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コンピュータによる芸術革命が始まる──70年代、実験映画の先駆者が夢見たアートの未来

US版ARTnewsの姉妹メディアであるArt in America誌は、長年にわたり年1回の「New Talent(新しい才能)」特集を続けてきた。その1970年の特集で、コンピュータを「New Talent」に選んだのが、実験映画・実写アニメーション技術のパイオニア、スタン・ヴァンダービーク(1984年没)だ。

1966年のニューヨーク映画祭でのスタン・ヴァンダービーク(左)。Photo: Robert R. McElroy/Getty Images

Art in America誌は、1970年1・2月号の「New Talent」特集のために、新進作家を紹介してほしいとスタン・ヴァンダービークに依頼。すると彼は、「新しい才能」の解釈を広げ、コンピュータについての記事を寄稿している。

2023年の今、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催中の「Signals: How Video Transformed the World」展(7月8日まで)では、ヴァンダービークの作品を見ることができる。AIがアーティストにとって刺激的であると同時に、実存的な挑戦を突きつけている現在は、コンピュータとアートの関係について彼が何を考えていたかを振り返るいいタイミングではないだろうか。

以下、ヴァンダービークの1970年の記事を再掲する。

コンピュータが切り開いた新しい表現:グラフィックムービー

(グラフィックツールとしての)コンピュータは、昨今次々と登場している技術の中でも比較的新しい。この技術がアメリカで普及し始めたのは、商用コンピュータが初めて発売された1955年頃のことだ。

1963年には、コンピュータによってグラフィックを制作する可能性が出てきた。電子情報をマイクロフィルムに記録する装置が登場し、人間の100万倍の速さで点や線が描けるようになったのだ。この機械とそれを制御する電子計算機(コンピュータ)の登場によって、膨大な時間とコストを要するため実現が難しかった多様で複雑なグラフィックムービーが作れるようになった。

このマイクロフィルムレコーダーは、基本的にはディスプレイとカメラで構成されている。フィルムのコマを送る、指定した座標に点やアルファベット文字を表示する、ある点から別の点へ直線を引く、といったごく単純な命令しか理解できないものの、1秒間に1万~10万個の点や線、文字を描画できる。そうした膨大な量の単純な要素を組み合わせれば、複雑な画像を作成でき、何枚も連続した絵を描くことも可能だ。

フィルムに図像を露光できるこの機械は、テレビのような画質の細かい点の集合で構成されたモザイクをわずか数秒で描き出したり、1秒間に数コマのスピードで簡単な線画を描いたりするような高速処理ができる。

フィルム・アーティストとして映像技術に焦点を当てた作品を作ってきた私は、1964年に映画制作のための新しいグラフィックツールとして、コンピュータを使えるのではないかと考えた。以来このメディアを探求し、これまでにコンピュータを使って9本の映画を制作している。

コンピュータによる画像の制作プロセスはどんなものか

これらの映画は次のようなプロセスで作られている。まずはIBM 7094というコンピュータに、ベル研究所のケン・ノールトンが開発した「BEFLIX」というコンピュータアニメーション用のプログラミング言語を動かすためのサブルーチン(命令セット)を実装する。次に、この特殊な言語で動画を作るためのプログラムを書き、それをパンチカードに書き出す。パンチカードを読み込ませたコンピュータはカードの指示を処理し、それに従って映画の1つ1つのコマを構成する画像の詳細を計算し、その結果を磁気テープに記録する。

この情報を視覚化するには次のような工程を踏む。装置のディスプレイには252×184の光の点がモザイクのように並んでいて、それぞれの点はプログラムの指示でオン・オフできる。図像は、濃淡の異なる点の配列として考えられるが、コンピュータは点のオン・オフを繰り返しながら絵を作るための「地図」を持っている。プログラマーはシステムに線や円弧、文字などを「描く」よう指示を与え、画像のコピーや変形、転写、ズーム、ディゾルブ(オーバーラップ)、塗りつぶしなどの効果も指定できる。

こうした指示が書かれたコードをテープに記録し、それを別の機械にセットする。この機械はテープを読み取り、それに従って、テレビのブラウン管に似た高性能の陰極管ディスプレイ(ストロンバーグ・カールソン4020)に信号を送る。すると、ディスプレイに並ぶ細かい点のそれぞれが、テープに記録されたプログラム通りに点灯したり消えたりする。

