市原研太郎評:Mind the gap, please!(ギャップにご注意!)グローバル化ただなかのアートフェア【前編】コロナ禍以前

新型コロナウイルスのパンデミックがもたらした世界を分断する諸々の制約が緩和されつつある2022年の中盤、注目すべきアートフェア開催のニュースが伝えられ、久々にアートの世界を活気づけている。5月、ニューヨークで立て続けにIndependent(写真①)、NADA(写真②)、Frieze、そしてアジアの香港でArt Basel Hong Kong。6月スイスのバーゼルでは、質量ともに世界最大のフェアArt Baselが開かれている。

写真① Independent NY(2022年) 撮影:市原研太郎(以下同)
写真② NADA NY (2022年)

パンデミックでも勢いを増す世界のアートマーケット

思い返せば、パンデミックが本格化した2020年3月以降、アートフェアが行われなくなったわけではない。だが中止を免れたとしても、時期がずらされたり展示の規模や形態が変更されたりした。また、厳しい検疫による国際的な移動の困難を考慮して、フェアのウェブサイト内のオンライン・ビューイングルームで、参加ギャラリーが提供する作品を間接的に鑑賞させられてきた。

新型コロナ禍というまさにグローバル化を逆なでする不可避的な出来事で、2020年のアートマーケットはリーマン・ショック以来の後退を余儀なくされたのだ。しかし、Art Basel|UBSの22年版“Global Art Market Report”によれば、21年に入って未だ収束しないパンデミックを尻目に、マーケットはすでに回復基調にあり、その売り上げは651億ドル(2021年の平均レートを1ドル=110円で換算すると7兆円超)に達するという。これは、19年のマーケット規模を上回る数字だそうだ。

実は、私は新型コロナのパンデミック発生以前に、アートマーケットの急激な伸長について耳にしていた。それは、いみじくもアートフェアに付随するトークイベントでのことだった。2019年、Art Basel Hong Kongの会場の一角に設けられたConversationsのプログラム(写真③)で、上述のリポートの執筆者、クレア・マッキャンドルー(写真④)が出席したディスカッションを傍聴したのである。そのとき彼女は、投影された円グラフを指し示しながら7兆円という総額を口にした。その7兆円の丸いグラフのパイには各国の取り分の内訳が記されていた。45%がアメリカ、15%がイギリスと中国だったと記憶している。残念ながら、そのなかに日本の名前はなかった。


写真③


写真④ 右端がクレア・マッキャンドルー

数字の正確さを期すために、2021年版の“Global Art Market Report”から各国のシェアを書き抜いておこう。それによれば、新型コロナのパンデミックにより前年比で20%以上落ち込んだ20年の総売り上げ501億ドル(2020年の平均レートを1ドル=105円で換算すると5兆円超)のうち、アメリカ42%、イギリスと中華圏20%、その残りの部分をヨーロッパ(フランス6%、ドイツとスイス2%、スペイン1%)と、その他(7%)が占めている。

比較のために、別のアートマーケット・リポートの数字を引用しておく。「日本のアート産業に関する市場調査2021」(エートーキョー〈株〉・〈一社〉芸術と創造)によれば、2020年のデータを基にした推計で、日本のアートマーケットの規模は2000億円超と試算されている。この数字が真実なら、日本がArt Basel|UBSの提示した円グラフの3~4%を占めていてもおかしくない。統計の算出方法がかなり異なっているため一概に断言できないが、円グラフに日本の表示がなかったことは、日本のマーケットが世界のアートシーンからなんらかの理由で蔑ろにされている証拠ではないか?

ここで世界のアートシーンとは、先述のように新型コロナのパンデミック下にもかかわらず旺盛に活動するグローバルなアートマーケットを意味する。もちろんアートはマーケットのみで構成されるわけではないので、アートシーンをマーケットに限定できない。けれども、7兆円の経済規模に膨張したマーケットは絶大な力を発揮する。その影響がじわじわと浸透していった過程が、過去30年にわたるアートの世界的拡大(グローバル化)なのだ。

なぜ、意図的でないにせよ日本のシェアが世界のマーケットから抜け落ちているのか? 前述の円グラフに日本の名前がないのなら、グローバルなアートマーケットから日本が取り残されている(あるいは初めから計算外だった)のか? まずは、グローバルなアートマーケットがいつどのように形成されたのか、その歴史をアートフェアの出現とともに簡単にたどり直しておこう。


