女性の業績と成功事例──リンダ・ノックリン著「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか」Vol.3【アートで祝う国際女性デー】

発表から50年以上を経た今なお、リンダ・ノックリンによる論考「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか」を読む意味は大きい。4回にわたって紹介するこの論考のVol.3となる今回は、女性の業績と成功事例について。

Marie-Denise Villers《Young Woman Drawing 》(1801)メトロポリタン美術館蔵 Photo: Wikimedia Commons

女性の業績

脇目も振らず仕事に集中し、全力でそれに取り組むことを求められていた工房の親方と対照的なのが、19世紀の礼儀作法書によって確立され当時の文学作品によって強化された、「絵を嗜むレディー(lady painter)」のイメージだろう。育ちのいい若い女性なら、当然自分のことよりも周囲の人たち(家族や夫)の世話を優先させたいと考えるものだ。そのような女性には、上手だが出過ぎることのないアマチュアという立ち位置がふさわしい。まさに、自分で自分を貶めるようなこの考え方こそ、昔も今も女性が真の偉業を成し遂げるのを阻んできたのだ。

このような考え方からすると、女性の真剣な取り組みは、軽薄な自己満足や手なぐさみ、作業療法でしかない。そして、この考え方は、今日では郊外の主婦たちに投影された「feminine mystique(女らしさの神話)」(*3)にも引き継がれ、しばしば芸術と芸術が果たす社会的役割の概念全体を歪めている。19世紀半ばに出版され、アメリカとイギリスで広く読まれた主婦のための手引書『The Family Monitor and Domestic Guide』の中で、著者のエリス夫人は、女性は一芸に秀でようと精進しすぎるべきでないと書いている。


*3 アメリカのフェミニストで作家のベティ・フリーダンが1963年に発表した著作『新しい女性の創造(原題:The Feminine Mystique)』のタイトルを引用した言葉。「女性の幸せは家庭を持つこと。自己実現を願うのは女性らしくない」という神話をさまざまな角度から問い直したこの本はベストセラーとなり、アメリカでの女性解放運動(ウーマン・リブ)/第二波フェミニズムのきっかけを作ったとされる。(原注・出典19参照)

以下、エリス夫人の著書から引用する。

女性が、並外れた知的能力を獲得するために努力すべきだとは思いません。1つの専門分野に集中して取り組むのは、なおさら慎むべきです。『何かに秀でていたい』と願うのは普通のことで、ある程度は称賛に値しますが、その願いは果たして何に由来し、どこを向いているのかを考えてみてください。女性にとって、多くのことをそれなりに上手にこなせることは、どれか1つに秀でることよりも、はるかに大きな価値があります。前者であれば、広く人々の役に立つことができ、後者の場合は1時間だけ人々を感嘆させることができます。何でも卒なくこなせて、全ての分野においてそこそこの知識と能力があれば、人生でどんな場面に遭遇しても、威厳を持って切り抜けることができるでしょう。しかし、一芸に秀でるために多くの時間を使ってしまえば、それ以外の能力を伸ばせなくなってしまいます。

賢さや学問、知識は、女性の道徳感を磨くためには望ましいものですが、それ以上のものであってはいけません。本来の仕事から注意をそらすもの、お世辞や賞賛の迷路に誘うもの、他者に向けるべき意識を自分自身に向けさせる傾向のあるものは全て、それ自体がいかにすばらしく、魅力的であっても、女性にとっては悪であるとして避けねばなりません」(原注・出典14)

思わず笑ってしまいそうになるが、まったく同じメッセージが未だに発せられていることを忘れてはいけない。こうした言説は、ベティ・フリーダンの著書『新しい女性の創造』でも引用されているし、現代の女性誌を開けばすぐに見つかる。

このアドバイスに聞き慣れた響きがあることは確かで、最近ではフロイトの理論や社会学に由来する均整のとれた人格についてのキャッチフレーズによって補強されている。女性は本来の仕事である結婚の準備を第一に考えるべきで、性的な役割より仕事を優先させるのは女性らしくないというこの考えは、今でも「女らしさの神話」の主軸をなすものだ。このような考え方のおかげで、男性は「真剣な」仕事の場において過度な競争にさらされずに済み、家庭では何でもこなす助手に支えてもらえる。彼らは自らの専門性を活かせる充足感に加えて、セックスと家庭をも同時に手に入れることができるのだ。

エリス夫人は同じ芸術でも、美術は音楽に比べ若い女性にとって明らかに有利な点が1つあると述べている。静かで誰にも迷惑をかけないというのがそれだ(このネガティブな美徳は彫刻には当てはまらないが、か弱い女性が音を立ててハンマーとノミをふるい、彫刻を制作することを想定していないだけだろう)。さらに次のような一説もある。

