羽田圭介 連載エッセイ「色々経てアートに目覚めるかも」
アーティストによって生み出されたアートは、どこでどんなふうに売られ、買われているの? そんな「?」を解決すべく、様々なギャラリーを訪れ、時にアートの見方や買い方をギャラリストに聞き、時にアートオークションへ潜入。現代アート事情に次第に通眼していく、小説家・羽田圭介さんによる連載エッセイです。

第3回 SBIアートオークションの会場にて

Mar 17, 2022
STORY
羽田圭介

文:羽田圭介

「SBI ART AUCTION」へ、取材で訪れた。オークション会場やオンライン、電話、書面での注文も受け付けているアート作品のオークションだ。今回は二日間に分けられており、そのうちの二日目に代官山の会場へうかがった。

土曜日の午後一時であったが、案内してくださった方いわく、感染症の影響でか会場への来場者はいつもより少ないという。数十人座れるように置かれた椅子の半分以上が空席だった。

「入札するには事前の登録が必要ですが、いかがいたしましょう?」

「大丈夫です」

いきなり今日なにかを入札することもないだろうと、そう返事をする。オークションといえば、高校一年生の頃から父親のアカウントを利用し、たまにインターネットオークションで自転車本体やパーツを落札していた。オンラインで全国各地の人と繋がれてしまうため、時には冷静さを欠き競ってしまい、予算オーバーの入札額で落札したりもした。

それから数年後の大学時代、招待枠があるからと足を運んだ、元AV女優の及川奈央さん主演のWEBドラマ『マギー’s犬Jr.』の試写会にて、チャリティーオークションが開催された。出演者たちの私物や撮影小道具が出品され、WEB企業主導なのにオンライン入札などというシステムは組まれておらず、試写会に来た客限定での競り合いが行われた。司会担当だったお笑いコンビ「インパルス」のお二人が面白おかしく盛り上げていたこともあり、ちょっとしたものでもそこそこの高値がつくことに、僕は驚いた。というのも、オークションはそれに参加している人数が多いほど値段がつり上がる性質を有しており、人数制限なく参加できるインターネットオークションと比べ、丸の内のビルの試写会場にいる人数などたかが知れていて、競争原理もさしてはたらかないと思っていたためだ。

それが最後、及川さんが劇中で使用したキセルに対し、とある中年男性から十数万円での入札の声があった。インパルスのお二人の表情も一瞬かたまり、僕も含めた会場の全員が一瞬「えっ…」と引くような雰囲気になったのを、昨日のことのように覚えている。バブリーな人がやたらと存在する今はわからないが、当時、インターネットオークションでは人気の商品にそこそこの高値がついたとしても、皆パソコンモニターの前でどこか冷静であるのか、とんでもない高値がつくことは少なかったように記憶している。しかし、出品した本人の顔も見える会場でのオークションでは、人は冷静さを欠き、異様なほどの高値で落札してしまうのだ。

人は場の空気に流され、欲しい物を高値で買おうとしてしまう。あの時の体験と照らしあわせてみるに、今日この会場で行われるアートオークションがどれほど白熱するのか、楽しみであった。

やがて進行の男性が登壇し、2日間で500品出される中、250番からのオークションが開始された。出品作品のうちごく数点だけ会場に置かれているが、その他の作品に関してはプロジェクターでスクリーンに映されるだけだ。

「○○番お電話のお客様」「オンラインのお客様」というふうに、進行の男性が手の先を電話やオンライン等を担当している各オペレーターへと次々と向ける様は、さながら超高速阿波踊りのようでもある。それ以上の入札者がいないと、小槌がおろされる。

「会場のお客様よろしいでしょうか?」

いくつめかのオークションで進行男性に訊かれるも、20人前後いる客の誰も入札をしていない。先述の及川奈央さんオークションの記憶があるぶん、会場客たちが次々と入札しないのは意外であった。むしろ、オンラインや電話での入札客たちの興奮している様を、会場客たちは俯瞰して見てしまうのだろうか。

そのうち、僕と同い年のアーティストの絵のオークションが始まった。年齢の近いアーティストの作品を買ってみることをおすすめされていたこともあり、ちょっと興味を抱きつつも行く末を見守っていると、83万円で落札された。端的に、意外と高くないな、なんなら僕でも買えてしまう値段だなと思った。仮に入札に参加し競り合っても、百万円をちょっと越えたくらいで落札できたのではないかと予想する。そして、落札のための事前登録をしていなくてよかったなと少し感じた。登録していたら、よく考えもせずに買っていたかもしれないからだ。ただ、買った方がよかったのかもしれない。そればかりは、未来にならないとわからない。

とある作品で、初めて会場客からの入札が入った。その作品は結局電話客が落札したが、次の作品を会場の客が900万円で落札した。絵一枚で、ベンツEクラスやBMW5シリーズといった車と同じくらいの値がついた。さっきまでは国産の軽自動車や普通車くらいの価格帯で値がついていただけに、いよいよ目玉商品も入り交じるフェーズに入ってきたのだと感じた。

ただそうはいっても、残り200以上ある作品の全てが目玉商品というわけにもいかない。これはどう捉えても玉石混淆のどちらかといえば“石”だろうという、定規一本と絵の具だけあれば五分で描けてしまいそうな絵に、200万円近い落札価格がついた。アートは素材と文脈だと教わったばかりであるが、絵だから素材は知れている。じゃあ残るは文脈で、文脈に200万近い価格がついていることになるが、定規で描けそうな絵をプロジェクター投影でいくら見ても、僕にはその文脈が見えてこない。絵を懸命に見ようとしてしまっている時点で、その文脈は永遠に見えてこないのか。