アートマーケット国際化の鍵はアートフェア

Art Basel(写真⑤)は、1970年にスイスのバーゼルで開始された。その前からあったのは、1967年に創設されたドイツのケルンで行われているアートフェア(どちらかというとモダンアートに重点が置かれる)である。このようにアートにおけるフェアの起源は、思い抱くほど古くない。今でこそ人目を惹(ひ)く華やかなフェアがマーケットのシンボル的存在になっているが、マーケットを構成する基本的な単位は、言うまでもなく様々な都市に散在するコマーシャル・ギャラリー(*1)である。


*1 作家と契約し、作品を展示販売することで収益を上げるギャラリーのこと。ほかには場所を作家に貸し出すレンタルギャラリーがある。


写真⑤ Art Baselメイン会場のエントランス(2019年)

フェアは、アートの中心で開催されるのが定石である。なぜなら、フェアは作品の売買を主目的とした商品見本市ではあるけれども、ギャラリーや所属アーティストの宣伝や情報の交換をする場所でもあるからだ。中心で行われるフェアには、顧客をはじめアート関係者が参集する。したがって、フェアのあるところがアートの中心と仮定して差し支えない。Art Baselはスイスの一地方都市のバーゼルで開催されるが、ヨーロッパという広域のアートの中心に属していて、大小のギャラリーが軒を並べるパリやロンドンやベルリンからの距離が近い。しかも現在では、バーゼルは大手や有力ギャラリーが本店や支店を構えているのだ。

このアートフェアが世界規模に展開される、つまり中心が世界規模に拡張あるいは多数化するとき、アートマーケットがグローバル化したと認知してよい。アートの活動のシンボル的存在としてのフェアが、その中心を世界に押し広げるからだ。しかもフェアの参加ギャラリーが、特定の地区(たとえばドメスティック)にとどまることなく出自が広く国際的になったとき、名実ともにグローバル・マーケットが成立することになる。

しかし、それが現代アートのショーケース(販売のみならず宣伝やコミュニケーションの場)になる道のりは険しかった。理由は、現代アートが現在のように人口に膾炙(かいしゃ)するのに時間がかかったからである。Art Baselが始まった1970~80年代は、ヨーロッパでも現代アートはマイナーな文化活動であり、一般大衆は現代アートに関心を寄せるどころかほとんど無知だったのだ。現に私がArt Baselを初めて訪れた80年代中頃のフェア会場は閑古鳥が鳴いていた。人気のないギャラリーのブースには、リヒターの小品とスイスを代表する現代アーティスト、ジョン・アームレダー(John Armleder)の作品が寂しげに並んでいたことを覚えている。

アートマーケットのグローバル化は、1990年代に始まる。その出発の先鞭(せんべん)をつけたのが、ニューヨークのThe Armory Show(写真⑥)だった。The Armory Showの前身はThe Gramercy International Contemporary Art Fairという名称のローカルなホテル・フェアである。1994年の初回を組織したニューヨークの最先端ギャラリーのオーナー、コリン・デ・ランドとパット・ハーンは、すでにこの世にいない。


写真⑥ The Armory Showのフェア会場エントランス(2020年)

次に新たに行われた重要なフェアは、21世紀に入ってアメリカのマイアミのArt Basel Miami Beach(2002年~)とロンドンのFrieze(2003年~)である。Art Basel Miami BeachとFriezeは、私も現場にいたのでよく覚えているが、折からのバブル景気で浮かれ騒ぎの盛り上がりを見せていた。2008年のリーマン・ショックに襲われるまでは。

以上の3つのフェア(The Armory Show、Art Basel Miami Beach、Frieze)の所在地を知って、これらがアートの中心の欧米で開かれていることを訝(いぶか)しく思う向きもあるのではないか。これではマーケットのグローバル化になっていない。まったくその通りである。これは、2000年を挟んで前後の10年間が、フェアが少数のコレクターやディレッタント(*2)やスペシャリストに向けてではなく、一般大衆の嗜好(しこう)に合致するよう、アートの中心(欧米)の住人の教化に費やされたためである。グローバル化の戦略の一環にある大衆啓蒙(けいもう)といえば聞こえはよいが、けっして成算があって実行されたことではない。


*2 芸術を趣味として愛好する人。


アジアに波及するアートフェアと日本の立ち位置

とはいえ、その期間が、結果的にアートマーケットのグローバル化に向けた地ならしと助走になったことは間違いない。マーケットは、リーマン・ショックという想定外の厚い壁に阻まれたが、その後遺症から立ち直るのも早かった。2010年代に入ると、フェアは早速次なる一手を打つ。ついにアジアに触手を伸ばしたのだ。それが、13年のArt Basel Hong Kong(写真⑦)の誕生である。この事業に加わったのが、23年東京(正確には横浜)で開かれる新しい国際的なアートフェア、東京現代(Tokyo Gendai)の設立者の一人、マグナス・レンフリューだった(このトピックについては後編にて)。


