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問題だらけのメトロポリタン美術館による略奪文化財返還。来歴の怪しい古美術品も多数

欧米の美術館や博物館で、略奪文化財をもとの国や持ち主に返還する動きが加速している。ニューヨークメトロポリタン美術館でも、1980年代にネパールの神殿から奪われた石像を返還する手続きが進められているが、現状はまだ展示されたまま。取得の経緯や情報公開など、世界有数の美術館が抱える問題を詳しく見ていく。

ニューヨークのメトロポリタン美術館(2020年8月23日撮影)。Photo: Getty Images

ネパールの石像を寄贈したのは元キュレーター

問題となっているのは、ヒンドゥー教の神で仏教にも取り入れられたヴィシュヌ神の石像で、11世紀のものとされる。30年近く前、この石像を個人コレクションからメトロポリタン美術館(以下、MET)に寄贈したのは、同館のアジア美術部門の元キュレーター、スティーブン・コサックだ。石像の来歴については、大学の研究者、返還活動家、館内の関係者が今も詳細な調査を続けている。

METは、2022年に木製の柱と石像を返還しているが、このとき、美術犯罪の専門家で、ジョン・ジェイ・カレッジ・オブ・クリミナル・ジャスティスのエリン・トンプソン准教授は、US版ARTnewsの取材に対し「コサック家からの寄贈品をMETが返還するのは、これで3点」と述べている。

ネパールでは、神像は生ける神とされる。METにあるヴィシュヌ神像は非常に象徴的なもので、真珠のような球の連なりと炎をかたどった光背を持ち、妃である女神ラクシュミーとヴィシュヌの乗り物とされる神鳥ガルーダを伴っている。蓮の装飾が施された台に立ち、4本の腕のうち武器の円盤と棍棒を持つ2本の手を掲げた姿だ。

以前もネパールへの文化財返還に携わり、2週間前にはMETを訪れて詳しい調査を行ったトンプソンの説明によると、「METはコサック家から寄贈を受けただけでなく、少なくとも8点の文化財を貸与されている」とのこと。実際、現在ヴィシュヌ神の石像が置かれている展示室の近くでは、コサック家のクロノス・コレクションから寄贈されたアジアの古美術品が展示されている。トンプソンは、「来歴をよく確認せずに歴史的文化財を取得しようとしていることがわかったら、まずやるべきなのは、より詳しく調べることです」と語る。

度重なるMETの所蔵品押収と返還

アメリカ国内外の政府関係者は、略奪文化財返還に対する世論の高まりを背景に、近年METの所蔵品の来歴に厳しい目を向けるようになった。

ニューヨークのマンハッタン地区検事局はこれまでに、過去に略奪されたことが判明した総額数千万ドル相当の文化財数十点をMETから押収している。押収品はいずれも、ギリシャ、イタリア、エジプト、ナイジェリアなど、もとあった国に返還された。同検事局は、2022年9月にもMETから古美術品を押収する令状を発付・執行しているが、これは同年に行われた6回目の執行だった。

10月にはネパール政府関係者がニューヨークを訪れてMET関係者とプライベートな会合を持ち、ヴィシュヌ神の石像について話し合いを持った。US版ARTnewsが確認した会合の写真には、METのアジア美術部門長のマクスウェル・K・ハーンが、石像の写真を他の関係者に渡している様子が写っていた。

METによると、過去2年間に3点の神像を所蔵品からネパールに返還しており、2022年夏には、METの南アジア・東南アジア美術部門のキュレーター、ジョン・ガイがネパールを訪れ、同国文化省関係者との協議を開始した。現状、ヴィシュヌ神像はネパールに返還される予定とされるが、具体的な時期はまだ決まっていない。

METの所蔵品返還方針では、所有権を主張する国がMETに文化財の正式な返還請求を行う場合、それが略奪や盗難、その他違法な手段によって持ち出されたものであることを証明する必要がある。

METの広報担当者は、METは「考古学的価値のある文化財の取得を責任を持って行い、新規に取得したものだけではなく、長年の所蔵品についても、来歴の確認に厳格な基準を適用して、過去の所有者の履歴を可能な限り明らかにする努力を続ける」と説明している。