僕の斜め前方に、自分の父親とそっくりの後ろ姿をした70代前半くらいの男性が座っていた。薄くなった頭髪の白髪具合や、薄手の紫色のダウンベストといった服装まで、まるきり父親と同じだった。その男性はふと後ろを振り向いたタイミングで、これまた70代前半くらいの別の男性に会釈していた。なんらかの繋がりがあるらしい。

そして、そこまで年齢がいった客は会場内にさほど多くないことにも気づいた。僕より数歳年上の40代前半くらいから、70手前くらいまでの年齢層が主だったものだろうか。さすがに20代は見受けられない。人は人生の後半にさしかかったくらいから、アートを買うようになるのか。そして、36歳という今の自分の年齢は、アートを買い始める年齢として、決して早すぎるわけでもないのだと思った。

7500万円で落札される作品が出てきたりと、オークション自体がだいぶ温まってきた頃、とある作品に会場から1900万円の入札が入った。番号札を上げているのは、僕の父親にそっくりな人から会釈されていたあの老男性であった。オンライン客からの高値更新があると、会場のその老男性はすぐさま2600万円で入札し直す。

「時間かかるね」

天気悪いね、みたいになんでもないことのようにボソッと連れの人に漏らした声が、僕にも聞こえた。進行の男性が小槌を下ろしたタイミングでオンラインからの新たな入札があり、それに対し会場の例の老男性が「3000」と初めて声で入札した。そのあとの競り合いでも間を置かずに躊躇なく「300」「500」と口にしていたが、3300万、3500万という意味らしい。それらに対ししばらく、オンラインや電話からの反応はない。

「電話(での注文は)切れてますね……。電話繋がってます? 繋がってるなら早めに。そろそろ落札しますよ」

進行男性の促しに、会場では笑いが起こる。

「オンライン(での注文)もよろしいでしょうか?」

ついに木槌がおろされ、会場の老男性がその作品を3700万円で落札したこととなった。会場から拍手が起こり、僕も反射的に拍手していた。そんなことがあっても、落札した老男性は、ワクチン接種会場で順番を待っているみたいな様子にしか見えなかった。妙な穏やかさを漂わせている。ふと、北野武映画のリアルさは、こういう雰囲気をとらえているところにあるからだと感じた。役として登場するヤクザやどんな権力者でも、まるで楽しいことなどありゃしないというか、楽しいと感じていてもそれらが日常になってしまうと表情にあらわれないのだというように表現される。

その後も続けられていったオークションで、様々な作品に高値がつけられていく様を目にするうち、文脈頼りのアート作品にそんな高値の落札価格をつけてしまうなんてもったいない、などとは全然思わなくなっていった。というのも、そんな高額で落札できてしまう人たちは、落札価格の数十から数百倍の資産をもっているであろうことが考えられるからだ。

たとえば極端なことを述べると、さっき7500万円で落札された作品があったが、僕も本気で欲しがったら、7500万円での入札はできた。しばらく競って8000万円で落札できたとしよう。落札はできるのだろうが、そんなふうに金をつかうのであれば、他に優先的に買いたいものがあると現時点での僕は思ってしまう。たとえば、都内にガレージつきの中古一軒家や、そこそこいい区分マンションなんかが買える。決して特殊ではないはずの僕のこの経済感覚からしても、アート作品を購入する多くの人たちも自分や会社のポートフォリオのごく一部としてアートを購入しているはずであり、つまりは、アートを出品した人たちとそれを落札する人たちも皆、とんでもない金持ちであるはずなのだ。金余りの人たちの中で行き来するアートと金の流れに対し、庶民的な感覚でああだこうだいうほどナンセンスなことはない。むしろ、世間には金の使い道があまりないことが可視化されているというか、一種の気怠さが可視化されているように、僕は感じてしまうのであった。

僕がそう感じているだけで、他の人たちは全然、そう感じていないのかもしれないが。

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アートを買ってみる?

今回訪れたイベント:SBIアートオークション

2022年1月28日〜29日、1日目はオンラインにて、2日目は東京・代官山の会場で開かれたモダン&コンテンポラリーアートオークション。計500点の作品が出品された同オークションで最高落札額を記録したのは、1億5525万円で落札された草間彌生の《蝶[TWWEN]》(2006)。SBIアートオークションでは年間4〜5回、公開型のオークションを開催。20世紀以降の近現代アートを中心に構成される。落札総額の約4割近くを海外顧客の落札が占め、国内随一の国際性を誇るオークションであることが特徴。今後のオークション開催日程はこちら。画像提供:SBIアートオークション株式会社

羽田圭介
小説家

はだ・けいすけ/1985年東京都生まれ。明治大学商学部卒。17歳の時に「黒冷水」で文藝賞を受賞し小説家デビュー。2015年「スクラップ・アンド・ビルド」で芥川賞受賞。近著に『Phantom』(文藝春秋)、『滅私』(新潮社)、『三十代の初体験』(主婦と生活社)がある。

Index
1
Jan 17, 2022
第1回 田村琢郎の個展を見に、MAKI GALLERYへ
2
Feb 14, 2022
第2回 東京画廊で李鎮雨の作品を見て、代表・山本豊津さんに話を聞く
3
Mar 17, 2022
第3回 SBIアートオークションの会場にて
4
Apr 08, 2022
第4回 アートフェア東京2022をめぐる話
5
May 11, 2022
第5回 2つの美術館で出合ったフェルメール
6
Jun 16, 2022
第6回「桶田夫妻のコレクション展にて」
7
Jul 19, 2022
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