小規模ながら感動的──ゴッホの糸杉に特化したMET企画展に学ぶ「本当にいい展覧会」の要件
ニューヨークのメトロポリタン美術館で、フィンセント・ファン・ゴッホの企画展が開催中だ。糸杉を描いた作品に特化した小規模なものだが、滅多に見ることのできない個人蔵の絵を含め、質の高い作品が世界各国から集められている。その見どころをリポートする。
メトロポリタン美術館で一堂に会したゴッホの糸杉
ブロックバスターと言われる大規模企画展が評価されるポイントは、規模と質、どちらだろうか? 1990年にアムステルダムのゴッホ美術館は、フィンセント・ファン・ゴッホが手がけた140点近くの絵画と素描を集めた企画展を開いた。当時、多額の資金を必要とする大規模展に人々の関心を集められるか否かは、名作からなる展示作品リストの「長さ」にかかっていると考えられていた。だから、120万人もの来場者がこの回顧展を訪れ、夏の暑さの中、徹夜で並んだ人がいたのも不思議ではない。
それから30年以上経った今、ニューヨークのメトロポリタン美術館(以下、MET)で開催中の「Van Gogh’s Cypresses(ゴッホの糸杉)」展は、ブロックバスターがすっかり様変わりしたことを示唆している。5月22日から始まったこの展覧会(8月27日まで)には44点の作品しか展示されていないが、すでに大勢の来場者が詰めかけている。展示される作品の数は、もはや重要ではなくなったのかもしれない。
44点の中には、傑作として知られるものもある。渦巻く夜空と大きくそびえる糸杉を描いた有名な《星月夜》(1889)は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)から25ブロック北上するだけの短い旅を経てMETにやってきた。10年ぶりにMoMAを離れるこの絵を、サンパウロ、アムステルダム、コペンハーゲンなど遠方から貸し出された珠玉の名作と同じ空間で見られるのは喜ばしいことだ。
ゴッホの糸杉を集めたこの展覧会は、4ブロックにもわたる巨大な美術館の中で、3つの展示室を使うだけの小規模なものだ。それに、ゴッホの画業を俯瞰する回顧展でもない。しかし、これほどまでに質の高い絵画が一堂に会した時の感動は、何物にも代えがたいものがある。
精神を病んでいったゴッホの糸杉が示唆するもの
この展覧会は、ゴッホが1888年から1890年に死去するまでの間に暮らしたプロヴァンス地方のアルルとサン・レミで、彼が目にした樹木の描写を中心に構成されている。キュレーターを務めたスーザン・アリソン・スタインは展覧会カタログの中で、ゴッホ作品において糸杉がいかに重要な意味を持っているかを強調し、これまでその存在がまったく「認識されてこなかった」とまで書いている。
糸杉に対するゴッホのこだわりに、スタインが惹きつけられるのも無理もない。ほとんど全ての展示作品の中で、糸杉は影の主役として、その下に広がるゆがんだ麦畑や花畑、人物などの上にそびえている。たとえば、METが所蔵する名作《糸杉のある麦畑》(1889)では、糸杉が空を突き刺すように上に伸び、波打つような雲が空を横切っている。松のような緑の絵具が厚く塗り重ねられた葉には、彫刻のような立体感がある。
この絵と同じ年に制作され、ゴッホ自身が「決定版」だと言っていた別バージョンも展示されているが、MET所蔵のものに比べると退屈に感じられる。ロンドン・ナショナル・ギャラリーから貸し出されたこちらの絵では、独特の激しい絵の具の使い方を抑制し、筆致が平坦なものになっているからだ。それでも、隙のない構図のおかげで凡作にはなりようがない。この2枚の絵が、かつて同じ空間に飾られてから100年以上が経つ。次に見比べられる機会が訪れるまで、これほどの年月を要さないことを願いたい。
これらの作品を描いているときも不安定な精神状態にあったゴッホは、木々を「見たままに」描いたと語っている。この言葉からは彼の心の中がうかがえるようだ。激しく曲がりくねった筆致で描かれた風景のうねりの中で、糸杉だけはしっかりと地に根を張って屹立している。彼にとってそれは、よそよそしさが増していく世界の中で、唯一変わらない心の支えだったのかもしれない。
ゴッホの絵の中の木々は、まるで生きているかのように見えることさえある。1889年の素晴らしい糸杉の絵では、葦ペンで描かれた葉が燃え盛る炎のように上へ上へと伸びている。また、スーラを思わせる《Orchard with Peach Trees and Cypresses》(1888)の糸杉は、後景に小さく描かれているにもかかわらず、強い生命力を放っている。その勢いは、画面の至る所に散りばめられている華やかなアンズ色や明るい空色を忘れさせるほどだ。