「それ(ドローイング)は、さまざまな心配事を一時忘れる気晴らしとして最適で、ほかの趣味に比べても、塞ぎ込むことなく朗らかさを保つのに役に立つのです。常に明るく振る舞うことは、家庭や社会における義務でもありますから。また、状況や気分によって、簡単に中断したり再開したりできるのも良いところです」。(原注・出典15)

この100年で状況は大きく進歩したと思うだろうか? 最近経験した次のようなやり取りを紹介しよう。ある若くて優秀な医師と話しているとき、彼の妻が友人たちと芸術の「真似事をしている」ことに話題が及ぶと、彼は皮肉な調子でこう言い放ったのだ。「まあ、少なくとも面倒を起こされるよりはいいが」

性生活と伴侶を得る代わりに仕事は諦めよ、という圧力

現在も19世紀と同じように、女性のアマチュアリズムと真のコミットメントの欠如、芸術をおしゃれな趣味としてひけらかす態度は、成功したプロフェッショナルである男性から白い目で見られている。「本当の仕事」に従事している彼らは、芸術活動に対する妻の中途半端な姿勢を、ある程度の正当性をもって批判することができるのだ。このような男性にとって、女性の「本当の仕事」とは、直接的または間接的に家族に奉仕するものだけであり、それ以外は、気晴らし、自分勝手、過度な自惚れだと受け止められる。さらに、大っぴらに語られることはないが、極端な言い方をすれば去勢的だとすら考えられている。文化的なことを軽視する態度と軽薄さが相互に強化し合う負のサイクルが形成されているのだ。

現実世界に限らず、物語の中でも、たとえ女性が芸術に真剣に打ち込んでいたとしても、いずれは恋愛や結婚のためにキャリアを捨て、ひたむきな努力をやめるものと考えられていた。この筋書きは、今も19世紀と変わらず、女の子が生まれた瞬間から直接的・間接的に繰り返し植えつけられている。その良い例は、クレイク夫人が19世紀半ばに著した、女性芸術家の成功を描いた小説だろう。ヒロインのオリーブは、一人暮らしをしながら画家として名声を得ることを目指しており、実際に作品を売って生計を立てるまでになっている。このように女性らしくない行動が許されている1つの理由は、彼女は脚に障害があるため結婚は無理だろうと考えているからだ。

しかし、そんなオリーブでさえ最終的には愛と結婚の誘惑に屈している。著者のクレイク夫人は物語の途中で失速してしまい、真に偉大な人物だと読者が信じていたヒロインが、最終的に結婚生活に向けてゆっくり沈んでいくことを許し、それに満足している。そう嘆いているのは『The Victorian Heroine』(ヴィクトリア朝のヒロイン)の著者、パトリシア・トムソンだ。彼女は次のように述べている。「スコットランドの芸術アカデミーは、そこで生み出されるはずだった『数えきれないほどの傑作』をオリーブの夫のおかげで失ったと、クレイク夫人はこともなげに書いている」(原注・出典16)。この物語が書かれた時代も、男性がより「寛容」になった今も、女性は常に結婚かキャリアかの選択を迫られているようだ。つまり、職業的成功の代償として孤独になるか、仕事を諦める代わりに性生活と伴侶を得るかのどちらかを選ぶほかないように見える。

他の分野と同様、芸術分野で何かを達成するには、苦労と犠牲が伴うことは誰も否定しないだろう。伝統的な芸術教育とパトロンの制度が、それ以前のように機能しなくなった19世紀半ば以降はなおさらだ。ドラクロワ、クールベドガゴッホトゥールーズ=ロートレックなどが、家庭生活の楽しみや義務を少なくとも一部放棄し、創作活動に専念したことを見ても、それは明らかだ。とはいえ、彼らはこのような選択をすることで、自動的にセックスや伴侶を持つ喜びを絶たれたわけではなかった。また、道を極めるために独身を貫き芸術一筋に生きると決めたからといって、男らしさや、男性としての機能まで犠牲にしたとは考えもしなかったに違いない。だが、もし女性がそのような選択をした場合は、近代社会で芸術家として生きることの否定しがたい難しさに加えて、1000年にわたる罪悪感や自信喪失に耐えねばならず、さらには性的な対象として好奇の目に晒されたり危険な目にあったりすることを覚悟しなければならなかったのだ。

エミリー・メアリー・オズボーンが1857年に描いた《Nameless and Friendless》(名もなく、友もなく)という絵を見てみよう。そこには、ロンドンの画廊に作品を持ち込んだ、貧しいながらも真面目で愛らしい芸術家志望の若い女性が描かれ、彼女が緊張した面持ちで尊大な画商の評価を待つ様子を、2人の「芸術愛好家」たちが側で見ている。この絵は無意識のうちに見るものに性的な刺激を与えるもので、そこに描かれている情景の根底にあるのは、モーリス・ボンパールの《Debut of the Model》(モデルのデビュー)のようなあからさまに性的な作品とさほど変わらない。両者の共通のテーマは純真さや、世界にさらけだされた女性が醸し出す、そそられるような純真さだ。オズボーンの絵の真の主題は、恥じらうモデルが描かれたボンパールの絵の場合と同じく、いたいけな若い女性芸術家の弱さ、傷つきやすさであり、彼女の絵の価値や仕事にかけるプライドではない。女性への眼差しはここでも性的なもので、真剣なものではないのだ。19世紀に芸術を志した若い女性について説明するのに、「常にモデルであり、決して芸術家ではない」という標語が使われていてもおかしくないほどだ。

