投機熱は後退、「ここ数年で最高」──スイスのアート・バーゼル2026に見る「健全な市場」兆候

アート・バーゼルのVIPプレビュー初日は、2025年を上回る勢いで取引が成立した。ハウザー&ワースによるピカソの3500万ドル(約51億円)の販売をはじめ、主要ギャラリーが軒並み好調な売れ行きを報告。ディーラーたちは、「投機熱」ではなく、より持続可能な市場環境への変化を強調した。

Pablo Picasso's 1963 painting "en plein air" which sold for $35 million at Hauser & Wirth. Courtesy Art Basel
ハウザー&ワースから出品され、3500万ドル(約56億円)で売却されたパブロ・ピカソ《en plein air(戸外にて)》(1963)の展示風景。Photo: Courtesy Art Basel

6月15日のファーストチョイスで幕を開けた本拠地スイスでのアート・バーゼル2026。それに続くVIPプレビューの最終日である6月17日までに、会場であるメッセ(Messe)では開場直後から次々と取引が成立し、昨年のVIPプレビューでの売上を上回ることが既に明らかになっていた。こうした力強い売れ行きにもかかわらず、ディーラーたちはUS版ARTnewsに対して、「これはコロナ禍後に見られた投機熱に支えられた狂騒的な買いの復活ではない」と口を揃え、とりわけ高額作品に関しては「より慎重で落ち着いた市場環境」だと強調した。

午後遅くなりコレクターの姿がまばらになると、筆者は複数のディーラーから「もう少し後で戻ってきてほしい。すぐに取引がまとまりそうだから」と声をかけられた。たしかに、高さ約2メートル、幅約4メートル、奥行き約1.8メートルというヘンリー・ムーアの巨大ブロンズ彫刻《Large Four Piece Reclining Figure(横たわる人物像・四分割)》(1972〜73年制作、1984年鋳造)のような作品を売るには時間がかかる。晩年のムーアによる同様の横臥人物像シリーズは、過去に3270万ドル(約52億3200万円)で落札されたこともある。この作品を出品していたガゴシアンは価格を公表しなかったが、17日の閉場時点でもまだ売約には至っていなかった。一方で同ギャラリーは、1984年制作のウィレム・デ・クーニングの絵画1点を「アジアの重要な個人コレクション」に「7桁台後半の高額」で販売したと発表している。

ピカソ56億円が牽引、主要ギャラリーが好調な滑り出し

この日の最高額取引を記録したのは、やはりというべきか、ハウザー&ワースだった。同ギャラリーはパブロ・ピカソの1963年の絵画《en plein air(戸外にて)》を3500万ドル(約56億円)で販売したほか、午後4時までに計35作品を売却。その中には、サイ・トゥオンブリーの《On Returning from Tonnicoda(トニコーダからの帰途にて)》(1973)の500万ドル(約8億円)、《Sperlonga Drawing(スペルロンガ・ドローイング)》(1959)の250万ドル(約4億円)、そしてルイーズ・ブルジョワの《Les Fleurs(花々)》(2009年)の250万ドル(約4億円)が含まれる。共同創業者のイワン・ワースは声明で、「これまで経験した中でも最も力強い初日のひとつだった」と述べた。

「人々はアート・バーゼルのために、つまりアートを見るためにバーゼルへ来るのであって、それ以外の理由はありません」

ハウザー&ワースのプレジデント、マルク・パヨはそう語り、「すでに素晴らしい売上を記録していますし、まだ成立していない案件にも驚くほど大きな可能性があります」と述べた。彼によれば、最終的には非常に好調だったが取引成立までにはもっと時間がかかったという昨年のフェアに比べ、「今年は昨年よりも勢いが強いように感じる」という。というのも、多くの取引がより早い時間帯に成立しており、アメリカ人を含む幅広い国際的コレクターが購入しているという。

バーゼルでの好調なスタートは、それほど意外なことではない。歴史的作品やキャリアの確立したアーティストへの需要の高まりを示し、成長基調を示した5月のオークションシーズンの勢いを引き継いでいるからだ。市場関係者の間では、長く続いた調整局面をようやく抜け出しつつあるという見方が広がっている。出展ギャラリーもその流れを反映するように、モダンアートや戦後美術と並んで、存命アーティストや若手アーティストの作品を展示していた。