ゴッホが糸杉にどんな意味を込めていたのか、はっきりしたことは分からない。弟のテオに宛てた手紙でいろいろなことを説明しているゴッホだが、この常緑樹の象徴性については触れていない。そのため、この展覧会では主に文脈を手がかりにした解釈が提示されている。
構図や色彩はアルルでどう変化していったのか
「Van Gogh’s Cypresses」展は、この画家が1888年にアルルに到着したところから始まる。解説によると、当初ゴッホは母国オランダの木々を意識しながらフランスの糸杉を描いていたという。これについては、この展覧会を見ただけではよく分からない。なぜなら、彼がプロヴァンスに来る前の作品は展示されていないからだ。しかし、道端に立つ柳の幹が大きく斜めに傾いている《Landscape with Path and Pollard Willows》(1888)のような作品には、確かにオランダ時代の作品に見られるのと同じような木が描かれている。ここにつながりを見出すならば、ゴッホは流動的な世界において不変の存在を求めていたのだと解釈できるかもしれない。
アルルに来て1年も経たないうちに、彼の構図は大きな変化を遂げている。それまで絵の中で調和していた空と野原が、《Landscape under Turbulent Skies》(1889)では一転して対立関係にある。陰鬱な雲が立ち込める下の木々は、これからやって来る嵐で倒れてしまいそうなほど頼りなげだ。雲はほかの全てのものを圧倒するほど大きいが、唯一右側の糸杉だけが例外だ。その尖った先端は、攻撃を仕掛けてくる敵に向けられたナイフのようで、雲を追い払おうとしているように見える。
ゴッホがこの作品を描いたのは1889年4月。すでに耳を切り落とし幻覚を見ていた彼は、その翌月にサン・レミの精神病院に入院した。それ以降に手掛けた作品では色彩が暗くなり、何度も塗り重ねて黒っぽく見える深緑色が目立つようになる。
それでも、すべての希望が失われたわけではなかった。茂みがまばらに生えている風景を横切っていく男女を描いた《A Walk at Twilight》(1890)には、朱色の夕焼けが見える。日は暮れようとしているが、まだうっすらと明るさが残り、背景では何本かの糸杉が長い夜を乗り切ろうと見張りのように立っている。
今回の展示作品を見渡す限り、ゴッホが描く糸杉に大きな進化があったようには思えない。1890年7月に自ら命を断つまでの数カ月の間、彼が糸杉についてどのように考えを変えていったのか、または変えていなかったのか、綿密な調査研究に基づいたものではないこの展覧会で推測することは難しいのだ。それでも、めったに見られない個人蔵の名作を、たとえ一時的にせよ、METが借り受けることに成功したのだから文句は言えない。
有名作品だけでなく、個人蔵の作品もじっくり見てほしい
個人像の《Trees in the Garden of the Asylum》(1889)も、一般公開されることがほとんどない作品だが、私がこれまでに見たゴッホ作品の中で最も美しいものの1つと言える。この作品は、ゴッホが入院していたサン・レミの精神病院の窓からの眺めを描いたものだ。そばに同じ題材の絵が展示されているが、そこにある窓枠がこの絵では描かれていない。代わりに芝生の庭の奥に糸杉がそびえ、前景に2本の曲がりくねった木が割り込んできて、エデンの園のような自然豊かな眺めを邪魔している。
この構図は非常に奇妙ではあるものの、素晴らしい効果を上げている。この作品は、自然は人間の思い通りにならないことを示唆しているのだ。ゴッホがそうであったように、私たちは自然を眺めてそこに意味を見出そうとする。しかし、それはただ自らの法則に則って存在しているだけだ。そして、ゴッホ自身もそれを受け入れたのだろう。
今回の企画展の注目作品は《星月夜》かもしれないが、真の主役は《Trees in the Garden of the Asylum》をはじめとする個人蔵の隠れた名作ではないだろうか。こうした作品は、その前でしばらく立ち止まり、じっくりと鑑賞すべき価値がある。MoMA所蔵の有名作品の前に人だかりができる一方で、こうした作品の前を素通りしてしまう人もいるかもしれない。だが、小規模ながらも説得力のある企画展の良さはここにある。鑑賞者1人1人が、自分なりの宝物を見つけることができるのだ。(翻訳:野澤朋代)
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