広報担当者はまた、現在も一部の所蔵品についてネパール政府との協議が続いているとし、「建設的な解決と継続的で開かれた対話が行われるものと思う」と述べた。

長年の所蔵品が、にわかに疑念の的になった理由

メトロポリタン美術館に展示されている11世紀ネパールのヴィシュヌ神像。スティーブン・コサックから寄贈されたもの。Photo: Courtesy of Erin Thompson

裕福な一族に生まれたスティーブン・コサックは、1970年代からアジアの美術品収集を始め、インド絵画、仏教彫刻、ヒンドゥー教の神像などのコレクションを築き上げた。1986年、研究員助手としてMETに入館し、すぐに正規のキュレーターに昇進。ときには、私財を投じてMETのために作品を購入することもあった。

2016年にはウォール・ストリート・ジャーナル紙に対し、「(美術品が高すぎて)METが買えないとき、私が購入したこともある」と語っている。実際、彼の所有する美術品をMETに寄贈したり、貸し出したりすることが少なくなかった。

2006年にMETを退職してからも、コサックは同美術館に大きな影響力を及ぼしている。たとえば2016年にはかねてからの約束を果たし、インドのラージプート絵画約100点(コサックによると推定価値1500万〜2000万ドル)を寄贈。同年、寄贈された絵画を記念した展覧会が開かれ、コサックが執筆に協力した書籍も出版された。

美術犯罪専門家のトンプソンは、コサックのキュレーターとしての専門知識と背後にある財力に影響され、METが独自の来歴調査を行わないまま寄贈や貸与を受け入れたのではないかと見ている。また、文化財の返還推進派からも、コサックとその同僚だったマーティン・ラーナー(2003年にMETを退職するまでアジア美術部門で所蔵品取得を主導していた)との関係に疑念が示されている。

2009年、カンボジアのソク・アン元副首相(左)と握手するダグラス・ラッチフォード。Photo: Tang Chhin Sothy/AFP via Getty Images

2022年にニューヨーク・タイムズ紙は、マーティン・ラーナーと、古美術品コレクターのダグラス・ラッチフォードにビジネス上の関係があったと報じた。ラッチフォードは、カンボジアの古美術品を違法に売買したとして、2019年にニューヨーク当局に起訴された人物だ。

ラッチフォードは2020年に亡くなったが、彼が生前に引き起こした数々の問題が、今もMETで尾を引いている。2022年8月にはニューヨーク・タイムズ紙が、ラッチフォードがMETに寄贈した13点の文化財は略奪されたものであるというカンボジア政府当局者の発言を報じている。

US版ARTnewsは数回にわたりコサックにコメントを求めたが、回答は得られていない。

METを取り巻く厳しい環境とボランティアによる略奪品調査の拡大

度重なる所蔵品の押収と返還の一方で、現在METは、コロナ禍での経済的損失からの回復途上にある。損失金額は1億5千万ドル(約200億円)にも達すると見られるが、返還への圧力が高まる中、同館ではスタッフが来館者から略奪品について尋ねられた際に対応するための文書を用意した。

では、収蔵品の中に盗まれたものがあるかと質問されたら、美術館スタッフはどう答えればいいのだろうか?

 US版ARTnewsが入手した文書には、3ページにわたって次のような内容が記されている。

「METは盗品が所蔵品となるのを避けるため、厳重な規則のもとに運営されています。これまでも新規に所蔵品を取得する際は、常にその時点での法律を遵守してきました。また、ときに各国の美術館と協力しながら収蔵品の来歴を継続的に調査するなど、新しい情報に基づいて適切に行動しています」

情報筋によると、古美術品市場にはリスクがありすぎると判断した美術館関係者もいるという。METの広報担当者は、古代近東美術部門が、オークション市場では不正に取引された品が横行していることを理由に、オークションでの取得を中止したと認めている。