さらに、ディスプレイの上部に設置されたカメラが、コンピュータに指示されたタイミングで決められたコマを撮影してフィルムに記録していく。コンピュータから何度もプログラミングのエラーを指摘されながら、試行錯誤の末に白黒のムービーが完成する。これを従来通りの映画の手法で編集し、アーティストのボブ・ブラウンとフランク・オルヴィーが開発した特殊なカラープリント処理技術で映像に色を加える。

アート・イン・アメリカ 誌の1970年1・2月号に掲載されたスタン・ヴァンダービークの記事「New Talent: The Computer」の最初の見開き。

アートの形式とその背後にある考え方はどう変遷してきたか

これまで長い間、私たちの時代における最も革命的な芸術形式は映画だった。しかし、世界中に張りめぐらされた神経系の末端にテレビが置かれた今、映像革命はアメリカ中のリビングルームで息づいている。かつて映像革命を象徴していた映画はテレビに取って代わられ、今や次のステージに移行する時が近づいている。それが、コンピュータグラフィックス、コンピュータによる環境の制御、そしてサイバネティックス(*1)的な新たな「映像芸術」なのだ。


*1 アメリカの数学者ノーバート・ウィーナーが1948年の著書の中で提唱した概念。生体と機械における通信と制御の問題を統一的に扱い、システム工学、機械工学、生理学などを横断する学際的な研究。

アーティストにとって、映画、テレビ、コンピュータ、サイバネティクスといった新しいメディアは、視覚のありようを外からも内からも作り変えるツールだ(映画は精神分析とほぼ同時期に「発明」されている)。1900年に始まった芸術的発想と知覚の生態系をめぐる革命を振り返り、過去60年間にアートを支えてきた考え方の変遷をたどると、次のようになる。

19世紀までの理想の段階的な解体、具象から非具象へ、知覚される対象を同時に表現するキュビスム、運動状態や人間–機械間の形而上学としての未来派、反芸術や生の称揚を主張したダダイズム、精神宇宙の中心に夢を据えたシュルレアリスム、時間と運動を統合したアクションペインティング、2次元の絵画が壁から飛び出したハプニング、網膜の「リアリティ」としてのイルージョンを示したオプアート、現実世界に言及した「リアリティ」としてのポップアート、引き算によるイルージョンであるミニマル・アート、イルージョンの構成要素を提示するコンセプチュアル・アート

コンピュータは将来アートに何をもたらすのか

上で見てきた通り、私たちはアートでも生き方でも徐々に「頭の中」の世界へとシフトしてきた。そして今、論理的には人間と同じような反応を返せる道具、つまりコンピュータという頭脳の延長線上にある領域に踏み込んでいる。発展しつつある頭脳的なアートや生き方においては、作品について「考える」ことそれ自体が作品制作のプロセスなのだ。

抽象的な記述法や画像の保存・検索システムは、映画制作に対するある種の頭脳的な態度への扉を開く。これによってアーティストは、アイデアを目に見える形で表現するという役割から解放される。自分が何をしたいかが明確であれば、いずれはその映画、あるいは作品を、どこかにあるコンピュータを使って実現できるだろう。

このブラックボックス、世界を記憶するシステム、形而上学的な印刷機は、私たちに何をもたらすのだろうか。コンピュータをスポーツカーの運転に例えてみよう。それを制御するのは難しく、皮肉なことにスピードが速くなればなるほど、ほんわずかな操作で進路が大きく変わってしまう。手数は減るものの、そこではより高度なスキル、つまり人間と機械の関係性に対する深い理解が必要となってくるのだ。

コンピュータを使ったアートの未来は、素晴らしいものになるだろう。それは人間の想像力と反応を増幅させ、私たち1人1人の興味に合わせてプログラムされた動的環境となる。端的に言えば、コンピュータがアメリカ全体の生態系を形成することになるはずだ。

1文字ずつバラバラに存在する活字を組み合わせたグーテンベルクの活版印刷から、「ビット」というデータの最小単位で構成されるコンピュータ技術までは、さほど大きな飛躍はない。いずれコンピュータが電話と同じように私たちの生活に浸透するのは間違いない。近い将来、美術大学では新しい時代の技術者・芸術家・市民の精神を培うスキルの1つとして、プログラミングを教えることになるだろう。(翻訳:野澤朋代)

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