いくつかの成功事例


ストラスブール大聖堂の南門にある彫刻《The Church)》と《The Synagogue》(1225年頃)は、大聖堂の主任彫刻家(これらの作品の完成前に死去)の娘、サビーナ・フォン・シュタインバッハの作品だとされている。Photo: Wikimedia Commons

歴史上には、ミケランジェロレンブラントピカソのように頂点を極めるには至らないまでも、困難を乗り越え名声を獲得した少数の英雄的女性がいる。彼女たちには集団として、また個人として、どのような特徴があるのだろうか。この記事の中でそれを綿密に掘り下げることはできないが、多くの女性芸術家に共通するいくつかの顕著な特徴を示すことはできる。彼女たちにはほとんど例外なく芸術家の父親がいるのだ。または、時代が下った19世紀と20世紀においては、影響力のある男性芸術家と密接なつながりがあった。もちろん、こうした特徴は、先に芸術家の父と息子のケースで示したように、男性芸術家の場合でも珍しくはない。ただ、少なくともごく最近までは、女性芸術家の場合ほぼ例外なくそうだった。

13世紀に、ストラスブール大聖堂の南門の彫刻を手がけたという言い伝えが残る伝説の彫刻家サビーナ・フォン・シュタインバッハ、19世紀を代表する動物画家ローザ・ボヌール、ティントレットの娘マリエッタ・ロブスティ、ラヴィニア・フォンターナ、アルテミジア・ジェンティレスキ、エリザベス・シェロン、ヴィジェ=ルブラン夫人、アンゲリカ・カウフマンなど著名な女性芸術家は皆、芸術家の娘だった。19世紀に活躍したベルト・モリゾはマネと親しい間柄で後にマネの弟と結婚しているし、メアリー・カサットは親友のドガの作風を参考にしていた。

伝統的なしがらみを断ち、長年の慣習を捨て去る機運が生まれた19世紀後半になると、男性画家が父親とは異なる道に進むことができたのと同じように、女性画家もまた、より多くの困難に立ち向かいながらも自立していくことができた。シュザンヌ・ヴァラドン、パウラ・モーダーゾーン=ベッカー、ケーテ・コルヴィッツ、ルイーズ・ネヴェルソンなど、近代以降の女性芸術家の多くは芸術家の家庭の出身ではない。しかし、その多くが芸術家と結婚している。

女性作家のキャリア形成における父親の役割を分析してみると、面白いかもしれない。全面的な支援とはいかないまでも、芸術に興味を示す娘の意欲を削ぐようなことをしない父親の影響だ。たとえば、ケーテ・コルヴィッツとバーバラ・ヘップワースは、芸術家を目指す娘に珍しく協力的だった父親の影響を回想している。どのくらいの数の女性芸術家が親に反発したのかしなかったのか、男性よりも女性芸術家の方が親に逆らうことが多かったのかどうかについては、徹底した研究がなされていないため印象論で語るほかない。

しかし、確かに言えることがある。それは、かつても今も、女性がキャリアを築くには、さらには芸術の世界で道を切り開くには、かなり型破りでなければならないということだ。家族の反対があろうとなかろうと、妻と母親という役割(社会的に認められた女性の役割、社会制度が自動的に女性に割り振る唯一の役割)に甘んじることなく芸術の世界で生きていくには、よほどの強い反骨心がなければならない。ひたむきな努力、集中力、粘り強さ、思考や技を極めることへの没頭といった「男性的」な属性を、たとえ密かにでも取り入れることによってのみ、女性は芸術の世界で成功してきたのだ。(翻訳:野澤朋代)

Vol.1:リンダ・ノックリン著「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?」──フェミニスト美術史家が突きつける問い
Vol.2:ヌードの問題──リンダ・ノックリン著「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか」

初出:US版ARTnews1971年1月号22頁

原注・出典
14.Mrs. Ellis『The Daughters of England: Their Position in Society, Character, and Responsibilities』(1844)、The Family Monitor(New York, 1844)35頁掲載

15.同上、38-39頁

16.Patricia Thomson『The Victorian Heroine: A Changing Ideal』(London, 1956)77 頁
19.Betty Friedan『The Feminine Mystique(女らしさの神話)』(New York, 1963)158頁 (日本語版『新しい女性の創造』大和書房)

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