「大きく勝つか、さもなくば退場か」──二極化が進むアート市場

しかし、ギャラリー閉鎖が相次ぐ市場環境のなかで、コンテンポラリー作品が今後どのような評価を受けるのかについては、依然として不透明な部分も残っている。

「ミドルマーケットは、ある意味で忘れられてしまっているように感じます」

アート・パートナーズ・アドバイザリーの創業者、ヘイリー・ウィドリグはそう述べた。彼女によれば、バーゼルに出品された作品の大半は、200万ドル(約3億2000万円)以上の超高額作品か、あるいは2万5000〜15万ドル(約400万〜2400万円)の比較的低価格帯のいずれかに二極化しているという。

「市場の格差は、これまで以上に広がっています。ブース全体から、『大きく勝つか、さもなくば退場か(go big or go home)』というような姿勢が感じられます」

アート・バーゼル2026のPaceの展示風景。Photo : Sebastiano Pellion di Persano

それでも初日、ディーラーたちはある意味で安心していた。確立した市場を持つ存命アーティストの作品ではあるものの、コンテンポラリー作品が、より「安全」と見なされる歴史的作家の作品と同程度、時にはそれ以上に売れていたからだ。Paceは正午までに、約20のコンテンポラリー作品を世界各地のコレクターに販売したと発表した。所属作家とスタッフを削減するという最近の発表も後押しし、Paceのブースは人で溢れ返るような活気に包まれていた。筆者が訪れたときにはスタッフのひとりが身を乗り出してCEOのマーク・グリムシャーに、ラリー・ベル(Larry Bell)の《Glass Box with Ellipses(楕円付きガラスボックス)》(1964)が47万5000ドル(約7600万円)で売れたことを報告していた。

ニューヨーク発のギャラリー、マリアンヌ・ボエスキー(Marianne Boesky)も同様に、活気あふれる一日を過ごした。1990年制作のメアリー・ラブレース・オニール(Mary Lovelace O'Neal)の絵画をヨーロッパの美術館に150万ドル(約2億4000万円)で販売するなど、ブースの大半が売約済みになったという。ボエスキーは、「25年間このフェアに参加してきたなかでも、最も力強いエネルギーを感じた日のひとつ」と振り返った。

メアリー・ラブレース・オニール《Purple Rain, from the Two Deserts》(1990年代、「Three Winters」シリーズより)Photo: ©Mary Lovelace O'Neal/Courtesy the artist and Marianne Boesky Gallery, New York and Aspen

ニューヨークのグレイ・ギャラリー(Gray Gallery)は、先週亡くなったアート界の伝説的存在、デイヴィッド・ホックニーの作品を複数出品していた。2014年の絵画《Studio Interior #2(スタジオ・インテリア #2)》は850万ドル(約13億6000万円)で売れ、同じく2014年制作のiPadドローイングをプリントした作品は65万ドル(約1億400万円)で販売された。また同ギャラリーは、ケネス・ノーランドの《No End(終わりなきもの)》(1961年)を200万ドル(約3億2000万円)、ジャウメ・プレンサ(Jaume Plensa)の大理石彫刻を55万ドル(約8800万円)で販売したことも明らかにした。

グザヴィエ・ユフケンス(Xavier Hufkens)では、宙に浮かぶ2人の人物が抱き合うルイーズ・ブルジョワの彫刻《Couple(カップル)》(2002年)が220万ドル(約3億5200万円)で売れた。また、トーマス・ハウセゴ(Thomas Houseago)による巨大なフクロウの彫刻3点(エディション作品)も、それぞれ55万ドル(約8800万円)で販売された。ユフケンスは「アート・バーゼルは依然として一年で最も重要なフェアです。力強く始まり、その勢いを維持します」と語った。

投機家に代わり、美術館と欧州コレクターが存在感

この言葉は、初日のディーラーたちの間で繰り返されていたテーマを象徴しているようにも思えた。すなわち、若い姉妹フェアであるパリに存在感を奪われつつあるという見方に対し、バーゼル本展の重要性をあらためて擁護するというテーマだ。

「アート・バーゼルは改めて、世界最高のアートフェアであることを証明しました。作品の質と量、その両方においてです。パリも素晴らしいし、アメリカ人がパリを好む理由も理解できます。でも、規模には限界がある」