写真⑦ Art Basel Hong Kong会場ロビー(2019年)

以上のように、21世紀初頭のアートマーケットはグローバル化の色合いを濃くしていったのだが、この世界的な動向は日本でどう反響したのか? そして、その帰趨(きすう)は? 上掲のアートフェアに参加した日本のギャラリーはあった。そのなかに、1990年代から2010年代にかけてグローバル化の波に乗ったギャラリーはあったのか? この包括的なグローバル化の主役となったバーゼルのArt Baselを例として引けば、出展する日本のギャラリーが過去20年の間に漸減している。そして、新型コロナのパンデミック直前には参加ギャラリーが3軒にとどまったのだ(2022年の現在も同数)。

同じArt Baselでも、香港のArt Baselとなると事情は異なる。アジアで開催されるアートフェアということで、初回から複数の日本のギャラリーが出展した。そしてパンデミック以前の2019年には、参加ギャラリーは20に達した。このようにバーゼルと香港で違うのはどうしてだろうか? その答えは、地理上の優位が如実に現れるというものである。東京から香港まで空路で5時間、バーゼルまでは17時間。これが、欧米のギャラリーでは逆転する。香港は、端的に日本のギャラリーが進出しやすい交通の便のよいアジアの要衝にあるのだ。

地理上の条件だけではない。出展ギャラリーの選考基準が、両都市で異なる。それは、グローバル化の下でもっぱらローカル(地元)への配慮によって生まれる偏差である。Art Baselの主催者が巧妙に仕組むグローバルのブランディングとローカルのマーケティングの見事な融合といえばよいか。日本のギャラリーも、このローカル(アジア枠)の恩恵に浴している。その結果、香港では歴史的に日本に多大な影響を及ぼした中国の伝統的絵画である水墨画の展示が目立つ。このようにローカルなマーケットへの気配りはあるけれども、会場を見渡せばわかる通り、展示作品のメインはモダンアートから現代アートへの流れであり、それがバーゼルと香港のフェアに共通する展示のバックボーン、つまりグローバルスタンダードになっているのだ。

このバックボーン(グローバルスタンダード)について詳しく説明しなければならない。というのも、これがArt Baselのみならずグローバル化したアートフェアの展示の理念(規範的価値)になっているのだから。一般にアートの評価基準は、美的価値と美術史的価値によって形作られる。美学は様々な試行錯誤を経て歴史的に推移してきたので、そのレパートリーはどのような形式・内容の作品にも対応できるまで豊富になった。この美的価値のインフレーションは、アートマーケットにとって都合よく作用する。ポストモダン以降、表現が無限に枝分かれして収拾がつかなくなったからだ。おもちゃ箱をひっくり返したような状況に落ち着きを取り戻してくれるのが、美的要素の多様性であり、極言すれば全ての作品に美点が見いだされ、それだけで商品価値を持つにいたる。アートフェアに参加したギャラリーが共存共栄できるのも、この多様性の保証があるからである。

他方の美術史に基づく価値が重要である。この通時的コンテクストを、現代アートのヘゲモニー(*3)を握る欧米のギャラリーが放棄することはない。フェアの背景にあるこのバックボーンが揺らぐようなことがあれば、おそらくアートマーケットのグローバル化はなかっただろうし、またグローバル化したアートマーケットも持続することはないだろう。欧米がけっして譲れない美術史とは、モダンアートからポストモダンアートまでの歴史であり、それが現代アートを支える確乎とした枠組みとしてあるという事実なのだ。


*3 人物や集団が、権力や地位を長期間持つこと。

だが、美術史的価値の2つの源泉が枯渇しようとしているとすればどうだろうか。モダンアートに価値を授けてきた重厚な〈物質〉は、ポストモダンの軽佻(けいちょう)な〈シミュラークル〉(*4)に取って代わられたが、その〈シミュラークル〉が今や揮発し、終わらないとされたポストモダンがいよいよ消尽の間際にある。そこで、この表現のパラダイムの空白と終焉(しゅうえん)に臨んで2010年代に編み出された現代アートの狡猾(こうかつ)な延命策が、モダンとポストモダンのシンクレティズム(*5)なのだ。作品の評価は、その2つのパラダイムを組み合わせた強度によって決定される。それが、新型コロナウイルスの感染が世界を席巻する直前の現代アートの紛れもない様相だった。


*4 フランス語で「模造品」や「虚像」などを意味する。現実のものから解き放たれた模造品を指す。
*5 宗教や哲学など異なる背景を持ちながら互いの立場を妥協させようとすること。

後編へ続く

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