メトロポリタン美術館の古代美術展示室で、ギリシャの彫像を鑑賞、スケッチする来館者(2008年6月6日撮影)。Photo: Getty Images

MET内部での議論について、これまでに4人の現職員と元職員が匿名でインタビューに応じており、ほとんどの部署が、返還を視野に入れた所蔵品の調査を積極的に行いたいと考えているという。しかし、所蔵品が200万点を超えるMETの巨大さがネックになっている。

そんな中、多くの研究者や活動家たちが、自発的に調査を行う動きが出ている。たとえば、ネパールのNPO「Nepal Heritage Recovery Campaign(ネパール遺産復興キャンペーン)」のボランティアたちは、欧米の美術館から略奪された文化財を探し出し、残されている写真資料に基づいて、もとあった神殿を特定する活動を行う研究者のネットワークを拡大しつつある。

こうした活動が実を結び、ここ数年、ダラス美術館やニューヨークのルービン美術館などから文化財が相次いで返還された。また、先出のヴィシュヌ神像も含め、METの所蔵品返還にも貢献している。

オンライン上の情報削除という新たな問題

メトロポリタン美術館からネパールに返還された11世紀のシヴァ神像(通称ウママヘシュワー神像)。カトマンズの考古学局で運送用木箱に入れられた様子(2018年撮影)。Photo: AFP via Getty Images

略奪文化財返還の機運が高まるにつれ、返還の手続を進めたり、美術館が公に非を認めたりする際には数々の問題がある。

美術界には美術品を所蔵品から除外する際の厳格な倫理規定があり、その中には美術館が全ての記録を保存するよう義務づける条項も含まれている。しかし、METに所蔵されていた文化財が本国へ送り返された際、METのウェブサイトにあるオンライン・コレクションからその情報が削除されたケースが複数あった。削除の迅速さは、倫理規定の専門家も驚くほどだったという。こうしたオンライン上の情報削除は、透明性を損い、略奪文化財を取り戻そうとする努力を妨げるとの批判の声が上がっている。ヴィシュヌ神像の場合も、現物がまだMETの展示室にあるうちから、すでにウェブページは削除されている。

国際博物館会議(ICOM: International Council of Museums)で倫理規定改訂プロジェクトを進めているサリー・M・イェルコヴィチは、「記録を残すことは、その美術品の来歴に関する情報を保持するために必要なことです。持っている情報をできるだけ多く開示し、共有してもよいと考える情報は全て共有するのが理想的です」と話す。ちなみに、倫理規定改訂プロジェクトは、2025年の完了を予定している。

博物館・美術館にとって、所蔵品が略奪されたものだったと認めて返還するのは、恥ずべきことと感じられるかもしれない。しかし、文化財返還の専門家によれば、文化施設はその決定に関する情報を、常に一般市民に公開する責任がある。返還された所蔵品に関するオンライン上の情報を削除すれば、歴史的な記録が不完全なものになりかねない。

ボストン美術館で所蔵品の来歴調査担当キュレーターを務めるヴィクトリア・リードは、US版ARTnewsの取材に対し、「ボストン美術館は、公共信託により所蔵品を保持する公共施設です。一般公開されている展示室から特定の所蔵品を撤去する責任を負う場合には、その理由を美術館利用者に説明する責任もあります」と答えている。

ボストン美術館は、文化財が返還された後もオンライン上の情報を保持し、返還の事実とその理由に関する情報を追記している。たとえば、2022年4月に返還されたマリのテラコッタ彫刻についてのページは今も公開されていて、2013年に始まったマリ政府との協議を経て返還に至った経緯も簡潔に記されている。

METは返還した所蔵品の情報を削除する慣行について、キュレーター、所蔵品管理者、記録担当者、法律顧問の合議で決定された方針に従っていると説明している。一方で広報担当者は、ボストン美術館など他の美術館にならい、返還した美術品の情報を引き続きオンライン上で掲載することを検討していると述べた。

それは、美術館として最低限果たすべき義務だというのが、ネパールで文化遺産復興を推進するNPOのディレクター、Alisha Sijapatiの考えだ。彼女はこう話す。

「なぜ削除したのでしょう。過去に起きたことの責任は取りたくないということなのでしょうか」

(翻訳:清水玲奈)

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