タデウス・ロパックはこう語り、「ここでは大きな作品も、大胆な作品も展示できる。まったく別のスケールなんです」と続けた。

ロパックによれば、同ギャラリーはピエール・スーラージュの《Peinture(絵画)》(1954)を300万ドル(約4億8000万円)超、ヘレン・フランケンサーラーの《Sudden Wave(突然の波)》(1982)を約300万ドル(約4億8000万円)で販売した。また17日には、イタリアの彫刻家、レオンチッロ(1915〜1968)の遺産管理団体の取り扱いを開始したことも発表した。フェア会場では、ジョルジョ・モランディを想起させるアースカラーで彩られた、手びねりによる3本の粘土の柱状作品が展示されていた。

ロパックは「ここ数年で最高のアート・バーゼルです」というが、それ自体に驚きはないという。「2024年と2025年は、アート市場にとって容易な年ではありませんでしたから」というのがその理由だ。5月のオークションでは高額作品の多くがアメリカ人コレクターの手に渡ったが、アート・バーゼルを牽引しているのは明らかにヨーロッパのコレクターであり、VIPプレビュー期間、ロパックのブースで最も多く購入したのも彼らだったという。

デイヴィッド・ツヴィルナーはUS版ARTnewsに対し、プレビュー期間の販売を含め、午後遅くまでに計57件の取引が成立したと明かした。これは昨年の同フェアを上回る数字だという。2025年は少数の高額作品が全体の売上を押し上げていたが、「今年は違います。非常に幅広い」とツヴィルナーは説明する。約40人のアーティストを扱っており、「つまり、私たちが扱う多くのアーティストに対して、幅広い支持が存在しているということです」と付け加えた。同ギャラリーはヨーゼフ・アルバースの絵画3点を、それぞれ65万ドル(約1億400万円)、80万ドル(約1億2800万円)、85万ドル(約1億3600万円)で販売した。

ツヴィルナーはまた、若手現代アーティストのオークション再販市場が低迷していることを、彼らへの関心の低下と混同してはならないとも警鐘を鳴らした。

「ごく若い作家の作品の2次市場は減速しています。そして、それこそが私たちの望むことです。若手市場から投機的な熱狂は消えました。それは素晴らしいニュースです。でも、私たちが扱う比較的若いアーティストたちへの関心は、とても高いままです」

ゲオルク・バゼリッツ《Ach, Mädchen grün》(2010年)。タデウス・ロパックで120万ユーロで販売された。

今年、ツヴィルナーは大型作品部門「アンリミテッド(Unlimited)」に、実に6つものプロジェクトを出展した。初日終了までに、イザ・ゲンツケン(Isa Genzken)のインスタレーションを120万ユーロ(約2億2320万円)でヨーロッパの美術館に販売している。これはアンリミテッド部門の新ルールを積極的に活用した結果でもある。今回から初めて、展示作品を単独作品として販売する義務がなくなったのだ。ツヴィルナーはその変更をいち早く利用し、1993年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されたフィリップ=ロルカ・ディコルシアの展覧会を丸ごと再現したほか、トーマス・ルフによる9月11日をテーマにした12点の写真作品を展示した。これらはフェア終了後、ツヴィルナーのギャラリーを巡回する予定だという。

「ここでの仕事の仕方は刷新されました。ここで質の高い展覧会を開催し、その後、どこへでも持っていける。私たちは、そういうことが可能だと気づくのが、ほかのギャラリーより少し早かったのかもしれません。だからこそ、今回これほど多くの企画を実現できたのです」

このほかにも、17日には7桁ドル規模の取引が相次いだ。アルミン・レッシュではピカソ作品が650万ドル(約10億4000万円)、タデウス・ロパックではルーチョ・フォンタナが180万ユーロ(約3億3480万円)、ゲオルク・バゼリッツが120万ユーロ(約2億2320万円)、アレックス・カッツが120万ドル(約1億9200万円)で売れた。シュプルート・マガースではヨーゼフ・アルバース作品が250万ユーロ(約4億6500万円)、ホワイト・キューブではリン・ドレクスラー(Lynne Drexler)が250万ドル(約4億円)、ドリス・サルセド(Doris Salcedo)が125万ドル(約2億円)で販売された。さらに、ヤレス・アート(Yares Art)ではヘレン・フランケンサーラーが200万ドル(約3億2000万円)、ジョアン・ミッチェルが120万ドル(約1億9200万円)、デイヴィッド・コルダンスキーではジョナス・ウッドの絵画が150万ドル(約2億4000万円)で売れている。

