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訃報:ブレやボケで写真表現に革命を起こしたウィリアム・クラインが死去。1961年の東京を捉えた写真集、森山大道と2人展も

  • 2022年9月21日
  • INTERNATIONAL

Text: Tessa Solomon

#訃報

皮肉を交えたファッション写真と、都市にみなぎる刺激的なエネルギーを生き生きと伝えるストリートフォトで写真界に革命を起こしたアーティスト、ウィリアム・クラインが9月10日、パリで亡くなった。享年96歳。東京都写真美術館の『PARIS+KLEIN』展(2004)や、ロンドンのテート・モダンでの森山大道との2人展(2012)など、日本との関わりも深い。

パリのポルカ・ギャルリーで開催された個展「Fashion + Klein(ファッション+クライン)」の一般向けプレビューに出席した写真家・映画監督のウィリアム・クライン(2021年11月11日) WireImage

クラインが亡くなったのは、ニューヨークの国際写真センター(ICP)で開かれていた回顧展の会期終了が迫りつつある時だった。同展は、60年にわたる彼のキャリアが写真界にもたらした大変革を振り返り、その業績を称えるために企画された。

20世紀を代表する写真家だったクラインは、絵画、彫刻、長編映画、ドキュメンタリーなども手がけ、多岐にわたる作品を遺している。ミニマリズムが支配した時代も、人間性を最大限まで引き出すことを信念とし、都市の持つ高揚感、暴力性など他に類を見ない美を追求した。その作品は写真の常識にとらわれず、コントラストの強いモノクロ写真、広角レンズ、露出オーバーのネガなどを用いて、静止した被写体でも動いているかのように表現している。

中でも得意としたのは即興的なポートレート写真だ。たとえば、1959年にモスクワで撮影されたビキニ姿の女性は、写真からはみ出しそうなほどの躍動感にあふれている。また、代表作の《Gun 1, New York(銃1、ニューヨーク)》(1954)では、敵意をむき出しにしたような表情でこちらに銃口を向けている少年と、その姿を憧れのまなざしで見つめるもう1人の少年を捉えている。クラインはこれを二重の自画像と呼んだ。

当時見ても危うさを感じる作品だったろうが、米国がすっかり銃社会になってしまった今、クラインのカメラが予見していた未来が現実になったことを思うとゾッとする。さらに、無名の一般人だけではなく影響力の大きい著名人にも関心を持ち、モハメド・アリや、ブラックパンサー党の初期リーダーで作家のエルドリッジ・クリーヴァーを捉えたドキュメンタリーも制作している。

クラインは、1928年ニューヨークのマンハッタン生まれ。ルーズベルト政権が成立させた退役軍人援助法を利用し、48年にパリのソルボンヌ大学に留学して絵画と彫刻を学んでいいる。一時はフェルナン・レジェにも師事したが、伝統的な教育とはすぐに決別することになった。レジェはクラインに、「美術館の外に出なさい。街の建物を見なさい、通りに出なさい」と説いたと伝えられる。

この含蓄のあるアドバイスのおかげで、クラインはストリートフォトの先駆者となった。56年に初めて出したニューヨークの写真集を皮切りに、50年代から60年代にかけて、ローマ、モスクワ、東京を舞台にしたエキサイティングな写真集を次々と発表。都市生活のありのままの姿を大胆に切り取った写真で世の中に衝撃を与えた。

この都市4部作では、暗くてぼやけた写真の中で人々の顔が重なり合い、モノクロの波のような群衆がページにあふれている。重苦しく不安を煽るような作品だと批評する評論家がいたことについて、クライン自身は2012年、英オブザーバー紙にこう述べている。「下品な作品だから出版されるべきではないと批判し、写真集の偉大で神聖な伝統が汚されたといらだちを感じた人がいたことは確かだ」

クラインはまた、ヴォーグ誌のスタッフフォトグラファーとして活躍した10年の間、高級ファッションから堅苦しさを取り払い、人種差別にも挑もうとした。たとえば、マンハタンのローワーイーストサイドで行われたストリート撮影では、廃業した理髪店の建物を安っぽいピンク色に塗り、それを背景にスタイリッシュなファッションの白人モデル2人を撮影。また、白いスーツを着た黒人の男性を呼び、道路に面したウィンドウの中でモデルたちとポーズを取らせたこともある。しかし、ヴォーグ誌に出た写真では、編集者によって黒人男性はトリミングされた。

クラインは挑戦をやめず、ピンボケや手ぶれがあったり、広角レンズを使ったりして、ふざけたような写真をあえて撮影し続けた。特に多かったのは、エレガントに着飾ったモデルを街の雑踏の中で撮影したもので、10年間ずっとヴォーグ編集部との根比べを繰り広げたという。

その頃には映画制作も始めている。初作品は、タイムズスクエアのネオンサインに捧げる11分間の視覚的なオマージュ「Broadway by Light(光のブロードウェー)」だ。デビッド・カンパニーがキュレーションを手がけた国際写真センターの回顧展では、この短編映画が会場でループ上映されたほか、モデル業界の実像を辛辣に描いた長編映画「ポリー・マグー、お前は誰だ」の上映も行われた。さらに、20世紀半ばの黒人の生活と文化をテーマに、歴史的瞬間や人物を描いた映画からの抜粋も展示された。

96年にインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙でクラインについて書いたキャサリン・ノールは、こう評している。「クラインの作品は、現代のアメリカ映画よりずっと前から見せてくれていた。高尚なものからモーニングサービスに至るまで、点滅するネオンが集まってできた万華鏡のようなアメリカの都市を」(翻訳:清水玲奈)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年9月12日に掲載されました。元記事はこちら

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