨匠 オスカー・ニーマイヤー』(2001年)の中で、宇宙船のようなもので美術館上空を飛行してみせた。実際のところ、ニーマイヤー自身は、この建築を大地に咲く花のイメージだと説明している。
館内には、鮮やかなブルーのカーペットや、娘のアンナ・マリア・ニーマイヤーがデザインした家具が置かれている。見学者は、曲がりくねった赤いコンクリートの道を通って、レトロフューチャー風の建物に登っていく。しなやかなフォルムはニーマイヤーの感性を表現していて、本人は繰り返し「ブラジルの山々、緩やかに流れる川、海の波、愛する女性の体に見られる曲線」から着想したと語っている。アーキテクチュラル・レビュー誌は、「ニーマイヤーは、フラットスクリーンで囲まれた六角形の空間を中心に設けることで、曲面の壁は美術品展示に適さないというグッゲンハイムのジレンマをうまく克服している」と評価するとともに、「リオの素晴らしいパノラマが時に展示されている作品の印象を上回ってしまう」とも指摘している。
1. Centre Pompidou(ポンピドゥー・センター)
1977年にパリ最新の美術館として開館した時、ポンピドゥー・センターはル・モンド紙から「建築のキングコング」と酷評された。確かに19世紀後半からほとんど変わっていないパリの街並みの中で、ポンピドゥー・センターは不釣り合いに目立っているが、今ではパリの都市景観に欠かせない存在として親しまれている。ジャンフランコ・フランキーニ、レンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースによる設計は、美術館の建物を丸ごと裏返しにし、内部空間の機能性を高めることを目指した。通常、空調や水道設備は美術館の壁の中に収められ、来館者の目に触れることはない。しかし、ポンピドゥー・センターではこうした設備が外に出され、色分けによって識別できるようになっている。無骨な配管の脇には透明チューブを通るエスカレーターがあり、最上階まで昇るとパリの街を一望できる。
巨大な建物の内部は、配置を容易に変えることができる大きな空間として構想された。ポンピドゥー・センターの箱型の建築をエレガントだと感じる人はあまりいないかもしれないが、豊かなコンセプトが盛り込まれていることは、その欠点を補って余りある。レンゾ・ピアノは2017年にガーディアン紙に対し、ポンピドゥー・センターは、美術館はこうあるべきだという古い考えへの挑戦だったと述べ、次のように語っている。「長い間、美術館はほこりっぽくて退屈で近寄りがたい存在だった。だから、誰かがそこから抜け出し、違うやり方を実行することに参加意識を持たなければならなかった。求められていたのは、誰かが反乱を起こすことだった」(翻訳:清水玲奈)
※本記事は、米国版ARTnewsに2021年1月24日に掲載されました。元記事はこちら。