新導入「バーゼル・エクスクルーシブ」の成果

投機的な熱狂という点について言えば、ギャラリー関係者たちは、VIPプレビュー最終日の安定した堅実な売れ行きのリズムがはるかに健全だと語っていた。ポーラ・クーパー・ギャラリーのシニア・パートナー、スティーヴン・P・ヘンリーは、「初日の売れ行きは最初から最後まで力強く、しかも均一でした」と話す。近年のアート市場の冷え込み以降に顕著になったトレンドとして、買い時をうかがっていた投機家の姿は以前より減っているという。「全体として見れば、より健全なエコシステムになっています」

ヘンリーによると、投機家が市場から姿を消したことで、美術館などの機関が以前より積極的になっているという。作品の選択肢が増え、購入を検討する時間も確保できるようになったからだ。

ポーラ・クーパーは、メインセクターに出展する多くのギャラリーと同様、今年新設された「バーゼル・エクスクルーシブ(Basel Exclusive)」に参加した。これは、重要作品をフェア開幕まで取っておき、初日にお披露目するというプログラムだ。同ギャラリーが選んだのは、クレス・オルデンバーグが海岸で拾い集めた木片を素材にして1960年に制作した、旗をモチーフとした作品《Lighthouse Flag Provincetown(灯台旗・プロヴィンスタウン)》で、約15万ドル(約2400万円)の価格がつけられていた。

他のギャラリーも同様に、エクスクルーシブ枠には質の高い作品を用意していた。そのなかで最も高額だったのは、おそらくヘリー・ナーマッドが出品したピカソの大型肖像画《Homme Assis(座る男)》(1972)だろう。価格は3000万ドル(約48億円)で、本稿執筆時点では、まだ購入者は決まっていなかった。

中小ギャラリーが見せた新しいキュレーション

中小規模のギャラリーが多く集まる上階でも、会場の熱気は変わらず高かった。

トビリシのLCクエシエ(LC Quessier)のアソシエイト・ディレクター、ニナ・バフタゼは、「信じられないほど好調です」とコメントした。同ギャラリーは昨年まで出展していた新興ギャラリー向け部門「Premiere」から昇格し、今年初めてメインセクターに参加している。ブースでは複数の作品が売れ、その中にはセル・セルパス(Ser Serpas)の大型絵画複数点も含まれていた。特に印象的だったのは、ジョージア出身のアーティスト、トリア・アスタキシヴィリ(Tolia Astakhishvili)の映像作品《so many things I'd like to tell you...(あなたに伝えたいことがたくさんある……)》(2020〜25)。この作品はすでにMoMA PS1のコレクションに収蔵されている。また、アスタキシヴィリは6月20日にウィーンのムモック(MUMOK)で開幕する展覧会「Figure of a Child(子どもの姿)」にも参加する予定だ。さらに同ギャラリーは、ジョージア近代美術を代表する画家カルロ・カチャラヴァ(Karlo Kacharava)の1989年の絵画も展示していた。

LCクエシエのプレゼンテーションは、今年のアート・バーゼルを象徴する特徴のひとつを示していたといえる。すなわち、優れた現代作家の作品と、これまで十分な評価を受けてこなかった歴史的作家を組み合わせた、思慮深いキュレーションのブースが数多く見られたことだ。もうひとつ特筆すべき展示はロンドンのアルカディア・ミッサ(Arcadia Missa)で、故ドイツ人アーティスト、イルマ・ヒューナーファウト(Irma Hünerfauth、1907〜1998)による宝飾を思わせる繊細なキネティック彫刻のシリーズを紹介していた。ヒューナーファウトの作品がアートフェアに出展されるのは今回が初めてだ。その隣には、杉原玲那が今年制作した、有機的なフォルムが赤褐色の層をなして広がる抽象絵画が並べられていた。(翻訳:編集部)

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